平野谷・鍋蓋山・堂徳山南尾根  (お勧め度★☆☆) 表六甲【1-13】

神戸市営地下鉄大倉山駅(10:45)==祥福寺(11:07)==平野谷==二本松林道(11:53)==平野谷西尾根
==七三峠(12:53)==鍋蓋山(13:13)==鍋蓋北道==再度公園(13:45)==昼食==善助茶屋跡(14:15)
==二本松道==堂徳山(14:45)==堂徳山南尾根==北野町西公園(15:30)==JR元町駅(15:58)
(約5時間 平成29年9月18日)  
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 平野谷はガイド本でも一般に紹介がなく、都市部に近いものの歩く者は少ないという印象がある。薄暗い谷道のイメージが強いことも、歩行者が少ない原因かもしれない。しかし、市街地から鍋蓋山を目指すには、平野谷ルートは、ほぼ一直線の最短コースである。そこで、今日(平成29年9月18日)は、平野谷から鍋蓋山を目指し、さらに鍋蓋北道から再度公園まで足を延ばしてみたい。帰路は、二本松道から堂徳山南尾根を下ることとする。
大倉山公園  神戸市営地下鉄の大倉山駅で下車する。大倉山駅のほぼ真北に鍋蓋山が位置し、平野谷に最も近い駅が大倉山駅でもある。
 大倉山駅から地上に上がり、まずは大倉山公園を目指す(10:45)。
 大倉山公園は、明治の実業家の別荘跡と聞くが、図書館や文化ホールもあり、格調高い感じがある。
 神戸市内の35県人会によってできた「ふるさとの森(県民の森)」も散策にはもってこいだ。
大倉山公園
馬場町界隈  その大倉山公園を通り抜け、馬場町、神田町と市街地の中を北に進む(写真左)。
 5分弱で少し広い車道(山麓線)に突き当たる。車道を渡り、大きな祥福禅寺の石柱の脇からさらに北に進むと五宮町に入る。その突き当りが祥福禅寺である。
 祥福禅寺は臨済宗の禅寺で、厳しい修行道場として有名らしい。修行に縁遠い未熟者の小生は、ここは足早に通り過ぎる。
馬場町界隈
 祥福寺の石段下を右折すると、隣には五宮神社がある(写真右)。この神社は平野一帯の氏神で、天下泰平などの神徳がある神社である。
 拝殿にお参りし、本日の山歩きの泰平をお願いする。
 五宮神社の東側を北に入ると、道は右折して、住宅裏の薄暗い道となる(11:10)。住宅の切れ目からは神戸市街地の展望が少しだけ開ける。
五宮神社
五宮神社
平野谷・奥平野砂防ダム辺り  その展望場所を過ぎると道は左折して、北向きの谷道となる。ここからが平野谷である。
 手元にあった古い山と高原地図(1999年発行)を見ると、平野谷には皿器谷との記載がある。皿器谷は平野谷の古い呼び名か・・・。
 谷に入ると、右手側(東側)に平野谷川の流れと古い堰堤(楠谷砂防ダム:昭和26年)が現れるが、同時に河原に廃屋が点在する怪しい感じの場所となる。古い洗濯機など、使われなくなって久しい生活用品が散在している。薄暗いし不気味なので、ここも足早に通り過ぎる。
平野谷・奥平野砂防ダム辺り
 次に劣化の激しい橋を渡って左岸歩きとなる(11:18)。このあたりも、薄暗い感じが続く。谷には昭和14年築の奥平野砂防ダムなどの古い堰堤が連なっている(写真上)。
 次に、つづらの道で一気に登りとなって、谷の流れからどんどん登っていく(写真右 11:23)。この登りも堰堤を越えるためのもので、道幅が狭いので注意したい。
皿器堰堤越えの登り
皿器堰堤越えの登り
平野谷  この堰堤を超えると、光が差し込む道となる。ここまで、平野谷は薄暗い道だったので、陽光になぜかほっとする。
 次に、流れを渡って右岸に進むと、左手側に古いお地蔵さんが立つ場所となる(11:31)。
 ここにも廃屋がある。
 写真左は、お地蔵さんと廃屋を過ぎたあたりの平野谷の様子。
平野谷
 右岸になると、平野谷川の流れが次第に下方に離れていくが、これも堰堤越えの登りである。
 堰堤の名は「都由姫堰堤」という変わった名前だった(写真右)。
 都由姫堰堤を過ぎると、道脇に落石注意の看板が設置されていた。左手側の斜面に落石の可能性があるようで、右手側は深い谷となっている。両側から危険が迫り、ここも足早に通り過ぎる。
都由姫堰堤
都由姫堰堤
通行禁止  この都由姫堰堤のすぐ上流部は、何年か前、大雨で斜面が崩落した前例があり、要注意地点である。昨日は台風で大雨だったが、どうやらその影響はなかったようだ。
