東六甲縦走・おこもり谷・黒岩谷 (お勧め度★★☆) 東六甲【4-5】

今回(平成18年6月24日(土))は、東六甲縦走路を宝塚から最高峰まで歩いてみました。
下りは、地図にはあまり載っていないルートですが、おこもり谷と黒岩谷を歩いてみました。
静かな沢下りが楽しめるコースでした。

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 梅雨の合間の晴れの土曜日。今日は、東六甲縦走路を宝塚から最高峰まで歩いてみた。
 宝塚駅を7時45分に出発。駅を南に出て、宝来橋を渡る(写真右)。突き当たりのローソンで食料などを調達して、店舗の右側にある細い道を入っていく。塩谷川沿に細道を進み、突き当りを右に曲がる。そのまま道なりに進み、ヘアピンカーブ状の急な坂にとりつく。塩尾寺への標識を確認しながら、甲子園大学の8号館の裏手から山の中に入っていく。
 ここまで、アスファルトの急な上りであり、一汗かいてしまう。学生さんや、この辺りの住民の方は駅までの往復は大変だろう。
 山の中に続く舗装路を進み、塩尾寺休憩所に到着(8:15)。ここからは武庫川の流れを見下ろすことが出来る。その上を伊丹空港を飛び立った飛行機が過ぎていく。
宝塚 宝来橋からの景色
宝塚 宝来橋からの景色
塩尾寺  塩尾寺休憩所からそのまま舗装路を行ってもいいが、今日はショートカット路を進むことにする。
 西に向かうコンクリートの急階段を登ると水道局の配水池がある。この前を坂道が右に続いている。次に、石の急階段である。ショートカットだけあって、いずれも急勾配である。
 ここで舗装路に合流。また、九十九の坂道となる。
 山中とはいえ、コンクリート道は味気ない。そんなことを思いながら進むと、この上り道は結構キツイ気がする。
 やっと塩尾寺(えんぺいじ)に到着(写真左 8:35)。既に、何名か参拝者がおられる。
塩尾寺
 縦走路は塩尾寺の前を折り返すように上っている。ここから土の道となる。いきなり急な階段の上りである。しかも悪路ときている。おそらく、大雨の日は、この道が水の流れ落ちるルートとなっているのであろう。道は水流で深く掘りこまれて、丸太材で土止めされていたであろう階段は、無残に崩れかかっている。風化も進み、滑って歩き難いことこの上ない。
 慎重に登り、何とか砂山権現に到着した(写真右 8:45)。砂山権現は塩尾寺の奥の院である。
 ところで、塩尾寺の参詣路でもそうであったが、この辺りまでは、地元の方がお参りも兼ねて、結構、山道を歩いておられる。この砂山権現でも、当方の後ろからやってきた方が、すごいスピードで権現の鳥居をぐるっと回って折り返していった。
   
砂山権現
砂山権現
岩倉山  砂山権現を過ぎると、登り道は緩やかになった。
 権現から5分ほど進んで、生瀬への道が右手側に分岐し、下って行った。
 そして、すぐに岩倉山への分岐点が現れた。分岐点に特に表示はなかったようなので、岩倉山を目指す方は注意して進みたい。縦走路から外れ、右手側に少し登ると岩倉山頂上である(写真左 8:57)。山頂には、登頂札が結構かけられている。祠の前に三角点もある。しかし山頂は木立に囲まれており、眺望はない。
岩倉山
 岩倉山頂上から縦走路に戻り、つぎに、譲葉山を目指して進んでいく。
 岩倉山を過ぎると道は平坦になった。快適に歩を進められる。
 すぐに、南側に、展望に適した箇所が現れた。眼前の甲山が綺麗に望める(写真右)。また、今登ってきた岩倉山の頂上が高圧鉄塔の右手辺りに確認できる。岩倉山の南にある反射板も見えている。
 東六甲縦走路ではあまり眺望のきく箇所はないので、ここで、しばし景色を楽しんでおくのがいいだろう。
 景色を楽しんだのち、縦走路を西に進む。
 すぐ、左手側(南側)に譲葉台への道が分岐し下っていった。この辺りから、道は石ころのある緩やかな上りとなる。
岩倉山から甲山を望む
岩倉山から甲山を望む
譲葉山頂上・・かな?  そして、次に、両側に笹が繁るようになると、道は平坦路となった。すると、今度は右手側(北側)に赤子谷へと下る道が分岐している。
 その分岐点を少し進み、右手側に全山縦走路の標識が立っているすぐ先の左手側に、かすかな踏み跡が山奥に続いているのが確認できた。その方向を確認するとテープによる進路表示も続いているようだ。そのテープとかすかな踏み跡を頼りに、ブッシュの中に踏み込んで行くと、数分でこの辺りでは一番小高いかなと思われるところに到着した。テープ表示もここでなくなった。おそらく、ここが譲葉山頂上かと思い、山頂を示す表示を確認したが何も見つからない。踏み跡もここから先にはないようなので、自分的にはここを譲葉山頂上としておく(写真左 9:20)。
譲葉山頂上・・かな?
