藍那古道・丹生山・シビレ山 (お勧め度★★☆) 丹生山系【6-20】

神鉄藍那駅(8:52)==藍那古道==丹生宝庫(10:24)==丹生山(11:37)==朝日山(12:06)==シビレ山(12:20)
==コウモリ谷分岐(12:46)==コウモリ谷西尾根分岐(12:59)==三津田道==呑吐ダム(14:05)==神出山田自転車道==
月が丘公園(14:57)==神鉄栄駅(15:25) (約6時間30分 平成31年2月24日)  
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 神戸市北区山田町の藍那村から丹生山麓の東下と西下の間に通じている道が藍那古道とよばれ、古くは義経や弁慶の進軍路であったと伝わる。一方、丹生山は清盛が烏原谷越を通って月参りをした山と伝えられる。今日(平成31年2月24日)はそれら歴史の地を辿りながら、奇妙な名のシビレ山を越えて呑吐ダムから神鉄栄駅に至るコースを歩いてみた。
神戸電鉄藍那駅  神戸電鉄粟生線の藍那駅で下車する。藍那駅は山間の小さな無人駅である。
 改札を出ると、付近の案内絵地図(神戸県民局 平成19年整備)が迎えてくれる。その地図には、さりげなくびっくりするような記載がしてある。それは、駅近くに紫式部の墓があるとの記載である。併せて、七本卒塔婆なる史跡の記載もある。
 今日はまず、紫式部の墓と七本卒塔婆の二つの史跡を巡ってみたい。
神戸電鉄藍那駅
七本卒塔婆  藍那駅の無人改札を出て、車道を挟んだ北側(民家の脇)に、石の卒塔婆が立っている。これが、七本卒塔婆とよばれるもので、いかにも古いものであることが遠目にもわかる。
 並んで立つ卒塔婆は、これから目指す丹生山(丹生神社)の参道に並ぶ丁石に形が似ていることから、これはその予備だったのではないかとの説があるらしい。最近の調査では、この七本卒塔婆は、約600年前の南北朝末頃のものとされている。
七本卒塔婆
 次に、平安時代の女流文学者紫式部の墓を目指す。紫式部とこの藍那の地とどういう関係があるだろうと、思いを巡らせながら紫式部の墓に向かう。紫式部の墓は、線路に沿って少し東に進み、無人の踏切を渡ったところにある。石造物の宝篋印塔といわれるもので、現地には何らの案内表示はない。
 この宝篋印塔が、紫式部の墓であることを示す文献は存在しないらしく、「紫式部の墓」というのは誤りであるらしい。しかし、何故この宝篋印塔が紫式部の墓と呼ばれているのかについて、興味は残る。
紫式部の墓
紫式部の墓
藍那小学校  紫式部の墓を後にして、藍那駅まで戻り、次に藍那古道を目指すことにする(8:52)。
 駅から車道を西に進む。傍らに「禅宗大中寺」の階段を確認しながら、数分で藍那小学校の前までやってきた(写真左 8:59)。ここで右折して北に進む。すぐに山間の道になるが、しばらくコンクリの道が続く。その道には「藍那の野鳥(藍那里づくり協議会)」の看板が立ち、藍那の里には多くの野鳥が生息していることを教えてくれる。
 やがて、長坂山への道が右に分岐した(9:09)。ここは直進して進む。
藍那小学校
 次に、また、道が左右に分岐した(9:17)。藍那古道は、ここで左に登る道に進む。
 坂道を登ると、そこでコンクリ道は終わり、土の山道になる。この藍那古道には、「太陽と緑の道」の標識や、「丹生山系縦走路」の標識が残り、従前よりハイキング道として親しまれている(写真右)。
 また、藍那古道は、古くには義経が進軍した道とも伝えられ、歴史を感じることのできる道でもある。しかし、最近はモトクロスバイクとの遭遇も多く、歩行には注意が必要である。本日も3組5台のバイクとすれ違った。
太陽と緑の道の標識
太陽と緑の道の標識
藍那古道  その藍那古道を、歴史に思いを馳せながら、併せて、バイクのエンジン音にも注意しながら進んでいくと、Y字の分岐地点に至った(9:45)。藍那小学校からこの分岐までは約45分ほどの距離だ。この分岐は右に進む。
 そのすぐ先で、藍那古道脇に設置された狐塚三角点のことを思い出した。
 おもむろに、GPSを取り出して三角点の位置を確認すると、すでにその狐塚三角点近くまでやって来ていることが判明した。
藍那古道
 三角点の取付きを確認すべく、古道の道脇を確認しながらゆっくりと進んでいくと、路肩に薄い踏み跡のようなものが確認できた。ちょうど道の反対側に小さな石柱があるところだ(写真右)。
