金鳥山・七兵衛山・打越山 (お勧め度★★☆) 東六甲【4-23】

芦屋川駅(阪急電車9:50)==会下山遺跡(10:19)==蛙岩(10:47)==深江山の神(11:12)==金鳥山(11:36)==八幡谷東尾根
==八幡池(12:00)==七兵衛山(12:50)==打越峠==打越山(13:16)==住吉道合流(14:02)==エクセル東バス停(14:17)
(約4時間30分 平成27年5月10日)  
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 東灘区岡本界隈の住宅地の裏山に、金鳥山、七兵衛山、打越山の三山がある。水平道でつながれたこれらの山々は地元の方々の身近なウォーキングコースでもあり、気軽に散策できる。今日(平成27年5月10日)は、金鳥山、七兵衛山、打越山の三山にこのエリアの八幡池及びハブ池の探索を加えて、のんびりハイキングを挙行したい。
三条町の急坂を登る  このコースのスタートは阪急岡本駅とするのが一般的だが、今日は一駅東の芦屋川駅から出発し、会下山尾根を経て金鳥山、七兵衛山、打越山を目指したい。

 芦屋川駅を9時50分に出発する。駅北側の小さな公園は、今日も出発準備中のハイカーで超満員である。人ごみの中をすり抜けて、北に進む。
 洒落た住宅の立ち並ぶ芦屋の町並みを眺めながら、西山町、山芦屋町と徘徊し、駅から北西方向に進んでいく。
 坂道が急になってきたところで三条町の表示が登場。
三条町の急坂を登る
会下山尾根入口  会下山尾根の取付きは三条町の芦屋市聖苑の入口横であるから、道は間違ってないようだ。
 やがて、道脇の電柱に「会下山遺跡ハイキング道」の表示が現れた(写真左上 10:09)。そしてすぐに「会下山遺跡」の標柱があり、ここからハイキング道に入ることになる(写真左)。
 入口ではイノシシ避けの扉が設置されている。ハイカーはこの扉の施錠に留意しなければならない。
 また、この入口横には、国史跡会下山遺跡の案内地図が掲示されている。これで、会下山遺跡が弥生時代の高地性集落跡であるといった予備知識を得て、ハイキング道に入っていく(10:12)。
会下山尾根入口
 ハイキング道に入ると、つづらの登りでどんどん高度が上がる。それを6分ほど登ると尾根に乗り、その先が開けた場所となっていた。そこが、会下山遺跡であった(10:19)。

 国史跡会下山遺跡 2,000年前の弥生時代の高地性集落跡です。遺跡は会下山全域に広がっており、竪穴住居跡や祭祀場跡、焼土坑(火焚き場跡)、墓地、堀跡などが発掘されています。標高約200mの山頂付近にあるS地区は眺望が大変よく、遠くの地域まで見渡すことができます。

 住居跡からは,磨製石鏃や鉄鏃・鉄斧などが出土し,高地性集落として注目されるものらしいので、しばし、遺跡内を散策してみる。
会下山遺跡住居跡
会下山遺跡住居跡
復元高床倉庫  C住居跡、E住居跡とたどり、次に、東側に少し下った場所にある高床倉庫(昭和63年復元)を確認した(写真左)。
 高床倉庫は、4本柱で支え、柱と床の境には工夫されたねずみ返しの平板が取り付けられていたらしい。ここは、集落の共同の倉であったようで、当時の英知を結集して造られていたのだろう。古代人の暮らしが、なんとなく想像される感じがした。
 次に、S地区祭祀場跡まで登って行く(写真下)。
 ここはムラの最高所(約200m)で、東南方向への展望が開けていた。祭祀場は、マツリ場であるとともに看視場の役目も担っていたように感じられた。
復元高床倉庫
会下山遺跡からの景色 会下山遺跡祭祀場跡
会下山遺跡からの景色 会下山遺跡祭祀場跡
