天狗岩南尾根・石切道  (お勧め度★★☆) 表六甲【1-20】

辛い登りの続く”天狗岩南尾根”、御影石を切り出した歴史の道”石切道”、
岩石に関係する2つの道を歩いてみた。

Route MAP
linelineline
説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 天狗岩南尾根道の取り付きである住吉山手の住宅街は、駅からすこぶる遠い。そこで今回(平成21年7月4日)は、時間の節約という名目でバスを利用することにした。7月の日照りはきつく、住宅街の坂道を長時間歩きたくなかったというのが本音だが・・・。
 阪神御影から市バスに揺られ、渦森橋のバス停に到着したのは9時40分。バスでやって来たハイカーは当方ともう一人いたが、その方は大月地獄谷か石切道の方に進んでいかれた。当方は、バス停前の西谷公園で、身支度を整えたのち、天狗岩南尾根を目指しスタートすることにした。
西谷公園からスタート
西谷公園からスタート
住宅街にある西山谷への表示  バス停近くにはハイキングコース案内図が設置してある。それによりルートを再確認して、本日の第一歩を踏み出した(9:42)。
 まずは寒天橋を目指して住吉山手9丁目の住宅街を進む。勾配のある坂道が続き、早くも汗がにじみ始める。
 住宅地の中には、寒天山道や西山谷方面を示す案内表示がある(写真左)。住宅街の急な坂道を登って、それが間違った道であったら、落胆の度数は計り知れない。したがって、こういった市中の案内表示には大いに感謝をおぼえる。
住宅街にある西山谷への表示
 住宅街を奥まで進み、やがてアスファルト道が土の道にかわった。そこから山中に突入である(9:50)。
 少し進んで大月谷川に架かる寒天橋(写真右)に至った。寒天山道や西山谷方面へは、この橋を西へ渡る。
 天狗岩南尾根へは直進である。
 また、この橋の東詰には、付近の案内図が立っていた(写真下)。それによると、これから登る天狗岩南尾根の西側の谷が「西山谷」、東側の谷は「大月谷」とされる。その大月谷の東側が西谷山の尾根筋で、その更に東側の谷が「大月地獄谷」と表示されている。
寒天橋に到着
寒天橋に到着
天狗岩南尾根への登り口  その大月地獄谷の上流に目をやると、「大西谷」、「赤滝谷」や「紅葉谷」なる谷が分岐しているのが分かる。
 山中深い谷筋にも名前が付けられているという事は、昔から、人々が生活に関連して、その辺りまで入り込んで、何らかの営みを行っていたということに違いない・・・・などと、案内表示を前に無駄な思案をしている当方であった。(六甲の南斜面にも「紅葉谷」があるとは、知らなかった。)
 案内表示の前で少々時間を使いすぎた。大急ぎで大月谷川の左岸道を進み、天狗岩南尾根の取り付きを目指す。
天狗岩南尾根への登り口
 左岸を進むとすぐに沢に突き当たる。これを渡ると次に丸太材で作られた階段が見えてきた(写真右)。
 この階段のある斜面の勾配は、相当きつい。
 少々オーバーな言い方をすれば、垂直の壁状の所に無理やり階段を作っているという感じだ。
 この急階段は天狗岩南尾根の突端を一気に駆け上がっているものなのだ。
天狗岩南尾根の急階段
天狗岩南尾根の急階段
天狗岩南尾根の尾根道  急階段を何とか登りきって尾根の上部に出て来た(写真左)。
 そこには、しっかりとした道がついていたが、道の両側の笹が繁茂し、少々歩き難い感じだ。
 おまけに昨日までの雨模様のせいで、笹にはたっぷりと水滴がついている。これで足元が相当濡れてしまった。先が思いやられる。
 少々進んで、西山谷から登ってくる道が左手側から合流した(10:05)。
 さらに5分ほど進むと、またまた、西山谷から登ってくる道が合流した(10:11)。そこには天狗岩南尾根の案内表示も立っていた。
天狗岩南尾根の尾根道
 天狗岩南尾根は辛い登りが続くと、よく形容されるが、その言葉に偽りはない。笹の茂った急勾配道が延々と続く。
 やがて高圧電線の鉄塔の立つ場所にやってきた。この辺りも、背の高い笹で一面が覆い尽くされている。この鉄塔のところで、道は左右に分岐する。ゆるい道と、きつい道の分岐である。どちらを進んでも少し上で合流する。今日はきつい道で登ってみた。
 しばらく進んで、勾配が少々ゆるんできた。そこで一人のハイカーが、道にしゃがみ込んで、熱心にノートをつけていた。今日の山行きの記録を留めているのであろう。邪魔にならぬよう、静かに脇を越えることにする。
石柱の立つ天狗岩南尾根
石柱の立つ天狗岩南尾根
ベンチのある天狗岩南尾根  更に進んで、道中に石柱が立っていた(写真上 10:39)。古い境界柱かもしれないが、掘られた文字はもはや判読できない。
 この石柱から天狗岩南尾根道の勾配はややゆるやかになった。少し進んで、一人のハイカーとすれ違った。ちょうどそのあたりで、右手側に薄い踏み跡が分岐していることに気が付いた(10:47)。そこで、少しその踏み跡に入ってみた。そこには丸太材で作られた古い階段道が続いていた。それは、西谷山の尾根道と思われる。
 この道は、またいつか探索することとして、今日は天狗岩南尾根を北に進む。
ベンチのある天狗岩南尾根
 また急となった道を少し登って、木製のベンチが3つ設置された広場状の所にやってきた(写真上 10:55)。
 ここでお茶を飲むべく、一番南側のベンチに腰掛けた。そこで、偶然、そのベンチの先から、山道が南に下っていることを発見した。
 見ると数個のテープ表示もある。ここから西谷山の尾根道が始まり、先程確認した古い階段道に繋がっているものと思われた。
 ところで、この広場には、建設省六甲砂防事務所が所轄する2級基準点も設置されていた(写真右)。
建設省六甲砂防事務所2級基準点
建設省六甲砂防事務所2級基準点
工事跡が残る天狗岩南尾根  ベンチが3つ設置された広場を過ぎると道の勾配が緩やかになった。
 つぎに右手側に踏み跡が下っている箇所が登場した(11:00)。この道は大月地獄谷方面に下る道なのであろう。
 更に進むと、尾根道の両サイドの木々が刈り取られている箇所となった(写真左 11:11)。
 平成21年5月頃まで兵庫県六甲治山事務所により大西谷(大月地獄谷の上流で天狗岩南尾根の東側の谷筋)の谷止めの治山工事が行われていたが、ここは、その工事の資材運搬用にワイヤーが張られていた跡かもしれない。
工事跡が残る天狗岩南尾根
工事跡から東方面を望む 工事跡から西方面を望む
工事跡から東方面を望む 工事跡から西方面を望む
天狗岩南尾根道  工事跡から東方面を望むと、山々が幾重にも連なり、その後方は靄がたなびきかすんでいた(写真左上)。
 一方、工事跡から西方面を望むと、六甲ケーブル山上駅方面が確認できた(写真上)。
 この工事跡の場所から、もう少々、きつい勾配の道を登っていくと、天狗岩の広場に飛び出した(写真下 11:19)。
 いつも賑わっている天狗岩も、今日は先客もなくひっそりとしていた。
天狗岩南尾根道
 天狗岩南尾根道は、急勾配の階段道が連続するルートであった。この道を登りで使うと、“きつい”ということが再確認できた。
 また、尾根道は木々に覆われ、あまり展望も利かず、薄暗い箇所が多かった。
 それだけに、この天狗岩に到着し、明るい日差しを感じたときの開放感と充実感はすばらしいものであった。
天狗岩に到着
天狗岩に到着
天狗岩  南の空をひたすら眺め続ける天狗殿(写真左)の隣で、お茶休憩をとりながら、下りルートを考えた。
 今日は岩(石)つながりで、ここから近い石切道を下ることにする。

