市章山・碇山・諏訪山 (お勧め度★★★) 表六甲【1-5】 |
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市章山、碇山へはJR神戸線若しくは阪神電車の元町駅から北に向かって歩いていくのが近い。 元町駅を北側に出て西に進む。階段を登ると神戸生田中学校の角に出る。中学校の西側の道を北に進むと正面に満開の桜が見えてきた(写真左)。 突き当たりは兵庫県公館で、その庭の桜が見ごろを迎えている。ここは通り抜けがOKなので、桜見物を兼ねて公館の庭園を通過する。ここの通り抜けは大阪造幣局のそれと異なり、ほとんど通り抜ける者がいない。 |
正面に兵庫県公館の桜 |
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公館を出て、その北側の兵庫県庁、相楽園を確認しながら緩やかな坂を登っていくと、やがて正面に諏訪山が見えてきた(写真左)。 諏訪山は161mの低山で、市街地のまさに裏山であるが、国土地理院の地形図にもちゃんとその名が載っている。 次に市道山麓線を越えると諏訪山公園登り口に到着した。ここには諏訪山遊園の碑があり、標高は約50mである。ここから急な坂を登ると標高約90mの広場に至る。 |
諏訪山が見えてきた |
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諏訪山公園の広場は金星台とよばれている。 今日の金星台は多くの人でにぎわっていた。 諏訪山公園は、桜の名所となっているので桜見物の人かと思ったが、どうも様子が違うようだ。それは、多くの人の視線の先にブルーとピンクの獅子がいたからだ(写真右)。 賑やかに、鉦や太鼓も鳴り始めた。獅子舞が始まったのだ。 |
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獅子舞 |
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本日は「諏訪山さくら祭り&太極拳交流会」ということで、なにかとイベントが用意されており、その手始めの獅子舞の演技(神戸華僑総会:舞獅隊)が始まったのだ。 この獅子舞等のイベント目的で多くの人が集まっていたわけだ。 中国の獅子舞はTV等では見たことはあるが、本物は始めてである。二人一組で獅子をあやつり、時には後者の膝の上に前の者が立つという、アクロバット的な演出もある。迫力ある獅子舞(写真左)にしばし見入ってしまった。 |
迫力の獅子舞 |
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ところで、諏訪山公園は、またの名を金星台ともいう。 これは、明治7年にフランス人天文学者ジャンセン氏らがこの地で太陽と金星、地球が一直線に並ぶ「金星の太陽面通過」という現象を観測したことに由来する。 このことを記念して写真右の記念碑(金星観測記念碑)がここに建てられた。そこでこの公園を金星台と呼ぶようになった。 また、この記念碑に用いられている円柱形の石材は江戸時代の安政大地震(1855年推定M8.4)の時に破損した生田神社の「折れ鳥居」を再利用したものである。 |
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金星観測記念碑 |
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なお、金星観測記念碑の後方には海軍営の碑(勝海舟建立 写真左)もある。 獅子舞はまだ賑やかに舞っていて名残惜しかったが、当方は次に碇山を目指して諏訪山公園を出発することにした。 そういえば、さっきから気になっていたが、今日の諏訪山公園には「阪急ハイキング」の矢印シールがたくさん張ってある。確認すると、本日は朝日・五私鉄リレーウオークが開催されており、阪急・王子公園駅から諏訪山公園、ビーナスブリッジを経て神戸電鉄の鈴蘭台車庫までのコースでハイキング大会が開催されているのだ。 そのせいもあって、諏訪山公園の人出が多かったのだ。 |
海軍営の碑 |
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諏訪山公園を出て、その裏手にある諏訪神社にお参りしていく。 諏訪神社は約1600年以上前の創建といわれ、諏訪山公園や周辺地域の名称の元になっている。
この神社の本殿は朱塗りでとてもきれいである。(写真右) なお、この神社から西方の再度川の方に進んでいくと、網で囲まれた狭い通路を経て大師道へと道が続いている。今日は、市章山を目指すので、神社を右に巻くようにして進むことにする。 |
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諏訪神社 |
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諏訪神社を出るとすぐにビーナスブリッジに到着する(写真左)。 この橋は、再度ドライブウェーをまたいで金星台と諏訪山(151m)の山頂広場を結ぶ美しい8の字形のループ橋である。 橋の名前のビーナスは先程の金星台と同様、フランス人の金星観測にちなんでいる。 もともと、ビーナスブリッジの手すりには愛を誓ったカップルが、メッセージを書き込んで鍵(多くが南京錠)を取り付けていた。その数約4000個といわれ、一種異様な景観だった。この鍵が平成17年10月、すべて取り外され、これが溶かされて幅20aほどの黄金色でハート形のメモリアルプレートが鋳造されたらしい。 |
