旗振山・鉄拐山・高倉山(お勧め度★★☆) 西六甲【3-1】

六甲全山縦走路の西起点である塩屋から旗振山、鉄拐山、
高倉山、須磨アルプスなどの西六甲の山々を歩いたときの記録です。

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 六甲山全山縦走大会は六甲山の魅力が満喫できるイベントとして毎年多くの参加者を得ている。この大会のスタート地点は須磨浦公園である。しかし全縦が、六甲の西から東までの縦走を意味するのであれば、西の起点は塩屋となる。何となれば、六甲連山の西の山裾は塩屋まで伸びているからである。
 ということで、今日(平成23年5月6日)は、その塩屋から縦走路を辿り、西六甲を散策してみたい。山陽電車の塩屋駅に9:40に降り立つ。
 塩屋駅からの登山ルートは2つあるようだが、今日は六甲全山縦走マップ(神戸市発行)の縦走路を示す赤線(細線)に従う。
塩屋谷川の鯉のぼり
塩屋谷川の鯉のぼり
六甲全山縦走路の表示  塩屋駅を北に出て細い商店街の中に入っていく。道なりに進みminiコープが見えてくると塩屋谷川沿いの道になる。この川には、大小の鯉のぼりが元気よく泳いでいた(写真上)。これは何か地域のイベントだろうか。
 散髪屋の角を右に入ると、信用金庫が左手側に登場する。さらに、道なりに進み、歯科医の角で右に折れる。ここには神戸少年の町の案内があるので、その方向に進む。ここから急坂となる。急坂を上ると左手側に団地(塩屋住宅)が登場する。この辺りで、前方に、これから目指す旗振山の電波塔が顔を覗かせる。
六甲全山縦走路の表示
 次に道が左右に分岐する。ここでは六甲全山縦走路と書かれた古い表示に従い左側の道を登っていく(写真上 9:50)。
 また、この辺りには「源平古道をなくすな!!六甲縦走路西起点」の看板もある。六甲縦走路が本来、塩谷から始まるものであることが、これらの表示からも確認できる。
 次に、山王神社の鳥居が左手側に登場すると、「源平合戦戦歿者供養塔案内図(源平塚)」の表示が目に入った。併せて記載されている地図によると、この源平塚はすぐ近くのようだ。せっかくなので、源平塚に寄り道して行こう。
亀光大明神
亀光大明神
源平合戦供養塔  地図に従い坂道を登り、少年の町のグランドを横切って進むと指差しマークがあり、その先に「亀光大明神」があった(写真上)。
 案内地図には「亀光神社」とされていたが、鳥居などの神社施設は無く小さな祠が祀られているだけだった。海に近い塩屋なので、亀を神として祀ったのであろう。
 源平合戦供養塔は、その亀光大明神から一段下ったところに立っていた。大きな石塔が1つ、小さな石塔が7つ、そして、その左後方にも数個の石塔が並んでいた(写真左)。
源平合戦供養塔
 供養塔の説明によると、「寿永3年(1184年)2月7日、世に言う一ノ谷の合戦に於いて、一ノ谷城の西の城門に位置するこの塩屋の地は城の内外の激しい戦いの中心になって、多くの戦没者がでました。それらの人達をこの地の人々はここに葬り、またその後供養塔を建立いたしました。」とある。この一帯には源平の頃の史蹟が多々残るのである。
 供養塔から元の道に戻り、先を急ぐ(10:04)。
 左手側に墓苑が登場し、それを過ぎると、すぐに山道に突入する(写真右 10:10)。
 ここにも「六甲全山縦走路」の表示が立っている。
山道に入る
山道に入る
塩屋駅からの道と合流  ここからは石の階段道が登っている。この道は自然林の中の古くからの道の趣で、落ち着いた感じが漂う。
 山道に入って10分程で、塩屋駅からショートカットで登ってくる道と合流した(写真左 10:20)。
 ここに立っている案内柱によると、この合流地点から塩屋駅までの距離は、今当方が登ってきた道では2km、ショートカット道では1.3kmと表示されている。
 全山縦走路の方が700m程遠回りとなっている。なお、この合流地点から旗振山ままでは0.9kmである。
塩屋駅からの道と合流
 次に旗振山を目指して進む。道は幅広の、よく歩かれた尾根道となる。塩屋から旗振山へは毎日登山の方も多いと聞くので、それで道もよく整備されているのだろう。そんなことを考えながら登っていると、地元の方らしい数名のハイカーが、次々と上方から下ってこられた。
