油コブシ・五助山  (お勧め度★☆☆) 表六甲【1-9】

「どこからこんな名前がついたんだろう?」と不思議に思う油コブシ、
「道が人の丈以上もある笹に覆われている・・」と言われ興味をそそる五助山。
今日(平成18年6月3日)は、この2つの山を目指してみた。

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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 油コブシ登山は、まず六甲ケーブル下駅から。六甲ケーブル下駅まではバスでも行けるが、今日は阪急六甲駅から歩いてみた。暑い一日になるとの予報だったので早く家を出て、8時に阪急の駅をスタート。駅の北側から、広い道ぞいに更に北へ進路をとる。すぐに現れる六甲登山口の交差点を北に渡り、広い車道沿いにひたすら北に進む。いつしか、道は川沿いになり、次第に六甲の山々も近づいてくる。近づいてきた山にはその中腹近くまで住宅が建っている。これも六甲名物か・・。
 アスファルト道を阪急六甲駅から30分歩いて六甲ケーブル下駅に到着(写真右 8:30)。ここから進路を東にとり、更に九十九折りになったアスファルト道を登っていくと老人ホームの施設が見えてくる。
 更に道を突き当りまで進み、駐車場の手前(九十九の立体階段の手前)を左折すると油コブシ登山道入口となる(8:40)。
六甲ケーブル下駅
六甲ケーブル下駅
歩き始めの油コブシ道  登山道入口の急階段を登って山道になり、ほっとする(写真左)。すぐ高圧電線の鉄塔が登場した後、道が分岐している。油コブシ名物「きつい道」と「ゆるい道」の分岐である。今日は、既にアスファルト道をだいぶ歩いているので、ここは「ゆるい道」を選択。次に、又、急緩の分岐が登場。緩いばかりでは情けないと思い、今度は急な道を選択したが、すぐに鉄塔があり、そこでゆるい道と合流。なーんだ!!と思っていると、道は渦ケ森団地方面に続く道(高羽道)と分岐した後、急な階段道となった。今日は暑いし相当汗もかき、早くもバテ気味である。すると後方から、どう見ても当方と同じく休日ハイカーと思われるおじさんが、軽快なスピードで追い越していった。一瞬、エッエッー!!と驚嘆したが、箱根駅伝でも抜かれた後少しはついていくではないかと思い直し、後を追う。しかし、これは無謀であった。すぐ、息が上がってきて、追走は中止した。
歩き始めの油コブシ道
 追走を中止したとき、やや前方に、中年のご夫婦ハイカーを発見した。そちらは、当方よりも明らかにスピードは遅そうである。ここは一つ!!と思い立ってスピードを上げかけたが、ここで、ふと、「山歩きは決してスピードではない。」ことを思い出した。せっかく山に来て自然の中にいるのに、自然を楽しまないなんて・・と思っていると、開けたテラス状の場所に出てきた。油コブシ展望台に到着である(写真右 9:20)。ここからは神戸の町並みと海が展望できる。
 展望台でしばし景色を楽しんだ後、また、登り始める。いきなり道が2つに分岐している。ここは右に進むと、すぐに油コブシの頂上に到着した(9:25)。ここには、大きな岩が鎮座しており、三角点が設置されている。しかし、油コブシのピークは木立に囲まれて、眺望は無い。
油コブシ展望台
油コブシ展望台
油コブシ頂上 油コブシ山名表示
油コブシ頂上 油コブシ山名表示
油コブシ三角点  眺望の利かない油コブシのピークから少し北に進むと、左から道が合流している。この場所から、合流してきた道を少し下ると油コブシの巨岩の見晴らし台がある(写真左下)。ここからは西方に長峰山や摩耶山を望むことができる(写真下)。長峰山の山すそには表六甲ドライブウェ−がへばりつき、窮屈そうな谷あいを六甲の山上を目指し、車が登って行くのが遠く望める。
 今日は、もやが少々かかっており、クリアーな景色ではなかったが、空気が澄んでいれば最高の眺めとなるだろう。
油コブシ三角点
油コブシの巨岩の見晴らし台 巨岩の見晴らし台からの景色
油コブシの巨岩の見晴らし台 巨岩の見晴らし台からの景色
 油コブシの巨岩で山々の景色を楽しんだ後、六甲ケーブル山上駅を目指して出発した(9:40)。
 道はすぐ左右に分岐となる。ここでは、もう迷うことなく右の緩やかそーな道に歩を進める。
 すると、また、すぐに寒天山道との分岐となった(写真右 9:45)。この寒天山道との分岐を過ぎると、道は概ね平坦路となったので、ややスピードを上げ快適に山道を闊歩する。すると、なにやら「シャー、シャー」という無機質な機械音が前方から聞こえてきた。見上げると木々の間から前方の山上に六甲ケーブル山上駅が見えているではないか(9:50)。
 山上も近いことが分かり、疲れた足に少し元気が戻ってきたような気がした。
寒天山道との分岐
寒天山道との分岐
天覧台から望む油コブシ  山上直下の階段道を進み、山の家が並ぶ間を縫うようにして登りきると、六甲ケーブル山上駅に到着である(10:00)。
