飯盛山(河内) (お勧め度★★★) 関西の山【7-41】 |
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JRを乗り継いで、学研都市線の野崎駅までやてきた。駅前にでると赤い欄干があって、「野崎詣り」の雰囲気が漂う(写真左)。 駅前の大きな地図の案内表示で、野崎観音までの道を確認する。地図の表示では野崎駅から野崎観音まで、約12分の表示がある。地図に従い駅前を出発する(9:42)。 |
野崎駅 |
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野崎観音まで、東に向かって真っすぐ道が続いている。途中のコンビニで、食料、飲料を調達し、駅から約10分ほどで寺院の下までやってきた。野崎観音慈眼禅寺の石柱の先で、急な石の階段が待ちかまえている(9:54)。 その石階段を登り切ったところが野崎観音の山門前で、西に展望が開ける(9:58)。山門をくぐると、野崎観音慈眼禅寺の境内で、ここもなかなかの展望である(写真下)。 |
野崎観音参道 |
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野崎観音は、慈眼寺という禅宗のお寺で、今から1300年ほど前、行基が十一面観音を彫んでここに安置したのが、はじまりとされる。また、お染久松を主題にした近松門左衛門「女殺油地獄」や、落語「のざき詣り」などでも広く知られる。 |
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野崎観音境内 |
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他の、参詣客に交じり、お参りをしたのち、境内を散策する。境内に祀られた「お染久松の塚」や、西国霊場の札所すべてを拝むことができるという「西国三十三所観音堂」などをゆっくりと巡って散策する。 その後、境内にある「飯盛山ハイキングコース」の表示に従い、お堂の左側からハイキング道に入った(写真左 10:10)。「飯盛山ハイキングコース」の表示に従って進むと、すぐに大きな案内地図が設置されている(写真下)。 |
野崎観音 |
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「飯森山ハイキングコース」では、山域の諸ルートや、史跡などが案内されている。今日は、この案内地図で「七曲りコース」とされるルートで飯盛山を目指したい。 案内地図を過ぎると、すぐに石造九重層塔に至る(写真下 10:16)。この塔は、昭和初期まで九層であったものの、その後、台風で最上層と相輪を失って、八重層の塔となっていたものが、現在は復元され九層となっている。造立銘は永仁2年(1294年)とされ、北河内最古の層塔らしい。 |
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飯盛山ハイキングコース |
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石造九重層塔 |
観音峠 |
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石造九重層塔は、大東市の有形文化財であり、塔のある高台からの展望も素晴らしい。 石造九重層塔を過ぎ、吊り橋(10:19)を経て、少し登ったところが観音峠の分岐点である(写真上 10:22)。ここで南尾根コース、七曲コースが分かれている。併せて、野崎城址への道も分岐していたので、まず、野崎城址への階段道を登っていく。 |
野崎城址 |
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すぐに、野崎城跡の削平地に至る(写真上)。野崎城は、史実上は不明な点が多いが、飯盛山城の築城後には、飯盛山城の出城となっていたらしい。城跡の削平地は展望良しだった。 野崎城址から観音峠に戻り、七曲コースに進む。せせらぎ小橋で小さな流れを渡り、ゆるやかな坂道を登っていくと、道標の立つ分岐点となる(写真右 10:34)。ここで右折し、舗装路を登っていく。 |
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分岐は飯盛山方面へ |
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舗装路を少し登ると道脇に廃屋があり、その先で舗装路が土の道に変わる(10:36)。次に、道が左右に分岐する(10:36)。左に進むと「竹林コース」であるが、ここは右の七曲りコースに進む。その先にもすぐ分岐があって「大東の杜」の道標がたつ(10:40)。七曲りは左だが、右が灌頂の滝と案内されている。ここは、灌頂の滝に立ち寄ってみることにした。流れに沿って、少し荒れた感じの山道を登っていく。 |
灌頂の滝分岐 |
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落葉や岩場で歩きにくい場所もあるので足場を選んで進んでいくと、分岐から3分ほどで灌頂の滝に到着した(写真右 10:43)。光の差し込まない薄暗い場所で、灌頂の滝が流れ落ちていた。灌頂の滝は、不動明王や八大龍王に見守られている。荘厳な雰囲気が一帯に漂っている。「灌頂」という言葉は、霊水を頭からいただく修行の意味ときくので、ここは行場の滝ということだ。灌頂の滝で手を合わせて、そこを後にする。 |