 やはり旗振山は地元の多くの方々に親しまれているのだ。
 更に少し進んで、尾根から南北に眺望が開ける場所があった。北側にジェームス山方面の住宅街が、南側には須磨浦の海が綺麗に望めた(10:26)。そこから約4分で須磨浦山上遊園に到着である(写真右 10:30)。
須磨浦山上遊園に到着
須磨浦山上遊園に到着
須磨浦山上遊園から望む明石海峡 須磨浦山上遊園からの景色
須磨浦山上遊園から望む明石海峡 須磨浦山上遊園からの景色
山上遊園から望む鉢伏山  特に入場門も料金所も無く、園内に入ってしまい、よかったのかと少々戸惑いながらも、しばし園内を散策してみることにした(山上遊園は入園料はないらしい。)。
 今日はGWとはいえ、木曜日で学校は休みではない。よって、園内に子供達の声は聞こえない。咲き始めたサツキを楽しみにこられたのであろう中高年の行楽客がパラパラと散見されるのみで、遊園地内は寂しい感じだ。
 天気のいい日であれば、ここから明石海峡大橋も綺麗に望めるが、今日は黄砂のせいか、景色がかすみ、遠景の見通しが全く利かないのは残念至極だ(写真上)。
山上遊園から望む鉢伏山
 山上遊園を15分ほど散策し、次の旗振山を目指す。なお、旗振山の南に鉢伏山があり、神戸市主催の全山縦走ではこの鉢伏山越えがスタートとなるが、塩屋からの縦走では鉢伏山は通過しない。
 ところで、右手側に見える鉢伏山からは須磨浦山上遊園の観光リフトが旗振山までつながっている。
 この観光リフトの鉢伏山側の駅は摂津(せっつ)といい、旗振山側の駅は播磨(はりま)という。これは旧国名(「摂津:須磨区」と「播磨:垂水」)から採られたそうで、リフトの下が国境で境川というらしい。リフトは両国を結ぶ架け橋となっている。
旗振山に到着
旗振山に到着
旗振山は旧国境  その旗振山には10:46に到着した。
 ここから望む須磨浦の景色もなかなかで、その景色をベンチに座ったおじさんが飽きることなくずっと眺めておられた(写真上)。
 旗振山には三角点(点名:鉢伏山)があるが、地面に埋もれている。なんでこんなところに穴があいているのかと疑問に思う場所に、三角点が設置されているのである(写真左)。
 また、ここには摂津国と播磨国の国境表示もある。その隣には、「蝸牛角ふりわけよ須磨明石」という、国境にふさわしい芭蕉の句が紹介されていた。
旗振山は旧国境
 旗振山から次に鉄拐山に向かう。
 すぐに妙見堂跡に下る道が右手側に分岐する地点となった。ここには、一ノ谷(逆落とし)の説明書が設置されている。それによると、義経が弁慶ら七十余騎の騎馬軍団を率いて一ノ谷に攻め降りたのは、この地点から「安徳帝内裏跡」へたどる道である旨が説明されている。
 一ノ谷の所在については異説(鵯越附近)もあるが、この辺り一帯が、その昔源平の大合戦があった地であることは間違いない。西六甲のこのエリアは、いにしえに浸りながらハイクができる、歴史ファン感激必至の場所なのである。
鉄拐山の登り口
鉄拐山の登り口
鉄拐山  一ノ谷(逆落とし)を過ぎるとすぐ鉄拐山の登り口となる(写真上 10:56)。
 ここから鉄拐山頂上に向かい急階段が登っている。縦走ルートを急ぐ者は、鉄拐山の山頂には立ち寄らないと言うが、当方は急ぐ旅ではないので、鉄拐山への階段を登ってみることにする。
 階段を登ること4分で鉄拐山の頂上に到着した。山頂にはベンチもあるが、そこから望む眺望はない(写真左 11:00)。
 なお、鉄拐山山頂には、神戸市三等多角点、復興基準点の設置がある。また、片隅に明石勤労者山岳会の創立5周年(1993/12/12)のケルンもつくられていた。
鉄拐山
 鉄拐山の下りも急な階段が続く。それを下りきって、縦走路に合流した地点にりっぱな石の道標がつくられていた(写真右)。比較的新しい感じなので、最近の設置だろう。
 ここからウバメガシの山道を高倉山を目指して進むことになる。
 ところで、高倉山には当方にとって未把握の三角点(立原谷四等三角点)がある。今日はこの三角点の把握にも力を入れてみたい。
石の道標
石の道標
立原谷三角点を発見 立原谷四等三角点
