黒岩尾根・摩耶山 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-39】 |
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今日は、黒岩尾根から摩耶山に登ってみたい。黒岩尾根は久方ぶりだ。神戸市営地下鉄新神戸駅から地上に出て、山歩きに出発する(10:00)。駅には布引ダムを示す道標があるが、リュックを背負った多くの人がぞろぞろと進んでいるので、その方向に進めば間違いない。 駅の北側に出ると、すぐに背山散策路(北野道)が左に分岐する(10:04)。その先で、滝山城跡への道が左に分岐する(10:05)。いずれの分岐も直進して進む。 |
滝山城跡分岐 |
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その先で、砂子橋を渡って左折する。階段道と直進道が分岐するが、ここは直進道で布引の滝(雌滝)を目指す。 すぐに「布引の滝(雌滝)」に到着となる(10:08)。雌滝は高さ19mで、昨日迄の雨で今日の滝は水量が多い。布引の滝(雌滝)は凄い水音だが、滝の周囲に草木が茂り、瀑布が見にくくなっているのが残念だ。 |
布引の滝(雌滝) |
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雌滝から次に雄滝に進む。階段道を登っていくと、すぐに雄滝(高さ43m)に至る(10:14)。 雄滝も物凄い水音で、迫力満点だ。布引の滝は、華厳の滝、那智の滝と並んで日本三大神滝とされるらしいが、今日の雄滝は、その物凄い水音に神を感じることが出来た。雄滝は多くの客でラッシュアワーのにぎわいだが、普段着の方も多いのでハイカーばかりではない。混雑を避けるように写真を撮って、早々に先に進むことにする。 |
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布引の滝(雄滝) |
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雄滝から布引貯水池に向かう道に合流し、坂道を少し登って展望台に至る(10:22)。ここは展望に優れるが、今日は先を急ぐ。 展望台から少し進むと左手側に「猿のかずら橋」が登場する(10:24)。この橋は城山方面の分岐となる。その先で谷川橋を渡る(10:26)。谷川橋は大正初期の橋ながら鉄筋コンクリート製で、当時としては新しい技術が用いられた。よって谷川橋は「国指定重要文化財」となっている。 |
猿のかずら橋 |
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更に進んで行くと、右手側の岩壁に五本松かくれ滝が登場する(10:29)。布引貯水池が溢れた時の放水路となっているこのダムだが、今日は水量が多く滝は3本も流れ落ちている。 その五本松かくれ滝から一登りすると、五本松堰堤(布引貯水池)となる(10:33)。五本松堰堤には、「近代化産業遺産」、「ダム湖百選」、「国指定重要文化財」と、色々な称号のプレートがが付けられている。 |
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五本松かくれ滝 |
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布引貯水池 |
満杯の布引貯水池 |
今日のダム貯水量は満杯の状態だ。その布引ダム湖畔の道を更に進み、市ケ原までやってきた(10:50)。ここはいつも人が多い。布引貯水池を経てこの市ケ原まで、多くのハイカーが列をなしていたが、市ケ原を過ぎるとほとんど人影が無くなる。行楽客は市ケ原まで、ということだろう。 市ヶ原を過ぎ、六甲縦走路に入って静かな山道を登っていくと、やがて天狗道、稲妻坂分岐となる(写真右 11:04)。 |
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天狗道分岐 |
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この時期、六甲縦走の練習の者が多いはずだが、今日は静かな天狗道だ。なお、今年のKOBE六甲全山縦走大会は、11/10(日)、23(土、祝日)に開催される。 天狗道分岐を過ぎると、すぐに地蔵谷分岐となる(11:07)。昨日までの雨で、今日の地蔵谷は水量が多いかもしれない。地蔵谷分岐を直進するとすぐに木橋が登場する(写真左)。木橋は地蔵谷の流れを渡るものだが、これがトエンティクロスの渡渉の始まりとなろう。 |
地蔵谷分岐辺りの木橋 |
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木橋を渡ったところでは、一人のハイカーが座して地図を広げ、休憩していた。流れの傍で、のんびり過ぎる時間を楽しんでおられるようだった。 地蔵谷分岐のすぐ先で、黒岩尾根の分岐となった(11:10)。ここは道標と付近の地図の設置もある。トエンティクロスの崖崩れで「大変キケン!」表示のAバリケードのある分岐から黒岩尾根に取付く(写真右)。 |
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黒岩尾根の分岐 |
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黒岩尾根は、疑似丸太の急な階段で始まる。この黒岩尾根は「ダイナミック」とか「雄大」などと表現されるタフな尾根道だが、取付きからその厳しさが現れる。布引谷を流れる大きな水音に後押ししてもらいながら、黒岩尾根の急階段を進む。 階段道の先は小岩が剥き出しの急斜面の登りで、引き続き厳しい登りだが、南側からの木洩れ日に気持ちが和む。 |
黒岩尾根は急階段で始まる |
