上野道・青谷道(摩耶古道) (お勧め度★★☆) 表六甲【1-28】 |
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青谷道散策 江戸時代の観光ガイドブックに「摂津名所図会」がある。この第七巻に、目もくらむような急斜面に張り付いた旧天上寺の俯瞰図が迫力を持って描かれていたという。この様子が天空の山岳寺院と「摩耶WALK摩耶山さんぽ手帳(摩耶協議会)2011Vol.29」に紹介されていた。 これに誘発され、史蹟公園にちなむ摩耶古道を巡ってみたくなった。 ちょうど、阪急ハイキングが六甲・まやカーニバルに参加して、青谷道から観音道を歩くらしい。これは好都合と、便乗させていただく。 |
阪急ハイキングスタート |
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阪急王子公園駅を9:45にスタートする。阪急ハイキングは公園内の陸上競技場がスタート地点となっていた。スタート地点で、まやカーニバルの抽選券とゴミ袋(当日はクリーンハイキングである。)をもらい、他の参加者に混じって、ぞろぞろと歩き始める(写真左上)。 競技場西側の道を北に進んで公園の北側に出た。 ここからやや西に進むと、弓道の練習場があった。袴を穿いた老齢の男性が一人で凛として弓を射ていた。本物の弓を射る場面は始めてだったので、しばらくフェンスの金網にへばりついて、ビュンと飛んでいく矢に見入ってしまった。練習されていた方には迷惑だったかもしれない。失礼しました。 |
神戸海星女子学院マリア像 |
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弓道場を過ぎると神戸海星女子学院の所で北に曲がる。 この海星女学院は昭和27年10月に完成したマリア像で有名である(写真上)。学校入口には「蒼き摩耶の空の下、マリア!」との説明版が設置してあった。海星は生母マリアの別名らしい。灘の町を見下ろすマリア像は地域のランドマークとして愛されている。 海星女子学院から住宅街の中のゆるやかな坂道を登っていく。静かな住宅街に今日はハイカーの列が続いている(写真右)。 |
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青谷道を目指して進む |
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しばらくして道端に「日本一 馬頭観音菩薩霊場 是より一丁上」の石柱が登場した。妙光院の石柱である。妙光院の前は良く通るがいつも素通りなので今日はお参りしていくことにした。 境内に入るとすぐ高さ6mの馬頭観音が出迎えてくれた(写真左)。日本最大といわれる馬頭観音であり、迫力がすごい。 競馬には余り縁がないが、何かのときのために参拝した。 |
妙光院馬頭観音 |
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妙光院からハイキングの列に戻り、その流れに従う。 すぐ摩耶橋を渡って青谷道が始まった。 急勾配の舗装路を登り、青谷道を進む。 静香園の茶畑を過ぎると、あけぼの茶屋となる。ここに設置されている温度計を確認すると目盛りは18℃を指していた。ゆったりとした山歩きにちょうどいい気温である。 隣接するつくばね寮の横を進む(10:20 写真右) |
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あけぼの茶屋あたり |
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南無不動明王の大龍院 |
行者茶屋跡 |
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「南無不動明王」の大龍院(写真左上)、青ペンキの目立つ「大日大聖不動明王」を過ぎると、十一丁の丁石がある。ここは水場であり、清水を手に注ぐ(10:35)。 水場の先がすぐ行者茶屋跡である(10:36 写真上)。 行者茶屋跡を過ぎると階段道が連続する。延々と続く階段道に、ハイキング参加者が列をなしている。 20分弱、黙々と階段を登り、上野道との合流点に至った(11:00)。この合流点の上に旧天上寺のりっぱな山門(仁王門)がある(11:01 写真左)。 |
旧天上寺山門(仁王門) |
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山門をくぐると名物の石の急階段が続く。 山門の前で阪急ハイキングの係員の方が「ここから300段とも400段とも言われる急階段が続きます。ゆっくり登ってください。」と声を掛け、ハイキング参加者を励まして(脅して?)いた。 はっきりしない説明に、何段あるのか数えやろうと思い、数を取りながら石段に取り付いた。 しかし、当方のその行為はすぐに取りやめになった。急階段で息が上がったのと、当方の隣を元気な小学生が大きな声で段数を数えていたのに惑わされてしまったのだ。やむを得ず、その少年に付いて行って、数えた階段数をおしえてもらう事に方針を転換した。 |
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旧天上寺への石階段 |
