新穂高・シェール道 (お勧め度★★☆) 北六甲【2-42】

神戸森林植物園==とんどやき==植物園東門(11:25)==徳川道==桜谷出会(11:50)==新穂高取付(11:58)==
609mP(12:26)==新穂高(12:52)==徳川道(13:15)==穂高堰堤(13:30)==シェール道==マムシ谷分岐(13:50)
==徳川道(14:08)==植物園東門(14:30)==駐車場(14:57) (約3.5時間 令和3年1月10日) 
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 六甲山にはカタカナ地名が多く残るが、その一つにシェール道がある。新穂高の北側を巻く道で、徳川道と併せれば新穂高周遊路になる。今日(令和3年1月10日)は、神戸森林植物園を起点に、徳川道、新穂高、シェール道を辿り、新穂高を周回してみた。なお、森林植物園では「とんど焼き」にも参加した。
メタセコイア並木  神戸市HPの記者資料提供(令和2年12月28日)に、第17回森林植物園とんどやきの記事が掲載されていた。令和3年1月10日(日曜)10時30分〜11時30分の開催で、当日は、入園料・駐車料金が無料となるようだ。これは、「森林植物園とんどやき」に参加した後、森林植物園を起点に周辺の六甲山を巡るのに都合がよい。そこで、歩行コースを検討し、森林植物園から新穂高に登りシェール道も歩く計画を立案した。
メタセコイア並木
とんど焼き 点火前  家のしめ縄を持って愛車に乗り込み、神戸森林植物園に向けて出発した。神戸森林植物園の駐車場には午前10時に到着したが、とんど焼きは午前10時30分からの開始となっている。「とんどやき」の幟に導かれて(写真左上)、駐車場からメタセコイア並木を通って会場の「スポーツ広場」に向かう。「スポーツ広場」では、まだ、とんど焼き用の青竹の準備中で、点火前の入念なチェックが進められていた(写真左)。
とんど焼き 点火前
 今年のとんど焼きは、コロナ対策が十分とられた上での実施となる。セレモニーの後、点火時間となって、係員が青竹に火を放った。パーン、パーン・・・と、竹の弾ける大きな音と共に、炎が一気に燃え上がる。とんどやきとは1年の健康・家内安全・無病息災などを願うものだが、今年の森林植物園とんどやきは、大震災の鎮魂と新型コロナウイルスに打ち勝つことも祈念して実施される。参加者は皆、高く舞い上がる炎を食い入るように見つめ、一心に祈念した。 とんど焼き
とんど焼き
ラクウショウの気根  とんど焼きを終え、次に山歩きに出発とする(10:52)。神戸森林植物園スポーツ広場から、長谷池の方に向かう。長谷池(Hase Pond)では、少なくなった水が寒さで凍りつき、水辺に立つラクウショウの気根も、寒そうなたたずまいだった。なお、ラクウショウの気根は酸素不足を補うもので、湿気の多い場所の個体によく見られるものらしい。
ラクウショウの気根
 長谷池からカモシカ園(Japanese Serow Grove)に向かう。カモシカ園では、昨年、四国産ニホンカモシカの「サチコ」が新たに仲間に加わった。サチコを確認した後、カモシカ園から野鳥の森を経て、森林植物園東門の方に向かっていく。東門に向かう道では、コロナ対策の掲示がある。園内では、新型コロナウイルス感染を防止するために3密(密閉・密集、密接)回避の啓蒙がしっかりとなされていた(写真左)。山中でも、コロナ対策の意識は忘れないようにしたい。 新型コロナ感染防止
新型コロナ感染防止
 森林植物園東門を出て(11:25)、トゥエンティクロスと徳川道の合流点で、飛び石渡しを渡る。そこから、徳川道に従い新穂高方面に向かう。ヌケ谷分岐(11:29)、八州嶺堰堤を経て(11:31)、徳川道を東に進む。徳川道は、よく整備された歩きやすい道で(写真右、下)、周囲の景色も心地よい。摩耶山や石楠花山を目指すハイカーが行き来する道でもある。 歩きやすい徳川道
歩きやすい徳川道
徳川道 八洲嶺第二堰堤
徳川道 八洲嶺第二堰堤
桜谷出会い  次に、黄蓮谷の分岐となる(11:39)。ここで休憩中の二人のハイカーを追い越す。更に進んで右手側に八洲嶺第二堰堤が見えてきた(写真上 11:45)。この堰堤は、昭和49年完成で、長さ74mの表記がある。コンクリの堰堤にコケが張り付き、長きに渡って砂防の役割を果たしていることがわかる。
 その先、約5分で桜谷出会いに至った(写真左 11:50)。
桜谷出会い
 桜谷出会いでは大きな周辺案内図の看板とベンチがある。ベンチでは、一人のハイカーが休憩していた。桜谷出会いで流れを渡ると、左折して石の階段道になる。この階段は、路面が凍り付き、氷がびっしりと覆っていた。凍っていない端っこを慎重に歩く。桜谷出会いから、更に徳川道を進むと、次にシェール道分岐となる(11:54)。このシェール道分岐の先で、分断されたコンクリ橋を渡る(写真右 11:56)。 櫛状のコンクリ橋
