老婆谷東尾根・摩耶山  (お勧め度★★☆) 表六甲【1-34】

阪急王子公園駅(9:07)==青谷道登山口(9:34)==静香園(9:49)==あけぼの茶屋(9:53)==大龍院(10:01)==
行者堂跡(10:12)==大日大聖不動明王(10:16)==おにぎり岩(10:20)==老婆谷東尾根==旧摩耶大杉(11:10)==
摩耶山史跡公園(11:14)==摩耶山(11:29)==摩耶の石舞台(11:57)==天上寺(12:05)==杣谷峠(12:21)==杣谷道
==長峰橋(13:54)==五毛バス停(14:08)  (約5時間 平成29年11月12日) 
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 摩耶山青谷道の行者茶屋跡を過ぎ、大日大聖不動明王のやや上部から青谷道をはずれ旧摩耶の大杉へ直接つきあげる尾根筋がある。その尾根は老婆谷の東側に位置するので、ネット上では一般に「老婆谷東尾根」と呼ばれているようだ。自然のままの雑木の急尾根で、野趣あふれる様相らしい。今日(平成29年11月12日)はその老婆谷東尾根を目指してみたい。
摩耶山を望む  阪急王子公園駅で下車し、山歩きをスタートする(9:07)。
 王子公園を東側から巻くように、青谷川沿いに北に進路をとる。前方はるか先に、本日目指す摩耶山が見えている。
 住宅街の中を進み、広いバス道を横切る(9:26)。ちょうど青谷橋バス停のところだ。
摩耶山を望む
妙光院  さらに北に進むと、妙光院の表示が目に入る(9:31)。
 このお寺は動物愛護の馬頭観音で著名である。ここを通る時は、お参りすることとしているので、寺院の階段を登っていく。
 馬頭観音に手を併せ、山行きの安全を祈る。
妙光院
 妙光院を出て、その先の突き当りで右折し、青谷川にかかる摩耶橋を渡る。すぐに「摩耶山青谷道登山口」の表示が確認できる。ここから青谷道が始まる。
 青谷道入り口では5名のパーティーが入念に準備運動をされていた。
 青谷道は舗装路の登りで始まる。青谷川の左岸の坂道を登っていくと亀ノ滝砂防ダム(昭和14年10月完成)の手前で流れを渡り右岸歩きとなる(9:43)。
青谷道登山口
青谷道登山口
観光茶園「静香園」  亀ノ滝堰堤のすぐ上には、亀ノ滝上流堰堤があり、その堰堤内は手入れがなされ、きれいに掃き掃除もされていた。毎日登山の方だろう。 その少し上流には、観光茶園の「静香園」(Ter Garden)がある(9:49)。ここは灘百選でもあり、神戸市内唯一の観光茶畑である。観光茶畑ということで、季節には茶摘み体験もできるらしい。 その、茶畑の脇には石仏が祀られており、春尾大神、御嶽大神の文字と共に、正一位の表示も確認できる。由緒のありそうな神々に出会い、ここでも手を合わせる。
観光茶園「静香園」
 静香園の先には、「あけぼの茶屋」と「つくばね登山会」の建物が並んでいた(9:53)。今日は、もう何人も青谷道を下ってくる方とすれ違ったが、この登山会の会員の方々だったのだろう。 茶屋横に並ぶお地蔵の脇に設置された温度計を確認すると10℃で、ちょうど歩きやすい温度を指していた。 青谷道脇を流れる青谷川の爽やかな水音を聞きながら、更に登っていくとノッポな青谷ダムが右手側に登場する(9:56)。このダムは昭和50年12月完成のダムだ。 つくばね登山会
つくばね登山会
大龍院  次に、北畑ダム(昭和17年7月完成)が登場して、その堰堤内では畑や小屋が確認できる。ここはどなたかの管理地のようだ。 その北畑ダムの先が、成田不動明王(大龍院)の岩屋瀧となる(10:01)。ここは赤い鳥居が特徴的だ。その鳥居につられるように石の階段を登っていくと、三段に落ちる滝に突き当たる。瀧の横には、竜の口からも水が吐き出されている。傍らには「諏訪大神」「松尾大神」が祀られている。ここは修行の禊場のようで、神聖な空気に包まれている。 ここでも手を合わせ、世情の穢れを清められたいと祈る。
