地蔵谷・蛇ケ谷 (お勧め度★★☆) 鵯越・鈴蘭台周辺【5-9】

今日(平成18年10月7日(土))は、鈴蘭台から東へ、有馬街道を越えて
牛の背から山域に入り、蛇と地蔵という対照的な名前の谷道を歩いてみた。

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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 神戸電鉄の鈴蘭台駅から有馬街道に向かって東に進み、二軒茶屋から山に入っていく。鈴蘭台から二軒茶屋までアスファルト道を30分程度歩くことになる。
 有馬街道を越えると、すぐに左手側に神戸変電所が見えてくる(写真右 10:20)。この建造物は、いかにも、「電気を送り出してるゾ!」と言わんばかりのたたずまいに見える。
 神戸変電所を過ぎると、すぐ右手側に、牛の背道への入口が見えてくる(写真下)。
神戸変電所
神戸変電所
牛の背への入口  「牛の背を経て再度公園」の表示(写真左)に導かれて牛の背に入ると、すぐ左手側にゴルフの打ちっ放し場がある。網が張ってないようで、山道にゴルフボールが何個もころがっている。この辺りは飛んでくるボールに気を付けながら進む必要がある。
 「牛の背」とは、馬の背ほどではないが、狭い尾根道であることから、このような名称が付けられたのであろう(写真左下)。
牛の背への入口
牛の背 牛の背と鍋蓋北道の合流
牛の背 牛の背と鍋蓋北道の合流
 やがて牛の背道と鍋蓋北道と合流する(写真右上 10:33)。ここからは右(南)方向に進み、再度公園を目指す。
 少し進むと、鍋蓋北道から修法ケ原へ続く道が分岐する(写真右 ここには「こうべ森の学校演習林」の表示が立てられている。)。この分岐に入り、修法ケ原を目指す。
 この道沿いの途中には、弘法大師修法の地を示すお堂がある。このお堂を過ぎると、再度公園に到着である(10:50)。
鍋蓋北道から修法ケ原への分岐
鍋蓋北道から修法ケ原への分岐
修法ケ原池  再度公園は、修法ケ原池を中心として、その周りに回遊路が整備された自然豊な公園である。休日には、いつも多くのハイカーや家族連れで賑わっている。公園の北側には外人墓地もあり、この中には、いろんな宗教(宗派)の墓が並んでいる(そうだ)。
 修法ケ原池にはボートハウスもある(写真左)。又、この池では小魚がたくさん群れており、パンくずを水面に落とすと、魚達はいっせいに水面に顔を出し、あっという間にパンくずは食べ尽くされてしまう。
修法ケ原池
蛇ケ谷道  再度公園で30分ほど休憩した後、蛇ケ谷道を目指して出発する(11:20)。
 修法ケ原池の東の湖畔に、「バス停→」と表示された道がある。この道に入り少し下ると小さな池に出会う。この池を、右に回るように続く道を進むと、やがて再度山ドライブウェイの下をトンネルで潜り抜け、蛇ケ谷道に入っていくことになる。
 蛇ケ谷道は、再度公園から再度山の北側を回って再度東谷に至るコースである。沢沿いの深い緑に包まれた(写真下)静かな山道であって、この道を歩くハイカーは多いようだ。隠れたる人気のルートだと思われる。
蛇ケ谷道
 蛇ケ谷道の途中、高尾山への登山路が左に分岐する(11:24)。
 この分岐点には、蛇ケ谷のいわれを説明した看板が立っていた。 それによれば、蛇ケ谷のいわれは、概ねこうである。
 「その昔(神護慶雲年間)、清麻呂公が塔を建立するため、再度山へ登っていたとき、道鏡の放った刺客に今にも殺されそうになった。そのとき、どこからともなく大きな龍が現れて清麻呂公を危機一髪のところで救出した。清麻呂公は、それに感謝し、この山の頂上に大竜寺という名の寺を建立したのである。」
緑深まる蛇ケ谷道
緑深まる蛇ケ谷道
地蔵谷分岐  蛇ケ谷のいわれは理解できたので、次に地蔵(地蔵谷)を目指すことにする。
 蛇ケ谷道から、縦走路に合流し(11:32)、味気ないアスファルト道を市ケ原まで下っていく。市ケ原からは北に向かい縦走路を進む(11:42)。この辺りの登り階段は、ウッドチップが敷き詰められて歩きやすくなっている。兵庫国体山岳競技のために整備されたものだろうか。
 市ケ原を出て、10分程で天狗道(縦走路)が右に分岐していった。
 次に、地蔵谷分岐が現れた(写真左 11:58)。ここを右折し、地蔵谷道に入っていく。
地蔵谷分岐