 少し進むと、右手側に「通行禁止 この道は危険ですので通らないで下さい。(神戸市森林整備事務所)」の看板が登場した(写真左 11:45)。
 この通行禁止の道は、平野谷から平野谷東尾根に通じていた道のようだが、平野谷東尾根が廃道となり、この道も通行禁止とされている。
通行禁止
 その通行禁止の看板を過ぎるとすぐ、古い堰堤が登場し、その堰堤のところから道がコンクリ舗装となった(11:46)。
 舗装路となって数分登ると、平野谷道は二本松林道に合流した(写真右 11:53)。
 二本松林道に合流したところで5分程休憩を入れた後、七三峠、鍋蓋山方面の表示に従い平野谷西尾根に取付く(11:58)。
 いきなりの急階段の登りにとなる。平野谷西尾根は笹が多く、背丈が伸びていると難儀をするが、今日の平野谷西尾根は笹が刈り取られている。この道は、定期的に整備されているようでありがたい。
二本松林道に合流
二本松林道に合流
 平野谷西尾根は登り下りの続くタフな尾根道だ。ゆったりとしたペースで進むことにする。
 二本松林道から10分ほど登って左手側に道が分岐していた(12:08)。天王谷に下る道のようで、地形図にも破線の表示がある。
 さらに、登り下りを繰り返しながら進んでいると、コンクリートの平らな工作物が設置されたピークに至った(写真右 12:20)。
 尾根の防災工事か何かの際のものだろうか。その構築物を過ぎた先では、高圧鉄塔が笹の中に埋もれるように立っていた(12:23)。
平野谷西尾根の平らな工作物
平野谷西尾根の平らな工作物
林道に飛び出した  その鉄塔を超えて進むと、林道に飛び出した。この林道は3年前に平野谷西尾根を歩いたときにはもう作られていたが、比較的最近のもので、古くからある林道ではないようだ。
 林道に立てられていた「森林フレッシュ事業について(神戸市森林整備事務所)」の看板の案内図によると、この林道は多目的管理道ということで、二本松林道につながっている。将来は極楽林道にもつなげるのか、案内図に破線の表示がある。
林道に飛び出した
林道から再び平野谷西尾根へ 平野谷西尾根
林道から再び平野谷西尾根へ 平野谷西尾根
 平野谷西尾根は多目的管理道をクロスして更に上に続いている。
 写真上では、左に登っているのが平野谷西尾根である(12:36)。
 このあたりの平野谷西尾根ではツクツクボウシの鳴き声がやたら多い。行く夏を惜しむかのように鳴くツクツクボウシの声に、足早に去りゆく夏と、秋の始まりを感じるのだった。
 (((((((^_^;)
平野谷西尾根は快適道
平野谷西尾根は快適道
鍋蓋山が見えてきた  先ほどあった神戸市森林整備事務所作成の看板に説明されていたように、この一帯は間伐などの森の手入れがされているので、適度に陽光が差し込んで、歩いていて心地よい(写真上)。
 その間伐された木々の間から左手側の前方に鍋蓋山が見えてきた(写真左)。鍋蓋山のピークが、だいぶ近付いてきた。
鍋蓋山が見えてきた
 更に平野谷西尾根を進むと、右手側から山道が合流してきた(写真右 12:50)。合流してきた道は、二本松林道から平野谷東尾根を登ってきた道である。
 この辺りから、笹がきれいに刈り取られている。
 七三峠の周囲は笹が深い所だが、ほんの数日前に笹が刈られたようだ。まだ、いわゆる「緑の香り」が残っている。
 次に、すぐ七三峠に到着した(写真下 12:53)。七三峠もきれいに笹が刈られている。いつもは笹に埋もれているイメージの「ここは七三峠」の標柱も、今日は露出している。
平野谷東尾根道と合流
平野谷東尾根道と合流
七三峠 神戸市街地を遠望
七三峠 神戸市街地を遠望
 七三峠から鍋蓋山への登り道も笹が刈り取られ、歩きやすくなっていた。
 ふと後方を振り返ると、樹木の間から神戸の市街地が見えるようになってきた(写真右上)。
 鍋蓋山の山頂まで、あと少々と思えるが、更に、10分ほど坂道が続く。タフな平野谷西尾根を越えてきた脚には、ここは厳しい登りである。
縦走路に合流
縦走路に合流
鍋蓋山山頂  重い足取りになりながらも、七三峠からの登り坂を終え、縦走路に合流した(写真上 13:12)。
 この合流地点には、森林整備事務所により「注意」の看板が立てられていた。
 看板では、平野谷東尾根(防火道)は滑りやすく危険なので、他のハイキング道に迂回するよう指示されている。十年ほど前には、ここには119番通報プレート付きの道標があり、ここから大師道方面に抜けられる旨の表示がされていた。