 落葉の上に踏み跡があるような気がするので、それに従い雑木林に踏み込んでいく(9:49)。
 少し登っていくと斜面は藪の様相になってきた。踏み跡らしきものはなくなり、倒木が行く手を阻んでいる。その中で、歩き易そうなところを探しながら進んでいく。
この石柱が目印
この石柱が目印
狐塚三角点 狐塚三角点は藪の中
狐塚三角点 狐塚三角点は藪の中
 やがてGPSの表示が、三角点に近づいてきた。しかし、周囲に三角点は確認できない。
 落葉が深く積もり、枯れ枝や倒木もあって、三角点は埋もれてしまっているのかと、探査を諦めかけたときに、倒れて落葉に埋もれかけた三角点の白い標柱が目に入った。その標柱の脇で三角点を発見した(9:54)。
 四等三角点:狐塚(きつねづか) 
 設置 昭和50年6月12日
藍那古道に戻る
藍那古道に戻る
遠くに丹生山  三角点の発見に気分を良くしながら、また、藍那古道に戻り、次に丹生山を目指す(10:00)。
 藍那古道を更に北に進み、鷲尾家墓所を過ぎると(10:10)、山道は舗装路に変わり、一気の下りになった。
 その先で、藍那古道の山道は終わり、里に出てきた(10:15)。出たところからは、前方遠くにこれから目指す丹生山が見えている(写真左)。
遠くに丹生山
  その方向に向かい、田んぼの中の道を進むと、車道に突き当たる。そこは、丹生神社の石の鳥居が立っている(10:19)。鳥居をくぐり、さらに地道を北に進む。
 志染川に架かる麓橋を渡ると(10:22)、丹生宝庫の前に至る。この宝庫には、昔、丹生山にあった明要寺の遺品が納められているという。
丹生神社の鳥居
丹生神社の鳥居
従丹生山廾五丁  その丹生宝庫の先で、道の真ん中に地蔵が祀られている(写真左)。この地蔵の台座には「従丹生山廾五丁」の文字が見える。
 これは丹生神社の参道に続く丁石で、この地蔵が二十五丁目になる。ここから丁石の誘導が始まる。
従丹生山廾五丁
参道の丁石(二十丁)  地蔵を過ぎて突き当りを左に折れて、車止めを越えると参道の登りが始まる。 その坂道を登っていくと、すぐに大きな廾四丁の石柱が左手側に確認できた。この辺りは、右手側が竹林になっている。
 その先も、続く丁石を一つ一つ確認しながら、丹生神社参道を登っていく。幅広の落葉の積もった山道を登っていくと、やがて二十二丁の丁石が右手側に現れ(10:19)、そこからは平坦な道になる。
参道の丁石(二十丁)
 その先も続く丁石を一つづつ確認しながら進んでいき、左手側に十八丁の丁石を過ぎたところで、左側から道が合流してきた(10:45)。これは、山田町衝原中ノ瀬の方から登って来た道である。ここから、車も通れる林道のような広い道になる。
 その先で広場状の場所に出て(写真右)、次に十七丁の丁石を経て丹生神社(丹生山)への参道と、帝釈鉱山道とが分岐した(10:47)。ここで左の丹生山方面の道に進む。この辺りの林道は舗装路である。
帝釈鉱山道が分岐する辺り
帝釈鉱山道が分岐する辺り
 十五丁の丁石の辺りで、前方に丹生山の山影が見え始めた(写真右 10:52)。
 更に、丁石の続く参道を進んでいくと、道の傍らに「大日如来」が祀られていた(10:55)。古いもので、丹生山に関する地元の厚い信心が伝わってくる。
 その先で、十三丁の丁石を過ぎると、左手側が大きな石がごろつく沢になって、参道はその沢と共に坂を登ることになる。
十五丁の丁石の辺り
十五丁の丁石の辺り
延命地蔵尊  少し登ると、門下橋がその沢を渡り(10:58)、沢が右手側になると、すぐに赤い前掛けの「延命地蔵尊」が見えてきた(写真左 11:01)。ここには、延命地蔵尊の他に道標や、「ひょうご森林浴場50選」の大きな看板もある(写真下)。
 参道はここで表と裏に分かれ、表参道はこの延命地蔵尊で左折して、林道の裏参道から離れる。ここからは階段道の登りとなる。
延命地蔵尊
 表参道で次に十一丁の丁石が右手側に登場すると、次に凝った造りの「丹生山橋」(昭和16年造)が登場する(写真下 11:02)。丹生山橋を渡ると、つづらの登りとなる。
 その先も、丁石が続く階段の登りで、息が少々上がる。ゆっくり登ることにする。
表参道に入る
表参道に入る
丹生山橋 丁石が続く階段(9丁)
丹生山橋 丁石が続く階段(9丁)