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黒岩尾根の分岐取付きから15分ほど登ったところで、少し傾斜が緩むが(11:26)、その先すぐに登りが待っている(11:28)。次につづら折りの急な階段道になり、息を整えながら登っていると、男性二人組が下ってきた。その先も一本調子の登り道が続く。 分岐から30分ほど登ったところで、小ピークに登りついた(11:45)。小ピークの先は、少し下ってコル(写真右)になり、そこを越えると、又、登りになる(11:47)。 |
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黒岩尾根のコル |
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登りになると疑似丸太の急階段が再登場し、これには一段とゆっくりした足取りで対応する。その急階段を上から写してみたが(写真左)、急な傾斜のイメージは左の写真で伝わるだろうか?。この階段を登りきると、小ピークとなり(11:56)、その先、少し下って尾根斜面のトラバース道になる。 |
黒岩尾根の急階段 |
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そのトラバース道の途中で、薄い踏み跡が尾根の方に登っていた(12:02 写真右)。その踏み跡を辿ると、薮が一部開けて、尾根上の展望場所となっていた。そこからは、これから目指す摩耶山のピークに立つアンテナ群が見えていた(写真下)。まだ、摩耶山までは距離がある。 |
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薄い踏跡の分岐 |
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摩耶山ピークを遠望 |
神戸市堺標石 |
展望場所から尾根道に戻り、もう一登りしたところが神戸市堺標石の立つ場所だった(写真右上 12:10)。ここは地形図では606mの表示がある。市堺の標石には4面に文字が彫られているが、何が書いてあるのか経年劣化で分かりにくい。 神戸市堺標石の先の尾根道で、北側に少し展望が開ける場所がある。鈴蘭台当たりの街並みが見えているのだろう(写真右)。この辺りで、二人のハイカーとすれ違う。 |
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鈴蘭台当たりの街並 |
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その先、幾度か小ピークとコルを繰り返す。杉の生えた薄暗い急登、急下りで、疑似丸太の階段が連続する。コルは、両側が切れ落ちた痩せ鞍部の場所もあるので注意したい。 小ピークとコルのエリアを抜けると、明るい尾根道に出て、そこにベンチが設置してあった(写真左)。ここでは一気に展望が開けて爽快な気持ちになる(12:30)。 |
黒岩尾根のベンチ |
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ベンチからは、西から北にかけて、明石海峡大橋、高尾山から菊水山、神戸市北区鈴蘭台あたりの住宅地までが見えている(写真左、左下)。 ベンチで、景色を楽しみながらお握りを頬張り休憩を入れる。地形図で確認すると、ここは標高590m程である。標高698mの摩耶山まではまだ100m登らなければならない。10分ほどの休憩で、ベンチを出発した(12:42)。すぐに、二人連れのハイカーとすれ違う。 |
ベンチから菊水山方面 |
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ベンチから鈴蘭台方面 |
一枚岩の流れ |
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その先で、道は笹の中に入っていき、小さな流れと合流して進むようになった。チョロチョロと流れる水音が心地よい。 その先、道は杉の木の生える森に入っていく。あたりが、深い緑に包まれる。次に、笹原の中で、大きな一枚岩の上を流れ落ちる沢を渡る(写真上 12:55)。標高のある尾根道で水量のある流れに出会い、少し驚く。この流れの箇所でご婦人二人ずれとすれ違う |
深い緑の黒岩尾根 |
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さらに笹の茂る森の中の道を登っていくと(写真上)、地蔵谷分岐となった(13:08 写真右)。ここには地図(黒岩尾根周辺案内図)と道標の設置がある。地図は、英語、中国語、韓国語の表記もある2018年製の新しいものだ。 なお、地蔵谷へ分岐する道はアドベンチャールートとも呼ばれ、道標にその旨の表記もある。 |
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アドベ分岐 |
地蔵谷へ分岐の辺りでソロの方二人とすれ違いながらもう一登りする。道の両脇に笹の茂る道を進むと、桜谷出会分岐となる(写真右 13:17)。ここで黒岩尾根の登りが終了する。 黒岩尾根は前半厳しい階段の登りが続き、その後、小ピークとコルの繰り返して高度を上げ、最後にもう一登りというタフな尾根道であったが、道中、6組10名の方とすれ違った。黒岩尾根を歩く方は少なくないという印象を得た。 |
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桜谷出会分岐 |
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桜谷出会分岐からは、北東と西側に一部、展望のある尾根道を六甲縦走路に向かう。この道の周囲には、随所にベンチの設置があり、多くのハイカーが、ベンチで談笑されていた(写真左)。 摩耶山掬星台には13時25分の到着。黒岩尾根の取付きから2時間少々、新神戸の駅から3時間30分ほどの所要時間であった。 |
西側に展望の尾根 |