 現在、平野谷東尾根は廃道になり、手入れもされていないので、立ち入らないでほしいという行政からの発信であった。
鍋蓋山山頂
 森林整備事務所の「注意」看板からは、縦走路を西に進み鍋蓋山に向かう。
 すぐに鍋蓋山の山頂に到着した。鍋蓋山では松の木の高いところに山名表示が掲げてある(写真右 13:13)。
 山頂では5組10数名のハイカーがベンチで景色を楽しんでいた。鍋蓋山の山頂からは南に展望が開けている(写真下、右下)。

 感激〜(^。^;)
鍋蓋山(山名表示)
鍋蓋山(山名表示)
鍋蓋山 鍋蓋山からの展望
鍋蓋山 鍋蓋山からの展望
鍋蓋北道  鍋蓋山で少し休憩して、次に再度公園を目指して出発する(13:20)。
 縦走路を東に進み、すぐの分岐を北に入る(13:23)。ここから鍋蓋北道で、北に向かい階段道がどんどん下っていく。
 この鍋蓋北道周辺も、間伐がなされ、気持ちよく歩ける道である。鍋蓋北道から西側には間伐された樹木越しに鈴蘭台方面の住宅街が見えている(写真左)。
鍋蓋北道
 縦走路から鍋蓋北道を10分ほど進むと、「災害に強い森づくり」の看板と道標がある分岐点が登場する(写真右 13:34)。
 ここは、直進すれば洞川に突き当たる。右に曲がると、修法ケ原大師堂を経て、再度公園に至る。ここを右折して、再度公園方面に入る。
 するとすぐに、修法ケ原大師堂が右手側に見えてくる(写真下 13:40)。
大師堂方面への分岐
大師堂方面への分岐
修法ケ原大師堂  大師堂は弘法大師所縁の場所で、次の説明書きがあった。
 延暦23年(804年)、空海(弘法大師)が入唐求法の旅に出られる前に当地に来られ、航海無事並びに新しい仏法習得を祈願されました。願いがかなったか無事中国に渡られ、唐の都長安の青龍寺にて、恵果和尚より真言密教を習得し、二年後に当地に再度登られ無魔成満の御礼参りをされました。よってこの地を、修法ケ原と呼ぶようになりました。

 これで、再度山の由来が良くわかる。
修法ケ原大師堂
再度公園に到着  静かな場所に立つ大師堂に手を合わせ、再度公園に進む。
 大師堂から5分で再度公園に到着(写真左 13:45)。
 ここでは、ハイカーだけでなくマイカーでの行楽客も入り混じって、にぎわっている。修法ケ原池の周囲には、適度な間隔で腰を下ろした客の姿があった。
再度公園に到着
 当方もここで昼食休憩とする。池の後方の広場に適当な石があったのでそこで弁当を広げた。
 お握りを頬張りながら、石の周囲を見ると「六甲植林発祥の地」の表示が目に入った。見ると、この再度公園は、明治36年に、当時はげ山だった六甲山に植林を始めた地である旨が説明してあった。そのことにちなみ、再度山は「永久植生保存地」に指定されているのであった。
 ここには何度も来ているが、知らなかった。
再度山と修法ケ原池
再度山と修法ケ原池
善太郎茶屋跡  20分弱、再度公園で休憩後、下山を始める(13:57)。今日は縦走路を経て、大竜寺から再度山ドライブウェイ沿いに堂徳山方面に下っていこうと思う。
 再度公園から15分ほどで大竜寺の駐車場に到着(14:13)。ここには飲料の自販機があり、ちょうど飲料会社のトラックが、商品の補充作業をしていた。
善太郎茶屋跡
 飲料が欲しい時に売り切れの場合も多いので、補充の頻度を上げてほしいなどと、勝手な願望をいだきながら駐車場を過ぎようとしていた時、「善太郎茶屋跡」の表示が目に入った(写真上)。
 善助茶屋はよく聞くが、善太郎茶屋とは、はて??・・と思い、その表示を見ると、ここは神戸ヒヨコ登山会の発祥の地であるらしい。 もう創立100年になろうかという歴史ある登山会の益々の発展を祈りたい。
 善太郎茶屋からKWSシーダーカテジ跡、善助茶屋跡を経て、再度山ドライブウェイ沿いの山道(二本松道)を下っていく。
善助茶屋跡
善助茶屋跡
湊川神社神苑  二本松道は、明治の末から大正・昭和の始めにかけて、北野町からハンター坂、二本松茶屋、二本松を通り善助茶屋へと毎日登山を行ったルートの一つとして賑わった道だといわれる。
 再度山ドライブウェイを時折通過していく車を見ながら、二本松道を20分ほど歩くと山道は再度山ドライブウェイに飛び出した(写真左 14:33)。二本松のバス停で「湊川神社神苑」の大きな石碑があるところだ。
 ここは湊川神社から遠く離れているが神苑なの??。神苑の石碑の裏面にはびっしりと漢字が並んでおり、その謂れが記されているようだが・・・・?!
