堂徳山谷コース
  HOME >>   六甲熱中人コース        サイトマップ

JR元町駅(8:43)==北野町西公園(9:07)==堂徳山谷コース==撤退(9:29)==堂徳山南尾根(9:40)
==堂徳山(10:40)==関電巡視路==市章山(12:28)==錨山(12:35)==太子の森==JR元町駅(13:30)
(約5時間 令和3年4月24日)  
Route MAP
linelineline
黄色文字の写真はクリックで拡大します。
 地形図を見ていると、神戸元町の背山にあたる堂徳山の南側に、幾筋かの破線ルートが引かれている。「六甲山系登山詳細図:西編(吉備人出版)」では、その破線の一つが「堂徳山谷コース」と紹介されていた。熟練者向けのルートとされるが、未踏であったので今日(令和3年4月24日)は、その堂徳山谷コースを探索してみた。
 本日、目指す堂徳山谷コースは、「六甲山系登山詳細図:西編」では、踏み跡は足幅の広さで沢を高巻く難ルート、熟達者向けの登山道C級と紹介されてる。地理院地形図にも破線が引かれているので、道はあるのだろうとの想定で家を出た。登山道C級の文言が、一般の登山道ではないことを意味しているので、慎重に進む心づもりでJR元町駅からスタートした(8:43)。駅から鯉川筋を北に進み(写真右)、まずは堂徳山谷コースの取付きの北野町西公園を目指す。 鯉川筋
鯉川筋
北野青龍神社  やがて山本通3交差点から北野町4丁目の北野通りに入る。民家の脇に細い階段道があり、これが北野町西公園に向かう道となっている。階段の途中で、北野青龍神社、三森稲荷神社の案内表示が見えたので、その神社に立ち寄ってみることにした。すぐに境内に至り、拝殿にて本日の山歩きの安全を祈願する。北野青龍神社とその末社、三森稲荷神社は創建は不詳なれど、神徳に「厄除け」がうたわれているので、コロナ禍の早期終息も併せ祈願した。
北野青龍神社
 北野青龍神社から細い階段道に戻り、その階段を登っていくと突き当りで北野町西公園となる(9:07 写真右)。北野町西公園では、つつじがきれいに咲いていたが全く人影はなく、寂しい感じが漂う。この公園は市街地と山域の境にあるので、やってくる人は少ないのだろう。その公園の北の端に猪除けのゲートがあり、扉を開けて山に入る(9:12)。 北野町西公園
北野町西公園
A分岐  猪除けの扉から山に入るとすぐにルートが分岐する(写真左)。以降、この分岐を「A分岐」と表記する。このA分岐で右折して尾根の方に登っていくのが堂徳山南尾根道で、それは何度か歩いている。堂徳山谷コースはここで流れに沿って直進する。なお、このA分岐で左に下って行くと、堰堤に付き当たってしまい、それ以上進めない。
A分岐
 A分岐から流れの左岸を進んでいく。左岸道は流れから結構高いところにあり、川底を見下ろすと、高度感がある。おまけに道幅が狭く、川に向かって傾斜しているので滑落に注意が必要となる。あまり人が入らないようで、深く積もった落葉が滑って更に注意を要する展開となる。 左岸道
左岸道
B分岐  危なっかしい左岸道を進んでいくと、やがて写真左の地点に至る。ここを便宜上「B分岐」と呼称する。B分岐で進路に迷うことになる。直進すると、少し下ったところで砂防堰堤に突き当たり、それ以上進めない。そこでB分岐に戻り、次に右手側の斜面を登っていく。
B分岐
 右手側の斜面に登っていくと、踏み跡があるような、無いような感じで、こちらも進路に迷ってしまう。おまけに傾斜が半端でなく、簡単には登れない。足場を間違えるとずり落ちて危険な様相となる。さらに、このあたりは烏のねぐらでもあるようで、頭上から「かー、かー」と不気味な鳴き声が降り注いでくる。GPSで確認すると、破線のルートに沿っているようだが、このルートは危険と考え撤退とした(9:29)。この撤退した地点を以後「C地点」と呼称する。 急登で撤退
急登で撤退
土止めの柵  急斜面を慎重に下りB分岐に戻り(9:32)、その先、左岸道を経てA分岐まで帰ってきた(9:40)。
 こんどは、A分岐から右折して堂徳山南尾根道の方に進む。土止めの柵の脇を通って堂徳山南尾根に進んでいく(写真左)。
土止めの柵
 堂徳山南尾根への道も落葉が深く積もっている。すぐに、つづらになった登りとなって、高度を上げていく。傾斜が急で、トラロープの張られた箇所もある。滑落注意で、ここは慎重に登っていく。深い落葉や枯れ枝の堆積で踏み跡が怪しくなる個所があり、このルートも歩く者が少ないことが窺がわれた。やがて、青色ペンキのマークが付けられた太い木の立つところまで登ってきた(写真右 9:51)。以降、ここを「D地点」と呼称する。 D地点
D地点
 この青色ペンキのマークのD地点で、ふと、左手側を見ると、どうも薄い踏み跡が西に向かって続いているような感じがした。太い木に紐も結び付けられている(写真右)。直感的に、ここから堂徳山谷ルートに繋がっている道があるのではないかと思い、少し探査してみることにした。 紐が巻かれた木
紐が巻かれた木