櫛状のコンクリ橋
新穂高西側の取付  コンクリ橋を渡るとすぐに小さな流れを渡る地点が登場する(11:58)。この渡河ポイントの手前で左手側の山斜面に踏み跡が確認できる。踏み跡脇には関電の「火の用心」があるので(写真左)、このルートが高圧鉄塔巡視路であることがわかる。この巡視路が新穂高の西側の取付きとなる。
新穂高西側の取付
落葉の雑木林に入る 岩道を登る
落葉の雑木林に入る 岩道を登る
西に展望が広がる  巡視路の踏み跡に取付き、斜面を登ると雑木林の山道になる(写真左上)。落葉が積もった道を登っていくと、次につづらの道になってどんどん高度が上がる。そして、プラ階段が見えて高圧鉄塔に到達する(12:06)。高圧鉄塔からも急な登りが続き、その先で大きな岩が見えてくる。岩の方に登っていくと(写真上)、西に展望の開けた場所に出た。ここからは、先程、歩いてきた徳川道方面の景色が見えている(写真左)。
西に展望が広がる
 更に、斜面の踏み跡を拾いながら登っていく。登り道は、ときに分かれて二本になる個所もあるが、いずれのルートをとっても上に向かって進む。やがて、小ピークに登りついた(12:26)。ここで、薄い踏み跡が、左右に分かれていて進路に迷う。どちらに進むか思案の末、まず、左に進んでみた。その踏み跡は、北に向かって下って行くようだった。これは、新穂高の方向から全くずれている。道が違うと思い直し、元の小ピークまで登り返し、こんどは右に向かう踏み跡に進んだ。 新穂高西側のピーク
新穂高西側のピーク
笹道が登場  こちらの踏み跡を少し進むと大きな岩の展望台に出た(写真上 12:35)。ここは、前回、新穂高に登った時にも通過した場所だ。大岩に枝ぶりの良い松が配置されて、絵になる場所だ。この辺りが609mのピークだろう。新穂高西側のピークで10分程さまよってしまったが、大岩の展望台で少し休憩して、次に、新穂高に向かうことにした。その時、後方で数人のハイカーの声が聞こえてきた。当方以外にも、マイナーな新穂高に登ってくる者がいたようだ。
笹道が登場
 大岩の展望台からは、その左手側下方に踏み跡が続いている。その踏み跡に従い進んでいくと、その先、山道は東に向かって下っていく。下り道で新穂高名物の深い笹道が登場した。笹の中を一旦下って、下り切ったところから登り返しが始まる。笹は一度途切れて普通の山道になるが、再度、笹が登場すると、その先すぐで新穂高の山頂に登りついた(写真右 12:52)。 新穂高の山頂
新穂高の山頂
 新穂高の山頂は、笹の中で少し山肌の赤土が見えている。そこに、先日の雪が薄く残っていた。山頂には「新穂高 648m」と書かれた私製のカッコいい山名札が一つだけ掲げてあった(写真右)。2020.11.8との表記があり、昨年、登った方の作品のようだ。 新穂高の山名札
新穂高の山名札
新穂高の展望  新穂高の山頂は木々に囲まれて展望はないが、葉を落とした樹木の間から六甲山牧場の建物が垣間見えていた(写真左)。新穂高から見て、六甲山牧場はシェール道を挟んで北東側になる。
新穂高の展望
 寒いし展望もないので、新穂高の山頂では長居をせず、すぐに出発する。南東に向かう踏み跡を下る。この下りも、半端ない笹の中の道だが(写真右)、踏み跡はしっかりとしていて、笹の中で迷うことはない。 新穂高の笹道
新穂高の笹道
新穂高を振り返る  ダニの活動期には決して通りたくないような深くて背丈のある笹の中を下って行く。下りついたところから登り返して小ピークに至る(13:04)。この小ピークは藪の中だが、少し進んだ所から西側を振り返ると、先ほど越えてきた新穂高のpeakが見えていた(写真左)。
新穂高を振り返る
 更に、笹の中を何度もアップダウンを繰り返しながら下って行くと、大きな枯れ松の所で徳川道に下りついた(写真右 13:15)。新穂高山頂からここまで約20分ほどの距離だった。従前は、ここに「新穂高登り口」の小さな表示があったが、それはなくなっていた。
 さて、ここからは、徳川道を穂高湖の方に進みたい。
徳川道に合流
徳川道に合流
穂高湖周遊路分岐  徳川道を穂高湖の方に進むと、周囲に雪が残っていた。この一帯は、摩耶山の北側で昼もあまり陽が射さないのだろう。その先で、道標の立つ分岐となった(写真左 13:19)。ここには、周辺の案内地図も設置されている。この分岐は、摩耶山、穂高湖周遊路と徳川道の分岐だが、穂高湖周遊路は笹が繁茂し、あまり歩かれていない雰囲気だった。この分岐から、さらに、徳川道を穂高湖方向に進む。
穂高湖周遊路分岐