湊川神社神苑
 「湊川神社神苑」からは、また、山道に入っていく。すぐに、城山と堂徳山方面の分岐となる。ここは堂徳山方面に進む。
 この辺りの山道の西側のピークが堂徳山の山頂であろうが、所在は明確でない。
 やがて、「行き止まり」の道標のところでドライブウェイに合流となるが、ここは左に入って「行き止まり」の道標の方に進んでいく(写真右 14:55)。
「行き止まり」の道標
「行き止まり」の道標
笹に埋もれる口一里三角点 三等三角点:点名 口一里
笹に埋もれる口一里三角点 三等三角点:点名 口一里
堂徳山南尾根(この分岐は左へ)  「行き止まり」の先に、尾根道が北野町に向け下っている。ちょうど堂徳山の南側の尾根なので、以後「堂徳山南尾根」と呼称する。
 堂徳山南尾根に入ると、すぐに口一里三角点が道脇に設置されているが、笹に埋もれかけていて見落としかけた(写真上)。
 更に、明瞭な踏み跡を進んでいくと鉄塔が登場する(14:59)。このあたりは鉄塔巡視路で道はしっかりと付けられている。
 次に分岐となる(写真左 15:02)。ここは、左に一気に下る。(右の踏み跡は行き止まり)
堂徳山南尾根(この分岐は左へ)
 すると、すぐに次の分岐点となる(写真右 15:05)。ここは左に登る。
 右に下っている道もしっかりとした道である。つい、いつもの癖で、その道の方に進んでみた。
 急な下りを少し下ると鉄塔で行き止まりであった。なあーんだ!!いわゆる「行ってこい。」の道だった。
 ここには迷い込まないようにしたい。
 (^。^;)
堂徳山南尾根(この分岐も左へ)
堂徳山南尾根(この分岐も左へ)
堂徳山国有林治山事業  分岐を左に登ると、「堂徳山国有林の治山事業(林野庁)」の大きな看板がある(写真左 15:09)。
 その看板では、堂徳山国有林は昭和24年から治山事業を行っている旨説明されている。谷止工、落石防護柵、補強土工などの工事と、森林整備が定期的に行われているとのこと。堂徳山南尾根道も併せて整備されることを祈る。
堂徳山国有林治山事業
 堂徳山国有林の治山事業の看板を過ぎて少し進むと堂徳山南尾根は下りとなる。落ち葉の積もった傾斜のある尾根で滑りやすくなっているので、トラロープが張ってある(写真右 15:13)。 そこから先は、概ね落ち葉の積もった尾根道で、傾斜のきついところはロープの設置がある。 尾根も終盤に近付くと、落ち葉の尾根幅が広がってルート取りが難しくなる。そこでは細い木に青色のペンキでマークがあり、その表示に従う。 トラロープの堂徳山南尾根
トラロープの堂徳山南尾根
木の柵で土止め  最後に深く落ち葉の積もった急なつづら状の下り道となる。ここは滑って危ないので、トラロープが渡してある。落ち葉の下には丸太で土止めした階段の跡があり、古くは整備されたハイキング道であったであろうことが窺われる。 その先は、木の柵で土止めした道となって、谷に突き当たったところで、大きく左に曲がると北野町西公園に飛び出す。公園に入るには、猪よけの扉があるので、この開閉には注意したい。
土留め柵
 堂徳山南尾根は鉄塔巡視路の部分を除き、歩く人が少ないようで、落ち葉の堆積がハンパでないさみしい感じの道だった。(堂徳山からの下りは、市章山、錨山を経由するのが無難だろう。)
 北野町西公園からは市街地歩きとなり、JR元町駅まで神戸のしゃれた街並みをながめながら、筋肉をクールダウンしたのであった。
 元町駅には15:58の到着で、本日は約5時間の山歩きであった。
北野町西公園
北野町西公園
●堂徳山南尾根は鉄塔巡視路の部分を除くと整備がされていないので、歩行には十分注意したい。
●二本松道:明治の末から大正・昭和の始めにかけて、北野町からハンター坂、二本松茶屋、二本松を通り善助茶屋へと毎日登山を行ったルートの一つとして賑わった道(従前、二本松道に掲げられていた「再度登山連合会」の説明板による)
●この頁は、古い歩行記録(平成18年10月14日)とほぼ同じコースを今回歩き直し、内容を更新しました。
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