ビーナスブリッジ |
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その後のビーナスブリッジには、鍵をとりつけることは禁止され、そのかわりにビーナステラスにある「愛の鍵モニュメント」(写真左)に鍵を取り付けることになった。 愛の鍵モニュメントには、デザイナーによる次の言葉が添えられていた。「太陽が上るあるいは沈むその少し前、青色に包まれた世界の中で一番明るく輝く星、それが金星である。モニュメントはその金星のわずかな輝きを造形的に焼付け、神戸の町並みを一望できる爽快な立地と調和共鳴するような軽快でリズミカルなデザインにした。」このモニュメントの形は金星の輝きを意味しているわけだ。モニュメントには多数の南京錠がとりつけられていた。それぞれのカップルの永遠の愛をお祈りしたい。 |
愛の鍵モニュメント |
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ところで、ビーナステラスの展望台からの展望はすばらしい(写真右)。 ここに立てば、市街地のホテルや高層ビルの形がくっきりと見え、神戸市街が一望できる。 また、ビーナステラスの展望台は市街地から近く、夜景のスポットともなっている。 |
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ビーナステラスからの展望 |
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更にこの広場には、フランス料理店(レストラントゥールドール Restaulant TOUR D'OR 写真左)もあり、市街地の眺望を間近に楽しみながら食事もできる。 カップルには最高のロケーションである。 |
レストラン・トゥールドール |
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また、ここビーナステラスから北側を望めば、これから目指す予定の碇山(写真下)、市章山(写真右下)の連なりが確認できた(写真右)。 展望も十分楽しんだので、ビーナステラスを出発し(10:18)、次に碇山、市章山を目指すことにする。 |
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碇山・市章山の連なり |
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碇山 |
市章山 |
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レストラン横の階段を下り、バス停のところで車道を渡る。ここから急な登り階段となる(写真左)。 階段を登ると、傍らにアンテナが立つ小さな展望箇所があった。ベンチもあり、ここからなら絶景が独占できる(写真下)。 アンテナの展望箇所を越えると下りとなり、また車道を渡って道が二手に分かれる(10:30)。これはどちらを進んでも碇山に続いている。
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碇山への急な登り |
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碇山までは、かなり急な階段状の山道が続く。 ところで、諏訪山から碇山へと続く山道の一帯は太子の森と呼ばれている。これは、昭和34年皇太子ご成婚を記念してこの森が整備されたことにちなんでいる。 太子の森を尾根伝いに登っていくと右手側に碇型の植え込みが見えてきた(写真下)。 そして、碇山には10:45に到着した。 |
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碇山手前の小さな展望台 |
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碇山(錨山)は、明治36年、神戸港沖での明治天皇臨幸の観艦式の際に、学童や市民15,000人が日章旗を持って碇を形作り歓迎し、それを記念して碇の形に松を植樹したのがその名の始まりとされる。 その後、昭和41年にウバメガシに植え替えられ、更に昭和56年に神戸ポートアイランド博覧会を記念して電飾の設備が設置された。 碇の形は市街地から見るときれいな碇型だが、実際には地形に合わせてゆがんだ形に植樹されている。 電飾に必要な電力は風力発電(写真下)と太陽電池の電力を使用している。 |
碇のマークに沿って登る |
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碇山からの展望 |
碇山の風車(ダウンウインド型) |