 平地に住まず、こんな山の中に住居を構えたのには、弥生人にも色々事情があったのだろー・・などと、考えをめぐらせながら祭祀場跡を出発した。少し登ると「遺跡北限の堀跡」の表示。会下山遺跡はここまでだが、さらに尾根道を登って行く。
 尾根道からは、右手(東北)側に鷹尾山から荒地山の連なりが樹木越しに見えている(写真右)。
 この辺りで、尾根道を下ってきた人とすれ違う。
 更に尾根道を登り続け、平坦となったところには2級基準点(六甲砂防工事事務所)の設置があり、芦屋消防本部の火の用心「A−4」表示もあった(10:43)。
東側に荒地山を遠望
東側に荒地山を遠望
魚屋道に合流(蛙岩)  基準点からは会下山尾根は平坦な道となり、やがて魚屋道に合流した。
 魚屋道への合流地点には蛙石がある(写真左)。大きな石の蛙が東側を向いて山道を遮っている。なかなかの存在感だ。
 それに関心して、石の周りをぐるぐる回りながら見回していると、魚屋道から登ってきたハイカーに「変なやつ」という感じで、横目で見られてしまった。
 (^ ^;)。
 蛙石の観察は急遽切り上げ、こんどは魚屋道を登って行く。
魚屋道に合流(蛙岩)
 魚屋道の尾根筋を進んで行くと、茶色の標柱の所で枝道が右(東側)に分岐していた。標柱には黒マジックで「→東高座谷25分」と書き足されていたが、文字が薄くて読み取れない状態となっている。ここで分岐する道は関電の巡視路のようだ。
 さらに魚屋道を進んでいくと、魚屋道の尾根道の分岐に至る(10:54 写真右)。ここには六甲山系グリーンベルト整備事業の看板が設置され、間伐がなされている。グリーンベルト整備事業で間伐のされたこのエリアは「つながりの森」と命名されているようだ。
 ここの分岐は風吹岩方面(魚屋道)に進む。
魚屋道の尾根道分岐
魚屋道の尾根道分岐
風吹岩方面に進む(魚屋道)  魚屋道はポピュラーな道だが、案内表示も多い(写真左 10:57)。ハイカーも多くなり、もう5組8人のハイカーとすれ違った。会下山尾根では1人だけだったので対照的だ。
 やがて、薬大尾根の分岐に至る(11:04)。ここには「薬大を経て本山北町 岡本駅」の表示がある。
 さらに魚屋道を進む。
 やがて金鳥山、保久良神社方面の分岐点(119番通報プレート ひ3−6)に至る(11:08)。ここまで来て、深江山の神に立ち寄るのを失念していたことに気が付く。少し引き返して、深江山の神にお参りして行くことにしたい。
風吹岩方面に進む(魚屋道)
 魚屋道を少し戻ると道脇にベンチが設置してある場所がある。ここから山の神への道が分岐している。薄い踏み跡に従い、山の神に向かう。すぐ、深江山の神に到着した(写真右 11:12)。
 しかし、そこには「深江山之神社跡」看板がたっており、農業の神として安政5年の古きよりお祭りされてきた山の神が、社会環境の変化により平成16年に麓の深江大日霊女(おおひるめ)神社に移されたことが説明されていた。
 お参りしようにも、もうここには神様は存在しないのであったが、ここが神聖なる場所であることに代わりはないと思い、石碑に手を合わせて今日の山歩きの無事を祈願した。なお、深江大日霊女神社は、魚屋道の起点にある神社である。
深江山の神社跡
深江山の神社跡
三等三角点本庄山  一応、山の神にもお参りできたので、次に金鳥山を目指す。
 先ほどの金鳥山、保久良神社方面の分岐点迄戻り、ここを金鳥山方面に進む(11:16)。
 すぐに本庄山三角点のピーク脇に至る。本庄山三角点にも立ち寄ってみたい。
 薄い踏み跡を辿って笹道を登って行くとすぐに三角点が見えてくる(写真左 11:20)。三等三角点本庄山は、笹の侵略に飲み込まれそうになっていた。このピークからの展望はなく、ここは三角点マニアしか登ってこないところである。