落葉の中を西に進む  最初は深い落葉の中の歩きやすい道が西に向かって続いていたが(写真左)、次第に道幅が狭くなってきた。そして、道は足巾程度の細さになってしまった。そこは、急傾斜につけられた細道で、滑落すると危険だ。こうなると、もはや獣道の様相だが、三点確保で進んでいくと、先程、左岸道から急斜面を登って撤退に至った「C地点」に到達となった(9:56)。
落葉の中を西に進む
 「なーんだ」と落胆したが、思い直して新たな展開となるような別の道の発見はないかと周囲を探索したものの、やはり急傾斜の斜面の中で危険との判断に至り、C地点から再度の撤退と決定した(10:00)。再び獣道のような急斜面の細道を慎重にトラバースして戻り、なんとかD地点までもどってきた(10:05)。ここに至り、「堂徳山谷コース」は歩く人がいなくなり、今は道が消滅してしまったのだろうとの認識に至った。 堂徳山南尾根道
堂徳山南尾根道
堂徳山国有林の看板  D地点から堂徳山南尾根道を登り始めた(10:06)。D地点からも急な登りが続く。しかし、ここからはしっかりとした山道になり、進路に迷うことはない(写真上)。急登な中で何度も休憩を挟みながら、堂徳山南尾根道を登っていく。この時期、毛虫がいたる所でぶらついていて、衣類に何匹もくっついて、尺を取りながら進んでいた。そんな虫を払いながら登っていると、看板の立つところで明るい尾根に乗った(写真左 10:25)。
堂徳山国有林の看板
伐採の尾根道 高圧鉄塔No.4
伐採の尾根道 高圧鉄塔No.4
 堂徳山国有林の看板から少し登ったところで、山道の周囲に紐が張られて樹木の枝が刈り払われた場所となった。何だろうと思いながら進むと、高圧鉄塔が登場した(10:35)。ここは、高圧線に樹木が触れないように木々が伐採され、明るい尾根道になっていた。なお、この鉄塔は、麓の神戸市道路公社再度受電所に送電するためのものと思われた。その先、少し進んだ所で、道脇の笹の中に埋もれるように三等三角点:口一里が設置されていた(写真右 10:38)。 三等三角点:口一里
三等三角点:口一里
 口一里三等三角点のあたりから車の音が聞こえるようになる。これは再度山DWが近づいてきたもので、すぐに「↑行き止まり」の道標が立つ場所になる(写真右 10:39)。この道標の所で道が分岐し、DWの方に下って行くと、市章山・錨山へ続く山道になる。(なお、写真右は北側から振り返って撮影したもの。) 行き止まりの道標
行き止まりの道標
堂徳山 ?  地形図の表示によると、この行き止まりの道標のすぐ北側辺りに「堂徳山」の表示がなされている。そこで、行き止まりの道標から少し北に進んでみると、山道脇の左手側にコンクリの階段が確認でき、そこを登ったところが広場のようになっていた(写真左 10:40)。ここがこの一帯で一番標高がある場所と思われるので、ここが堂徳山と想定された。なお、従前は、この広場にはテーブルとベンチが設置されて、休憩ポイントになっていた。
堂徳山 ?
 この、堂徳山ピークと思われる広場で地形図を、再度、確認してみた。地形図では、口一里三等三角点から再度山DWを少し下った辺りから破線の山道が下っている。破線の道は麓の追谷墓園まで続いているので、下山路としてこの破線の道を探査してみることにした。再度山DWを下って行くのは車の通行があり少し危険なので、浅間が丘へ続く山道を進むことにする。 浅間が丘への分岐
浅間が丘への分岐
もちつつじ  浅間が丘への分岐から山道に入る(写真上 10:50)。少し登ったところでモチツツジが満開となっていた。ピンクの花がきれいだ。その先が「浅間が丘」の石碑。そこを過ぎて、下って行くと再度山DWに沿う道になる。ここで、DWに出て車道を少し登り返すとカーブミラーの立つ場所がある(写真左下 11:00)。
もちつつじ
カーブNo.25 カーブNo.25の取付き
カーブNo.25 カーブNo.25の取付き
青ペンキのマーク  カーブミラーには「神戸・箕谷 カーブNo.25」の表示がある。このカーブミラーのある場所のガードレールから、地形図の破線の道が始まっている。ガードレールの近くを確認すると、はっきりとした踏み跡が山に入っていた(写真上)。
 その山道に入ると、すぐに猪の罠の檻が設置してあり、その脇から踏み跡が尾根を下っていた。道の脇に立つ木には青のペンキの表示があり(写真左)、これが道標のように思われた。
青ペンキのマーク
 小笹の中の道から、尾根の上のはっきりとした道になる。尾根上には古い石の石柱やコンクリ柱が続いている(写真右)。この尾根が何かの境界になっているのだろう。 尾根に続く石柱
尾根に続く石柱
片側が切れ落ちた尾根道  尾根道は片側が切れ落ちたような場所もあり(写真左)、注意しながら下って行く。
片側が切れ落ちた尾根道
 その先で、コルのようになった場所に下りついた(写真右 11:15)。ここはヌタ場がある場所で、それが目印になる。 ヌタ場
ヌタ場
29 字堂徳山国有林  そのヌタ場のコルの少し先に「29 字堂徳山国有林」と表示された白い杭が立っていた(写真左 11:16)。白杭には「借受人 神戸市水道事業管理者」の表示も記されている。ということは、この尾根は何か水道事業に関係したものがあるということか??
