ハチノス谷西尾根・アイスロード (お勧め度★★☆) 表六甲【1-38】

JR六甲道駅(8:15)==六甲八幡神社(8:27)==神戸護國神社(8:49)==永峰砂防ダム(9:08)==ハチノス谷西尾根取付(9:25)
==長峰山(10:49)==杣谷峠(11:37)==丁字ヶ辻(12:22)==前ヶ辻(12:30)==アイスロード==真水茶屋跡(13:28)
==ケーブル下駅(14:09)==JR六甲道駅(14:35) (約6時間 令和元年6月9日)  
ROUTE MAP
linelineline
説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 杣谷の東側にハチノス谷という枝谷がある。そのハチノス谷の両側には尾根道が伸びて長峰尾根まで登っている。今日(令和元年6月9日)は、この尾根道の内、西側のハチノス谷西尾根を登ってみた。送電鉄塔の巡視路で踏み跡はしっかりしている。下りはアイスロードを利用し、ケーブル下駅をゴールとした。
六甲八幡神社参道  今日(令和元年6月9日)の山歩きは、ハチノス谷西尾根を登ってアイスロードを下る予定であるが、道中に神社が3社あるので、併せて3社参りも挙行する。風習としての三社参りは、正月の初詣のことらしいが、そこは深く斟酌せず、多くのご利益にあやかりたい。
 JR神戸線六甲道駅で下車し、出発とする(8:15)。神戸市灘区の住宅街を北に進んで灘区八幡町に入ると、すぐに六甲八幡神社の参道になる。ここは赤い灯篭が並ぶ印象的な参道だ(写真左 8:27)。
六甲八幡神社参道
六甲八幡神社  参道の先に、六甲八幡神社の拝殿があり、ここで今日の山旅の無事を祈願する(写真左)。
 ところで、この神社はHELLO KITTYお守りや、リラックマ御守などのキャラクターお守りで隠れた名所だが、それにとどまらず、おみくじでもゲゲゲの鬼太郎おみくじなど変わり種があり、話題性で他の神社の追随を許さない存在になっている。
 この六甲八幡神社で、本日1社目のお参りをする。
六甲八幡神社
 六甲八幡神社の境内から西に出て、引き続き住宅街の中を西北に向かう。 阪急の線路を越え、西や北へと路地を進み、篠原本町を過ぎると兵庫縣神戸護國神社の前に出た(写真右 8:49)。
 この神社では、英霊のための桜が境内に植えられていて、その凛とした美しさゆえ、季節には多数の花見客が参拝に訪れるらしい。桜祭りが催され、夜桜の設備もあって、にぎわうという。本殿にお参りし、この兵庫縣神戸護國神社で本日2社目のお社参りを行う。
兵庫縣神戸護國神社
兵庫縣神戸護國神社
長峰坂からの展望  兵庫縣神戸護國神社からは境内の西側の舗装道を登る。住宅地の中の舗装路を登るが、次第にその坂道は急になり、ついには「うそやろ!!」と言わんばかりの勾配になる。その急坂を長峰中学校まで登ってくると「灘百選 長峰坂」の表示が目に入る。
 約600メートル続くこの坂は、「神戸一の急坂」との呼び声もあって、灘区内の名所や歴史資源を選んだ「灘百選」にも選出されている。急坂からは麓の街並みや海の遠望がきれいで(写真左)、これも灘百選の理由だろう。
長峰坂からの展望
 牛歩のようにゆっくりと長峰坂を登りきると、前方に永峰砂防ダムが登場する(写真右 9:08)。洪水吐から水が飛び出す永峰砂防ダムの脇から杣谷道(徳川道)ハイキングコースが始まる。
 永峰砂防ダムを左側から巻いて杣谷道に入り、少し進むと杣谷堰堤が登場する(9:15)。この堰堤を大きく左側から迂回して進むと、すぐに摩耶東谷の流れを渡る(9:16)。この一帯は、大雨のなどの影響で何度も登山道が付け替えられているが、随所に道標があるのでその案内に従い杣谷道の方に進む。
永峰砂防ダム
永峰砂防ダム