三等三角点本庄山
 本庄山三角点から保久良神社方面に下っていく。すぐに道が分岐するが、ここはどちらを進んでも水平道分岐地点で合流となる。
 その水平道分岐地点には11時32分に到着(写真右)。水平道分岐には「八幡谷 十文字山 住吉川約4km 森林管理歩道」の案内柱がある。
 水平道分岐からもう少し保久良神社方面に下っていくと、右手側に金鳥山のピークと思われるベンチの設置してある広場がある。今日はそこから八幡谷東尾根を下って八幡池を目指してみたい。
水平道分岐
水平道分岐
金鳥山・八幡谷東尾根取付き  保久良神社方面への道から分岐して金鳥山のピーク(ベンチの設置してある広場)までやってきた(写真左 11:36)。
 ここはベンチがあるものの展望はなく、見所も無い。「金鳥山はどこかいな・・・?」といって、徘徊するピークハンターしか立ち寄らないと思われる場所である。
 ここから八幡谷東尾根に入るが、その取付き道は写真左のベンチの前方に見える踏み跡である。今日はその踏み跡を下っていくことにする。
金鳥山・八幡谷東尾根取付き
 八幡谷東尾根は笹や細い竹の繁茂する道で始まる。ときに、細い竹は人の背丈を越えるが、歩行に困難をきたすことは無い。また、道はしっかりとついており迷うこともなさそうだ。ただし、夏場の草の繁茂期は、どうなっているかわからないが・・・。
 八幡谷東尾根を下り始めてすぐに、茂る笹の中で「→金鳥山」と記された手製の小さな案内表示を確認した。
 更に下っていくと南側がぱっと明るくなり展望が開けた。木々が伐採され新たに植林がされている(11:44 写真右)。ここからは、南側に町並みと海が望める。
 その植林地帯の淵に沿うようにして下っていくと、藪山の中の急な下りとなるが、ルートはしっかりとついている。
八幡谷東尾根の植林地帯
八幡谷東尾根の植林地帯
八幡谷東尾根から八幡池への分岐  八幡谷東尾根の急な下りを慎重に下っていくと、途中、右手側(北側)に道が分岐している地点となる(写真左 11:47)。赤い紐の表示もあるので注意していれば見落とすことは無い。
 この分岐道は関電の鉄塔看視路のようで、途中鉄塔を経て八幡池まで続いている。八幡池を目指して、その関電看視路に歩を進める。
八幡谷東尾根から八幡池への分岐
 この道は、鉄塔に向かうために山の急斜面をトラバースするように強引につけられた道で、道幅が頗るせまい。
 15cmから20cmほどの細い道が斜面にへばりついている。おまけに一帯は木々が茂り日中でも薄暗い。滑落しないように慎重に進んで行く。
八幡池付近の鉄塔
八幡池付近の鉄塔
鉄塔からの景色  急斜面をトラバースする道を5分ほど進むと、左手側から光が差し込んできた。そこは高圧鉄塔の立つ場所で、樹木が伐採され、展望の開けた場所となっていた(写真上・左 11:52)。
 眼下に岡本の町並みが広がっている。ここで、しばしの休憩を入れる。
鉄塔からの景色
 鉄塔の展望所からトラバース道に戻り、次に八幡池を目指すことにする。
 危なっかしいトラバース道を更に進んで行くと道は左折して、こんどは急な下り道となった。おまけにこの下りは大小の小石が重なるガレた歩きにくい道である。ここは更に慎重を期して下っていく。
 そして、下りきったところの右手側が八幡池であった(写真右 12:00)。
 八幡池は緑の中に埋もれてしまうような小さな池である。そして、池の湖面はハスの葉により一面緑で覆われていた。蓮は夏場に咲くので、まだ時期が早く花は一つもない。(午前中で萎んだのかも?!)
