藍那・あいな里山公園 (お勧め度★☆☆) 鵯越・鈴蘭台周辺【5-25】

神戸電鉄西鈴蘭台駅(7:20)==鳴子公園(7:34)==相談ヶ辻(8:03)==藍那の辻(8:11)==県道52号(8:27)==
相談ヶ辻(8:42)==三差路(9:08)==A分岐(9:17)==B分岐(9:25)==C分岐(9:27)==D分岐
==木見峠橋(9:43)==三差路(11:09)==しあわせの村分岐(11:31)==しあわせの村バス停(12:30) 
(約5時間 令和元年9月29日) 
ROUTE MAP
linelineline
説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 六甲山麓にあって、都市近郊ながら奇跡的に里山が残っているエリアが神戸市北区の藍那地区にある。そこでは、里山の保全と新しい自然環境の創造を基本構想として国営明石海峡公園の整備が続いている。愛称を「あいな里山公園」といい、周囲には古くからの山道が残されている。今日(令和元年9月29日)は、その藍那里山エリアの山道を探索してみた。
ファミマ南五葉店  今日(令和元年9月29日)は、神鉄西鈴蘭台駅から藍那地区を目指す。もうすぐ10月なのに、本日は暑くなりそうな予報であり、朝早くのスタートとした(7:20)。
 駅から南に出て、西鈴蘭台駅前公園を抜け、すぐの四つ角にファミマがある。ファミマから西に向かい車道を登っていく(写真左 7:24)。
ファミマ南五葉店
鳴子公園三角点  左手側に鈴蘭台第三団地、第二団地を見ながら坂を登ると、やがて兵庫県立鈴蘭台西高等学校の校舎が右手側に建っている。ここは2009年3月に閉校となり、跡地には老人ホームの建築が予定されている。
 その先に、鳴子公園があり、この公園の角で右に曲がる。なお、鳴子公園の角地の植込みの中に三角点(四等三角点:点名 鳴子公園)があるので確認した(写真左 7:34)。
鳴子公園三角点
 鳴子公園を過ぎると、右手側が有料老人ホーム「ゆうゆうの里」、左手側は鳴子の住宅地となる。
 道なりに住宅地の中を概ね北西に進み、星和台7丁目18の一番奥の一画に「上の辻モータープル」があり、その先から藍那里山の山道が始まる(写真右 7:44)。
藍那里山の入口
藍那里山の入口
秋色の畦道  コンクリで固められた山道に入り、それを緩やかに下って行く。
 最初は、常緑樹の中の薄暗い山道だが、左手側に「生き物保全観察池」との看板が立つ小さな池に出会うと、常緑樹の森を出て、明るい山道になる。山道の周囲には畑が散らばり、畦道には秋の彼岸花とコスモスが彩を添えている(7:53)。
秋色の畦道
 山道に入って10分弱で、コンクリ道はV字に切り返す(写真右 7:56)。その先、左手側に大きな溜池を確認しながら進んでいくと、山道は下りとなって相談ヶ辻に到着となる(写真下 8:03)。
 相談ヶ辻は、鵯越を目指して進軍してきた義経が、軍議を開いたところと伝えられている。相談ヶ辻から進路を左にとって鵯越に出るか、右にとって白川に出るか、軍議の結果はどうだったのだろう。
切返しの山道
切返しの山道
相談ヶ辻 相談ヶ辻歩行者口
相談ヶ辻 相談ヶ辻歩行者口
 道が十字に交わる相談ヶ辻には、古い二軒の民家が残されているが、フェンスで囲まれて見学はできない。
 併せて、相談ヶ辻は「あいな里山公園」の入口(相談ヶ辻歩行者口)でもあるが(写真右上)、開園は9:30であり、まだ一時間半も時間がある。
 この相談ヶ辻で、どちらに進むか当方も少し思案したが、北東に進んで、二つの三角点を確認してみることにした。
フェンスの道を進む
フェンスの道を進む