ハチノス谷西尾根の取付  その先で山寺尾根への道が左に分岐した(9:19)。ここは右に進み、次に杣谷の流れを渡ると、付け替え道が終わり、旧来の杣谷道に合流する。
 その合流地点からほんの数メートル進むと右手側に踏み跡が分岐している。ここがハチノス谷西尾根の取付きである(写真左 9:25)。ちょうど徳川道の道標(通報プレート「な25-5」)が立つところだが、ハチノス谷西尾根を案内する表示は特にない。
ハチノス谷西尾根の取付
 踏み跡に入ると、斜面をつづらの道が登っている。4分ほど登ると尾根に乗る(9:29)。ここからハチノス谷西尾根の登りとなる。
 ハチノス谷西尾根は、しっかりとした尾根道で、歩き易い。その尾根から後方を見やると麓の展望が開けるが(写真右)、直射日光がジリジリ熱い。
ハチノス谷西尾根
ハチノス谷西尾根
 日光を受けながら尾根を少し登ると高圧鉄塔が登場した(写真右 9:32)。送電線「南灘線」の鉄塔である。この鉄塔から尾根道は岩の道になる。ロックガーデンのような岩登りで、楽しみながら気分よく進む。
 この辺りから西側を望むと、摩耶東谷の両サイドに尾根筋が並行して連なるのが観察できる(写真下)。麓の方を見返すと更に展望が開けてきた(写真右下)。
「南灘線」の鉄塔
「南灘線」の鉄塔
摩耶東谷の尾根を望む ハチノス谷西尾根の展望
摩耶東谷の尾根を望む ハチノス谷西尾根の展望
送電線「神戸港線」の鉄塔  岩場の道と山道を繰り返しながら明るい尾根道を登っていくと、雑木の中に入って日陰になった(9:39)。木々で厳しい日光が遮られてほっとする。
 雑木の中でも急な登りが続き、ゆっくりと登っていくと二個目の鉄塔が登場した(写真左 9:45)。これは、送電線「神戸港線」の鉄塔である。ここからハチノス谷西尾根は、再び陽の射す明るい尾根道になる。と同時に、展望の尾根道にもなる。麓の景色がきれいに望める(写真左下)。歩いていても心地よい。ただし、足元がガレた急登になるので、石車にも注意したい。
送電線「神戸港線」の鉄塔
ハチノス谷西尾根を登る  少し進んだ辺りで西側の摩耶東谷の尾根筋を見ると、摩耶観の廃墟が見えるようになっていた。
 摩耶観(摩耶観光ホテル)は、昭和4年に開業したホテルが前身で、戦後、営業を休止したが、昭和36年に観光ホテルとして復活した。「軍艦ホテル」とも呼ばれたが、平成5年に経営難で廃業となった。立入禁止だが、廃虚マニアの熱視線により、マヤ遺跡としてのツアーもあるらしい。
ハチノス谷西尾根を登る
 更に登っていくと、その先、ロックガーデンのような急な岩場の登りとなる。そこから、東側には長峰山の連なりも見えてきた。南側では神戸の市街とポーアイや六甲アイランドも見えている。
 素晴らしい展望に出会い、休憩を挟みながら、ゆっくりと登る。
 西側では、摩耶観の廃墟が一層大きく見えるようになっている(写真右)。
摩耶観を望む
摩耶観を望む
送電線「六甲線」の鉄塔  その先で、ハチノス谷西尾根は、再び雑木の中に入り、展望が無くなる(9:56)。
 急な登りは変わらずで、登る速度がますますゆっくりになる。
 足場の悪い急登の場所なども登場し、慎重に登っていくと、三番目の鉄塔が登場した(写真左 10:18)。これは、送電線「六甲線」の鉄塔である。この「六甲線」の鉄塔の足元はススキの緑が繁茂している。
送電線「六甲線」の鉄塔
 更に、雑木の中の急登を登っていくと道脇に特徴的な大岩が登場する(写真右 10:25)。その大岩を過ぎ、展望のなくなったハチノス谷西尾根を黙々と登っていくと、ロープ場が登場した(写真下 10:41)。
 ここは、土のむき出しになった急登で滑りやすいのでは、ロープにつかまり慎重に登る。ロープ脇のコアジサイがきれいである(写真下 10:42)。そのロープ場を過ぎて、あと少し登ったところで、長峰山の尾根道に合流した(写真右下 10:46)。