大龍院
 大龍院から青谷道に戻ると、すぐに北畑第二砂防ダムとなる(10:09)。このダムは平成元年2月完成のダムだ。 その堰堤を過ぎると、道脇から清水が流れ出る水場となる(10:10)。その水場の先で木橋を渡り、「十一丁」の丁石を確認しながらひと登りすると、広場状の場所に到着する(10:12)。ここで、旧摩耶道が合流してくる。 ここが行者茶屋跡、行者堂跡である。従前は、行者茶屋や行者堂が残っていたが、今は礎石や石階段だけが残置された、さみしい場所となっている。 行者茶屋跡
行者茶屋跡
大日大聖不動明王  行者堂跡を過ぎると「不動之滝」の表示があり、その表示に従い、青谷川の方を見ると、一筋の滝が水音にぎやかに流れ落ちていた。滝は木々で遮られて、見えにくく、もうひとつ迫力に欠けていた。 その先が、大日大聖不動明王で不動瀧の禊場である(10:16)。ここは、いつも信者の方が集っておられ、熱心に修験を積んでおられるようだ。禊瀧から、霊験のある法力が得られるのであろう。
大日大聖不動明王
 大日大聖不動明王から更に登っていくと、板橋で青谷川を渡り、そこからもう一登りしたところに神木が祀られていた(10:20)。 杉の大木に縄が巻かれ、しめ飾りが結ばれている。大木の根元には、神酒などがお供えとして並べられていた。山の神であろうか、森の巨木には心霊が宿るという。ここでも手を合わせ、ご加護を祈る。 しめ飾りの神木
しめ飾りの神木
 しめ縄が巻かれた大木から幅広の青谷道に戻り、ほんの少し進んだところに、おにぎりの形をした岩が路面に横たわっている場所がある(写真右 10:20)。
 この近くには、「119ばんつうほうプレート な24−2」がつけられた青谷道の古い道標もある。ここが、老婆谷東尾根への取付きである。
 ここから道脇の斜面に取付くことになるが、その入口辺りは枯れ枝が積まれたような感じだ。 老婆谷東尾根はバリルートであり、一般ハイカーの誤侵入を予防しているのかも??。
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老婆谷東尾根取付き
老婆谷東尾根取付き
この分岐は左へ  おにぎりの岩から老婆谷東尾根の取付きに入る。
 すぐに踏み跡がYの字状に分岐する。ここは左に進む。
 右に登る踏み跡は、今日歩こうとしている老婆谷東尾根の一つ東側の尾根筋で、摩耶大杉へ直登するルートのようだ。
この分岐は左へ
老婆谷東尾根へのトラバース道  しばらくは、斜面にへばりつくような細いトラバース道を進む(写真左)。そのトラバース道は、小さな沢が二つに分かれているところに突き当たる(10:28)。
 その右俣の沢を渡ったところに青と黄色のビニールテープ表示があり、それが老婆谷東尾根の尾根尻となる。
老婆谷東尾根へのトラバース道
 老婆谷東尾根の尾根尻から急な斜面を登っていく。
 適度な間隔で、ピンク色の紐が細い木に結ばれて誘導してくれる。
 かすかに薄い踏み跡が続いているように思えるが、それにこだわらず登りやすい場所を選択しながら、上を目指す。
老婆谷東尾根に取付く
老婆谷東尾根に取付く
 時に倒木や、急傾斜が行く手を阻むが、ジグザグに歩きやすそうな箇所をファインディングして登っていく。
 歩きにくい急傾斜が連続し、岩や小木につかまりながら体を引き上げる動作が続く。
 15分程、急斜面と格闘して、尾根に乗った。しかし、そこからも急傾斜が続く。足取りが重くなり、息も上がってきた。休憩を頻繁にはさみながらゆっくりと登ることにする。
老婆谷東尾根
老婆谷東尾根
