古寺山 (お勧め度★★☆) 北六甲【2-14】

神鉄六甲駅(神戸電鉄)〜山王神社〜水道局新唐櫃配水場〜裏六甲ドライブウェイ〜裏六甲公園〜行者道
〜古寺山南峰〜石塔〜本堂跡〜護摩壇跡〜古寺山〜展望岩〜表参道〜観音道〜神鉄六甲駅(神戸電鉄) (約3時間)

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 神戸電鉄の六甲駅の南東に古寺山という山がある。古寺山の名は山上に多聞寺というお寺があったことに由来する。古寺山の多聞寺は古い創建で、その後には、平清盛が福原遷都の際、新都の守護寺と定めたことから大いに栄えたという。多聞寺は今は麓に再建され、古寺山山上にはその遺構が残るだけという。今日(平成25年2月9日)はその古寺山を目指し、清盛昔日の栄華を偲んでみたい。
神鉄六甲駅  神戸電鉄の電車に揺られ、神鉄六甲駅で下車する(10:00)。古寺山へのアプローチはこの駅が一番便利である。
 神鉄六甲駅は、六甲山系と丹生山系に間に挟まれた有馬街道沿いの小さな駅である(写真左)。
 無人駅の改札を出て踏み切りを渡り、駅から南に向かってのびる地道を進む。すぐに右手側に山王神社が現れる(10:07)。
 更に少し進むと道の左手側に新林三角点も確認できる。ちょうど火の見櫓の半鐘の下である。
神鉄六甲駅
古寺山方面を望む  このあたりはのどかな里の風景が広がる。道沿いには無人の精米機も営業している。
 次に左手側にため池が見えてきたら、すぐ車道に突き当たった。これは裏六甲ドライブウェイに続く道路である。
 この場所からは、これから目指す古寺山の山塊が左手側に望める。山は近い。(写真左)。
古寺山方面を望む
 ここで車道を渡り、車止めの置かれた脇道に入る(写真右 10:28)。
 すぐに「シュラインロードを経て西六甲に至る」と表示された、古い案内標識が確認できる(写真下)。案内標識からは、車も入れそうな林道が奥にのびている。
シュラインロード方面への分岐
シュラインロード方面への分岐
シュラインロード方を示す古い表示  標識に従い、その道の奥に踏み入ると山原第二砂防ダムのところで広い林道は終わる。しかし、古い踏み跡はまだ南に続いている。
 ところが、その道は裏六甲ドライブウェイの壁面に突き当たって消失していた。以前は、ここにシュラインロードへと続く道があったのであろうが、ドライブウェイの工事で昔の山道は消失したものと思われた。
 やむを得ずシュラインロードの案内標識があったところまで引き返す。
 この地点からは左方向に踏み跡がもう一本のびている。次にこの道に入ってみる(10:39)。薄っすらと雪の積もった路面に先人の足跡が確認できた。今日既に誰かがこの道を歩いている。
シュラインロード方面を示す古い表示
 すぐに左手側に神戸市水道局新唐櫃配水場の建物が見える。さらに少し進むと、道は裏六甲ドライブウェイに突き当たり、その側道を山に向かって南に進むことになった(写真右)。
 次に裏六甲公園で車道は分岐する。直進は六甲有料道路で、右折は裏六甲ドライブウェイである。
 ここは右折し、裏六甲ドライブウェイ方向に進む(10:50)。
裏六甲ドライブウェイ
裏六甲ドライブウェイ
 裏六甲ドライブウェイ方向に進むとすぐに裏六甲公園の入口となる。
 ここを通るといつも気になるのだが、裏六甲公園とはいかなる公園なのだろう。
 そこで、今日は裏六甲公園に寄り道をしてみることにした。
 公園に入るとテニスコートがあるが、これは荒れていて最近は使用されていないようだ。そして他には公園らしき設備は特にない(写真右)。
 ただし、更に、奥に広い道が延びている(写真下)。車止めはあるが、何処まで道が続いているのか少し探索してみることにした。
裏六甲公園
裏六甲公園
裏六甲公園の裏に続く道  広い道はすぐに山の斜面に突き当たり、行き止まりとなったが、細い山道がさらに斜面を登っている。
 どちらの方向に続いているのか気になり、それを少し登ってみたが、急傾斜に雪が積もり、危険そうだったので引き返した。
 方向からして地獄谷東尾根に道が続いているようにも思えるが、これは後日の探索としたい。
裏六甲公園の裏に続く道
 裏六甲公園をスタートして、裏六甲ドライブウェイを登って行く。このDWには歩道は無いので、車には十分注意して進みたい。