特徴的な岩
特徴的な岩
ハチノス谷西尾根ロープ場 長峰山尾根道に合流
ハチノス谷西尾根ロープ場 長峰山尾根道に合流
長峰山(天狗塚)  合流地点は、道標(通報プレート「な48-6」)や関電の赤い「火の用心」が立つところだが、特にここがハチノス谷西尾根の分岐点であることを示すような表示はない。
 本日登ってきたハチノス谷西尾根は、鉄塔が3本あることから関電の巡視路になっているようで、よく歩かれた道であった。途中までは展望もあり楽しく歩ける尾根だった。
 さて、この合流地点からは、長峰山(天狗塚)を経て、杣谷峠を目指したい。
長峰山(天狗塚)
 ハチノス谷西尾根の合流点から長峰山(天狗塚)を目指して進むと、2分ほど進んだ所が長峰山の天狗塚だった(写真上 10:49)。
 早速、天狗塚の岩に立ち、四等三角点:点名 天狗塚を確認する(写真右)。
四等三角点:点名 天狗塚
四等三角点:点名 天狗塚
 
 長峰山(天狗塚)は展望の岩場でハイカーも多い場所だが、今日はだれもおらず、展望を独り占めである。
 長峰山の西側には摩耶山が対峙し、三宮、元町の市街地も見えている。天狗塚には、ちょうどヤマツツジが赤く咲いて、景色に彩を添えていた。
長峰山(天狗塚)山頂
長峰山(天狗塚)山頂
摩耶山を望む  長峰山からは、摩耶山の山頂の様子がよく見える。摩耶山は展望の掬星台が人気で、いつも多くの人でにぎわうが、こちらの長峰山(天狗塚)には登山者はなく、寂しい感じだ。
 長峰山(天狗塚)は、麓の登り口が通行止めになっていて、訪れる者が減っているのだろう。
摩耶山を望む
 10分程、長峰山(天狗塚)の大岩で展望を楽しんだ後、そこを出発した(11:00)。天狗塚の大岩の基部の狭い山道から北に進む(写真右)。次は、杣谷峠に向かう。
 まずは、丸太階段の急下りである。半端ない急勾配を慎重に下る。8分程下るとコルになって、そこからは登り返しとなる。
長峰山(天狗塚)を出発
長峰山(天狗塚)を出発
杣谷峠に向かう  長峰山から15分ほど進んだ所で、道標が登場した。この辺りで、前方から元気な子供たちの声が聞こえてきた。ファミリーハイカーだろうか・・・。
 その声の方に向かい、アップダウンの続く山道を進むと中学生のグループに遭遇した。聞くと、「市立自然の家」の課外教室だそうで、グループオリエンテーリングで山道を歩いているとの返事が返ってきた。
杣谷峠に向かう
 皆、元気いっぱいの様子だが、中には、しんどそうな少年もいて「ごうもんなんです。」と訴えていた。普段、都会暮らしの少年少女たちには、この山道オリエンテーリングは苦行そのものなんだろう。みんなで、わいわい、がやがやと山道をさまよった苦行経験は、きっと若者の健全な育成に資することになるだろう。がんばれ!!。
 にぎやかな中学生のグループと共に山道を進み、やがて杣谷峠に到着した(写真右)。ここで、生徒たちは先生の点呼に答えている。その脇を、過ぎて杣谷峠を越えていく。
杣谷峠
杣谷峠
車道から階段道へ 延々と続く階段
車道から階段道へ 延々と続く階段
丁字ヶ辻  杣谷峠からは、しばらく車道歩きとなる。市立自然の家の入口を過ぎ、「摩耶山市立自然の家前」のバス停の所で、階段道が分岐して登っている(写真左上 11:43)。階段の登り口には、付近の地図とともに六甲全山縦走路の道標がある。ここで六甲全山縦走路の階段道に入る。
 三国池方面に向かい階段道は延々と続く(写真上)。六甲全山縦走に参加すると、ここの階段道は、終盤で脚部に疲れがたまった足にとって拷問のような箇所になる。
丁字ヶ辻
 階段を登りきるとまた車道に出る(12:07)。四阿があるが、そこは多くの者でごったがえしていた。四阿から三国池方面に山道が続くが、当方は楽な車道をチョイスし丁字ヶ辻方面に進む。