 谷道だから、なだらかであろうと思いきや、いきなり階段の登り道である。「何でェッー!!」と思いながら進んで行くと、それは堰堤越えであった。地蔵谷道で急坂になると、おおむね次に堰堤越えが待っていると思えばいいようだ。
 地蔵谷には、ルートを示す標識が随所に設置されており(写真右)、これを確認しながら、いくつもの堰堤を越えて谷道は進んでいく。
地蔵谷の表示
地蔵谷の表示
地蔵谷のダム  地蔵谷は、何度か沢をクロスして高度を上げていく。途中、沢越えで、滑りやすい岩の上を進む箇所もあるので要注意である。地蔵谷に入り、20分程進んだ辺りから、登りが急になる。ここからは山腹道をどんどん登っていく。沢の音が、次第に左はるか下に遠のいていく。次に、滑りやすい赤土道を少し下ったかと思うと、又堰堤が現われ、次に沢を渡る。
 堰堤越えと沢クロスで40分ほど登ると、この谷一番と思われる大きな堰堤が現れた。地蔵谷第四砂防ダムである(写真左)。このダムは右から巻いて進む。
地蔵谷のダム
緑の地蔵谷 地蔵谷とアドベンチャールートの合流
緑の地蔵谷 地蔵谷とアドベンチャールートの合流
 更に、緑深い谷道の中を、何度か沢をクロスし、最後に岩がゴロゴロところがる足場の悪い道を進み、アドベンチャールートに合流した(写真右上 13:04)。
 アドベンチャールートと合流する地点は、木々が生い茂る薄暗い箇所である。
 ここには、案内標識が立っている。これによれば、左が黒岩尾根で、右が天狗道(縦走路)と案内している。天狗道方面に進みたいのだが、ここから右へ進む道はない。「エエッ!どうなってんの。」と、しばし迷いながら、石ころだらけの沢の中を直進してみる。少し進むと道が現れ、ここを進むと天狗道に合流した(13:14)。
掬星台からの景色
掬星台からの景色
 天狗道に合流した地点から、やや市ケ原方向に下ったところにテラス状になった大岩がある。ここで休憩兼昼食タイムとする。
 昼食後、摩耶山掬星台に進む(13:40)。今日は風が強く展望台から帽子を飛ばされたハイカーもいた。いつ来ても、ここ掬星台からの景色は最高である(写真右上)。
 摩耶山上には点名を「摩耶山」とする三等三角点がある。この三角点を確認した後、南に向かって下っていく(13:55)。
摩耶山三等三角点
摩耶山三等三角点
ロープウェイ(虹の駅)方面への分岐  摩耶山頂上から15分ほど下って、旧天上寺跡に作られた摩耶山史跡公園に到着した。史跡公園となった広場では、多くのハイカーが談笑している。
 天上寺は大化の改新の頃、インドの高僧法道仙人の開基といわれる歴史のある寺で、安産守護の寺としても有名だった。
 この摩耶山史跡公園から山門までの下り階段はものすごく急である。慎重に歩を進める。
 階段下にある山門を過ぎると、道が左右に分岐する(14:16)。右は旧摩耶道となるので、ここは左に進む。
ロープウェイ(虹の駅)方面への分岐
 次に、摩耶ロープウェイ(虹の駅)方面への分岐点が現れるのでここは右に進む(写真上)。
 この辺りのハイキング道(上野道)は、道標が整備されているので、初めての者でも安心して歩ける。
 樹林の道を下り、やがて、五鬼城山展望公園に到着した(写真右 14:45)。
五鬼城山展望公園
五鬼城山展望公園
五鬼城山展望公園からの景色  ここには、木製の展望台がつくられている。
 公園が整備された当時はここからの眺めは良かったのであろうが、現在は、あまり手入れもされていないようで、周りに草木が繁茂している。
 展望公園といっても、前方の草木が邪魔をしてあまり展望できない(写真左)。残念!!
五鬼城山展望公園からの景色
 五鬼城山展望公園を少し下ると、展望広場(北)と表示された箇所に出た(写真右)。ここもテーブルとか案内板とかが設置されているが、やはり、五鬼城山展望公園と同様、その後整備がされていないようで、雄大な眺望はとても期待できない。 展望広場(北)
展望広場(北)
展望広場(南)  更に少し下ると、展望広場(南)なる箇所に出た。ここも先程の公園と同様に整備されているとはいえないが、前2つの展望広場よりは眺めがいい(写真左)。
 これらの公園は、街から比較的近いところにある展望公園なので、もう少し整備を行い、近隣住民の憩いの場所としてはどうだろうか。
 公園から南に下ると神戸高校の裏に出て来た。ここから、住宅街を約20分歩いて、阪急王子公園駅に到着(15:20)。阪急電車に揺られて帰途についた。
展望広場(南)
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