老婆谷東尾根の残置テープ  あいかわらず、ピンク色の紐が目指す方向を導いてくれているので、安心して登っていく。
 ピンク色の紐に併せて、赤、黄、水色のビニールテープも誘導してくれる。
老婆谷東尾根の残置テープ    
 老婆谷東尾根を登りはじめて25分ほど経過したあたりで、尾根の上部で人の声が聞こえてきた。ゴールの旧摩耶の大杉が近づいてきたのだろう。
 しかし、まだまだ険しい急斜面の尾根の登りが続いている。誘導のビニールテープも適度な間隔で確認できる。
老婆谷東尾根の上部
老婆谷東尾根の上部
 無理をせずルートを選びながら、ゆっくりと斜面を登っていると、目の前にコンクリート柱が登場した(写真右)。「一七」と文字が刻まれている。
 登ってきた老婆谷東尾根は自然のままの尾根だったので、人工物が意外なものに思えた。
 そのコンクリー柱の上が旧摩耶の大杉だった(11:10)。
 老婆谷東尾根は、瞬間的に傾斜が緩むことはあるも、ほとんどが急傾斜の連続した尾根筋であった。
老婆谷東尾根のコンクリ柱
老婆谷東尾根のコンクリ柱
旧摩耶の大杉  さて、この旧摩耶の大杉は幹周り8mもある六甲随一の大杉であったらしいが、昭和51年の旧摩耶天上寺の大火災の後、徐々に樹勢が衰え、枯死したという。しかし、その大きさから今でも圧倒的な存在感を放っている。
 旧摩耶の大杉は、お子様連れのハイカーで大賑わいだった。
 人の気配の全くない老婆谷東尾根から、賑わう摩耶大杉に突然飛び出し、少し戸惑う感じであった。
旧摩耶の大杉
 旧摩耶大杉から旧摩耶山天上寺の石段に出て、そこを登りきると、摩耶山史跡公園に到着となる(11:14)。ここは、旧摩耶山天上寺で、昭和51年の大火災で廃墟となって、その後、摩耶山史跡公園として整備された。今は、主要な遺構に名称が付されていてわかり易い。「嗽水舎跡」と洒落た名称があったので、その説明をみると手水鉢だった。でかいサイズの手水鉢なので何人も同時に手が洗えたことだろう。往時のにぎわいがうかがえる。 摩耶山史跡公園
摩耶山史跡公園
嗽水舎跡からの景色  摩耶山は古来山岳信仰の場であり、646年孝徳天王の勅願を受け、インドの高僧法道仙人により仏教寺院が開創された。それが、摩耶山とう利天上寺(とうりてんじょうじ)だった。歴史ある寺であったが、今は面影をしのぶだけだ。
 ここから市街地の眺望は素晴らしい。
 摩耶山史跡公園からは摩耶山に向かい、もう一登りだ。
嗽水舎跡からの景色
 摩耶山史跡公園を奥に進むと「三社権現」跡に突き当たる。(三社権現とは、日山権現・熊野権現・愛宕権現の三社を祀ったお堂。)ここで道が左右に分かれる。どちらを登っても摩耶山に至るが、今日は右に進み、観音道とよばれるルートを登ることとする。
 観音道は大杉が並び、全体に薄暗い感じの道である。
 階段が続き、それを登りきって摩耶山に到着した(11:29)。ちょうど常夜灯の石燈篭の立つところで、縦走路に合流となる(写真右)。
縦走路に合流
縦走路に合流
六甲全山縦走の横断幕  そこで、大きな横断幕が目に入った。見ると「六甲全山縦走参加のみなさん、完走めざしてがんばろう(摩耶山を守ろう会)」の横断幕だった。今日(11月12日)は、今年の一回目の縦走大会だった。
 なるほど、縦走参加者が次々と歩いてきている。今日は六甲山は大賑わいということだ。
六甲全山縦走の横断幕
 小生も10年ほど前の2007,2008年の縦走大会に参加した。
 その時も、「摩耶山を守ろう会」のこの横断幕に励まされた記憶がある。
 10年前に自分が縦走に参加した際に、摩耶山に到着したのは2時過ぎだったので、11時代に摩耶山に到着している方々は、相当の健脚の方と思われる。
掬星台に到着
掬星台に到着
掬星台  その縦走参加者の方々に紛れて、掬星台に進みホットレモンの接待を頂戴した。
