摩耶山・摩耶山史跡公園・シェール槍  (お勧め度★★★) 表六甲【1-2】

古くより摩耶山登山に使われてきた青谷道を辿り、摩耶山史跡公園から摩耶山へ、
さらに、アゴニー坂から穂高湖、シェール槍まで歩いてみました。
シェール槍からのパノラマはすばらしく、感動ものの景色でした。

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 最近も、何度か摩耶山に登っているが、そのコースは摩耶東谷や青谷東尾根といったマイナーなコースを辿った。そこで、たまにはポピュラーなコースも良かろうと思い、今日(平20・10・12)は、青谷道から摩耶山上を目指すことにした。
 電車を王子公園駅で下車する(9:30)。駅のホームから、遠くにこれから目指す摩耶山が望める(写真右)。
王子公園を左から回って神戸文学館のある角で、進路を北にとる。ここから馬頭観音で有名な妙光院まで緩やかな坂道をまっすぐ進む。
王子公園駅から望む摩耶山
王子公園駅から望む摩耶山
青谷道登り口辺りの風景  坂道の途中、神戸海星女学院では秋の運動会が挙行されていた。スポーツの秋、真っ盛りである。
 駅から25分ほどで妙光院に到着した(9:54)。この寺の境内にある馬頭観音は、高さ6m。日本最大といわれている。 その観音像の背後にある供養塔には、名馬テンポイントをはじめとするたくさんの愛馬のたてがみが納められ、供養されているという。 この寺には競馬ファンの多くがお参りに来ていることだろう。
 寺を過ぎ、摩耶橋を渡ると青谷道が始まる。ここからは急勾配の舗装路である(写真左 9:55)。
青谷道登り口辺りの風景
 すぐに、左側に光博大明神に下る階段が現れる。左側の谷底まで階段が続いている。その階段に従い谷底まで降りてみた。そこには小さな滝が流れ落ちているが、これが大明神のご神体なのであろうか。神聖な場所と思われるが、流れ来たゴミなどが散乱しているのは少々気になる。
 また、青谷道に戻り、急勾配の道を登り始めると、左手側にお寺が現れた。青龍寺である。境内のキンモクセイから良い匂いが流れてくる。この青谷道は早朝登山の人も多いようで、山上から次々と人が下ってくる。ポピュラーな道はハイカーの方も多い。
神戸で唯一の茶園「静香園」
神戸で唯一の茶園「静香園」
旧摩耶道へと続く上田道の入口  次に、右手側に亀ノ滝砂防ダムが見えてきた。この堰堤の内側には錦鯉が飼育されていた。次に、亀の滝上流堰堤が見えてきた。ここでは、灘区の子供会が放流した沢蟹が育てられている。蟹の生存には清流が条件となる。山の自然を大事にしたい。
 更に進み、左手側に茶畑が現れた。神戸唯一の茶園「静香園」である(写真上 10:15)。このあたりの水はけのよい土壌と、霧の多い気候が、静岡や宇治などの有名な茶どころのそれと似ており、茶の栽培に最適とのこと。六甲山中にあって珍しい感じがする。
旧摩耶道へと続く上田道の入口
 次に、あけぼの茶屋の前を過ぎる。早朝ハイクの人たちのにぎやかな歓声が店内から聞こえてくる。その斜め前には、「つくばね寮」もある。ここには会員の方のカードがたくさん掛かっている。その枚数の多さに、神戸つくばね登山会の歴史を感じることができる。
 更に進むと道の左手側に石の階段が登っていた(写真上)。付近にあった案内地図では、このあたりに青谷道と旧摩耶道を結ぶルート(上田道)があるようだ。この階段が上田道への入り口と思われる。従前は、この階段の登り口に「雷声寺約2k」の案内表示もあったと記憶している。
旧天上寺への道程を示す石丁
旧天上寺への道程を示す石丁
行者茶屋辺り(旧摩耶道と合流)  上田道分岐を過ぎると、道端に石丁が登場した(写真上)。「十五丁」と表示されている。旧天上寺までの道程を示すものと思われる。十五丁ということはまだ先は長い。もう、相当、汗をかいてしまっている自分の体力のなさを実感する。
 なお、このあたりは、山道の右下が深い谷となっている。十分注意して進みたい。