 車道脇の歩道を進むと、やがて丁字ヶ辻に到着した(12:22)。丁字ヶ辻から更に車道を前ヶ辻に向かって進むが、道脇の歩道がなくなるので(写真右)、通行には注意したい。
前ヶ辻に向かう
前ヶ辻に向かう
白鬚白菊大明神  丁字ヶ辻から約8分で前ヶ辻に到着した(12:30)。この辻の石階段を登ったところには小さなお社が祀られているので、お参りしていくこととする。
 石段を登って赤い鳥居をくぐる。ここは、グルームさんに所縁の狐をグルームさんの娘さんが祀ったお社で、「白鬚白菊大明神」という(写真左 下部参考1)。六甲山の守り神とされ、六甲山上で深く信仰されている神社である。
 この神社で本日三番目の神社に御参りし、三社参りを達成とした。
白鬚白菊大明神
 白鬚白菊大明神に参拝の後、前ケ辻からアイスロードに入る(12:33)。
 アイスロードは、前ヶ辻谷を通る道であり、古くは前ヶ辻道と言われて唐櫃からシュラインロードを登って農作物を灘に運んだ道であった。その後、明治から昭和の初期には六甲山上で冬に作った氷を春に灘まで運ぶ道となった。それがアイスロードの由来で、この道は古くから利用されてきた道である。
前ヶ辻
前ヶ辻
アイスロード下り口  古くから利用された道だけに、アイスロードの踏み跡はしっかりしている。しかし、今は夏草が茂り始めて少し藪の様相である。その状況から、最近はアイスロードを歩く者が減っているような感じがした。
 アイスロードからは、随所で麓の景色がチラチラと眺められるので、その展望を眺めながら、はたまた、夏草を払いよけながら坂道をどんどん下って行く。
アイスロード下り口
夏草茂るアイスロード 通報プレート「な4−11」
夏草茂るアイスロード 通報プレート「な4−11」
杉林のアイスロード  前ケ辻から30分弱下ったところで、沢の流れに下りつく。ここは前ケ辻谷の支谷で、道標と通報プレート「な4−11」が立つ(写真上 13:01)。ここで流れを渡ると、こんどは右手側に新しそうな堰堤が見え、そちらからも水が流れ込んでいた。ここから、さわやかな水音と共に沢に沿っての下りとなる。
 沢の中を伝っていくと、やがて前ケ辻谷の本流の道となって前ケ辻第二堰堤に至る(13:09)。
杉林のアイスロード
 前ケ辻第二堰堤の脇を階段道で下ると杉林の中に入り、急だった下り道の傾斜がここで緩む。
 その先、5分ほど進んだ所で流れを渡る(13:16)。この流れは、二段に積まれた石積みの古い堰堤からやってきている。
 その先、左岸歩きとなって、しばらく下って行くと、左に大きく高巻く道となる。これは堰堤を迂回して下る道で、下りついた所には古いベンチが残った広場があった(写真右 13:24)。広場には何かを説明していたと思われる看板の残滓もある。
アイスロードのベンチ
アイスロードのベンチ
真水茶屋跡  そのベンチの場所からさらに4分程下った所も、少し広くなった場所で、そこには古い案内看板が残っていた(写真左 13:28)。
 案内看板は、経年で文字が読みにくくなっているが、アイスロードの説明と付近の地図が示されていた(下部参考2)。その地図では、ここが「真水茶屋跡」で、この上流に「水呑茶屋跡」があったと書かれている。茶屋は、その昔、大八車で氷を運んだ者たちの一服場所だったのだろう。
真水茶屋跡
 真水茶屋跡から少し進むと堰堤があり、その堰堤の前で流れを渡る。その先、数分歩いて真水谷第四砂防ダムとなる(13:35)。このダム堰堤の付近の山道は、湿地のようで水でビチャビチャとなっている。小石を伝うようにして、そこを過ぎる。
 その先、数分で、左手側に踏み跡が分岐する(写真右 13:39)。ここは一ヶ谷西尾根に続く分岐だが、入口には黄色の危険注意テープが張られて、一ヶ谷西尾根は侵入が阻止されていた。
