カスケードバレイ・摩耶山・学校林道 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-7】 |
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阪急六甲駅を山側に出て(10:55)、六甲登山口交差点から広いバス道を西に進む。 やがて護国神社の大きな狛犬が目に入る(11:10 写真左)。 狛犬の前には「乙午 初詣」の文字が掲げられている。60年に一度「乙午」が巡って来る。60年前の乙未年(1955・昭和30年)は日本経済が絶好調だったときくので、今年の経済もそうであってほしいと思いながら護国神社におまいりする。 |
兵庫県神戸護国神社 |
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護国神社から西側の道に出て北に登る。 道なりに進むと二股に道が分かれる。ここは右側の広い方の道に進む。この辺りから非常な急坂となる(写真左)。 深い前傾姿勢をとりながらこの坂に挑む。 牛の歩みの小生の脇をレクサスが余裕の走りで登っていった。我が愛車だとエンジンが悲鳴を上げそうな急坂だが、さすが高級車。 その急坂も長峰中学校を越えるとピークとなり、これを過ぎると左下に長峰橋と大きな堰堤(長峰堰堤)が見えてくる(11:25)。ここまで駅から30分かかった。 |
灘区篠原北町の急坂 |
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長峰橋を渡ると水場があり、清涼そうな水が蛇口から流れ出ている。飲めそうだが「飲料には不適」らしい。この水場からカスケードバレイ(小滝の谷)がスタートする。 山道は長峰堰堤を左に巻くように続く石の階段から始まる。少し進むと杣谷堰堤(砂防ダム)に至る。それを越えると左に分岐して山を登る道がある。柵がされて進入禁止だが、ケーブル虹の駅(旧摩耶観光ホテル)に続く道である。従前、行き止まりの表示がされていたが、それが破損してなくなっている。 この辺りは工事の柵が張り巡らされている。看板を見ると上流の摩耶第五堰堤工事のため資材運搬用のケーブルが張られ、防護柵と迂回路が作られているようだ。 |
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防護トンネル |
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防護トンネル(写真上)を通過して表示に従い迂回路を進む。 迂回路は摩耶東谷道、山寺尾根方面に向っているが、この一帯は工事の結果、従前の面影がなくなっている。摩耶東谷道へは何処から入るのか分かりにくい感じだ。 やがて、山寺尾根との分岐の表示が登場した。ここは杣谷峠(徳川道)方面に進む。 やがて、迂回路が終わり、本来の杣谷道(カスケードバレイ)に合流した。そこはちょうど、ハチノス谷西尾根との分岐の場所だった(写真左 11:38)。 |
ハチノス谷西尾根との分岐 |
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左側に杣谷第二砂防ダムを確認しながら進むと、また、防護トンネルが登場した。次に、道脇に徳川道の案内看板が新設されていた(11:45)。 徳川道は幕府の命により兵庫開港の年慶応4年1868年に完工した。当時の名称を西国往還付替道といい、海沿いの西国街道を大きく迂回する道筋であった。居留地での外国人との衝突をさけるために設置されたにもかかわらず、同年、備前藩が外国人と衝突、市街地が外国兵により占拠された(神戸事件)。その後、この道は廃止されたが、大正年代よりハイキングコースとして利用され、徳川道と呼称されるようになった。 |
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後方に町並みが |
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やがて摩耶砂防ダムが登場する(11;45)。 そのダムの手前で流れを渡り右岸へ至る。ここでは、ダム堰堤を越えるために一気の登りとなる。少々息が上ってきたが、後方を振り返ると展望が開け、町並みが遠望できるようになってきた(写真上)。ここで杣谷を下ってきた人とすれ違う。 12:01ダム手前で流れを渡って左岸に移る。この辺りにも、工事の柵が設けられ通行注意の看板が設置されている。
ここは、摩耶第五堰堤工事現場の西側であり、資材運搬のケーブルの終点にあたるのようだ。
なお、摩耶第五堰堤工事の工期は28年1月11日までで、工事の時間は8:30から5:00と記載されている。 |
カスケードバレイの小滝(カスケード) |
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左岸を進んでいくと、鉄製の階段が設置されていた。これも、摩耶第五堰堤工事の関係だろうか。鉄製の階段を過ぎたところにもダムがあり、この辺りは砂防堰堤が続いている。 12:09 流れを渡って左岸となる。すぐに道脇のバイクの残骸が目に入る。さわやかな水の流れの傍に放置された残骸は興ざめである。 バイクの残骸を過ぎると、形のよい斜めの滝が登場する(写真上 12:10)。カスケードバレイの小滝(カスケード)である。 |
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水量豊富なカスケードバレイ |
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12:20 二つの流れが合流する砂地の場所に至る。ここでは東側から合流する谷の本流を渡って、また石の階段道を登っていく。
12:25大きな岩の場所で流れを渡り左岸へ。しかし、すぐに渡り返して右岸へ。右に左に流れを忙しく渡る(写真上)。 次に、摩耶第四砂防堰堤を左側から大きく迂回して越える。このダムを越えて、しばらく右岸の階段道を登り続ける。
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杣谷峠が近づいた |