八幡池
八幡池
八幡池近くの展望所  八幡池からハブ谷道の方に進む。すぐにハブ谷の尾根道(森林管理道・尾根道)に合流。その尾根道を南に下っていくと展望所がある。その展望所に立ち寄ってみた。展望所からは南側に景色が広がるので、ここでまたまた小休止を入れる。
 丸太材のベンチに座り、周囲を観察する。
 展望所の下には進入禁止の小さな表示があり、ここから先は下っていけないようだ。
 休憩を終え、展望所からハブ谷の尾根道に戻って、次にハブ谷道に下り着く(12:10)。
 ハブ谷道との合流地点には案内標柱があり、この一帯の道は八幡谷森林管理道である旨表示していた。また、その案内標柱には黒いマジックで先ほどの池が八幡池(ハブ池)と薄く書いてあった。
八幡池近くの展望所
 今日の山歩きは、八幡池とハブ池の確認も目的の一つとしている。
 色々と地図を見比べると、先程の池は多くの地図で「八幡池」と表記されている。一方、「ハブ池」は七兵衛山の東北側の麓に表記されている(山と高原地図1999年及び2007年/六甲全縦地図平成6年/ヤマケイ関西Vol.1綴込地図2001年)。ただし、新しい地図では「ハブ池」の表記は無い(山と高原地図2012年/六甲全縦地図平成15年)。
 このことから、ハブ池は古くは七兵衛山の東側に存在したが、その後水が枯れ、消滅したと考えるのが合理的だが、どうだろう。
 ハブ谷を遡行して実地確認に向かいたい。
ハブ谷を登る
ハブ谷を登る
七兵衛山パノラマ道分岐  ハブ谷道は谷の斜面にへばりつく道で、どんどん登っている(写真上)。
 途中、八幡滝第四堰堤(昭和59年11月完成)を大きく迂回する(12:21)。
 杉が多く薄暗いハブ谷道を登り、やがて水平道に合流(12:23)。そこからは西に進む。
 少し水平道を進んで分岐点に至る(12:27)。ここで一人のハイカーが休憩されていた。この分岐で水平道を離れ、七兵衛峠方面に登って行く。七兵衛峠への道は登りが続き少しハードだ。
 やがて、木洩れ日広場に到着(12:32)。この先で道が分岐。右は横池(雌池)、左は七兵衛山パノラマ道。この辺りにハブ池があったと思われるので探索を始める。
七兵衛山パノラマ道分岐
 七兵衛山パノラマ道分岐(写真上)の前方及びその西側辺りが地図にハブ池と表記された地点と思われるが、今は木が育ち池の形跡さえ確認できない。
 特に窪地でもなく、池があったとすれば、そこに激しい土砂の堆積が起こって池が消滅したのだろう。
 ハブ池の存在は判然としないが、探索はこれで切り上げ、次に七兵衛山を目指したい。
 七兵衛山パノラマ道を登って行くと、すぐに「七兵衛山山頂迄八分」の表示が登場(12:43)。ここから七兵衛山の山頂を目指す。
七兵衛山山頂
七兵衛山山頂
七兵衛山展望所  七兵衛山への登りは、二箇所ロープの張られた場所があったが、それに頼らなければならないほど急登ではない。
 分岐から概ね表示どおり7分で兵衛山の山頂に到達した(写真上 12:50)。
 山頂には丸太で工作された展望所が3ケ所あるが、いずれも先客がおられ大賑わいであった。
七兵衛山展望所
 七兵衛山からの展望は中々のもので、眼前に広がる町並みの景色は素晴らしい(写真右)。
 (^。^;)。
 これは、客人が多いのも頷ける。
 しばし、七兵衛山からの展望を楽しんだ後、山頂を後にすることとした。
 登ってきた道とは別の道で、七兵衛山パノラマ道方面に下っていく。
七兵衛山からの展望
七兵衛山からの展望
七兵衛峠  七兵衛山の山道を下っていくと、ハイキングコース案内図が描かれた大きな看板の立つ峠に下り着いた(写真左 13:02)。そこが、七兵衛峠だった。