29 字堂徳山国有林
 その白杭の先が小高い小ピークになっていて、そこでおじさんがお茶休憩をされていた。このようなマイナーな山道で人に会い、少し驚いた。挨拶を交わして、当方は、更に尾根道を下って行く。小ピークから下って行くと、木立の隙間から麓の街並みが見えてきた(写真右 11:18)。 樹間に麓の街並
樹間に麓の街並
滑りやすい急下り  小ピークの先で尾根道は急下りになる。ザラつく砂と落葉で滑りやすく、尻もちをつきかけた(写真左)。次に、足元で金属標を発見した(11:25)。よく見ると、それは三等多角点(No.87.03.89201)で、神戸市が設置したものだった。
滑りやすい急下り
 その三等多角点からもう少し下ったところで、今度は高圧鉄塔が登場した(11:28)。この鉄塔は、堂徳山南尾根道に立っていた鉄塔と連なったもので、麓の神戸市道路公社再度受電所に送電するものと思われた。この鉄塔の所で、明確な山道は終結していた。鉄塔の先は、どうも踏み跡が明瞭でない。強引に少し下って行ったが、明らかに踏み跡は消失し、更に下るのは無謀に思えた。 高圧鉄塔
高圧鉄塔
小ピーク  地形図には、破線のルートが下っているが、現状はそれと異なっていた。ここで潔く撤退とした(11:35)。この尾根道は関電の巡視路で、いわゆる鉄塔までの「行ってこい」の道だったようだ。無念の気持ちを抱きながら、尾根道を登り返す。高圧鉄塔(11:40)、三等多角点(11:41)と登ってきて、おじさんがいた小ピークまで登り返してきた(写真左 11:53)。
小ピーク
 小ピークの北側のヌタ場のコルの所まで戻り、ここで少し周囲を探索した(11:55)。このコルから西側に薄い踏み跡があるように思えたので、少し下ってみた。しかし、どこにも明確な踏み跡は確認できなかった。コル周囲での探索をあきらめ、更に北に向かって登り返すことにした(12:03)。 ヌタ場の西側を探査
ヌタ場の西側を探査
市章山の展望  急な尾根道を登り返して再度山DWのカーブNo.25まで戻ってきた(12:17)。ここから山道に従い、市章山まで下ってきた。市章山の展望台の景色はいつも通り素晴らしい(写真左 12:28)。
市章山の展望
錨山  市章山からもう一下りして錨山まで下ると、ここでも市街地に向かい大展望だった(写真左、下 12:35)。
錨山
 錨山から更に下って行くと、太子の森、追谷墓園方面に向かう道に「工事中通行止め」の看板が立っていた。しかし、今日は工事が休みのようで、ガードマンの方から通行可能との案内をいただいた。そこで、今日は太子の森の方に下って行くことにした。工事の為、重機で広げられた道を進んでいく(写真下)。 錨山の展望
錨山の展望
重機で広げられた道  やがて、太子の森に入り、ゆっくりと散策する。太子の森は、昭和43年に当時の皇太子さまのご成婚を記念して、県下の市町村からの献木を植樹して森としたことに由来するらしいが、静かな森で散策にちょうど良い感じだった。
重機で広げられた道
 途中、「太子の森」のりっぱな石碑があり、そこは「天皇陛下御下賜金による植樹」と説明されていた(写真下)。更に、階段道を下って行き、追谷墓園入口にある「深道閣」トンネルの所に下りついた(写真右下 13:08)。ここから市街地の中を南に進み、JR元町駅に戻って本日の山歩きを無事に終えた(13:30)。 太子の森散策
太子の森散策
太子の森 「深道閣」トンネル
太子の森 「深道閣」トンネル
 今日、探索した「堂徳山谷コース」は、道が存在するのか否かよくわからない感じで、入り込むのは危険と思われました。また、下りで探索した「行ってこい」の関電巡視路も、鉄塔より下は踏み跡がなく、入り込まないのが賢明と感じました。
    このページのTOPへ
linelineline