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灘百選の説明板によれば、摩耶山掬星台について次の説明がある。 「摩耶山掬星台は、手で星が掬えるほど美しい夜景を眺望できることから、その名がつけられたといわれています。ここからの夜景は、長崎、函館と併せて、日本三大夜景の一つに挙げられています(灘百選の説明板)。」 「掬」の漢字の読み方「きく」は、摩耶山に教えてもらった。
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摩耶山掬星台 |
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そんな摩耶山掬星台ではハイカーや行楽客が入り乱れ、多くの者でにぎやかだ。掬星台の端っこで空いたベンチを見つけ、しばしの休憩を入れる。 |
Mt.Maya掬星台 |
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掬星台の展望 |
掬星台 |
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摩耶山掬星台で10分程休憩し、摩耶山を下ることとした(13:35)。今日は、青谷道を下って行きたい。下る前に、摩耶山のピークに登り三角点を確認したい。摩耶山のピークは掬星台の西にある。 三角点の周囲は薄暗く、いつもは誰一人いないが、今日は団体さんが三角点の周囲に集合している。お邪魔をしないように、当方は山頂の天狗岩大神の鳥居を確認し、奥之院跡から摩耶古道を下って行くことにした。 |
天狗岩大神 |
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なお、天狗岩大神は、山に出没する天狗を摩耶山の僧侶がこの場所に封じたという伝説がある。 また、天狗岩大神のすぐ近くの奥之院跡は、旧天上寺の奥之院で、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていたとされる。 |
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奥之院跡 |
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奥之院跡から摩耶古道(奥の院道)を下って行く(13:45)。つづらになった石の階段道がどんどん下っている。急な道で、ここを登って奥之院迄お参りするのは大変であったろうと、いにしえをしのぶ。 階段道の脇には、古い石材が散在している。明治の頃に設置されたという、八十八ヶ所の小堂の跡(八十八カ所窟跡)だろう。 |
八十八カ所窟跡 |
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また、古道には「円心入道赤松公」なる石碑も道脇に残されていた。石碑の近くに「赤松円心公碑」の説明板があるので、その内容を記しておく。「1333年(元弘3年)大塔宮護良親王の令旨を受け、播磨白旗城で鎌倉幕府討幕の兵を挙げた赤松円心則村は、摂津へと進出して摩耶山に山城を築き、六波羅探題題勢を迎え撃った。これが「太平記」に描かれた摩耶山城で、現在は堀切(山城特有の防御手段)や堅掘(空堀の一種)の跡が山中に残っている。」
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円心入道赤松公 |
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旧天上寺の親子杉 |
摩耶山史跡公園 |
奥之院跡から10分下ったところで三社権現跡(13:55)、この先が摩耶山史跡公園(旧天上寺)である。 摩耶山史跡公園に入る手前では、大きな倒木が通せんぼをしている(写真上)。これは、旧天上寺の親子杉の倒木で、平成30年9月の台風21号の強風で倒れた。三本に分かれた幹が親子のように見えることから親子杉と呼ばれていたが、残念な姿だ。 |
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旧天上寺跡からの展望 |
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倒れた親子杉の先が、摩耶山史跡公園となった旧天上寺の跡地である。昭和51年1月30日の火災で旧天上寺の主要建造物は焼失してしまった。隆盛であったろう往時に比し、がらんと開けた跡地は、あまりに寂しすぎる感じであった。 摩耶山史跡公園から急な階段を下る。途中、摩耶の大杉を確認する(写真左 14:04)。 |
摩耶の大杉 |
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更に階段を下って、旧天上寺山門(仁王門)。この山門は、昭和51年の火災を免れて、唯一、往時を偲ばせる建築物だ。もとは檜皮葺の立派な屋根であったと記憶するが、傷みがひどく、倒壊の危険もあったことから、今の屋根に改装された。この深い山中での改装作業は大変なものであったろう。関係者の尽力に敬意を払いたい。なお、仁王像は、現在の天上寺に移されている。
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旧天上寺山門 |
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旧天上寺山門の先で青谷道に入り、旧参詣道であった石の階段道をひたすらに下って行く。大日大聖不動明王(14:37)、行者堂跡(14:39)、成田不動明王(14:45)、静香園(14:51)と過ぎ、街並みの見える青谷道登山口まで下ってきた(写真左 15:01)。その先、市街地を阪急王子公園駅まで歩き、本日の山歩きを終えた(15:26)。今日はタフな山道の黒岩尾根と展望の摩耶山掬星台で、充実の山歩きとなった。 |
青谷道登山口 |
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