 徳川道は、その先、穂高湖の手前で幅広の道に合流した。そこには、大きな徳川道の説明看板が立っている(写真右 13:23)。看板では、徳川道は「西国往還付替道」ともいい、「江戸末期に西国街道で外国人とのトラブルを避けるため、迂回路として幕府の命により完工した。」と説明されていた。徳川道はこの分岐で右方向に進んで杣谷に向かうが、当方は、この分岐を左折して穂高堰堤の方に進む。 徳川道の大きな看板
徳川道の大きな看板
 穂高堰堤に向かう道は幅の広い林道のような道で歩きやすい。日陰になる個所では、路面に雪が薄く残っている(写真右)。やがて、林道の正面にシェール槍の姿が見えてきた。シェール槍には登山者がいるようで、山頂に数名の人影が小さく確認できた。 穂高堰堤への道
穂高堰堤への道
氷の穂高堰堤  幅広の林道を更に進んでいくと、右手側前方に白い壁のようなものが見えてきた。何だろうと近づいていくと、それは穂高湖の穂高堰堤から流れ落ちる水が完全に凍り付いた姿だった(写真左 13:30)。堰堤下の水路も全て凍り付いて、スケート場の氷のようになっている。ここは、白い氷の壁面が青空と対比して、何とも言えない景観になっていた。
氷の穂高堰堤
穂高堰堤 穂高堰堤附近
穂高堰堤 穂高堰堤附近
 穂高堰堤の近くにはベンチの設置があり、数組のハイカーが堰堤の氷の壁を眺めながらゆっくりと休憩されていた(写真右上)。なお、穂高堰堤の所から右に登っていくと、穂高湖からシェール槍の方に進んでいけるが、当方はここで左折してシェール道の方に進む。 穂高湖周遊路
穂高湖周遊路
シェール道道標  穂高堰堤からも幅広の歩きやすい道が続く(写真上)。やがて、幅広だった道はシェール道の道標の立つ場所で左に分岐する(写真左 13:40)。道標に従い、ここで階段を下ってシェール道に進む。なお、シェール道は、明治時代に欧米人の別荘地として開かれた六甲の山道の一つで、ドイツ人のシェールさんが好んで歩いたことに由来すると説明されることが多いが、真偽は不知だ。
シェール道道標
雪の残るシェール道 シェール道
雪の残るシェール道 シェール道
半分埋もれた道標  流れに沿って続くシェール道には雪が残る個所が何ヶ所か存在した。片側の流れも凍り付いた個所がある。その先で、「森林フレッシュ事業」の看板が登場(13:48)。ここでは間伐などの森の手入れが実施されている。やがて、シェール道は半分埋もれた道標の場所で分岐点となった(写真左 13:50)。ここは、シェール道とマムシ谷方面の分岐だが、近年の大雨で荒れた流れが道標を半分飲み込んでいた。このマムシ谷分岐で左折する。
半分埋もれた道標
 左折して板橋で流れを渡り、次に階段道を登っていく。やがて、左手側の下方に堰堤が見えてきた。八州嶺第三堰堤の文字が小さく見えている。階段の登りは、この堰堤越えの為だった。堰堤を過ぎ、今度は階段を下って、次に、板橋を渡ったところで「炭窯跡」の看板が立っていた(写真右 13:56)。ここの炭窯は、比較的原形を保ったような形で残されていた。 炭窯跡
炭窯跡
 「炭窯跡」を過ぎると、また、すぐに板橋を渡る(写真右 13:58)。この板橋を渡って、シェール道は流れの右岸を進む。この辺りも、シェール道はよく手入れされ、歩きやすい道になっている。「森林フレッシュ事業」のおかげなのかもしれない。 板橋を渡る
板橋を渡る
シェール道の飛び石  周囲に笹が茂る中をシェール道は続く。その先、手入れされた明るい杉林の中を過ぎ(14:04)、次に、大きな岩を伝って流れを渡る個所となった(写真左 14:06)。この流れを渡ったところで、二人連れの女性ハイカーとすれ違った。手入れされて歩きやすいシェール道は、女性にも人気なのだろう。
シェール道の飛び石
 飛び石で流れを渡った先で、シェール道は徳川道に合流となった(写真右 14:08)。シェール道でお会いしたハイカーは先ほどの女性二人だけだったが、この道は手入れされて歩きやすいので、もっと歩かれてもいい道だと思われた。 徳川道に戻る
徳川道に戻る
植物園の干支飾り  徳川道に合流後、午前中に歩いてきた道をそのまま神戸森林植物園まで引き返し、森林植物園東門には14時30分の着だった。
 森林植物園では丑年の干支飾りなどを確認した後、駐車場に戻りついた(14:57)。午前中は、多くの車が止まっていた駐車場も、午後のこの時間では、疎らな数になっていた。
植物園の干支飾り
 なお、本日のコースでは、徳川道、シェール道や穂高湖の周辺の道は歩きやすい道ですが、新穂高への登山路は破線のルートで、一般のハイキング道ではありません。特に、新穂高の西側のピークは踏み跡の薄い箇所もあるので、十分に注意して歩く必要があることを注記しておきます。 森林植物園駐車場
森林植物園駐車場
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