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碇山を越えて少し登ると、すぐに市章山に到着する(写真左 10:52)。 市章山からの展望は、正面に神戸市街地、東は遥か大阪方面まで眺められ、眺望は抜群である。 市のシンボルマークの植え込みは急な山の斜面にあり、市章山の頂上から、ほとんど見ることはできない。 なお、国土地理院の地形図では、碇山の表示はあるが、市章山の表示はない。 |
市章山からの展望 |
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市章山からの景色も見飽きないが、3人組のハイカーが登ってこられたので、場所を譲り、先に進むことにする。 市章山の階段を下り、再度ドライブウェーを横切り、また山道に入る。 この山道はドライブウェー沿いに北にのびている。 右手側に見える市章山(写真右)を後にして、次に堂徳山を目指す(11:06)。 |
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再度ドライブウェーから見た市章山 |
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市章山までは急な登りの山道が続いたが、市章山を過ぎると概ね平坦な山道(写真左)となり、これを約10分程度進むと、ちょうど駐車場のところで、また再度ドライブウェーに出る(11:18)。 ドライブウェーを渡った辺りが地図上では堂徳山となっているが、山頂がどこだかよく分からない。 堂徳山の三角点は、「この先行き止まり」と書いてある案内標識のやや南にある。 |
再度ドライブウェー沿いの山道 |
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三角点から少し北に進むと、左手側に台地状の場所(写真右)があり、ここを堂徳山としているHPもある。 さらに少し進んで、左手側にある小ピーク(笹の藪の中にある薄い踏み跡をたどり、桜の古木がある小ピーク)が堂徳山のピークとも考えられる。 とはいうものの、この一帯を堂徳山と称し、特にピークの特定はないと考えるのが正解かもしれない。 |
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堂徳山山頂か?? |
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堂徳山を過ぎるとすぐに写真左の分岐点に出る(11:36)。標識によると、ここは二本松林道方面と城山、布引方面への分岐と書いてある。 二本松林道方面に進むと、再度ドライブウェー沿いの道で大龍寺、再度公園へと続く。 今日はハンター谷東尾根を下るので、この分岐は、城山、布引方面へ進む。 |
二本松林道方面と城山方面への分岐 |
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すると、またまた山道が分岐する(写真右 11:45)。 左は城山、布引方面なので、ここは「堂徳山国有林を経て北野町4丁目0.8km・北野道方面」と表示された、右側の道を進む。 すぐ急な階段の下りとなり、つぎに快適な樹間の山道となる(写真下)。 |
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左は城山へ、右は北野町へ |
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城山、布引方面との分岐から10分ほど下って、また、道が二手に分岐した( 11:55)。 左は「北野町」との表示があるが、右は何らの案内もない。 しかし、右側の道がハンター谷へ下る道なので、ここは右に進む。 右に進むと、また階段の急下りとなる。 この辺りで、ふと、右手側に目をやると、市章山から堂徳山へ続く尾根筋が確認できた。このハンター谷東尾根は、先ほど登ってきた市章山から堂徳山の尾根筋のちょうど東側に平行して並ぶ尾根なのである。 |
ハンター谷方面に下る |
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ハンター谷東尾根の前半は、間伐等がなされ、山の手入れができていて明るい感じのエリアであるが、そこを過ぎると木々の茂る森に突入する。 光が通らず、薄暗い中に階段道が下っている。急勾配の階段道を下っていくと、やがてハンター谷(天神谷)東尾根の標識が表れ、すぐに市街地が見えてきた(写真左)。 ここはちょうど異人館街の裏手であった。 |
異人館裏に出てきた |
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写真右は 「風見鶏の館」 であり、ここは北野町異人館街のシンボルともいえる場所である。 写真では、館の尖塔に立つ風見鶏がちょうど木に隠れて見えないので、拍子抜けだが、どっしりとした重厚な雰囲気は伝わるので、それで良しとする。 人気の少ない山中から、突如、観光地に出て、少々違和感を感じてきた。よって早々に退散することとし、急ぎ足で駅を目指す。異人館街を目指す人々の流れに逆流して道を南進し、阪急三宮の駅には12:40に到着した。 今日は3.5時間の神戸元町裏山散策であった。 |
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風見鶏の館 |