藍那の辻  確認する三角点は、四等三角点:点名上ノ畑と、三等三角点:点名藍那である。上ノ畑四等三角点は、少し先の和泉式部の宝篋印塔の近くにある。もう一つの藍那三等三角点は兵庫県道52号小部明石線沿いの高圧鉄塔の近くにある。これらを目指し、あいな里山公園のフェンス沿いの山道を東北に進んでいく(写真上)。
 すぐに地蔵の立つ辻に到着した(写真左 8:11)。ここは「藍那の辻」と呼ばれるところだ。
藍那の辻
 藍那の辻のすぐそばに、いかにも古そうな宝篋印塔が立っている(写真右)。この宝篋印塔は和泉式部の墓との伝承もあるらしいが、真偽は不知だ。
 上ノ畑四等三角点は、この宝篋印塔の後ろのピークにあるが、そこは、あいな里山公園のフェンスの中であり、立ち入りは不可能となっていた。上ノ畑四等三角点の確認はあきらめ、次に、藍那三等三角点の確認に進む。
 従前確認した上ノ畑四等三角点はこちら
和泉式部の墓
和泉式部の墓
あいな里山公園の景色 あいな里山公園藍那歩行者口
あいな里山公園の景色 あいな里山公園藍那歩行者口
 引き続き、「あいな里山公園」のフェンスに沿って山道を進んでいく。フェンスの間から覗くあいな里山公園の風景は、のどかな時間が流れる癒しの風景のようだ(写真上)。
 すぐに、「藍那歩行者口」と書かれた「あいな里山公園」の入り口に到達したが(8:22)、開園時間前でここも固く閉鎖されている。まだ、朝が早く、園内には入れない。
兵庫県道52号に合流
兵庫県道52号に合流
相談ヶ辻  「藍那歩行者口」から更に、フェンスに沿って山道を進んでいくと、山道は民家の脇で兵庫県道52号小部明石線に合流した(写真上 8:27)。藍那三等三角点はこの県道をもう少し進んだ所のように思えたが、県道52号は通行車両が多く、歩道もないので歩行は危険である。よって、藍那三等三角点の探索は早々に諦め、次に、藍那の里山に残る山道の探査に移ることにした。
 進んできた山道を引き返し、再度、「相談ヶ辻」まで戻ってきた(写真左 8:42)。
相談ヶ辻
 「相談ヶ辻」には白川方面を示す「太陽と緑の道」の道標があるので(写真右)、それに従い白川方面に進路をとる。
 地形図を確認すると、この先の藍那里山エリアには白川方面、木見峠方面、しあわせの村方面など縦横に破線のルートが記されている。今日は、できる範囲で、それらの破線ルートを探査してみたい。
白川方面の道標
白川方面の道標
白川方面への道  白川方面に進む破線ルートは「太陽と緑の道」でもあるが、その両側には「あいな里山公園」のフェンスが張り巡らされている(写真左)。
 フェンスに挟まれ閉鎖的な山道を進んでいく。山道はいつしかコンクリ道から土の道に変わっていた。
白川方面への道
 少し進むと、「あいな里山公園」のフェンスに「モトクロスバイクにちゅうい(太陽と緑の道)」の表示が掲げられていた。
 ここは、バイクも侵入してくる道であることを思い出した。フェンスで閉鎖された空間において、バイクとの遭遇は危険なので注意が必要だ。
モトクロスバイクに注意
モトクロスバイクに注意
太陽と緑の道  二輪に注意・・・そうこう考えて歩いていると、前方からマウンテンバイク(MTB)が4台やってきた。バイクだけでなく自転車も走っているので、一層の注意を要する。その先で、こんどはバイクがソロでやってきた。
 太陽と緑の道は、感じのいい里山道だが(写真左)、二輪車も入り込んでにぎやかな道になっていた。
太陽と緑の道
三差路  二輪車に注意しながら進んでいくと、古い道標が立つところで道が三差路になっていた(写真左 9:08)。ここは、白川、しあわせの村方面と木見峠への分岐で、白川、しあわせの村方面へはその旨の道標がある。
 木見峠方面には道標はないが、地形図では破線のルートが引かれ、道もしっかりとしているので、まずは、ここから道標のない木見峠への山道に進んでみることにする。
三差路
 木見峠への山道は(写真右)、広い道でしっかりとしている。そのことから、利用者も多いものと思われる。 木見峠方面への山道