 次に、北畑ダム(10:24)が登場し、そこから「南無不動明王」の赤い幟が列をなしている。この幟は緑深き山中にあってやたら目立つ!!。そこが大龍院である。
行者茶屋辺り(旧摩耶道と合流)
 大龍院を過ぎると、坂道の勾配が急となる。すぐに、北畑第二砂防ダムとなり(10:29)、このダムを越えると道端に水場があった。コップなども置かれており、3人のハイカーがここで清水を口に含んでいた。
 水場を過ぎると、すぐに行者茶屋に至った(写真上 10:33)。
 その茶屋を過ぎると、青色に塗られた橋の向こうに「大日大聖不動明王」の看板が見えてきた(写真右)。
大日大聖不動明王
大日大聖不動明王
大日大聖不動明王の境内  その橋を渡り、奥に進むと木で作られた樋の様な物から水が流れ落ちている場所があった。ここが不動瀧で、禊を行う修行場である。
 滝の上の小屋の中では信者の方が数名でお祈りをされている。ここは神聖な感じが漂う場所であり、信者でもなく信心もない者が入り込むエリアではないと感じて、早々に退散することにした。
 不動明王を過ぎて、木橋を渡ると、右手側の大きな杉の木にしめ縄が巻かれていた(10:39)。この辺り一帯が神聖なるエリアなのである。
大日大聖不動明王の境内
 ここからは階段道が連続する(写真右)。
 青谷道はその昔、天上寺への参詣道として賑わい、階段道も整備されていたのであろうが、その階段も今は荒れた箇所が多い。
 延々と20分ほど階段を登り続け、上野道との合流点に至った(10:59)。
 上野道側からも、摩耶山目指してご夫婦のハイカーが登ってこられていた。上野道も青谷道同様ハイカーが多いようだ。
階段の続く青谷道
階段の続く青谷道
旧天上寺の山門  その合流地点のすぐ上に山門がある(写真左)。堂々とした山門である。
 山門を守護していたであろう仁王様はどこへ行かれたのか今はご不在だ。
 旧天上寺は、昭和51年1月30日、賽銭泥棒の放火による大火で14の堂塔がすべて焼け落ちたという。その中で唯一残された建物がこの山門らしい。
 山門から続く石の階段には「具足講」など信仰者の講の名が刻まれた石柱が並んでいる。歴史を感じる光景である。
旧天上寺の山門
 この急な石段を上がっていると、左手側に「旧摩耶の大杉」の案内表示が目に入った(写真右 11:08)。
 それに誘導され、わき道に入っていくと、すぐに巨大な杉の木の雄姿が目に飛び込んできた(写真下)。これはびっくりするような大木である。
「旧摩耶の大杉」の案内表示
「旧摩耶の大杉」の案内表示
摩耶の大杉  脇にあった説明板では「幹周り8mもある六甲山随一の大木であった」と記されている。更に「約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた当時の人々が、この木に神霊が宿っているに違いないとして"大杉大明神"の名を付け、あがめた。」と説明されている。
 その「摩耶の大杉」も残念ながら昭和51年の旧天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で徐々に樹勢が衰え枯死してしまったらしい。まことに残念なことである。 
摩耶の大杉
 更に、急な石段を登って、今は神戸市の史蹟公園となっている旧境内地に到着した(11:17)。従前、本堂や多宝塔が並んだ寺域も、今は雑草の中に礎石が残るだけである(写真右)。
 史跡となった旧境内を抜け、再び濃い樹林の間に分け入ると(11:17)、道は尾根コース(左)と森林浴コース(右)に分岐した。尾根コースに進んだが、ここは特に展望もない。
 15分くらいで「奥之院跡」に到着した。
摩耶山史跡公園
摩耶山史跡公園
摩耶山山頂  奥之院跡には、「本堂の背後約330mのこの地にあった奥之院は、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていた。」との説明板がある。
 古く明治の時代には、この奥之院を囲んで山中に石造りの八十八ヶ所の小堂、仏が設置されていたのだという。しかし、いまは、ただの空き地となっている。