 譲葉山頂上らしきところから縦走路に戻る(9:30)。
 次に、岩原山を目指す。
 しばらく進んで、道の右手側に「岩原山まで300m」の表示を発見。その箇所から北に入り、緩やかな上り道を進んでいく。この道は、あまり人は入らないのか、やたら蜘蛛の巣が張っている。汗をかいた顔面に、蜘蛛の糸が張り付くのを取り除きながら、7分ほど進んで岩原山頂上に到着した(写真右 9:44)。そこは薄暗い木立の中で展望は全くない。頂上に立つ標柱には「宝塚の最高峰」と記載されている。
 他に見るべきものもないので、すぐに縦走路に戻り、次に大谷乗越を目指す。
岩原山頂上
岩原山頂上
大谷乗越 手前左が樫ケ峰、右が社家郷山・奥が甲山
大谷乗越 手前左樫ケ峰、右社家郷山・奥が甲山
 岩原山から縦走路に戻り、約15分ほど進んで棚越新道の車道に合流した。ここが大谷乗越である(写真上 10:05)。岩原山からここまでは概ね平坦路であるが、景色は望めないので淡々と進んできた感じだ。
 車道を越えると急階段が待っていた。さらに石ころだらけの山道がだらだらと続いていた。しかし、途中南側に視界の開けた箇所があった。そこからは、樫ケ峰、社家郷山の連なり、そして、その鞍部の向こうに甲山が見渡せる(写真右上)。
 更に進んで、又、アスファルト道に出た。大平山のアンテナ保守道である。車道を渡り、対面に山に入る道がある。そこを進むとすぐアンテナ施設を囲むフェンスに突き当たる。山頂の表示を確認すべくフェンス沿いに回ってみたが発見に至らず。この山には三角点もあるはずであるが、これも把握できず。今日は先も長いので、探索は次の機会に譲ることにする。
大平山
大平山
船坂峠を越えた辺りの笹道  山頂表示と三角点の存在を確認すべく、大平山のアンテナ設備の辺りを約30分もウロウロしていたようだ。縦走路に戻った時には時刻が既に11時前になっていた(10:55)。
 縦走路は薄暗く深山の様相さえ感じられるようになった。1つピークを越えほっとしていると、さらにだらだらとした上りの山道が続いている。周りは杉林の山腹道となってきた。さらに進んで船坂峠に到着した(11:05)。ここも薄暗いところである。
 峠を越え進むと、やがて道の両側に笹が繁ってきた(写真左)。次に、左右に分岐道が現れた(11:15)。右は船坂、左はドライブウェーからエデンの園とある。
 この分岐点からまた登りとなった。なんと、ここにはトラロープや鎖も張ってある。六甲全山縦走路で、鎖場があるのはここだけのような気がする。
船坂峠を越えた辺りの笹道
 いくつかのアップダウンを繰り返しながら、道はどんどん高度を上げているようである。歩き始めてそろそろ4時間近い。疲労も相当たまってきた。しかし、次の水無山の山頂は何とか確認したいと注意だけは回りに払いながら進んでいく。
 ほどなく前方を進む10名程度のハイカーに追いつく。スピードはかなり遅いようだ。最後尾の方が、グループ全員に道を空けるように指示をされ、当方に先を譲ってくれた。礼を言って追い越していく。しかし、当方の疲労度も相当である。そのせいか、なんと不覚にも水無山の山頂を確認できずして東六甲ドライブウェイに出てしまった(写真右 12:00)。引き返す気力は当然ない!水無山の探索も次回に譲ることにする。
 ここには、ハイカー激励のための「宝塚まで12Km」との表示がある。この表示の励ましに感謝しながら先に進む。
東六甲ドライブウェイ出合
東六甲ドライブウェイ出合
石宝殿  東六甲ドライブウェイを車に注意しながら5分程進み、石宝殿の入口に至った。少し登り返して石宝殿に到着。お参りを済ませ、社殿前に広がる景色を楽しむ。
 ちなみに、この祠のある神社は、白山神社(西宮神社の末社)といい、水や水商売の神様といわれている。なお、石宝殿は「いしのほうでん」と読む。