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延々と続く階段道を登り続け、息も上ってきた。 道脇で聞こえていた大きな水音も、いつしか、はるか下方から聞こえるようになっていた。だいぶ高度が上った感じだ。 更に階段の登り道が続き、足も棒のようになって悲鳴をあげ始めた。
もう20分以上も階段道を登り続けている。登るスピードは相当ダウンしてきた。 「杣谷峠はまだかいなーー。」と、今まで何度も階段道の前方を見上げていたが、階段はまだまだ続いていた。しかし、今回は見あげた先に青空が見えている(写真上 12:45)。そこが階段の頂で、その先が杣谷峠だった(写真右)。 |
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杣谷峠 |
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杣谷峠にはりっぱなトイレ小屋が設置してあり、脇のベンチでは複数のハイカーが休憩していた。 そのベンチの横には「瀬戸内海国立公園(六甲地域)」の案内看板が立てられている。 看板によると、六甲地域の国立公園は、東は譲葉山から西は再度山、鍋蓋山までの東西約20kmである。六甲の名所のひとつ、菊水山は鍋蓋山の西側なので国立公園のエリアではないようだ。知らなかった。 さて、杣谷峠からは穂高湖まで足を伸ばしてみたい。 道標に従い穂高湖を目指すと、穂高湖畔には13時に到着した(写真左)。 |
穂高湖 |
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穂高湖畔にたたずみ少し休憩を入れる。 この穂高湖は人工湖だが、上高地から仰ぐ穂高連峰をイメージさせることから、その名がついたという。 湖畔の遊歩道から、対面のシェール槍の尖った頂上を望み、それが湖面に逆さに映るなど、美しい眺めをしばし楽しむ。 今日は湖面に薄く氷が張り、寒い感じだが、4名の方が休憩していた。ここは摩耶山周辺の人気スポットである。 凍る穂高湖水面の冷気が体温を奪ってきたので、休憩をきりあげて次は摩耶山を目指す。 |
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穂高湖周遊路への道 |
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穂高湖周遊路を辿り、アゴニー坂の取り付きに到着した。アゴニー坂の取り付きには小さな婦人像(仏像)が置いてある(写真左)。摩耶山の名に由来の摩耶夫人像であろうか。
アゴニー坂に取り付く。
坂道の両側は笹が緑色を湛え、感じのいい道である。しかし、その名“agony (アゴニー) ”の通り、結構きつい登りだ。摩耶山方面からたくさんの人が下ってきて、その都度、「こんにちは」と、挨拶を交わすが、息の上った当方の挨拶は素っ気ないものとなっていたかもしれない。 少々反省。(^。^;)。 |
アゴニー坂 |
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アゴニー坂の途中に、北側の六甲山牧場が望める展望の岩場がある。その岩に乗り、またまた休憩を入れる。 ここからは裏六甲の連なりが確認できる(写真右)。 |
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アゴニー坂からの景色 |
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さらにアゴニー坂をひと登りして摩耶別山までたどりついた。 縦走路から、少し草がかぶった道を西に入ると神戸市水道局の摩耶減圧槽がある(写真左 13:27)。ここが摩耶別山の頂と思われるが特に表示はない。 摩耶減圧槽はSECOMの表示があり、機械設備に対して警備網が張られている。 摩耶別山は標高717mで摩耶山系の最高峰らしいが、展望はなく静まり返って寂しげな場所である。 |
摩耶別山(摩耶減圧槽) |
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摩耶別山から縦走路に戻り、天上寺脇を通過してオテル・ド・摩耶の前を通過する。ここはおしゃれな国民宿舎で、イタリアンレストランからの夜景がとてもキレイらしい。 オテル・ド・摩耶を過ぎて縦走路を進むと「摩耶の石舞台」の表示が目に入った(13:35)。摩耶の石舞台からは、山の端と眼下の市街地が見渡せ、清水の舞台にも似ていることからその命名がされたと説明してある。 早速、摩耶の石舞台に進んでいくと、その説明どおりの絶景が広がっていた(写真右、下)。 なお、「摩耶の石舞台」は、平成24年4月に摩耶山を守ろう会40周年記念事業として命名された。 また、縦走路に戻り、次に摩耶山を目指す。 |
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摩耶の石舞台 |
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平成24年に摩耶の石舞台と命名 |
摩耶の石舞台からの景色 |
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摩耶山掬星台には、13:50に到着。 掬星台とは、「そこから星が手で掬えそうなくらい間近に見える。」ということでその名がつけられたという。掬星台からの夜景は「1000万ドルの夜景」といわれ、日本三大夜景に挙げられている。当日は晴天で、時折、寒風が吹き付けていたが、多くの人が景色に見入っていた。 摩耶山は六甲の山々の中でも海の方にせり出しており、紀州・河内・和泉・摂津・播磨・淡路・丹波・但馬の8国が見渡せるということで「八州嶺」(はっしゅうれい)とも呼ばれたそうだ。 |
摩耶山掬星台の展望台 |
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一方、摩耶山山頂(702メートル)と摩耶山三等三角点は、掬星台の広場のやや西側にある(写真下)。 掬星台では多くのハイカーや家族連れの姿を見ることができるが、摩耶山山頂は薄暗いところでもあり、いつ訪れても人っ子一人見たことがない。まさに陰と陽といった感じである。 また、山頂の一角には天狗岩大神や石丸猿田彦大神も祀られている。山岳信仰の名残だろう。 |