木見峠方面への山道
A分岐  その道を10分弱進んだ所で、左側に山道が分岐した(写真左 9:17)。その分岐する山道は下草が刈られ、人の手が入っている。「兵庫線No.5」の表示があることから、高圧鉄塔の巡視路のようだ。この分岐を以後「A分岐」と呼ぶことにする。
 A分岐の山道は、後程探査することとして、木見峠への山道を進んでいく。
A分岐
 引き続き、道は広くしっかりとしているが、樹木に目立つように「この先行き止まり。この先は通り抜けできません。(国営明石海峡公園)」の表示があり、ここで前進に少し不安を覚えた。しかし、しっかりした道が続くのでそのまま進んでいく。
 次に右に細い道が分岐して下っている地点となった(写真右 9:25)。この分岐点には「巡回ポイントI6(国営明石海峡公園)」の表示がある。この分岐を以後「B分岐」と呼ぶことにする。B分岐の山道も、後程探査することとして、ここは木見峠への山道を進んでいく。
B分岐
B分岐
 すると、次にまた、分岐点が登場した。こんども、右側に道が分岐している(9:27)。この分岐を以後「C分岐」と呼ぶことにする。
 C分岐の山道も、後程探査することとして、ここは木見峠への山道を進んでいく。
C分岐
C分岐
D分岐  すると、その先すぐに、また、道が分岐した。こんどは左側に道が分岐している(写真左 9:27)。ここには「兵庫線No.5」の表示がある。よってこの分岐の先は、高圧鉄塔の巡視路のようだ。この分岐を以後「D分岐」と呼ぶことにする。D分岐の山道も、後程探査することとして、ここは木見峠への山道を進んでいく。
D分岐
 その先もよく歩かれた山道が続き、D分岐から10分弱で山道から舗装路に飛び出した(写真右 9:36)。飛び出したところは、坂の上の門扉の横で、この門扉には何も表示がなかったが、その位置から考えて、あいな里山公園の整備を進めるための工事用進入路のようであった。 門扉の横に出た
門扉の横に出た
もう一つの門扉  門扉から、舗装路の坂道が下っているので、それを進む。下ったところにはもう一つ門扉があって、要旨次の記載があある。
 「ここは国土交通省管理の公園予定地である。通り抜けはできるが、未整備のエリアがあるので通行には注意願いたい。」
 この表示によると、先程以来、歩いてきた山道は、すべて国交省管理の公園(予定地)内であったようだ。
もう一つの門扉
 二つ目の門扉を出て、更に、舗装路を進んでいくと、「こうみとうげ橋」で神戸淡路鳴門自動車道を渡り、県道神戸三木線に付き合ったった(9:43)。高速道では忙しそうに車が行き交っている。
 この橋のところが「木見峠」ということが確認できたので、引き返すことにする。木見峠橋から、先程、歩いてきた山道に戻っていく。
こうみとうげ橋
こうみとうげ橋
D分岐先の鉄塔  再度、歩き易い山道を進み、D分岐点まで戻ってきた(9:58)。このD分岐点から南にのびる山道を探査してみる。 よく歩かれた、山道がD分岐点から南に続いているが、分岐から4分で鉄塔に突き当たった(写真左 10:02)。
D分岐先の鉄塔
 鉄塔の先にも踏み跡が続いているので、それを進んでいくと大きな一枚岩の上に出た。そして、山道はその一枚岩を右から巻くようにして下り、更に先に続いていた。少し下って行ったが、どこまで続いているのだろ。その先にも興味はあったが、探査はここまでとして引き返すことにした(10:10)。 鉄塔先の一枚岩
鉄塔先の一枚岩
C分岐点先の薮池  D分岐点まで戻り(10:16)、そのすぐ先のC分岐点に進む。ここで、モトクロスバイク3台に遭遇した。この道は、やはり、バイクが多く入り込んでいる。要注意だ。 さて、C分岐点から、その先の山道を探査することとして、緩やかに下る山道に入って行った。すると、C分岐点からの山道は小さな池の所で行き止まりとなった(写真左 10:23)。池の先にも道が続いているようにも思えたが、そこは薮の様相であり、ここで引き返すことにする。