 山上駅の東側は、天覧台といわれ、大阪・神戸の夜景を一望出来るビューポイントとしても知られている。天覧台の謂れは、昭和56年5月25日に、昭和天皇がここから神戸1000万ドルの夜景をご覧になられたことを記念して名付けられたとのこと。
 展覧台から、眼下に、今登ってきた油コブシや神戸の街並みドなどをしばし望みながら休憩とする(写真左)。
 しかし、今日は日差しがきつい。展覧台で長居すると紫外線を浴びまくることになる。よって、ここらで次の目的地「五助山」を目指して出発することにする(10:15)。
天覧台から望む油コブシ
 天覧台から車道を東に進み、サンライズドライブウェイを渡って、山の家や別荘が立ち並ぶ山域を、高度を上げながら北進する。10数分進むと、神戸GCの駐車場に突き当たる。ここからは全山縦走路に沿って、ゴルフ場内を東に進む。
 このあたりは、道が金網ですっぽりと覆われ、ハイカーがゴルフボールの直撃被害に会わないようになっている。しかし、1匹の黒アゲハ蝶が金網のトンネルに迷い込み、抜け出せない様子で、生命存亡の危機に直撃されていた。(何とかうまく、抜け出せますように・・。)
 また、この辺りでは、まだまだ山ツツジが満開であり、道の傍らが赤ピンクで染められていた(写真右)。
ゴルフ場の中を通る全山縦走路
ゴルフ場の中を通る全山縦走路
みよし観音  ゴルフ場を抜け、更に、縦走路を東に進むと、右側にみよし観音像が見えてきた(写真左)。みよし観音建立の謂れは次のとおり説明されている。
 昭和39年の雪の降る朝、大阪から徳島に向かっていた飛行機が遭難した。搭乗していたスチュワーデスの麻畠美代子さんは、冷静に7人の乗客を救出した後、最後の1人を救出しようとして、航空機の爆発に遭い、猛炎と共に帰らぬ人となった。21歳であったという。心やさしかった彼女の悲壮な捨身行は、観音様の化身であろうと受け止めた人々によって、その後、このみよし(美代子)観音が建立された。
 この場所を通る度に心が洗われる気がする。
みよし観音
 みよし観音を過ぎ、六甲ガーデンテラスを通過すると、旧天文通信館の南側に五助山への下り道を示す標識が確認できる。この標識には「右への道は熟練者向きのコースです。迷いやすく危険です。」と記載されており、山道も笹に覆いつくされて、まるで獣道の様相である。「危険」との案内は、そのまま当たっているような気がするが、どんな道なのか確認したいという気持ちもずっと持っていた。今日は、確認を実行してみようと思う。
 笹を掻き分けるようにして山道に踏み込んだ(10:55)。道は急な下りではあるが、踏み跡はしっかりついていて、外見と異なり思った以上にしっかりした道である。道の両側には山ツツジが咲き乱れており、花のトンネルを下る感じだ。(写真右)。
五助山へ下り道
五助山へ下り道
五助山への悪路の下り  5分ほど笹を掻き分けながら下っていくと、大きな岩が集合した箇所に出た。ここがハイキング地図などに記載されている(東の)天狗岩と思われる。この場所は笹と樹木に囲まれた薄暗いところで眺望は全くない。
 大岩を右から巻くようにして更に下ると、道は次第に悪条件になってきた。岩場の段差のある下りやら(写真左)、木に掴まらなければ滑り落ちてしまいそうな急勾配やら、更には、足場の悪い痩せ尾根やらが次々に登場し、危険極まりない。この道を下るのは考え物である。とてもお薦めできるものではない。
五助山への悪路の下り
 急な悪路を下り終えると、次に登り道となる。そして1つのピークを越えるとまた下りとなる。五助山への道は、このようにいくつかのピークを越えながら続いている。写真下はそのピークの一つである772ピークと思われる場所である。なにやら石版が埋め込まれている。また、写真右は、772ピーク手前から五助谷方面を望んだものである。五助山への道から、周りの景色が望められる箇所はあまりない。
 五助山への道は、時には自分の背丈より長く延びた笹の中を、踏み跡のみを頼りに進むこともある。周りは木々が鬱蒼と茂り、薄暗い。道を間違っていないか不安に襲われる気もする。しかし、道の傍らには、赤い境界杭が狭い間隔で、かつ、わかりやすい位置に立てられている(写真右下)。これと、しっかりした踏み跡をたどっていけば、まずまちがいない。
772ピーク手前から五助谷方面を望む
772ピーク手前から五助谷方面を望む
772ピーク ・・ 笹に覆われた尾根道
772ピーク ・・ 笹に覆われた尾根道
五助山  772ピークと思われる箇所を通過して、更に進むこと15分で尾根の突端のような所にきた(11:25)。ここでは、尾根を直進する道と、左に下る道が分岐している。踏み跡は、明らかに左に下る道のほうがしっかりしている。よって、ここは左に下る道を進むことにする。
 六甲の山上からは、もうだいぶ進んできたような気がする。五助山の頂上はまだなのか・・・、もう通り越したのだろうか・・・、などと不安を覚えながら進んでいると、何やら、前方からガサガサと物音が聞こえてきた。
 「こんな笹だらけの山にも、イノシシがいるのか。」と身構えると・・・・・・!!