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 緑の募金にも協力し、掬星台で休憩をはさむことにした。
 摩耶山掬星台は六甲全山縦走大会のチェックポイントでもある。ここで、チェックをすませ、いそいで先を目指す参加者が多い。
掬星台
掬星台からの景色  六甲全山縦走大会は、自らの責任のもと、体力と精神力を鍛え、目的を達成する喜びを感じ、そして自然や人とのふれあうことが目的とされる。
 歩くスポーツの祭典、それが「KOBE六甲全山縦走大会(全縦大会)」であるが、なかなか体力的にキツイ大会でもある。
 軟弱な当方は、参加者の強い精神力に縦走路脇からエールを送りたい。
掬星台からの景色
 掬星台で景色を楽しみながら30分ほど休憩する。
 休憩がてら、摩耶山山頂の三角点や天狗岩大神、石丸猿田彦大神などを巡る。摩耶山山頂を徘徊しながら今日の下山路を検討した。 その結果、縦走路を少し進み、杣谷峠からカスケードバレー(杣谷道)を下ることにした。
摩耶山山頂の三等三角点
摩耶山山頂の三等三角点
縦走路からの景色  休憩後、続々とやって来る、縦走大会参加者とともに摩耶山掬星台を出発する(11:52)。 掬星台の北側の縦走路から、東側の景色もきれいだ(写真左)。
 道中、摩耶の石舞台にも立ち寄る。 縦走大会参加者ではないので、急ぐこともなくお気楽だ。
 摩耶の石舞台からの景色もすばらしい。
縦走路からの景色
 さらに縦走路を進む。オテル・ド・摩耶の前を過ぎ、天上寺の前に出てきた(12:05)。
 静かな天上寺の脇を今日は多くの縦走者が通り過ぎていく。
 天上寺は昭和51年の不慮の大火によって全焼し、その後、天上寺創建のこの地で復興再建された。
天上寺
天上寺
摩耶別山  天上寺の裏は摩耶別山であり、神戸市水道局の摩耶減圧槽がある。久しぶりに立ち寄ってみたが、当然、縦走者でここに立ち寄る者はいない。
 ここは、標高717mで、摩耶山系の最高峰でありながら、展望がないことからいつもどおりさみしい山頂だった。
 摩耶別山から縦走路に戻り、アゴニー坂を下る。下りが続くアゴニー坂で、急ぎ足の縦走参加者が何人も当方を抜かしてしった。
摩耶別山
 アゴニー坂から車道に出て、前方遠くに六甲山牧場あたりの山を見ながら(写真右)少し進むと、穂高湖周遊路方面の分岐となる(写真下 12:18)。
 今日は晴天の行楽日和で、穂高湖を目指すハイカーも多い。
 穂高湖は、上高地から仰ぐ穂高連峰をイメージさせることから、その名がついたというが、整備された湖畔で景色を楽しむ者が多い。
前方遠くに六甲山牧場
前方遠くに六甲山牧場
穂高湖周遊路方面の分岐  やがて杣谷峠に到着(写真下 12:21)。
 ここにはりっぱな建物のトイレがあるが、明治のころ、外国人が六甲山の開発をして、山頂に別荘を建てていた頃は、この杣谷峠までカゴに揺られて登ってきたのだという。
 明治初年に往還道として整備されたこの道は、大名の参勤交代道を想定したものであった。歴史ある杣谷峠だが、今は、大きなトイレが峠のシンボルである。
穂高湖周遊路方面の分岐
 りっぱな建物のトイレの脇からカスケードバレー(杣谷道)に入る。
 カスケードバレーは石の階段道の下りで始まり、その後も延々と階段道が続く。
 これだけ階段が続くと下りでも足に負担がかかるが、その石階段を登ってくる者も多い。
杣谷峠
杣谷峠
杣谷道  階段道を15分ほど下ったあたりで、左手側が深く切れ込んだ谷となった(写真左 12:37)。ここは右側に「落石注意」の斜面が迫るので、左右に危険個所がある。急ぎ足で通り過ぎる。
 次に、左手側に堰堤が登場して、これを大きく巻いて下る階段道となる。またまた階段の下りである。