C分岐点先の薮池
 C分岐点に戻り、次にB分岐点に進む(10:28 巡回ポイントT8)。B分岐点から分岐する山道に入っていくと、その道はどうやら先ほどの池に向かって続いているようだ。池の先は薮なので、ここで引き返し、B分岐点にもどる(10:34)。次に、A分岐に向かう。B分岐点から5分でA分岐点にやってきた(10:39)。 A分岐からの山道
A分岐からの山道
A分岐先の鉄塔  A分岐から山道に入っていく。この山道は下草が刈り払われて整備されている(写真上)が、蜘蛛の巣がやたら多い。凡そ、2から3m間隔で巣がある。蜘蛛と格闘しながら10分少々進むと高圧鉄塔に突き当たった(写真左 10:52)。
 この山道は、この鉄塔で行き止まりのようだ。よって、ここから引き返す。
A分岐先の鉄塔
 A分岐に戻り(11:01)、次に白川方面に向かうことにする。山道を戻り、古い道標が立つ三差路(白川、しあわせの村、木見峠方面の分岐)まで戻ってきた(11:09)。この三差路で、こんどは南に進む。
 この先もよく踏まれた道であるが、バイクの轍跡もあるので、引き続き二輪車に注意して進むと、三差路から15分ほどで阪神高速北神戸線が見えてきた(写真右 11:26)。その先で、高速に架かる陸橋を渡って少し進むと、しあわせの村に入る山道が分岐した(写真下 11:31)。
阪神高速北神戸線
阪神高速北神戸線
しあわせの村分岐  しあわせの村の山道に入るとすぐにベンチがあり、何やら看板が立っていた。その看板では、「歴史的背景から見たしあわせの村」が説明されている。その内容は、要旨、「一の谷の合戦に向かう義経軍がこのしあわせの村辺りを進軍したものであり、ここは鵯越の逆落としにおける重要な地点である。」というもののようだ。記載内容の詳細は、この頁の下部に記しておく。
しあわせの村分岐
歴史的背景から見たしあわせの村 あいな里山公園入口
歴史的背景から見たしあわせの村 あいな里山公園入口
 階段を下ってしあわせの村に入り、村内を逍遥した。あいな里山公園の入り口では、案山子人形が睦ましそうないい感じで長椅子に腰掛けていた(写真右上)。更に園内を進み、馬事公苑で馬にも癒された。今日は、終点のしあわせ村で、ほんのりとした気持ちになった。バス便で、しあわせの村を後にし、本日の山歩きを終了したのだった。 馬事公苑
馬事公苑
● 藍那里山の山道は、本文に記したとおり、モトクロスバイクやMTBが走行していますので、歩行には十分な注意が必要です。
●歴史的背景から見たしあわせの村
 「しあわせの村が位置しているのは平安時代の末、源氏、平家が権力争いの末に行われた三草山の合戦から一の谷の合戦に至るまでの間、義経軍が通過したと思われる地にある。義経軍は、三草山で勝利を収め、その後平師盛が敗残の兵をまとめて一の谷の本陣に合流した。これを義経は追い、山田の庄小河村まで来たが、山中で闇夜であったこともあり、進軍できずにいた。その時に鷲尾経春という道案内人を得て、この案内人により、藍名(那)村から鵯越を通って夢野に向かったが、夢野には平家の軍が待ちかまえていたので、義経は鵯越に引き返し、白川村を通り、妙法寺村から多井の畑まで行き、一の谷に進軍した。この鵯越で義経軍の中から選抜された十数騎が鵯越から直接一の谷に向かった。このルートを鵯越の逆落といい、現在はこのしあわせの村付近から鐵拐山に至るまでのルートをさしているようである。(兵庫県史より)」
このページTOPへ

HOME 1表六甲 2北六甲 3西六甲 4東六甲 5鵯越周辺 6丹生山系 7関西の山
 
linelineline