 サンライズDWを目指して北に進むと、すぐにオリエンタルホテルが見えてきた(11:30)。このホテルは今は営業していない。建物は荒れた感じが漂うが、庭に植えられたアジサイは今を盛りと咲き誇っていた。主無しとて、季節を忘れず花をつける生き物のたくましさを感じた。
天狗岩
 オリエンタルホテルからサンライズDWに出て車道脇を歩いていると、道脇で白い花が咲いていた。白い提灯のような花である(写真右)。
 恥ずかしながら始めてみた花であったので、珍しいいものように思い、何枚も写真を写していた。
 そして、カメラを構えながら、ふと先のほうを見ると、その花は車道脇のあっちにもこっちにも咲いていた。ということは、あまり珍しい花ではないのかもしれない。帰って調べたら、その花はホタル袋といい、“DW沿いの斜面に好んで生えるので、よく目立つ。”と説明されていた。ホタル袋を知らないのは当方だけということだった。
ホタル袋
ホタル袋
石切道の下り口  【参考】ホタル袋
 花にホタルを入れて遊んだ「蛍袋」説と、花を提灯に見立てた「火垂袋」説があるという。どちらも風情のある命名でいい感じだ。

 ホタル袋の咲き続く車道を東へ進み、みよし観音までやってきた(11:48)。石切道はこの観音様のもう少し東から下っている。
 3分ほど進んで石切道の入口までやってきた。
 ここには花崗岩で作られたりっぱな石切道の表示がある(写真左)。
石切道の下り口
 また、石切道の下り口には、神戸市森林整備事務所によって、付近の案内地図とともに石切道のいわれが説明してあった。