五助山
 前からやってきたのは1人のおじさんハイカーだった。こんな深い笹に覆われた薄暗い山中でハイカーに会うとは少し驚きである。先方の方も全く同様の様子である。
 どこにでも同好の者はいるものだと思いながら、お互いに挨拶を交わし、そして、五助山はまだなのかと、その方に尋ねてみた。五助山を越えてきたというその方は、「山頂は、あと5分程度進んだところ」だと教えてくれた。五助山はどこなのか、不安を覚え始めていた当方には感謝感激である。(ありがとうございました。)
 言われたとおり5分程度進むと、鬱蒼としていた周囲が急に明るくなり、五助山の頂上に到達することができた(11:50 写真上)。
五助山三角点
五助山三角点
五助山頂上からの景色  五助山山頂には四等三角点(点名 五介山 標高 636.57m)があった(写真上)。
 また、頂上は一部東方に視界が開けており、ここからは西おたふく山の稜線や、東おたふく山の様子がくっきりと望める。ここまで、ほとんど周りの景色など望むことはできなかっただけに、五助山山頂からの眺めは格別に思える。はるか前方の山肌で、一部樹木がなく薄い緑色に覆われている箇所は、東おたふく山の草原だろうか??。
 五助山頂上で10分ほど休憩した後、下山を開始した(12:00)。ひたすら下りである。中には、土の道に落ち葉が厚く積もり、滑りやすくなった箇所もあるので要注意である。
五助山頂上からの景色
 山頂から8分ほど下って分岐点に出た。尾根道を直進する道と、左折して谷に下っていく道がある。木の幹に、五助ダムは直進と書かれているので、ここはその記載を信じて尾根を直進して進むことにした。しかし、その選択は間違いであることにしばらく進んで気が付いた。踏み跡はしっかりしており、昔からの道であることは間違いないが、道脇の草木が生い茂り、中にはトケのある木もあって、進むスピードががくんと落ちることになった。それに、蜘蛛の巣が張りまくりである。従来は通行のあった道かもしれないが、大震災により、今は、廃道とされている道なのであろう。慎重に進み、なんとか麓近くまで降りてきたが、そこで、更に大きな試練が待っていた。
 半ば崩れ落ちて、須磨アルプスの馬の背も真っ青という感じの尾根道の登場である(写真右)。ここは、何とか這うようにしてクリアーした。
痩せ尾根道
痩せ尾根道
住吉道との合流  馬の背似の痩せ尾根道をクリアーして、降りてきた場所には「土砂崩壊防備保安林」の看板があった。この看板の、向かって右端辺りの場所に出てきたのである。五助山へ登るには従来この看板の右を入って言ったのであろうが、今はそこに繁みが広がり、入口も分かりにくい感じだ。
 さて、この看板の箇所から、南に少し進むと住吉道に合流である。住吉道は多くのハイカーが行き来している。しかし、住吉道に出る前に水量の増えた沢が横たわっていた。飛び石があるが水位はそれを超えている。濡れたくはないので、沢の周りの石をかき集め、何とか飛び石を補強して沢を渡りきった。しかし、補強した石は、その後、激しい流れに押し流され、またすぐ渡河は不可能な状態に戻っていった。やれやれ!!
住吉道との合流
板橋の散策道  住吉道手前にやってきたのは12:45頃であったが、合流できたのは13:00頃であった。15分近く、沢の急流と悪戦苦闘していたことになる。

 蜘蛛の巣と繁みに覆われた山道、馬の背似の痩せ尾根そして水位の増した沢と、苦戦続きであったが、住吉道は、感じのいい板橋の散策道で始まり(写真左)、苦労も報われた気がした。
板橋の散策道   
 板橋の散策道を抜けると、すぐに、ものすごい水音を立てている五助ダムに至った。五助ダムの水量は通常より多いようで、流れ落ちる水は圧巻である。
 五助ダムの水音を聞きながら下っていくと、次に、石切道、打越山方面への分岐点に到着(13:10)。更に10分進んでアスファルト道に合流。住吉川沿いに下って行き、13:40に白鶴美術館、13:55に阪急御影駅に到着であった。
 今日は五助山を北から下ってきたが、この山へ五助ダムから登っていくには、今日の痩せ尾根コース以外にルートはないのか、是非次の機会に探ってみたい。 
五助ダム
五助ダム
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