丁石が続く表参道(5丁)  右手側に六丁の丁石が登場すると、階段道が終わり、その先の五丁の丁石(写真左 11:23)から平坦路となって、ほっとする。
 次に、四丁の丁石が登場すると、左側から山道が合流してきた(11:25)。その山道は、義経道と呼ばれて、衝原湖のサイクリングターミナルから登って来た道である。
丁石が続く表参道(5丁)
 その義経道から、二人のハイカーが登ってきていた。
 その先、竹藪の中で二丁の丁石が登場して、次に「史跡丹生山城」の大きな石の表示があり、丹生山明要寺跡に到着となる(11:32)。
丹生山明要寺跡
  丹生山明要寺跡
一丁の丁石  ここには、一丁の丁石が石垣にもたれるように立っていて、長く続いた参道の丁石が終了する。
 丹生神社の石の鳥居をくぐって、もう少し登ったところが丹生山の山頂で、そこには丹生神社が祀られていた(写真下 11:37)。
 神社には二人の若いハイカーが休憩していた。
一丁の丁石
 丹生神社は、渡来系の水銀採掘を業とした丹生氏の氏神が祭られているとされ、これが丹生山の山名の由来である。また、丹生神社はかつてあった要明寺の鎮守社であり、清盛にも所縁があるが、その後、秀吉の焼き討ちにあったという歴史がある。
 丹生山の山頂は特に展望はないが、古い歴史に浸りながら、ここで5分程休憩を入れた。
丹生神社
丹生神社
 休憩後、次に、シビレ山を目指す。丹生山の山頂を東側から巻くように続く山道を進む。すぐに、道標のある分岐で帝釈山への道が右に分かれるが(11:45)、ここは道標のシビレ山方面に従い、左に進む。
 快適に雑木の中の山道を進んでいくと、その先でもう一度、帝釈山への道が右に分かれる(11:52)。シビレ山へは、ここも左に進む。
シビレ山へ向かう
シビレ山へ向かう
急なロープ場  次に、また、道標が登場し、「淡河本町」方面への分岐が右に下っていた(11:54)。シビレ山へはここも左に進む。
 次に、不動滝方面への分岐を過ぎると、突如、急な登りのロープ場になる(写真左)。足を滑らせないよう、ロープを伝って登る。
急なロープ場
 そのロープ場を登りきるとすぐに朝日山への踏み跡が分岐する(12:03)。 朝日山は、丹生山からシビレ山に向かう山道の脇にある三角点のピークで、三角点マニア以外は見向きもしない山である。
 よって、山頂に向かう踏み跡も薄く、少し藪の様相である。
 その薮をかき分け、3分ほど登ると朝日山の山頂に至った(写真右 12:06)。
朝日山の山頂
朝日山の山頂
四等三角点シビレ山  朝日山の山頂は薮の中で、三角点の周囲が少しだけ少し開けていた。以前は、この山頂から三木方面に展望があったように記憶するが、今は藪がはびこっている。なお、朝日山山頂の三角点は、点名をシビレ山という。
 朝日山を下り、シビレ山に向かって進むと、急なロープ場の下りとなる(12:13)。ロープを握り、滑らないように下りきると、その先でシビレ山への分岐となる(12:16)。
四等三角点シビレ山
 ここで、分岐に入り、シビレ山に向かう。途中、古そうな石の集合地となる(写真右 12:18)。ここには、従前、「古代祭祀跡」の看板があったが、今はその表示はない。古代祭祀跡を経て(12:18)、シビレ山の山頂となる(写真下 12:20)。
 シビレ山の山頂にも二人のハイカーが休憩されていた。六甲山系と違い、丹生山系は人が少ないと思っていたが、今日は意外と多くのハイカーと遭遇する。
「古代祭祀跡」
「古代祭祀跡」
四等三角点シビレ山  さて、シビレ山の山頂で、ここからの進路を思案した。 鉄路の駅を目指すには、つくはら湖に出て、神出山田自転車道から神鉄の栄駅までが便利なようだ。まず、対洞三角点から神出山田自転車道を目指す。
 ここからのコースは、つくはら湖の北側の山域でよく歩かれる山道で、展望の箇所や、野趣あふれる岩の道などが続く。自然歩道「太陽と緑の道 コースNO23」として、今も神戸市のホームページに載っている。
シビレ山
 シビレ山を出発し(12:22)、太陽と緑の道を進む。左手側に、先ほど越えてきた朝日山のピークを見ながら、南に進む(写真右 12:27)。
 その先で、山土のむき出した急な下り道となる。滑り落ちないようにロープにつかまりながら下る。
 ロープ場で、2人のハイカーと交差した。ここの急下りは長いので、注意が必要だ。
朝日山を振り返る
