藍那古道・丹生山・シビレ山 (お勧め度★★☆) 丹生山系【6-20】 |
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神戸電鉄粟生線の藍那駅で下車する。藍那駅は山間の小さな無人駅である。 改札を出ると、付近の案内絵地図(神戸県民局 平成19年整備)が迎えてくれる。その地図には、さりげなくびっくりするような記載がしてある。それは、駅近くに紫式部の墓があるとの記載である。併せて、七本卒塔婆なる史跡の記載もある。 今日はまず、紫式部の墓と七本卒塔婆の二つの史跡を巡ってみたい。 |
神戸電鉄藍那駅 |
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藍那駅の無人改札を出て、車道を挟んだ北側(民家の脇)に、石の卒塔婆が立っている。これが、七本卒塔婆とよばれるもので、いかにも古いものであることが遠目にもわかる。 並んで立つ卒塔婆は、これから目指す丹生山(丹生神社)の参道に並ぶ丁石に形が似ていることから、これはその予備だったのではないかとの説があるらしい。最近の調査では、この七本卒塔婆は、約600年前の南北朝末頃のものとされている。 |
七本卒塔婆 |
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次に、平安時代の女流文学者紫式部の墓を目指す。紫式部とこの藍那の地とどういう関係があるだろうと、思いを巡らせながら紫式部の墓に向かう。紫式部の墓は、線路に沿って少し東に進み、無人の踏切を渡ったところにある。石造物の宝篋印塔といわれるもので、現地には何らの案内表示はない。 この宝篋印塔が、紫式部の墓であることを示す文献は存在しないらしく、「紫式部の墓」というのは誤りであるらしい。しかし、何故この宝篋印塔が紫式部の墓と呼ばれているのかについて、興味は残る。 |
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紫式部の墓 |
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紫式部の墓を後にして、藍那駅まで戻り、次に藍那古道を目指すことにする(8:52)。 駅から車道を西に進む。傍らに「禅宗大中寺」の階段を確認しながら、数分で藍那小学校の前までやってきた(写真左 8:59)。ここで右折して北に進む。すぐに山間の道になるが、しばらくコンクリの道が続く。その道には「藍那の野鳥(藍那里づくり協議会)」の看板が立ち、藍那の里には多くの野鳥が生息していることを教えてくれる。 やがて、長坂山への道が右に分岐した(9:09)。ここは直進して進む。 |
藍那小学校 |
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次に、また、道が左右に分岐した(9:17)。藍那古道は、ここで左に登る道に進む。 坂道を登ると、そこでコンクリ道は終わり、土の山道になる。この藍那古道には、「太陽と緑の道」の標識や、「丹生山系縦走路」の標識が残り、従前よりハイキング道として親しまれている(写真右)。 また、藍那古道は、古くには義経が進軍した道とも伝えられ、歴史を感じることのできる道でもある。しかし、最近はモトクロスバイクとの遭遇も多く、歩行には注意が必要である。本日も3組5台のバイクとすれ違った。 |
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太陽と緑の道の標識 |
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その藍那古道を、歴史に思いを馳せながら、併せて、バイクのエンジン音にも注意しながら進んでいくと、Y字の分岐地点に至った(9:45)。藍那小学校からこの分岐までは約45分ほどの距離だ。この分岐は右に進む。 そのすぐ先で、藍那古道脇に設置された狐塚三角点のことを思い出した。 おもむろに、GPSを取り出して三角点の位置を確認すると、すでにその狐塚三角点近くまでやって来ていることが判明した。 |
藍那古道 |
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三角点の取付きを確認すべく、古道の道脇を確認しながらゆっくりと進んでいくと、路肩に薄い踏み跡のようなものが確認できた。ちょうど道の反対側に小さな石柱があるところだ(写真右)。 落葉の上に踏み跡があるような気がするので、それに従い雑木林に踏み込んでいく(9:49)。 少し登っていくと斜面は藪の様相になってきた。踏み跡らしきものはなくなり、倒木が行く手を阻んでいる。その中で、歩き易そうなところを探しながら進んでいく。
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この石柱が目印 |
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狐塚三角点 |
狐塚三角点は藪の中 |
やがてGPSの表示が、三角点に近づいてきた。しかし、周囲に三角点は確認できない。 落葉が深く積もり、枯れ枝や倒木もあって、三角点は埋もれてしまっているのかと、探査を諦めかけたときに、倒れて落葉に埋もれかけた三角点の白い標柱が目に入った。その標柱の脇で三角点を発見した(9:54)。 四等三角点:狐塚(きつねづか) 設置 昭和50年6月12日
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藍那古道に戻る |