一ヶ谷西尾根への分岐
一ヶ谷西尾根への分岐
六甲有料道路下のトンネル  一ヶ谷西尾根への分岐で、侵入禁止の黄色テープを眺めていると、アイスロードを登ってきた人とすれ違った。アイスロードで出会ったのは、後にも先にも、この方だけだった。
 一ヶ谷西尾根への分岐を過ぎると、やがて六甲有料道路の下をトンネルでくぐることになる(写真左 13:49)。ここは照明がなく暗いが、距離はそう長くない。
六甲有料道路下のトンネル
 トンネルを抜けると、すぐに左手側に遺跡がある(写真右 13:50)。これは、六甲登山ロープウエイの登山口駅跡である。
 六甲登山ロープウェイは、昭和19年に戦争の影響で廃止されたらしく、時を経てその周囲に木々が茂り、駅の遺構は緑に包み込まれつつあった。しかし、踏み跡が薄くついているので、足繁く通う廃墟マニアがいるのだろう。
六甲登山ロープウエイ駅跡
六甲登山ロープウエイ駅跡
 ロープウエイ駅跡の先で、すぐに車道に出る(13:53)。ここは六甲有料道路と表六甲DWが交差する近くで、車の通行が多い。その先で横断歩道を渡って表六甲DWに入り、車道の端っこを下って行く。ここは歩道がないので、車に注意して下る必要がある。 アイスRから表六甲DWへ
アイスRから表六甲DWへ
新六甲大橋  新六甲大橋の大きなアーチの下をくぐって(写真左)、大月台の住宅地からの道に合流すると、すぐ先が六甲ケーブルのケーブル下駅であった(14:09)。
 ケーブル下駅では、ちょうど阪神御影行のバスが待っていた。このバスは、阪急六甲、JR六甲道、を経て阪神御影に向かうバスである。そのバスに乗り込んだが、バスは六甲ケーブルから吐き出された客でいっぱいで、ぎゅうぎゅうのバスに揺られながら、本日の山歩きを終えたのであった。
新六甲大橋
●白鬚稲荷(参考1)
 白鬚白菊大明神  猟師に追われた狐がグルームさんの別荘に逃げ込み、氏に助けられてから、同邸に住み着いてしまった。グルームさんが空き缶をフォークでたたいて食事の合図をすると、親子の狐が四、五匹喜んでやってきて、氏の膝を枕に居眠りをするほどになついたが、氏の他界後は一度も姿を見せなくなってしまった。その後、グルームさんの娘、リウさんがこの狐にまつわるいろいろの不思議に出会い、家に祀っていた狐夫妻を現在地に移し(昭和8年)、白鬚白菊大明神と名付けて六甲山の護りとした。それ以来、山上の人々に深く信仰されている。《白鬚白菊大明神にある説明版より》
●アイスロード(参考2)
 明治から昭和初期の六甲山上では、厳冬期には気温が零下15度まで下がり、池には分厚い氷が張りつめた。明治7〜8年頃、この氷に目を付けた神戸の浅井は三宮に、京都の山田は栄町に、それぞれ日本で初めてと思われる氷屋を開業した。山頂付近の大小30の池の大半はその当時採氷のために掘られたものである。凍った氷は大きなのこぎりで厚さ15p巾90p角に切り取り、2枚を貼り合わせ厚さ30pとして氷室で保存された。これを春から夏にかけて深夜、大八車に積んで山を降りる。この道筋は土橋から旧全但ホテル前へ出る険しい前ヶ辻道で、氷を運んだことに由来して「アイスロード」と呼ばれた。この山道を運びおろし寒氷として病人用には一貫匁(3.75kg)明治末の価格で5銭くらい、食用としてはコップ一杯1銭くらいで売られ、当時としては高価なものだった。この天然氷も人口製氷が発達するともに姿を消し、昭和4年春、記念碑台そばの黄楊(つげ)池で採氷したのが最後となった。《アイスロード真水茶屋跡にある「アイスロードの由来」看板による》 
このページTOPへ

HOME 1表六甲 2北六甲 3西六甲 4東六甲 5鵯越周辺 6丹生山系 7関西の山
 
linelineline