立原谷三角点を発見 立原谷四等三角点
 おらが茶屋が見えてきた辺りで三角点の探索に取り掛かった。縦走路をはずれて附近の地面を探し回る。この辺りは、歩く者も多く、ルートを外れて不審な行動をするとやたら目立つ。そういった人の目を気にしながら、探査を続行した結果、やっと立原谷四等三角点を発見するに至った。
 おらが茶屋から西に向かい縦走路の階段を登りきったところの左手側の小高い場所に立原谷三角点があった。縦走路から背伸びをすれば見える感じだ。
 三角点の場所には「高倉山」を示すプレートも掲げてあった。四国キティ山岳会というかわいい名が添えてある(写真右)。
高倉山(四国キティ山岳会)
高倉山(四国キティ山岳会)
高倉山とおらが茶屋  
 立原谷三角点を発見し、意気揚揚と次のおらが茶屋を目指す。
 おらが茶屋は濃いコーヒーと独特のカレーで有名である。しかし、そのおらが茶屋は、なんと休業中であった。メニューに張られたお知らせが営業休止を告げている(写真下)。
 聞くところによれば、茶屋に賊が侵入して店内を荒らしたらしい。神戸市公園緑化協会のHPでも、「都合により当分の間一時休業しております。営業再開については改めてご案内いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願いします。」とのコメントがある。名物カレーのファンには寂しい限りであろうが、早期の営業再開を期待しております。
高倉山とおらが茶屋
 おらが茶屋は休業だったが、屋上の展望台は開放されていた。ここからの眺望はすばらしいので、お勧めである。なお、屋上には復興基準点の設置もある。
 また、おらが茶屋の前には高倉山の石碑があり、これには「ここ高倉山は昔標高211.5mあり、東は栂尾・横尾の山へと続き、栂尾山と高倉山との尾根の間には昔からの峠道多井畑街道がありました。西は鉄拐山・鉢伏山に続いています。この山はポートアイランド等の埋立用の土をとるため、全山を切り取る予定でしたが、付近の気候風土の変化を防ぐため、また景観を配慮して今の山の形を残しました。標高200.12mになっています。」との説明があった。
おらが茶屋(メニュー)
おらが茶屋(メニュー)
栂尾山への急階段  高倉山がなんとかその姿を残すことができたのはよかった。
 次に高倉山から栂尾山に向かう(11:30)。
 おらが茶屋の東に急な下り階段があるので、それで一気に高倉山を下る。
 下りきると高倉台の住宅地になる。団地の中に茶色のコンクリート道が続いているのでそれに従う。
 11:40 栂尾山への急階段(400階段)の下までやって来た。ちょうど上から、20名ほどの団体さんが下ってきている。階段は幅が狭いので、しばらく待機して、団体さんが下りきってから、登り始めることにした。
栂尾山への急階段
 11:45 栂尾山への急階段を上り始めた。この階段を一気に登るのはきつい。階段の数も多いが、勾配も急なのである(写真上)。途中何度か休憩して11:51に上りきった。6分程の登りであったが、足に相当負担がかかる。
 さらに5分ほど登って、栂尾山の山頂に至った(11:56)。山頂では2人連れのハイカーが昼食タイムをとっていた。
 ここは展望台があり、南西方向に絶景が広がっている。展望台でしばし休憩した後、次の横尾山を目指して出発した(11:59)。
横尾山頂上
横尾山頂上
横尾山三角点  横尾山を目指して尾根道を進む。
 12:03 右に道が分岐して下っている。水野町方面に下るものと思われる。
 12:06 また、右に道が分岐している。ここには表示があり、水野町に下ると書かれている。
 12:11 右に道が分岐。ここも同じく水野町方面に下るものと思われる。
 12:17 横尾山頂上に到着(写真上)。ここは南東に景色が開けており、高尾台、高尾山方面が望める。また、横尾山山頂には三角点(須磨二等三角点)と横尾山頂と書かれた標識が立てられている。
 横尾山では2分程休憩して、次の須磨アルプスを目指す。
横尾山三角点
 須磨アルプスに近づくと風化が進み足場の悪い箇所が目立つようになる。注意表示もあるが、十分に気を付けて進みたい。