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三角点の発見に気分を良くしながら、また、藍那古道に戻り、次に丹生山を目指す(10:00)。 藍那古道を更に北に進み、鷲尾家墓所を過ぎると(10:10)、山道は舗装路に変わり、一気の下りになった。 その先で、藍那古道の山道は終わり、里に出てきた(10:15)。出たところからは、前方遠くにこれから目指す丹生山が見えている(写真左)。
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遠くに丹生山 |
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その方向に向かい、田んぼの中の道を進むと、車道に突き当たる。そこは、丹生神社の石の鳥居が立っている(10:19)。鳥居をくぐり、さらに地道を北に進む。 志染川に架かる麓橋を渡ると(10:22)、丹生宝庫の前に至る。この宝庫には、昔、丹生山にあった明要寺の遺品が納められているという。 |
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丹生神社の鳥居 |
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その丹生宝庫の先で、道の真ん中に地蔵が祀られている(写真左)。この地蔵の台座には「従丹生山廾五丁」の文字が見える。 これは丹生神社の参道に続く丁石で、この地蔵が二十五丁目になる。ここから丁石の誘導が始まる。 |
従丹生山廾五丁 |
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地蔵を過ぎて突き当りを左に折れて、車止めを越えると参道の登りが始まる。
その坂道を登っていくと、すぐに大きな廾四丁の石柱が左手側に確認できた。この辺りは、右手側が竹林になっている。 その先も、続く丁石を一つ一つ確認しながら、丹生神社参道を登っていく。幅広の落葉の積もった山道を登っていくと、やがて二十二丁の丁石が右手側に現れ(10:19)、そこからは平坦な道になる。
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参道の丁石(二十丁) |
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その先も続く丁石を一つづつ確認しながら進んでいき、左手側に十八丁の丁石を過ぎたところで、左側から道が合流してきた(10:45)。これは、山田町衝原中ノ瀬の方から登って来た道である。ここから、車も通れる林道のような広い道になる。 その先で広場状の場所に出て(写真右)、次に十七丁の丁石を経て丹生神社(丹生山)への参道と、帝釈鉱山道とが分岐した(10:47)。ここで左の丹生山方面の道に進む。この辺りの林道は舗装路である。 |
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帝釈鉱山道が分岐する辺り |
十五丁の丁石の辺りで、前方に丹生山の山影が見え始めた(写真右 10:52)。 更に、丁石の続く参道を進んでいくと、道の傍らに「大日如来」が祀られていた(10:55)。古いもので、丹生山に関する地元の厚い信心が伝わってくる。 その先で、十三丁の丁石を過ぎると、左手側が大きな石がごろつく沢になって、参道はその沢と共に坂を登ることになる。 |
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十五丁の丁石の辺り |
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少し登ると、門下橋がその沢を渡り(10:58)、沢が右手側になると、すぐに赤い前掛けの「延命地蔵尊」が見えてきた(写真左 11:01)。ここには、延命地蔵尊の他に道標や、「ひょうご森林浴場50選」の大きな看板もある(写真下)。 参道はここで表と裏に分かれ、表参道はこの延命地蔵尊で左折して、林道の裏参道から離れる。ここからは階段道の登りとなる。 |
延命地蔵尊 |
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表参道で次に十一丁の丁石が右手側に登場すると、次に凝った造りの「丹生山橋」(昭和16年造)が登場する(写真下 11:02)。丹生山橋を渡ると、つづらの登りとなる。 その先も、丁石が続く階段の登りで、息が少々上がる。ゆっくり登ることにする。 |
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表参道に入る |
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丹生山橋 |
丁石が続く階段(9丁) |
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右手側に六丁の丁石が登場すると、階段道が終わり、その先の五丁の丁石(写真左 11:23)から平坦路となって、ほっとする。 次に、四丁の丁石が登場すると、左側から山道が合流してきた(11:25)。その山道は、義経道と呼ばれて、衝原湖のサイクリングターミナルから登って来た道である。 |
丁石が続く表参道(5丁) |