 ところで、この看板のハイキングコース案内図は古そうであるが、ハブ池も、八幡池の表示も無い。横池(雄池、雌池)の表記はあるが、概要図なので細かい池の記載は省略したのだろう。
 七兵衛峠からは、東に進むと甲南パノラマコースが横池方面に至り、西に進むと打越峠となる。
 今日は、打越峠から打越山を目指す。
七兵衛峠
 七兵衛峠から西に進むとすぐに打越峠に到着(13:07)。この峠は八幡谷から住吉谷へ抜けるルートにあり、いつも休憩する者が多いが、今日は誰もいない。
 打越峠から更に西に進み打越山を目指す。
 打越峠から打越山はすぐのような気がするが、意外と距離があり、緩やかな登り道を9分進んで打越山に到着した(写真右 13:16)。
 打越山の山頂は広場になっていてベンチもあるが、眺望はまったくない。よって、人の気配も無く、ハエやら蜂やらがぶんぶん飛び回っているだけであった。
打越山山頂
打越山山頂
打越山  打越山からは、住吉谷に向かって山道を下っていく。
 打越山から10分弱下って分岐が登場(13:29)。ここは十文字山方面への分岐であるが、今日は住吉谷方向に進んでいく。
 次に、六甲山系グリーンベルト整備事業の看板が登場し、間伐されて明るいエリアに到着(13:33)。ここは「六甲ジョウビタキの会」が世話をするジョウビタキの森である。
 ジョウビタキの森から更に下っていくと、道脇に丸太の簡易ベンチが登場した(13:38 写真下)。
打越山
 この簡易ベンチの場所は、当方のお気に入りの展望ポイントである。前方に住吉谷を挟んで六甲の雄大な連なりが一望できるのである。
 東側は東おたふく山、西お多福山から対面に六甲ガーデンテラスと、六甲の稜線が広がっている。この景色は見飽きることがない。送電線が景色の中を横切るのはいただけないが、これは仕方ない。
 しばらく、ベンチに腰を下ろし、水分補給しながら休憩を入れる。
 なお、展望所のすぐ前から住吉谷に向かい急な道が下っているが、これは景色を横切る送電線、鉄塔の看視のための関電道のようだ。
打越山展望所
打越山展望所
打越山展望所からの景色  六甲の展望を楽しんだ後、住吉谷に向かい下っていく。
 下り道は杉の植林地帯が多く、風情は乏しい。しかし、下から打越山方面に向かい登ってくるハイカー4組とすれ違った。もう午後二時前だが、地元、住吉台辺りの方にとっては、このコースはお気軽な散策路なのであろう。
 13:58 住吉川に下りつく。ここは少々壊れかけた板橋がかかっている。
 板橋を渡り少し登ったところに水場がある(14:01)。岩に「竜神水」と記載してあり、清らかな水が流れ出ている。しかし、ここは住宅地も近いので飲料には適さない感じだ。
打越山展望所からの景色
 竜神水を過ぎるとすぐに住吉道と合流した(写真右 14:02)。ここは五助ダム手前の大きな案内看板のあるところだ。住吉道を下ってきた方々であろうか、3名の方がここで休憩されていた。
 ここからは、住吉台くるくるバスの「エクセル東」バス停を目指して進む。バス停には14時17分に到着。少し待つと14時30分発のバスがやってきて、それに乗り込み本日のハイクを無事終えたのであった。
 ハブ池の探索をもう少し入念に行うべきだったかも・・・・・?との反省が残ったが、それは又次回の課題においておこう。
 (^。^;)。
五助ダム手前で住吉道と合流
五助ダム手前で住吉道と合流
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