 石宝殿を出発し、次に前方の後鉢巻山を目指して進む。ここで、後鉢巻山の下を通過するトンネルの手前で、南に下っている道を発見した。踏み跡もしっかりとついており、階段等の整備もされている。この道をすこし進んでみた。すると、西方にちょうど六甲山最高峰が綺麗に見渡せる箇所があった。眺めがいいので、ここで昼食休憩とする。
石宝殿
 昼食を取りながら最高峰の様子を望む(写真右)。
 併せて、この道を下っていくと、どこに出るのか地図で確認する。
 場所的には、おこもり谷から黒岩谷を通って、七曲りの入口あたりに行けそうである。しかし、地図には点々のルートさえ記載されていない。
 などと考えながら昼食を終え、とりあえず、後鉢巻山から六甲山最高峰に進み、それから下山路を考えることにした。
六甲山最高峰
六甲山最高峰
最高峰の広場 最高峰から後鉢巻山を望む
最高峰の広場 最高峰から後鉢巻山を望む
 12時30分に食事休憩を終え、午後の山歩きスタート。
 縦走路を進み、ドライブウェイのトンネルの上あたりで、右に分岐する道を登り、すぐに後鉢巻山に到着した(12:37)。ここには、ケルンと電波塔がある。周りは木々に囲まれており展望はない。
 後鉢巻山の山頂から縦走路に戻り、つぎに最高峰に進む。一軒茶屋北側の坂道を最高峰目指して登っていく。ここは、急登の舗装路である。重くなった足を引き上げるようにして最高峰に到着した(写真上 12:50)。一等三角点を確認し、次に東方に見える後鉢巻山を確認した。後鉢巻山は、頭の天辺に毛(電波塔)が一本という感じである(写真右上)。
最高峰のケルンと電波塔
最高峰のケルンと電波塔
最高峰から望む蛇谷北山  また、最高峰には軍用施設返還前の旧最高地点を示すケルンも残っている(写真上)。六甲山最高峰からの大パノラマのを確認し、もと来た道を下っていく。この下り道からも南東に眺望が広がる。写真左は蛇谷北山方面を望んだものである。
 一軒茶屋の自動販売機で冷えた飲料を購入し、これを一気に流し込んだ後、下山を始めることにした。
 下りは、先程昼食をとった場所、すなわち、おこもり谷、黒岩谷から七曲りの入口あたりに下れるであろうと思われるルートをとることにする。
最高峰から望む蛇谷北山
 最高峰から後鉢巻山に戻り、トンネルを東側に出たあたりから南に伸びた道を下り始めた(13:20)。
 歩き始めてすぐに尾根の突端のような箇所に出た。眼下に真新しい砂防ダムがみえる(写真左)。この道はあの砂防ダムの工事のためのものなのかとも思ったが、進めるところまで進むことにする。
 尾根の突端部から道は左下に急降下していた。急な階段道の下りである。しかし道はよく手入れされている感じだ。
 しばらく下って水量豊富な沢に出た。踏み跡はここでなくなった。ということは沢下りの道となったことを意味する。慎重に大小の石伝いに沢を下る。
 通常、山歩きのルートには、誰かが表示したテープなどがあるものだがここにはそれが全くない。その点は、やや不安だが更に進んでみる。
おこもり谷の砂防ダム
おこもり谷の砂防ダム
おこもり谷と黒岩谷の合流点  沢の中なので、足跡などもなく、人が通った形跡も確認しにくい。少々の不安と共に下っていくと、やはり先程上から見えていた真新しい砂防ダムに出てきた(13:38)。ここまでは、想定内である。ダムの堰堤の左側に下に降りる梯子が作られている。これを下る。すると、草と木と水の流れが入り混じる密林状の場所になった。ここには踏み跡らしきものはあるようだが進むべき道がみつからない。ダムの上部のようで危険につき立入禁止!の表示も見える(写真左)。進路不明である。想定外となってきた。やむを得ず引き返そうかと思っていると、何と下方から人の声が聞こえてきた。しばらくすると4名のハイカーがやってきた。ラッキーと思い道を確認する。下り道は左からダムを巻いて続いているようで、土樋割まで行けるとのこと。御礼を言って更に下っていく。