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その義経道から、二人のハイカーが登ってきていた。 その先、竹藪の中で二丁の丁石が登場して、次に「史跡丹生山城」の大きな石の表示があり、丹生山明要寺跡に到着となる(11:32)。
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丹生山明要寺跡 |
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ここには、一丁の丁石が石垣にもたれるように立っていて、長く続いた参道の丁石が終了する。 丹生神社の石の鳥居をくぐって、もう少し登ったところが丹生山の山頂で、そこには丹生神社が祀られていた(写真下 11:37)。 神社には二人の若いハイカーが休憩していた。 |
一丁の丁石 |
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丹生神社は、渡来系の水銀採掘を業とした丹生氏の氏神が祭られているとされ、これが丹生山の山名の由来である。また、丹生神社はかつてあった要明寺の鎮守社であり、清盛にも所縁があるが、その後、秀吉の焼き討ちにあったという歴史がある。 丹生山の山頂は特に展望はないが、古い歴史に浸りながら、ここで5分程休憩を入れた。 |
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丹生神社 |
休憩後、次に、シビレ山を目指す。丹生山の山頂を東側から巻くように続く山道を進む。すぐに、道標のある分岐で帝釈山への道が右に分かれるが(11:45)、ここは道標のシビレ山方面に従い、左に進む。 快適に雑木の中の山道を進んでいくと、その先でもう一度、帝釈山への道が右に分かれる(11:52)。シビレ山へは、ここも左に進む。 |
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シビレ山へ向かう |
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次に、また、道標が登場し、「淡河本町」方面への分岐が右に下っていた(11:54)。シビレ山へはここも左に進む。 次に、不動滝方面への分岐を過ぎると、突如、急な登りのロープ場になる(写真左)。足を滑らせないよう、ロープを伝って登る。 |
急なロープ場 |
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そのロープ場を登りきるとすぐに朝日山への踏み跡が分岐する(12:03)。
朝日山は、丹生山からシビレ山に向かう山道の脇にある三角点のピークで、三角点マニア以外は見向きもしない山である。 よって、山頂に向かう踏み跡も薄く、少し藪の様相である。 その薮をかき分け、3分ほど登ると朝日山の山頂に至った(写真右 12:06)。 |
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朝日山の山頂 |
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朝日山の山頂は薮の中で、三角点の周囲が少しだけ少し開けていた。以前は、この山頂から三木方面に展望があったように記憶するが、今は藪がはびこっている。なお、朝日山山頂の三角点は、点名をシビレ山という。 朝日山を下り、シビレ山に向かって進むと、急なロープ場の下りとなる(12:13)。ロープを握り、滑らないように下りきると、その先でシビレ山への分岐となる(12:16)。 |
四等三角点シビレ山 |
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ここで、分岐に入り、シビレ山に向かう。途中、古そうな石の集合地となる(写真右 12:18)。ここには、従前、「古代祭祀跡」の看板があったが、今はその表示はない。古代祭祀跡を経て(12:18)、シビレ山の山頂となる(写真下 12:20)。 シビレ山の山頂にも二人のハイカーが休憩されていた。六甲山系と違い、丹生山系は人が少ないと思っていたが、今日は意外と多くのハイカーと遭遇する。 |
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「古代祭祀跡」 |
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さて、シビレ山の山頂で、ここからの進路を思案した。
鉄路の駅を目指すには、つくはら湖に出て、神出山田自転車道から神鉄の栄駅までが便利なようだ。まず、対洞三角点から神出山田自転車道を目指す。 ここからのコースは、つくはら湖の北側の山域でよく歩かれる山道で、展望の箇所や、野趣あふれる岩の道などが続く。自然歩道「太陽と緑の道 コースNO23」として、今も神戸市のホームページに載っている。 |
シビレ山 |
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シビレ山を出発し(12:22)、太陽と緑の道を進む。左手側に、先ほど越えてきた朝日山のピークを見ながら、南に進む(写真右 12:27)。 その先で、山土のむき出した急な下り道となる。滑り落ちないようにロープにつかまりながら下る。 ロープ場で、2人のハイカーと交差した。ここの急下りは長いので、注意が必要だ。 |
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朝日山を振り返る |