 カスケードバレー(杣谷道)の上部は階段だらけということだ。この堰堤は摩耶第4砂防ダムで、昭和62年12月完成のダムだ。
杣谷道
 摩耶第4砂防ダムの下で、数度、杣谷の流れを渡りながら、更に階段道を下っていくと、木ノ袋谷の流れが合流する箇所となる(写真右 12:49)。
 カスケードバレー(杣谷道)は下り始めから、ここの木ノ袋谷出会いまで、概ね階段道の連続で、厳しいルートだった。木ノ袋谷出会いの砂地でしばらく休憩を入れることとする。
 木ノ袋谷出会いで5分程足を休めて、また、カスケードバレー(杣谷道)を下り始める(12:55)。
木ノ袋谷出会
木ノ袋谷出会
カスケードバレーの小滝  すると、すぐに右手側の下方に大きな堰堤が見えてくる。この堰堤は摩耶第三砂防ダムで昭和61年1月完成のダムだ。大きく巻いた階段道で摩耶第三砂防ダムを越える。
 その下は、「すべりやすい」の岩場の道となる。注意して岩場の道を下っていると、かたわらに見事な滝が見えてきた。こういった滝が多いので、カスケードバレーと命名となった。
 この滝の下に、放置された古いバイクがある。景観を害する残置物だが、時を経過して次第に跡形が無くなりつつある。
カスケードバレーの小滝
 放置バイクの下で流れを渡ると、次に「摩耶第二砂防ダム」となる(13:12)。この堰堤は昭和56年1月完成のダムだ。
 摩耶第四から第二砂防ダムとダムが続くが、これらは昭和の50年代から60年代にかけての堰堤である。
 経済がバブルに向かっていたころに杣谷の治山工事も進められたようだ。堰堤から、躍動のあった昭和の時代が思い出される気がする。
 摩耶第二砂防ダムの先で鉄製の階段を下る(写真右)。ここは急階段なので注意して下る。
鉄製の階段を下る
鉄製の階段を下る
杣谷道からの景色  その鉄製の階段の下にも堰堤がある。この堰堤下で、流れを渡る(13:17)。 この辺りはごつごつした岩がむき出しになった道で、楽しく歩けるが、滑落しないよう注意も必要だ。
 更に続く岩場の道を慎重に下っていると、南に景色が広がった(写真左 13:25)。海と六甲山の間のわずかな平地にびっしりと並ぶ住宅が確認できる。
杣谷道からの景色
摩耶砂防ダム  さらにごつごつの岩場の道を下っていくと摩耶砂防ダム(昭和47年9月完成のダム)に至る(13:30)。
 堰堤面をきれいに水流が流れ落ちている(写真左)。
 このダムの下で流れを渡る。このあたりの杣谷川は滑滝となって流れている。なかなか見ごたえのある水流だ(写真下)。
摩耶砂防ダム
 更に下って、杣谷道の脇に「徳川道(西国往還付替道)」が建てられている。往時、杣谷道は徳川道の一部とされていた。この案内を読みながら、当時を様子を思い描くのも楽しいだろう。
 少し下って右手側に杣谷砂防ダムが登場(13:40)。さらに下って摩耶東谷との分岐となる(13:45)。
 このあたりはダム工事と台風などの災害などで、以前とルートがだいぶ付け替えられている。
杣谷川の滑滝
杣谷川の滑滝
永峰堰堤  摩耶東谷との分岐を過ぎ、杣谷堰堤(昭和56年1月完成)、永峰堰堤(昭和16年3月完成)と下れば、長峰橋脇の水場に出てくる(13:54)。
 ここでカスケードバレー(杣谷道)も終点となる。
 ここからバス停(五毛)を目指し、住宅街の急坂を下っていく。
 長峰橋から10分少々で五毛バス停到着した(14:08)。やってきたバスに乗り込んで三ノ宮駅を目指したのであった。
永峰堰堤
 ●老婆谷東尾根は自然のままの尾根で、一般の山歩きには適しません。従って、「お勧め度★★☆」の表示は、本日のルートの内、老婆谷東尾根を除いた部分についての感想です。
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