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10分少々かかって階段を登りきった。息絶え絶えでなんとか摩耶山史跡公園に登り着いた(11:13 写真左)。 そこでは、先程の少年がお父さんに、石の階段数はだいたい330段位であったことを伝えていた。係員の方の説明は概ね正解であったようだ。(ただし、掬星台でもらった「摩耶山おさんぽガイド」というパンフには、190段続く階段という説明があり、どちらが正しいのかは?だ。数える範囲の差だろう。) |
摩耶山史跡公園 |
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摩耶山史跡公園からは「三社権現」跡の所で観音道と奥の院道が分かれている。(三社権現とは、日山権現・熊野権現・愛宕権現の三社を祀ったお堂。) 観音道と奥の院道は、いずれの道も摩耶山上に続いている。 今日の阪急ハイキングでは、観音道を進むように表示がある。他のハイカーに続き当方も観音道に入る。 観音道は大杉が並ぶ中を進むので全体に薄暗い感じだ(写真右)。 |
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観音道を進む |
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観音道でも更に階段が続き、それを何とか登りきって摩耶山に到着した。ちょうど常夜灯の石燈篭の立つところである(写真左)。 そこからやや東に進んで、掬星台までやってきた(11:25 写真左下)。 掬星台は「六甲・まやカーニバル」ということで、ハイカーやら一般の観光客やらで大賑わいである。 クリーンハイキングの成果(空き缶1、ペットボトルのキャップ1、飴ちゃんと菓子の小袋各1)を係員の方に渡し、参加賞のお茶を頂戴した。 |
摩耶山に登りつく |
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摩耶山(六甲・まやカーニバル) |
KOBE Mussoc Jazz Orchestra |
やがて、六甲・まやカーニバルの関係者の方だろうか、マイクから「ジャズの演奏が始まるので集まってくださ〜い!!」という声が聞こえてきた。 見ると、掬星台の一角で、楽器を持った若者ミュージシャンが整列している。 生演奏は、なんといってもすばらしい。これは拝聴しなければと、聴衆の一員となる。 このJAZZの演奏は、カーニバルのイベントで神戸大学経音楽部(KOBE Mussoc Jazz Orchestra)によるものだった(写真右上)。軽快な名演奏にしばし聞き入ってしまった。 |
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摩耶山掬星台 |
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カーニバルの会場では幻のメニューとされる「摩耶鍋」の販売もされていたが、当方には本日午後から所要があったので、摩耶鍋を食さず早々に摩耶ロープウェー・ケーブルで下山せざるを得なかった。 しかし、帰路において、摩耶鍋の味が如何なるものか気になって仕方無かった。鍋を味わう時間位はあったのにと悔やんでも後の祭りなのだった。 写真左は、途中の虹の駅からの景色(大阪方面を望む)。 |
虹の駅からの景色 |
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上野道・奥の院道散策 先週に続いて今週も摩耶古道ウォークである。今日(23/10/23)は、上野道・奥の院道を歩いてみることにする。 摩耶山にはよく登るが、考えてみると上野道から登ったことは無かったかもしれない。上野道を下ったことはあるものの、おそらく登りはない気がする。そんなことを考えながら、8:40に王子公園駅をスタートした。 上野道の起点は摩耶ケーブル駅の辺りでなので、まずはケーブルの駅を目指すことにする。 |
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五鬼城山展望公園を示す表示 |
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王子公園駅を北に出て、線路沿いに東に進む。 左手側にすし屋(大天狗寿司)がある交差点から北に向かう。左手側に細い川を見ながら、住宅街の中の緩い坂道を進んでいくと、摩耶ケーブル南交差点の表示が目に入った(8:48)。 その表示から更に北に進むと左側に神戸高校が見えてくる。そしてほどなく摩耶ケーブル駅下に到着した(8:56)。 ここまで来たものの上野道の入り口が思い出せない。摩耶ケーブル駅で聞こうにも、駅はまだ開いていない。思案していたら、バスで摩耶ケーブル下までやってきた御一行が、上野道を登るということで、その方々に付いていく事にした。 |
上野道入り口 |
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上野道の入り口は摩耶ケーブル駅のやや西側で、「五鬼城山展望公園→」の表示のある所を北に進むのであった。 上野道の入り口には、「摂州八十八ケ所第四十六番摩耶山天上寺」の石柱(写真右)と、「摩耶古道上野道」の表示がある大きな地図看板が立てらていた(写真上)。 その看板によると、上野道は尾根を歩くコースなので展望台が数多く設置され、神戸の町や大阪湾を望むことができると説明されていた。展望の尾根は楽しく歩けるので、happyである。 |