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6分ほどでロープ場を下って一安心だが、その先、第二のロープ場(12:39)、第三のロープ場(12:40)と急な下りが続く。このロープ場でも一人のハイカーと交差した。 その先で、コウモリ谷の分岐となる(12:46)。ここには太陽と緑の道の道標が立ち、こうもり谷と手書きの案内があるが、コウモリ谷は入渓規制があるので注意したい。 |
第三のロープ場 |
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コウモリ谷分岐を過ぎると、シダ(ウラジロ)の茂るエリアを過ぎる。この山域はシダが多く茂っている。 その先で、先ほど越えてきたシビレ山の姿が確認できた(写真右 12:50)。シビレ山のピーク近くには高圧鉄塔が立っている。 |
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シビレ山を振り返る |
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次に、左手側に丹生山の姿が樹木の間から見え隠れするようになる(写真左 12:54)。 その先で、また、太陽と緑の道の道標がたち、119番通報プレート「き2−4−16」がある(12:59)。ここはコウモリ谷西尾根の分岐である。 |
左手側に丹生山の姿 |
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太陽と緑の道 |
遠くに雄岡山・雌岡山 |
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その先、展望のある尾根道となるが、ガレた下りで、石車に注意したい。高圧鉄塔の向こうに遠く、オッコめっこが見えている。 更にその先、シダの多く茂る道を進んでいると、そこでも二人のハイカーと交差した。 |
シダの太陽と緑の道 |
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その先で、三津田への道が分岐した。三津田道の分岐には「三津田 一部タケヤブ悪路」の表示が掲げてある(写真右 13:26)。この表示は、以前はなかった表示である。 近くに対洞三角点があるが、今日は対洞三角点はパスして、新たに表示が付けられた三津田道に入ることにする。 |
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三津田道の分岐 |
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三津田道は古くからの道であるが、歩く者が少なくなって荒れた感じが漂う。下って行くと、途中、山陽自動車道の車の音が聞こえてくる。その先で、右手側が次第に深い谷底になっていく。高度感があり、少し足がすくむ。 おまけに、山道は細くて落葉が深く積もって滑りやすい。滑落に注意して下って行く。 古い「山陽自然歩道」の道標のところで、深かった谷に合流した。 |
三津田道 |
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その先に、悪路の竹藪が待っていた(写真右 13:39)。細い竹が一面に茂り、その中に道が続いている。竹は刈り取られて、山道の整備はされているが、一か所、段差のある湿地の箇所があり、越えるのに苦労した。竹が茂るとこのルートは通れなくなるだろう。 その竹藪の道を抜けると広芝池の土手に出た(13:46)。三津田道には、何ヶ所か「自然歩道」看板があり、古くは散策路として整備されたのであろうが、今は自然に戻りつつあるように感じた。 |
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竹藪のヤブ |
広芝池からは舗装路となり、次に呑吐ダムに向かう。 舗装路を広芝池から約20分進み、呑吐ダムに到着した(14:05)。呑吐ダムは天端を歩いて渡る。ここの天端は車も通行できる。堤高は71.5mあり、下を見下ろすと高度感がある。 呑吐ダムを過ぎて、神出山田自転車道に合流し、しばらく自転車道を進む。 |
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呑吐ダム |
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神出山田自転車道の右手側が東広野ゴルフ倶楽部の敷地になると、自転車道に沿ってハイキング道が作られている。そのハイキング道を進んでいくと、やがて月が丘公園に至る(14:57)。 月が丘公園の四阿(写真左)でしばし休憩を入れた後、月が丘の住宅地の中を通過して、神鉄の駅に向かい、神鉄栄駅が本日のゴールとなった(15:25)。 |
月が丘公園を散策 |
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神鉄栄駅では、下りの線路に真新しい電車が入線していた。これは、6500系の電車で、2008年6月から導入された。神鉄に約10年ぶりに登場した新車で、神鉄初のステンレス製車両らしい。 乗客の減少で厳しい神鉄だが、今後とも頑張ってほしいと思いながら、本日の山旅を終えたのであった。 |
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神鉄栄駅 |