 少し進むと道路脇に標高を示す標識が立っていた。「海抜五二○米」と書いてある(11:05)。
 従前この標識には「海抜五キ○米」と書いてあった(右の写真の左上が平成19年のもの)。
 当時、「五」の次のカタカナの「キ」見たいな文字はなんて読むのか気になっていたが、それは「20」を示すものだったようだ(^_^;)
海抜五二○米(左上は従前の表示)
海抜五二○米(左上は従前の表示)
裏六甲DWから林道が分岐  そうこうするうちに、裏六甲DWアジサイの道なる表示を過ぎて、アスファルト道から林道が分岐する地点に到着した(11:10 写真左)。
 車道歩きは危ないので、ここで林道の方に進む。
 すぐに、シュラインロードの入り口が右手側に登場した(11:15)。
裏六甲DWから林道が分岐
 12:17 このシュラインロード分岐から更に少し進んだ場所で左手側(北側)に道が分岐する(写真右 11:17)。
 ここが古寺山への登り口で、その旨の表示もある。
 なお、その地点の右手側(南側)にも階段が造られていて、そこを登ればシュラインロードに進める。
古寺山への登り口
古寺山への登り口
古寺山一帯の地図(手製)  古寺山への山道に入ると、すぐに分岐点がある。
 この分岐の近くには古寺山一帯の地図(手製)が掲示してあり、丁寧な説明がある(写真左)。
 詳しい道が表示され、大変に参考となる。今日は、この地図にいう「行者道」を登っていくことにする。
古寺山一帯の地図(手製)
古寺山南峰  登山路はよく整備され、道端には間伐材で仕切りまでしている。どなたかが、精力的に古寺山登山道の世話をされているようだ。v(*'-^*)
 感謝しながら登り始めると、道はすぐ急勾配になってきた。目の前に山肌が迫るといった感じの急登で、木や岩をつかんで、これを頼りとしながらよじ登る。
 数分間、急斜面と格闘して、やっと尾根に乗った(11:28)。道は緩やかになったが、次にまた、登りとなって小さなピークに到着した(11:33 写真左)。ここが、古寺山南峰とされるところだろう。
古寺山南峰
  このピークで左に曲がり少しだけ下る。すると道は笹の茂る一帯に突入する(写真右)。
 笹に積もった雪で、衣服を濡らさないよう注意して進む。
古寺山の笹の道
古寺山の笹の道
裏参道の分岐点  数分進んで、裏参道の分岐点までやってきた(写真左 11:37)。ここから道は少し下っている。
 なお、掲示のある地図では、裏参道を下ると裏六甲ドライブウェイに下るようだが、どの辺りに下りつくのか少々気になるところだ。
 さらに5分ほど進んで、井戸谷道が右手に分岐した(11:43)。そういえば掲示のある地図では、井戸谷道はそれを下っいくと、茶園谷から分岐してきた林道を越え、更に道が続いて、ナバ谷上流から雲ケ岩、石切道に繋がっているとの表示があったが、これは全く不知の道である。
 今も歩ける道ならば、これは、また探索してみたい。
裏参道の分岐点
 11:44 小屋谷道が左手側に分岐した。小屋谷道は上級との表示がある。この分岐には、石塔への道も案内している。どんな石塔なのかきになるので、ここで少し寄り道して、石塔を探索してみたい。
 雪道を滑らないよう注意して下っていくと、すぐに小屋谷道と石塔への道が分岐した。
 石塔へは分岐を右に進む。
 少し進むと、木々に覆われた薄暗いところで、古い石塔が4基たっていた(写真右 11:49)。彫りは薄れていて、いつ頃のものかは分からない感じだ。なお、この4基の石塔の手前に少し離れてもう1基の石塔が残されていた。
井戸谷道の分岐点
井戸谷道の分岐点
多聞寺本堂跡  石塔から、古寺山への道に戻り、山頂を目指す(11:53)。
 小屋谷方面分岐を過ぎると道は雌竹(or矢竹)の竹林の中に入ることとなった。
 少し進んで、多聞寺本堂跡の表示が登場した。それに従い進んでみると、少し開けた場所に出た(写真左)。そこでは礎石のようなもと、井戸の跡が確認できたが、その昔、ここに寺院があったとは思えないほどに自然に戻っていた。
 なお、本堂跡では雪の中に先人の踏み跡を確認した。本堂跡に登ってくるまで、雪に踏み跡は付いていなかったので、当方とは異なるルートで今日この古寺山に登った方がいたことになる。
多聞寺本堂跡
 更に少し進んで護摩壇跡の表示が現れた(写真右 12:02)。多聞寺の護摩壇跡は、その表示がなければ通り過ぎてしまうような場所で、今は木が茂って自然の姿にかえっていた。