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灌頂の滝 |
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灌頂の滝から七曲りコースの道に戻り、飯盛山を目指し進んでいく。すぐに七曲りの急な登りとなる。ここは急な坂道が幾重にもつづらになって一気に高度をあげている。道はよく整備されて歩きやすいが、急傾斜なのでゆっくりと登る。途中、古い祠や石碑が残り、ここが歴史のある道であることが伺える。 |
祠の残る七曲りコース |
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古い祠が見えてくると七曲りの急登は終わり、尾根に乗る(10:55)。その先、すぐに分岐となる。ここは「辻ノ新池下分岐」と表示されている。この分岐は左に登って、尾根の方に進む。急登を登るとすぐに尾根に乗って、歩きやすい道になる(写真右)。少し進むと、右下に辻ノ新池の湖面が見え、池沿いの道を進むハイカーの姿も見え隠れしていた。 |
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つつじ尾根 |
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晴天で陽光を浴びながら尾根道を少し進むと、左側から山道が合流してきた。合流してきたのは竹林コースの道で、分岐にある道標では、ここは「つつじ尾根分岐」とされている(写真左 11:06)。ということは、この陽光の尾根道は「つつじ尾根」ということになるのだろうか。なお、道標では、この分岐から飯盛山まで15分の表示である。 |
つつじ尾根分岐 |
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杉むら峠 |
七曲りルート |
その先も、歩きやすいつつじ尾根を進むと、「つつじ尾根分岐」から5分で「杉むら峠」に到着した(写真上 11:11)。杉むら峠で、辻ノ新池からやってきた七曲りルートに合流する。なお、杉むら峠の道標では、竹林コースは悪路であり、初めての人は「七曲りルート」に進むように案内してある。 杉むら峠からも、七曲りルートは歩きやすい快適な尾根道が続いている(写真右上 11:16)。やがて、前方にFMラジオ放送所の白い建物が見えてきた(写真右 11:17)。 |
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FMラジオ放送所 |
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FMラジオ放送所の建物は飯盛山送信所で、FM802の番組を、大阪府と京都府、兵庫県、奈良県の一部、約400万世帯に放送している旨が説明されていた。 その飯盛山送信所の先、もう一登りしたところが、飯盛山の山頂であった(11:22)。山頂には、太陽を背にして北の空に向かい小楠公「楠木正行」の像が立っていた(写真左)。 |
楠木正行の像 |
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楠木正行は、大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」と称される。南北朝時代、四條畷の合戦で北朝方の高師直軍と戦い、敗れた武将。飯盛山の像は昭和12年に建立されたものの、太平洋戦争で、昭和18年に台座を残して供出され、戦後、昭和47年に再建されたときく。
小楠公の銅像の傍らに、再建に尽力した方の銅像がたっている。 |
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飯盛城址 |
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小楠公の像の前には「飯盛城址」の石標が立つ。傍らにある説明では「飯盛城は中世の山城で、南北朝の頃に築かれた。その後、本格的に整ったのは享禄の頃とされる。全盛期には、城域に大小約70の廓が築かれ、全国でも有数の山城であった。」旨、要旨、説明されていた。なお、小楠公の像の立つ場所が山城の「本丸高櫓郭」跡となる。 |
飯盛山山頂の展望台 |
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小楠公の像を過ぎた先が、飯盛山山頂の展望台となっていた(写真上)。展望台の上部とその周囲では多くのハイカーが休憩されていた。展望台からは、眼下に大阪平野が手に取るように望め、町並から人々の営みの声が聞こえると思えるくらい、クリアーで見事な展望である。大阪市街地はもちろん、遠く、比叡山、比良山、京都市内から神戸あたりまで展望できるようだ。ここは圧巻の大展望であった。 |
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飯盛山の展望 |
