大文字山・京都一周トレイル (お勧め度★★☆) 関西の山【7-38】 |
|
阪急で四条河原町駅までやってきた。京都市バス203系統に乗って「銀閣寺道」バス停で下車する。東に進んで疏水分流沿いの哲学の道に入る(写真左 9:23)。 今出川通沿いの哲学の道からは、右手前方にこれから目指す「大文字」が見えている。 |
琵琶湖疏水分流 |
|
|
哲学の道に植えられた桜の並木は「関雪桜」というそうで、春には桜のトンネルになるという。その桜や疏水の鯉などをながめながらのんびりと哲学の道を進むと、やがて「銀閣寺橋」に至る(9:29)。 |
哲学の道 |
|
銀閣寺門前の土産物屋をのぞきながら銀閣寺参道を東に進むと、銀閣寺の総門の前に至る(9:33)。銀閣寺は臨済宗相国寺派の寺で、慈照寺(じしょうじ)がその寺名なるも、江戸時代から銀閣寺と呼ばれるようになり、著名な寺となった。総門は、その銀閣寺の入口となるのだが、意外に小さい。 |
|
|
銀閣寺橋 |
|
銀閣寺の総門で左折して、八神社の前を右に進む(9:34)。八神社は、古く平安時代の創建とされ、このあたり一帯の鎮守社のようだ。 |
銀閣寺総門の前 |
|
すぐに「行者の森」の石碑の前で道が左右に分岐するので、ここを右手側に進む(写真右 9:36)。行者の森の石碑には、「行者の森 大文字山参道」と彫ってあり、ここが大文字山の登山口であることを教えてくれる。 |
|
|
行者の森で分岐 |
|
行者の森から、駐車場の脇の山道を東に進む。右手側に銀閣寺の柵が続き、その先は流れに沿って緩やかに森の中の道を登っていく。道脇に、銀閣寺山国有林の大きな看板がある。 山道では、多くの方が前方から下ってくる。地元の、毎日登山の方だろう。その先、「銀閣寺山マツ林再生実証試験地」という看板を確認しながら登っていく。 |
銀閣寺山国有林の看板 |
|
行者の森の石碑から10分登ったところで、右折して階段道に入る(写真右 9:46)。ここには「→大文字山」の小さな道標がある。ここから階段道の登りとなる。 つづらになってどんどん登る階段道で、汗が吹き出してくる。ペースが鈍り、足も重たくなってきた。ここで、地元の方二人に、次々と追い越されてしまった。 |
|
|
大文字山への小さな道標 |
|
|
大文字山への階段道 |
千人塚 |
次に、階段の先で、千人塚が祀られていた(9:57)。
千人塚は、太平洋戦争時、軍が戦時遂行のため壕を掘っていた際、多くの古い人骨が入った壺が掘り出されたことに由来するらしい。それは戦国時代の兵士の遺骨と言われており、地元の人たちの手で供養のために石碑が立てられた。 |
|
|
火床手前の石階段 |
|
また、千人塚の近くには、近畿中国森林管理局の看板も立っている。「銀閣寺国有林の赤松が減少しているので、その天然更新を図っている。」旨の説明がある。 その先、もう一登りして、送り火の薪などを運び上げるリフトの索道の下を過ぎると、石階段の下に至る(写真上 10:01)。ここから石の階段が、天に向かうように登っている。この石階段を登り切ったところが、大文字送り火の火床だった(10:06)。 |
火床が見えてきた |
|
ここは、五山送り火の中で最初に点火されるところで、8月16日午後8時に点火される。その他の、妙・法は8時10分、船形は8時15分、左大文字は8時15分、鳥居形は8時20分に順次点火されるらしい。ここの「大文字」の文字は細長く、優美なのが特徴とされる。大の字が交わるところを「金尾」といい、その火床は他より大きい(写真下)。この一番大きな火床の後ろに弘法大師をお祀りした大師堂がある(写真右)。 |
|
|
大師堂 |
|
|
「金尾」の火床 |
大文字山火床 |
火床からは、開放感にあふれる展望で、京都盆地の景色が大パノラマだ。今日は、あいにくの曇り空で、かすみがかかったような空気で残念だが、ドピーカンより趣があるかもしれない。 |
|
|
京都市街を一望 |
|
展望を十分に楽しんだ後、大文字山の山頂に向けて出発する(10:16)。火床から、細い階段を登っていく。火床からの景色もよかったが、この階段からも更に展望が広がる。しかし、ここは先を急ぐことにする。階段を登りきると、比較的平坦な道となる(写真左)。 |
大文字山への山道 |
|
この先、交差するハイカーが多くなった。おそらく、京都一周トレイルを蹴上から登ってきて、大文字山火床を目指す人が多いのだろう。当方は逆走していることになる。3人、2人、4人、・・・と多くのハイカーとすれ違う。数名の方から、「スズメバチが飛んでいたので注意してください。」との情報をいただく。お礼を言って、周囲に注意しながら、大文字山山頂に向かい進んでいく。道中、119番通報プレート(山科消防署)も立てられている(写真右)。 |
|
|
119番通報プレート |
|
|
大文字山 |
大文字山山頂 |