 むかし、六甲山で切り出した花崗岩は牛車などで運び、御影の浜から各地に出荷したので「御影石」の名で世に広く知られるようになりました。
 「摂津名所図会」には、京都や大阪など近畿一円の石橋や鳥居、伽藍の礎石、燈篭などがこの「御影石」で作られたと記されており、六甲山の石材は古くから近畿一円の街づくりに利用されていました。石切道はその名残りです。
石の多い石切道
石の多い石切道
石切道の表示  石切道の歴史を学んだのち、この道に入っていった(11:51)。
 石切道は最初少し登った後、つづら状になって急勾配を下っていく。
 天狗岩南尾根は丸太材で階段が多く作られていたが、それに比べ、こちらは階段は少なく、自然な感じの山道だ(写真上)。
 ただ石切道の名の通り、路面には石が多い。たまにある階段も石造りである。
 20分ほど下って、水場に至った(12:12)。斜面に差し込まれた水道パイプの先から、清水が流れ落ちている。流れ出た水であたりの路面は水浸しである。
石切道の表示
左下に五助谷の堰堤が見える  下り始めて20分少々で、左手側が開けて谷の底が見えるようになってきた。
 中々の景色である。
 砂防堰堤が2つ見えているが、繁茂した緑の中に、白いコンクリートが今にも飲み込まれそうな様子になっている(写真左)。
 五助谷は遡行したことがないので分からないが、見えている堰堤は五助谷第二堰堤であろうか。そうであれば、その少々下流に五助滝があることになる。
左下に五助谷の堰堤が見える
 更に下ると、左手側に視界が開けた(写真右)。
 次に丸太椅子が設置された展望台が登場した(写真下 12:35)。ここからは五助の連なりが手にとるように確認できる。
 五助山のピークはこの展望台の東あたりと思われるので、写真右下の松の木越しに見えるピークが五助山かもしれない。
 このピークで五助の連なりを見ながら昼食休憩とした。
 10分程休んでいる間に2人のハイカーが石切道を下っていった。
石切道からの景色
石切道からの景色
丸太の椅子が並ぶ石切道 眼前には五助の連なりが
丸太の椅子が並ぶ石切道 眼前には五助の連なりが
 昼食を終え、また石切道を下り始めた(14:45)。
 石の階段が登場し、これを下ると道幅が広くなり、路面もセメントで一部固められたような感じになってきた。ここは、古い壊れかけたセメント面の上に小石が残り、滑りそうで歩き難い。
 やがてコンクリート舗装路に合流した(写真下 13:23)。
 ここには、付近のマップと御影石で作られた石切道の表示がある。
 なお、この分岐を左に進んで行くと五助谷に合流し、そこから五助滝は近いらしいので、また探訪してみたい。
石の多い石切道の路面
石の多い石切道の路面
幅広のコンクリート道に合流  コンクリート路に合流する地点(写真左)からは車も通れるコンクリート道となる。
 この味気ない舗装路を下っていると、すぐに左手側に大小の石が積み上げられた場所が見えてきた(写真下)。
 おびただしい数の石が積み上げられている。石を切り出した際の半端な石なのであろうか。それとも今後商品に加工される前の在庫品なのであろうか。いらぬお世話の思案をする当方であった。
 しかし、これを見ると、石切道を歩いていることをいつも実感する。
幅広のコンクリート道に合流
 その石を積み上げた場所を過ぎると、すぐに左手側に119番通報プレートのある案内標柱が登場する。標柱には“左:住吉川(石切道)”と記されている。ここでコンクリート道にお別れして左折し、山道に入る。
 この山道は薄暗くて、足元は石ころだらけである。途中、五助谷方面や西谷橋に至る分岐があるが、直進する。
 住吉霊園の横を通って、やがて住吉道に合流した(13:23)。ここから少し下ると、道端に“くるくるバス”の停留所を案内する手造りの表示が掲げられていた(写真下)。
石が山積みの石切道
石が山積みの石切道
くるくるバスの案内  この辺りから白鶴美術館を経て阪急御影まで住宅地の中を歩くのは、山を下ってきたハイカーには結構苦痛である。そんなシチュエイションで登場するこの“くるくるバス”の案内にはスーッと引き付けられるハイカーも多いことだろう。
 本来は、住吉台の住民の方の足となっているものであろうが、この道端の案内板からすると、ハイカーの利用も期待されているものと思われる。そこで、今回はこのバスを利用させていただくこととした。
 案内表示にしたがって、進んでいくとエクセル東のバス停でちょうどバスが当方を待っていてくれた。早速、200円を支払い車中の人となったのであった(13:45)。
くるくるバスの案内
このページTOPへ

HOME 1表六甲 2北六甲 3西六甲 4東六甲 5鵯越周辺 6丹生山系 7関西の山
 
linelineline