朝日山を振り返る
第三のロープ場  6分ほどでロープ場を下って一安心だが、その先、第二のロープ場(12:39)、第三のロープ場(12:40)と急な下りが続く。このロープ場でも一人のハイカーと交差した。
 その先で、コウモリ谷の分岐となる(12:46)。ここには太陽と緑の道の道標が立ち、こうもり谷と手書きの案内があるが、コウモリ谷は入渓規制があるので注意したい。
第三のロープ場
 コウモリ谷分岐を過ぎると、シダ(ウラジロ)の茂るエリアを過ぎる。この山域はシダが多く茂っている。
 その先で、先ほど越えてきたシビレ山の姿が確認できた(写真右 12:50)。シビレ山のピーク近くには高圧鉄塔が立っている。
シビレ山を振り返る
シビレ山を振り返る
左手側に丹生山の姿  次に、左手側に丹生山の姿が樹木の間から見え隠れするようになる(写真左 12:54)。
 その先で、また、太陽と緑の道の道標がたち、119番通報プレート「き2−4−16」がある(12:59)。ここはコウモリ谷西尾根の分岐である。
左手側に丹生山の姿
太陽と緑の道 遠くに雄岡山・雌岡山
太陽と緑の道 遠くに雄岡山・雌岡山
シダの太陽と緑の道  その先、展望のある尾根道となるが、ガレた下りで、石車に注意したい。高圧鉄塔の向こうに遠く、オッコめっこが見えている。
 更にその先、シダの多く茂る道を進んでいると、そこでも二人のハイカーと交差した。
シダの太陽と緑の道
 その先で、三津田への道が分岐した。三津田道の分岐には「三津田 一部タケヤブ悪路」の表示が掲げてある(写真右 13:26)。この表示は、以前はなかった表示である。
 近くに対洞三角点があるが、今日は対洞三角点はパスして、新たに表示が付けられた三津田道に入ることにする。
三津田道の分岐
三津田道の分岐
三津田道  三津田道は古くからの道であるが、歩く者が少なくなって荒れた感じが漂う。下って行くと、途中、山陽自動車道の車の音が聞こえてくる。その先で、右手側が次第に深い谷底になっていく。高度感があり、少し足がすくむ。
 おまけに、山道は細くて落葉が深く積もって滑りやすい。滑落に注意して下って行く。
 古い「山陽自然歩道」の道標のところで、深かった谷に合流した。
三津田道
 その先に、悪路の竹藪が待っていた(写真右 13:39)。細い竹が一面に茂り、その中に道が続いている。竹は刈り取られて、山道の整備はされているが、一か所、段差のある湿地の箇所があり、越えるのに苦労した。竹が茂るとこのルートは通れなくなるだろう。
 その竹藪の道を抜けると広芝池の土手に出た(13:46)。三津田道には、何ヶ所か「自然歩道」看板があり、古くは散策路として整備されたのであろうが、今は自然に戻りつつあるように感じた。
竹藪のヤブ
竹藪のヤブ
 広芝池からは舗装路となり、次に呑吐ダムに向かう。
 舗装路を広芝池から約20分進み、呑吐ダムに到着した(14:05)。呑吐ダムは天端を歩いて渡る。ここの天端は車も通行できる。堤高は71.5mあり、下を見下ろすと高度感がある。
 呑吐ダムを過ぎて、神出山田自転車道に合流し、しばらく自転車道を進む。
呑吐ダム
呑吐ダム
月が丘公園を散策  神出山田自転車道の右手側が東広野ゴルフ倶楽部の敷地になると、自転車道に沿ってハイキング道が作られている。そのハイキング道を進んでいくと、やがて月が丘公園に至る(14:57)。
 月が丘公園の四阿(写真左)でしばし休憩を入れた後、月が丘の住宅地の中を通過して、神鉄の駅に向かい、神鉄栄駅が本日のゴールとなった(15:25)。
月が丘公園を散策
 神鉄栄駅では、下りの線路に真新しい電車が入線していた。これは、6500系の電車で、2008年6月から導入された。神鉄に約10年ぶりに登場した新車で、神鉄初のステンレス製車両らしい。
 乗客の減少で厳しい神鉄だが、今後とも頑張ってほしいと思いながら、本日の山旅を終えたのであった。
神鉄栄駅
神鉄栄駅
● 対洞三角点辺りから三津田に向かう三津田道は、山陽自然歩道の古い道標が残り、従前は整備された道であったようだが、今は歩行者は少ないような感じだった。広芝池の近くの竹ヤブは繁茂しており、山道の部分は竹が刈り取られていたが、夏場は歩行が困難になるかもしれないと感じた。
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