道中、アップダウンを繰り返しながら山道を進み、火床から約20分で大文字山山頂に到着した(10:38)。 ここも、京都の中心地が一望できる。よく見ると、京都タワーも見えている。これはいい眺め。ベンチもある広い山頂で、休憩にはちょうど良い。それだけに、ここで休憩する者は多く、この時間では、5組13人の方が休憩されていた。大文字山は標高465.31mで、山頂には三等三角点:点名鹿ケ谷がある。 |
|
|
鹿ケ谷三等三角点 |
|
三角点を確認した後、ベンチで少し休憩(10分弱)を入れた。その後、大文字山山頂を後にした(10:47)。ここからは、京都一周トレイルを辿り、蹴上に下って行きたい。 少し進んで、京都一周トレイルの道標「東山45」で分岐となる。ここは、七福思案処、日向大神宮、蹴上と表示された方向に進む。その先で、林道(管理道鹿ケ谷線)を交差して(10:57)、京都一周トレイルは高度を下げていく。 |
管理道鹿ケ谷線と交差 |
|
|
京都一周トレイルが林道(管理道鹿ケ谷線)と交差したすぐ下の辺りで、道脇に木材が集積されていた。重機も投入されて、大掛かりな作業となっている。 昨年の台風被害で京都一周トレイルも倒木・土砂崩れなど甚大な被害にあった。その復旧が進められているようだ。関係者の尽力に感謝したい。 |
倒木の復旧作業 |
|
|
|
倒木の残る京都一周トレイル |
倒木地帯を進む |
|
その先も多くの箇所で倒木の被害が残っていた。そんな中、多くのハイカーとすれ違うこととなった。 京都一周トレイルは、蹴上から大文字山に登る者の方が圧倒的に多いのだろう。老若男女を問わず、多くの方とあいさつを交わし、すれ違った。 |
京都一周トレイルの標柱 |
|
京都一周トレイルは、よく踏まれたコースで歩き易い。写真右の辺りは、シダ(ウラジロ)の緑がきれいな箇所で、森の緑に癒された。観光名所の多い京都だが、京都一周トレイルをのんびり、散策するのも十分に楽しめる。 |
|
|
京都一周トレイル |
京都一周トレイルは分岐も多いが、道標がしっかりと整備されているので、歩き易い。写真右は標識「No.41」の辺り(11:26)。ここでも3名のハイカーとすれ違った。 |
|
|
京都一周トレイル東山41 |
|
大文字山から下ってきた京都一周トレイルでは展望の箇所が少なかったが、大文字山から50分程進んだ所で、左手側に展望が開けた(11:35)。ここは山科方面に展望が開けている。ここでも、4名のハイカーとすれ違った。 山科方面の展望場所から、京都一周トレイルの道標に導かれて歩き易い道を下って行くと、「天の岩戸」、「日向大神宮」の看板が登場した「東山3-33」(11:53)。 |
山科方面に展望 |
|
|
|
京都一周トレイル東山コース |
天の岩戸分岐 |
|
「天の岩戸」とは何とも気になる名称であり、その方向に下って行くことにした。途中、「伊勢神宮遥拝所」なる道標もあり、京都で非ざるかのような雰囲気の中を進むと、薄暗い小さな穴ぼこの前に至った。ここが、日向大神宮の境内社、戸隠神社の天岩戸だった(11:59)。この「天の岩戸」は、開運厄除の神として祀られている。 |
天の岩戸 |
|
|
|
日向大神宮 |
伊勢神宮遥拝所 |
|
天の岩戸から下ったところが日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)の拝殿となっていた。今日の山歩きの無事を報告し、拝殿に参拝した。さらに、伊勢神宮遥拝所にも足を延ばし、遥拝をすませた。日向大神宮は、山域に入った場所にあり、神秘さの漂う凛とした場所だった。 |
伊勢神宮遥拝所からの展望 |
|
日向大神宮から民家も点在する参道を下ってくると、疏水沿いの道になる。その疏水に架かる橋から振り返ると、何やら古そうな建物が見えていた(写真右)。それは、九条山浄水場ポンプ室で、明治の頃に竣工された建物である。歴史を重ねてき建物が、周囲の景色と調和して、優雅さを漂わせていた。九条山浄水場ポンプ室を間近で見学したいが、近づくことはできない。 |
|
|
九条山浄水場ポンプ室 |
|
九条山浄水場の先にインクライン(傾斜鉄道)がある。ここから蹴上までの運河の段差は36mで、そこにレールを引いて運河を走行する船を運んだものがインクラインといわれる。船を台車に乗せてインクライン(傾斜鉄道)で昇降させたもので、線路上には、当時の台車及び船が復元されており、往時を偲びながら散策できる。 |
浄水場手前の水路 |
|
インクラインは見飽きない景色で、ずっと見ていたいが、今日のもう一つの目的、時代祭の時刻が迫っている。時代祭は、例年10月22日に行われる祭だが、今年は同日が皇居宮殿にて「即位礼正殿の儀」が斎行され、時代風俗行列は26日に繰り延べられた。休日と重なった今年の風俗行列は、沿道の見物人も多い感じだった。各時代行列の衣裳等は一つ一つが時代考証されたものらしく、祭り見物で、時代をタイムスリップしたような気持になったのだった。 |
|
|
インクライン |
|
|
時代祭り |
維新勤王隊列 |