 須磨アルプス馬の背に下る手前のピーク状のところからも右に下る道があった。尚、この分岐点から、誤って須磨アルプスの危険な斜面の方に入り込む可能性がある。ここは危険なので、迷い込まないように要注意だ。
須磨アルプス
須磨アルプス
水野町方面を示す表示  須磨アルプス馬の背手前の一番鞍部になっているところまで下ってきた(12:40)。ここにも、水野町方面に下る道がある。その旨の表示もあるのですぐわかる(写真左)。今日は、ここから水野町方面に下ってみようと思う。これは天井川の西谷の右俣を下る道なので、以後、天井川右俣道と勝手に呼称することにする。
 その前に、昼食をとるのを失念していたので、馬の背の岩場で、おにぎりを頬張ることにした。
 10分程の昼食の間に、多くの人が馬の背を通過していった。ここは西六甲で最も人気のスポットであることを実感する。
水野町方面を示す表示
 昼食も終わり、須磨アルプスから水野町方面に下る天井川右俣道に踏み込んだ(12:50)。
 最初は風化して崩れ落ちた石がごろつく道である(写真右)。ここは石車に乗らないように慎重に進む。余り慎重に進みすぎて、後から下ってこられたおじさんに追い抜かれてしまった。
 天井川右俣道は、急勾配の斜面にへばりつくような細い道となった。ここは谷底に滑落しないよう十分注意が必要だ。
 次に丸太の橋が登場(写真下)。そして堰堤を越えて、シダの繁るエリアを通過する(写真右下)。
天井川右俣道に入る
天井川右俣道に入る
天井川右俣道に丸太橋が登場 シダの繁るエリアを通過
天井川右俣道に丸太橋が登場 シダの繁るエリアを通過
倒木が行く手を遮る天井川右俣道  馬の背をスタートして約15分で谷底まで降りてきた(13:06)。
 ここまで、天井川右俣道は左手側に深い谷底を見ながら、細い道を進む箇所が多かった。繰り返しになるが、足元に十分注意が必要である。
 谷底の河原道には倒木の箇所が数ヶ所あったので、これにも要注意である。
 谷底道を少し進んで堰堤が登場した。水野第五砂防ダムである(13:11)。ここは右側から越える。
倒木が行く手を遮る天井川右俣道
 水野第五砂防ダムの次に、2つの小さな堰堤をこえる。そこで、流れを渡って左岸の道になった。左岸道は右下が深い谷であり、この道も注意が必要である。
 さらに進んでいると「水野町・月見山駅」方面を示す表示が登場した。これには「直進は倒木が多くキケンです」の表示がある。ここでキケンな直進道は断念し、階段を使い右下の谷に下る。
 下ったところは岩の斜面が迫るゴルジュ状の場所になっていた(写真右 13:15)。
薄暗いゴルジュ道
薄暗いゴルジュ道
堰堤が壊れトンネルに変身  ゴルジュ道を進んで行くと前方にトンネルが出現した(写真左)。近づいてみると、それはトンネルではなく、小さな堰堤が水流で壊されて、真中が貫通したものであった。
 頭をぶつけないように注意してトンネルを潜り抜ける。
堰堤が壊れトンネルに変身
 トンネルをぬけると、ちょっとした広場状の場所に出てきた(写真右 13:20)。
 ここは西側からも谷道が下ってきており、この広場で合流している。
 今下ってきた道を、天井川右俣道と名付けたので、西側から下ってきた道は天井川左俣道と呼ばざるを得ない。
 案内表示によると天井川左俣道は栂尾山方面に至ると書かれている。栂尾山から須磨アルプスに至るまでに多くの分岐道が南に下っていたが、それらは概ねこの合流地点に下りつくものと思われた。
天井川右俣道が左俣と合流
天井川右俣道が左俣と合流
須磨名水の森  天井川左俣道は、天皇池、須磨の名水、須磨の秘水に至る道であり、また近いうちに巡ってみたい。
 天井川右俣道と左俣との合流地点を13:26にスタートする。すぐに水野第二堰堤が登場する。これは高さ12mのノッポ堰堤である。次に、天井川憩いの広場に到着した(13:31)。ここには天井川周辺の地図があり、一帯のハイキング道が確認できる(写真左)。
 天井川憩いの広場からは第二神明の下を歩き、住宅街に入ると細い路地裏道となり、この迷路状の道をさまよい、なんとか月見山駅に着いたのが13:55であった。
須磨名水の森
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