 ここで参考に、多聞寺の謂れをし引用しておく。
 多聞寺・・・福原遷都の時、六甲山北側の古寺山が丑寅(北東)の鬼門の方角に当たるので、清盛が京都の鞍馬山になぞらえて新都の守護として伽藍を建立し、寺領千町歩を与えたという。そのため大いに栄えたが、平家の没落とともに寺もまた衰えたと伝える。後花園天皇の時代に現在地(神鉄六甲駅近く)に移して再建した。「野村貴郎著 源義経鵯越の坂落し」(神鉄観光事業部刊)から引用。
護摩壇跡
護摩壇跡
古寺山頂上  護摩壇跡からはすぐに古寺山頂上に到着した(12:03 写真左)。
 山頂には大きな岩があるが、表示によると、手前の岩が「清盛の涼み岩」で、後ろの大岩が「修行岩」であろう。
 これらを合わせ、頂上には大岩が5個程鎮座していた。
古寺山頂上
 なお、古寺山頂上は樹木が茂り、そこからの眺望は望めない、しかし、近くに展望岩があると表示されている。
 そこで、早速その展望岩を目指してみた。
 山頂から約20mほど下った処に展望岩があった(写真右 12:06)。
 ここは、その名の通り、展望良しである。ここで昼食の休憩とした。
古寺山展望岩
古寺山展望岩
脇参道分岐  展望岩で10分程休憩した後、古寺山山頂をスタートすることにした(12:16)。
  山頂からは山道が北に続いているので、その道を進む。
  少し進んで道が左右に分岐した(写真左 12:23)。左は脇参道と表示され、本堂跡で確認した先人の足跡はこちらに進んでいる。
 当方は神鉄六甲駅に下りたいので、右の表参道方面に下っていく。
脇参道分岐
 古寺山表参道の下り道は、杉と松の林立する薄暗い急斜面を、時には九十九に、時にはまっすぐと続いている。
 かなり急な斜面だが、丸太材で階段がつくられて、よく整備されている。ここは快適に下っていくことができる。
  しばらくして古寺山表参道が分岐した(12:33 写真右)。右が表参道で、左が観音道と表示してある。
 ここは観音道に進む。
古寺山表参道分岐
古寺山表参道分岐
観音道の一休み  観音道に入って少し進むと、左手側に展望の開けた箇所があった。そこには「一休み」との表示もある。
  せっかくのご案内なので、ここで一休みすることにした。
  ここからは、大池方面に展望が開けていた(写真左)。
観音道の一休み
 一休みした後、二分ほど進むと右手側に高圧鉄塔が登場した。ということはこの観音道は鉄塔看視路にもなっているのだろう。
 鉄塔を過ぎるとすぐに索道が横切っていた(写真右)。工事中の場合はここは注意して通過したい。
 索道を過ぎるとまた激下りの道となった。荒れた道であれば下るのは大変だが、道はよく手入れされている。
 この急傾斜では、山道の整備も大変であろう。整備されている方々に感謝、感謝である。m(_ _)m
索道が横切る
索道が横切る
歩行者用トンネル  更に下っていくと、道が左手側から合流してきた(12:48)。合流道は、唐櫃一般道と表示された道から分岐して来た道だろう。
 なお、この合流地点には「私有地につき立入禁止」の表示があった。この表示は気になったが、おそらく松茸山の際の注意ではないだろうか。
 更に下ると堰堤の工事現場に出た(12:51)。平成25年2月28日まで、東谷流域堰堤群工事が実施されている。工事中は注意して通過したい。
歩行者用トンネル
 堰堤工事の現場から北に下ると六甲有料道路に突き当たった。この車道は車が猛スピードで通り過ぎ、横断するには危険なため、歩行者用にトンネルが掘られている(写真上 12:52)。明かりもなくジメジメして薄暗いトンネルを越えて麓の集落(ホテルの隣)に出てきた。
 ホテルの横から、さらに細い道が続いているのでこれを進んでいくと、ため池のところで少し広い道に出た(写真右)。
 ここを左折して、神鉄六甲駅方面に下り、駅到着は13:12であった。
 今日の山歩きでは、一人のハイカーにも出会わなかったが、よく整備された古寺山の山道が歩けて、Happy!!な一日だった。(*^o^*)
ため池で左折
ため池で左折
 ●このページは、従前(19/3/17)に古寺山を歩いたときの記録を、今回、概ね同様のコースをハイキングしたときの記録で整理し直し、「古寺山」(改訂版)として再掲載しました。
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