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摩耶山掬星台からの景色 |
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摩耶山山頂 |
摩耶山三等三角点 |
なお、天狗岩については、次のような案内板があった。 「奥之院の北の山頂にあるこの天狗岩という巨石は広さ8畳ともいわれ、伝説によると摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだという。行者岩とも称され、今日でも修験道者が信仰の対象としているが、古い山岳信仰岩坐(神が降臨するといわれる巨石)だったのであろう。この岩の名もその北方から布引市ケ原に至る山道、天狗道の名もともにそこで修行する山伏の姿を見た山麓の農民が山伏たちを天狗と思って名づけた呼び名であろう。」 |
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天狗岩 |
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14:08 摩耶山を出発して天狗道を下ることにする。 むきだしの大岩が重なり合う天狗道を注意深く下っていく。 摩耶山頂を出発してから、約5分で右手側にアドベンチャールートへ続く道への分岐点が現れた(14:16)。 更に5分ほど進むと、左側に大きな岩が重なり合っている場所があった。 ここは、東西南北(NSEW)の表示がある展望場所である(写真左 14:20)。ここは知る人ぞ知る、展望スポットで、神戸市街が一望できる。今日も一人のハイカーが休憩していた。 |
東西南北 |
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更に下って、左手側に行者尾根分岐を確認し(14:24)、次に、学校林道への分岐点となった(写真右 14:43)。 もう午後の二時を回っていたが、天狗道では摩耶山を目指す多くのハイカーとすれ違った。 |
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学校林道分岐 |
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天狗道から左折し学校林道に入る。林道といっても車が通るような道ではない。踏み跡のしっかりついた写真左のような山道である。 天狗道はアップダウンを繰り返しながら高度を下げてきたが、学校林道は概ね下り一辺倒である。 |
学校林道 |
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学校林道を下り始めて5分ほどで、右手側に展望の広がる箇所が登場する。ここは、阪神大震災で斜面崩壊した場所で、苧川谷山腹工事として、地震直後から工事がされていた。崩落と工事で木々が無くなり展望ポイントとなっている(写真右 14:50)。ハーブ園が真正面に見え、明石海峡大橋もその向こうに遠望できる。 工事終了後、年も経過して、草木は伸びつつあるが、震災の爪痕は生々しい。 ここには国土交通省の2級基準点(婆谷No2)が新たに設置されていた。 |
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学校林道からの景色 |
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更に学校林道を下っていくと、道端に神戸市境界石を確認した(14:56 写真左)。 石の四角柱のそれぞれの面に「神戸市界」、「神戸市役所」、「明治三十三年」、「九十一号」と記載されている。 明治22年4月の市制町村制の施行にともない、莵原郡葺合村と八部郡荒田村を併せて神戸市が誕生したようだが、ここの位置からして、灘区との境界(莵原郡都賀野村との境界)であったと思われるが、どうだろうか??。六甲にはこのような明治の頃の史跡が多くが残っている。大切に残していきたいものだが。 |
明治の石柱(神戸市界) |
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2級基準点(婆谷No2)を出発し、神戸市界の石柱を過ぎ、更に学校林道を下る。 下りばかりと思っていた道が少し登りとなって、登りついたところは高圧鉄塔が林立する小ピークになっていた(写真右 15:01)。 高圧鉄塔が3本並び立ち、少し離れた所にもう一本鉄塔がある。この辺りは、鉄塔銀座であり、電線が多方面に伸びている。また、この小ピークには2級基準点(婆谷No3)が設置されていた。 小ピークの東側斜面では何やらエンジン音が響き工事がなされていた。鉄塔関連の森林整備だろうか。 |
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学校林道の3本鉄塔 |
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学校林道を下ること25分で左から旧摩耶道が合流してきた(写真左 15:12)。すぐ前方では、東山尾根方面への山道が左に分岐している。ここで、雷声寺方面を目指して旧摩耶道に入る。 合流した旧摩耶道は九十九折の下りで始まる。 旧摩耶道は古くから歩かれた道であるが、道中、片側斜面が90度の絶壁状の箇所があり、ここは滑落しないよう注意して歩きたい。 |
旧摩耶道との合流点 |
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旧摩耶道もひたすら下りが続くのであるが途中1箇所だけピークとなっているところがある。そのピークの手前は南側に視界が開けており、また、ピーク上では北側に視界が開けている。 やがて階段下に雷声寺の構造物が見えてきた(15:30)。不動明王の所から雷声寺の寺域に入るが、ここには新たにフェンスが張り巡らされていた。猪の侵入を防ぐためのものらしい。寺院の周囲をぐるりとフェンスで囲ってある。フェンスの鍵をはずして寺域に入る。 雷声寺から市街地の階段道をひたすら下って新神戸駅には15:45の到着であった。 |
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雷声寺 |