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飯盛山展望台の眺望 |
飯盛山 |
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飯盛山の山頂は、老若男女で大賑わいで、展望台では弁当を広げて山談義のグループもいる。小さな子供たちを連れたママさんグループもやってきて、更に賑やかになる。飯盛山が地元の方に愛される山であることがわかるが、ゆっくりできる状況にはない。そこで、次に飯盛山の山頂近くの楠公寺を訪ねてみることにした。 山頂から東に下る山道を進むと、すぐに舗装路に合流して、その先、数分で楠公寺に至る(写真左 11:40)。 |
楠公寺 |
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飯盛山楠公寺は、四條畷の合戦で桜と散った楠木正行の軍勢の菩提を弔うために開山された。寺には八大龍王、白龍大明神も祀られているが、そこは、すこぶる急階段ゆえ今回は参拝を回避する。傍らに、滝谷楠水の場の表示があったので、そちらに少し下ってみたが、どこまで下るのかわからず、こちらも途中で回避して引き返す。再び、楠公寺に戻って(11:51)、そこから飯盛山に登り返す(11:56)。次に、飯盛山から四条畷方面に下って行くことにした。 |
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八大龍王への急階段 |
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飯盛山から北に向かい歩きやすい道を進む。周囲に桜の古木が多く、花の季節は見事だろうと思いを巡らす。やがて、登山三百記念の碑が立つ小ピークに至る。ここは飯盛山城「二の丸御体塚郭」があったとされる場所になる。 |
登山三百記念の碑 |
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登山三百記念の碑を過ぎると、山道は薄暗い下りの階段となる。つづらになって、急階段が下っているので、足元注意で進む。その先、「飯盛山史跡碑」の立つ場所に到着した(写真右 12:10)。ここが、飯盛城二の丸史蹟碑郭となる。大きな石碑「飯盛山史跡碑」は、大正12年に四条畷中学校校友会によって建てられたらしい。石碑には、飯盛山城の概要が簡記されている(ようだ)。 |
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二の丸史蹟碑郭 |
飯盛城二の丸史蹟碑郭にはベンチとテーブルがあり、展望の場所となっていた。北東に向かい素晴らしい眺望だ。しばし、ここで休憩とした。 ソロの方、二人も休憩がてら、ここからの展望を楽しんでいた。 |
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二の丸史蹟碑郭の展望 |
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飯盛城二の丸史蹟碑郭で展望を楽しんだ後、そこを出発した(12:15)。次に麓の四條畷神社を目指す。 桜の古木が多い尾根道を進むが、階段が多く足元に十分な注意を払う。周囲には木々の間から展望が広がり、歩いていても気分が弾む。この辺りが、飯盛山展望コースと言われるのだろう。 |
飯盛山展望コース |
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更に下って行くと、強烈な階段道が登場した。階段の両側に鎖が張ってあり、その鎖をつかみながら、一段一段、階段を下って行く(写真右 12:25)。その先も、急な階段が続き、この一帯は気を緩めることはできない。 やがて、御机神社分岐まで下ってきた(12:33)。ここは左折して、四條畷神社の方に下る。 |
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四条畷神社への急下り |
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更に階段道を下り、その先、傾斜がゆるんだところで、麓の街並み近くに下ってきた(写真左 12:44)。 飯盛城二の丸史蹟碑郭からここまで、強烈な急階段が多かった。下りでの足元注意はもちろんだが、その階段を登りに使うのは、躊躇を覚えるような傾斜だった。 次に、四条畷神社に到着となった(写真下 12:46)。 |
市街地が見えてきた |
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四条畷神社は、飯盛山の山頂に立っていた銅像の主、楠木正行を主祭神とする神社である。境内には、台座に「忠孝両全」、「貞仁両全」と彫られた像が一際目を引く。神社では、地元の高校野球の生徒さんたちであろうか、拝殿に整列して、皆でお参りをしていた。四条畷神社では心願成就のご利益もあると聞くので、きっと、生徒諸君に勝利の女神が微笑んでくれるだろう・・・、などと思いを巡らせながら神社を後にした。神社から10分少々で四条畷駅に到着し(13:06)、今日の山歩きを終えたのであった。 |
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四条畷神社 |