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摂州八十八ケ所霊場の表示 |
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上野道に入ると摩耶登山会署名所の表示がかかる小屋の前で道が分岐する。 上野道はここを右に登って行くが、左折すると展望広場Aに至る。せっかくなので展望広場Aを覗いてみると、先客が絶景を楽しんでおられた(9:12 写真左)。 展望広場Aから上野道に戻り、さらに登っていくとすぐに頭上を橋が横切る(写真左下)。 この橋の右手側が展望広場Bである(写真下)。ここからの眺めも素晴らしい。 |
五鬼城山展望公園展望広場A |
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展望広場Bへの分岐 |
五鬼城山展望公園展望広場B |
また上野道に戻り進んでいく。地図によれば五鬼城山展望公園には展望広場Cもあるはずだが、これはがどこなのか、やり過ごしてしまった。 展望公園を過ぎると、上野道は古道らしく木立ちに覆われた薄暗い雰囲気の中をひたすら登ることになる。 ところで、古道上野道には町石卒塔婆も続いている。町石は文安年間に建てられたそうで、もう500年以上経っている。上野道入り口の「第四十六番摩耶山天上寺」の石柱の隣にも建てられていた。これは十七丁石である。町石は全部で18基建立されたらしいが、長い年月の間に多くが失われてしまった。 |
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虹の駅からの道がここで合流 |
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やがて薄暗い中で上野道が左右に分岐した(9:42)。右に行くと虹の駅方面である。ここは左に進む。 更に15分程登って、こんどは道が合流した(9:58 写真上)。先程、虹の駅方面に分岐した道がまたここで合流してきた。 ここにも町石が立っている。四丁の表示があるが、この町石は比較的新しい感じで、立て直されたものかもしれない(写真左)。 なお、この合流地点からは、青谷東尾根道が下っている。 |
古道上野道の町石 |
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虹の駅方面からの道が合流した地点から、まだまだ石階段とつづらの登りが続く。この登りと10分間ほど格闘したところで、上野道に青谷道が合流してきた(10:08 写真右)。 少し進むと「ヤメア」と書かれたコンクリートの台があって、仁王門に至る。 この「ヤメア」は右から読んでアメヤ(飴屋)であり、昔ここには茶店があってこの台に水を張ってラムネなどを冷やし、急階段を登る参詣客に販売していたそうだ。これも摩耶古道の遺跡の一つなのだ。 |
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上野道が青谷道に合流 |
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さて、次に仁王門をくぐって石階段にとりかかる。先週、この石段の数をうまく数えられなかったので、今日はそれを精査してみたい。 その結果、仁王門手前13段。仁王門から宿坊大乗院踊り場まで167段。宿坊大乗院から摩耶の大杉踊り場まで69段。大杉から摩耶史蹟公園まで93段、合計342段であった。先週、少年が数えた段数が概ね正解だったことになる。 摩耶史蹟公園からは、奥の院道を登る。奥の院道には古い石のお堂の遺構が点々と続いている(写真左)。こちらは旧天上寺奥の院への道であったことから、古くはこの道の脇に整然とお堂が祀られていたのだろう。崩れた石積みが痛々しい感じだ。 |
奥の院道 |
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やがて奥の院跡に到着(10:38 写真左)。 ここには、法道仙人によって立てられた堂があり、不動明王と弘法大師像が安置されていたという。 今は、一面を笹が覆っているだけである。 |
奥の院跡 |
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奥の院跡から掬星台に進む(10:47 写真右)。 今日の掬星台は「六甲・まやカーニバル」の先週と一変し、静かな感じをただよわせていた。 1000万ドルの夜景といわれる掬星台は日本三代夜景の一つに数えられるが、昼間の大パノラマも見事であった。
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摩耶山掬星台 |
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摩耶古道の総括 摩耶ケーブルは約5分、まやロープウェーも約5分、合計10分少々で摩耶山に登れる。 この摩耶ケーブルに乗られた方ならご承知の通り、摩耶山までの勾配はすこぶる急である。したがって、それを歩いて登る上野道も青谷道も当然に厳しい道となる。しかし、天上寺にお参りしたいという信仰心があればこそ、昔の人はその道を目指したのであろう。 摩耶古道の周辺に残る昔日の史蹟、遺跡を眺めながら、昔の人の営みを思い、また、歴史を感じることができた摩耶古道散策であった。 |
掬星台 |
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