おこもり谷と黒岩谷の合流点
 ところで、4人のハイカーは当方が下ってきたルートではない方向に進んでいった。ここから黒岩谷沿いに最高峰辺りへ登るルートもあるようである。
 ところで、おこもり谷と黒岩谷の合流点にはケルンも積まれていた。このルートは地図にはないが、知る人ぞ知るマニアの道なのかもしれない。
 さらに黒岩谷を下って行った。沢を左右にクロスしながら、また、砂防ダムを左右に巻きながら道は続いている。ダムの堰堤を巻いて下る箇所は、急な階段になっており、要注意である。しかし、沢部分を除き、ルートはよく整備されており、歩きやすい。
 ふと上を見上げると、谷のサイドは見事な渓谷であり、深山の趣を漂わせていた(14:10)。周りを見る余裕も出てきた。1人のハイカーが下方から登ってきた。こんな山の中で複数の人に合うなんて、やはり、このルートは愛好者には人気のルートなのであろう。
黒岩谷の渓谷
黒岩谷の渓谷
土樋割出合い  おこもり谷、黒岩谷と下りきり、何とか土樋割出合いまで下ってきた(写真左 14:15)。
 ここからほんのすこし東に行くと、東おたふく山への道が南に、又、蛇谷北山への道が北に伸びている峠に出る。土樋割峠である。
 今、下ってきた谷を含め住吉側は水量が豊富である。
 その昔、雨が降らず、水不足となったとき、芦屋側の住民が住吉側の豊富な水を芦屋に引こうと土樋を掛けたそうな。これに怒った住吉の住民が、この土樋を割ったという。ゆえにこの峠が土樋割峠と呼ばれるようになったのである。昔の水争いがそのまま地名として残ったのである。昔の水争いのことを思いながら沢沿いの道を下っていく。やがて七曲りとの出会いに到着した(14:25)。
土樋割出合い
 七曲り出会から、すぐ、右手側に本庄砂防ダムが現れる。これを越えて、右に下る階段を降りたところが本庄橋跡。ここには本庄橋跡について、次のような説明がされている。「本庄橋は魚屋道が住吉川の上流を渡るところにかけられた石橋で、このあたりが本庄九ケ村(東灘区東の端の村々)の入会地だったことにちなんで名づけられたのであろう。魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図によると今の登山コースとほぼ一致して東灘区森で西国街道から分かれて山に登り、風吹岩、東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートで通っていた。幕府が灘から有馬への正規の街道を西宮、宝塚、蓬莱峡、船坂、有馬と定めた後も遠回りを嫌って人々はこの道を利用しつづけた。そこで、街道沿いの西宮や、生瀬などの宿場の商人はこれを抜け荷の道と称して奉行所へその通行止めを訴えしばしば紛争がおこった。この橋自体の建設年代は不明である。」 住吉道の石畳
住吉道の石畳
石切道、打越山方面分岐  本庄橋といい、土樋割といい、争いの多い地域である。本庄橋辺りでは今では珍しくなった糸トンボも飛んでいた。さらに下り、雨ケ峠への分岐点が現れる(14:50)。やがて、道は山腹沿いの細い道となり、水の流れる音も聞こえなくなった。
 更に進んで、また、水の流れる音が谷底の方から聞こえるようになった頃、その谷を挟んで右手側に西おたふく山の稜線が南に下っているのが確認できるようになった。
 そして、住吉道が石畳となるころ(写真上)、打越峠への道が左に分岐していった(15:30)。
 やがて石切道の分岐点(写真左)に到着した頃には、時刻は、もう4時前となっていた(15:45)。さらに、アスファルト道に出て、阪急御影駅に着いたのは4時30分。今日は8時間強の山歩きであった。
石切道、打越山方面分岐
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