 奥之院跡のすぐ上には天狗岩がある。この大岩には、摩耶山の僧によって山中に出没する天狗が封じ込められているのだという。この一帯には三角点もあり、おそらくここが摩耶山の山頂であろう(写真左)。
摩耶山山頂
掬星台 掬星台からの景色
掬星台 掬星台からの景色
 つぎに、掬星台に進む(写真上 11:38)。ここは摩耶山からの展望を楽しむ人々でいっぱいである。当方もここでおにぎりを頬張って小休止した後、次へ目的地へスタートする(11:45)。ここからは、穂高湖を経てシェール槍を目指すことにする。
 北に進んで、国民宿舎オテル・ド・摩耶(旧神戸市立国民宿舎神戸摩耶ロッジ)の横を過ぎ、天上寺に至る(写真右)。この天上寺(とうりてんじょうじ)は、昭和51年の火事の後、旧天上寺から北方へ約1kmの地、ここ摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建された。
天上寺
天上寺
アゴニー坂  天上寺を過ぎ、摩耶別山の山腹道であるアゴニー坂を下る。
 苦痛(agony)を意味するアゴニー坂も下りは楽である。その楽なはずの下り坂で、学生さんの10名程のグループに追い越されてしまった。六甲山の主要なコースは若いハイカーも多く、活気があり、華やかでいいことだ。
アゴニー坂
 このアゴニー坂の途中には絶景ポイントの岩場もある。
 そこからは谷を挟んで前方の山腹に六甲山牧場が見えている(写真右)。
 この大岩の上から景色を楽しむのもいいだろう。
アゴニー坂から望む六甲山牧場
アゴニー坂から望む六甲山牧場
摩耶別山 穂高湖
摩耶別山 穂高湖
 坂を下り、車道に合流した。振り返ると今下ってきたアゴニー坂を擁する摩耶別山の姿が確認できる(写真上)。そんなに高い山ではないが、その坂はアゴニー(苦しい)なのである。
 車道を進むとすぐに穂高湖への分岐点となる(12:11)。ここは車数台の駐車が可能であり、ここから手軽に穂高湖が散策できる。今日も3台の車で満車の状態だ。
 車道から穂高湖周遊路に入る。すぐに人口湖である穂高湖に到着(写真右上)。ここでは多くのハイカーが、湖面に映る季節の移ろいを眺めながら談笑している(写真右)。
穂高湖とシェール槍
穂高湖とシェール槍
 穂高湖の湖畔で談笑するハイカーの間を抜けて、当方はシェール槍を目指す。
 穂高湖を右から回り、シェール槍の登り口に到着した(12:25)。
 ここには、頭が赤と青に塗り分けられた白いポールが立っており、これがシェール槍登り口の目印となる(写真右)。
 シェール槍の頂上はここから5分弱登ったところだ。
シェール槍登り口
シェール槍登り口
シェール槍から望む摩耶別山  シェール槍への登りは、やや足場の悪い岩場もあるが、そこを注意すれば簡単に登れる。
 山頂には先客が2名おられたが、一緒に頂上からの大パノラマを楽しませていただく。
 頂上から北方向に向かって立つと、左斜め前に新穂高、右斜め前には六甲山牧場が見えている。また西側には今越えてきた摩耶別山が、また足元には穂高湖が横たわる。最高の景色である。
シェール槍から望む摩耶別山
シェール槍山頂(平成17年当時) シェール槍頂上
シェール槍山頂(平成17年当時) シェール槍頂上
シェール槍から望む新穂高  360度の大パノラマが広がるシェール槍の頂上の大きな岩には、従前、「さけんでみる」と書かれた木片が置かれていた(写真左上)。
 なるほど、この絶景を前にすれば、誰もが「ヤッホー」の声を出したくなるのだろうとその時は思ったが、いまだにここで声を張り上げたことはない。
 今日も先客がおられるので到底声は出せない。
 しかし、いつの日か、ここで「さけんでみる」ことにしたい、と密かな希望は持ち続けている。
シェール槍から望む新穂高
シェール槍から望む穂高湖  360度の景色を堪能した後、下りのルートを考えた。
 ここからは、杣谷峠を経てカスケードバレイか長峰山を越えて伯母野山へ下るルートが手近である。どちらのコースを進もうかと考えたが、久しく歩いていないカスケードバレイ(徳川道)のルートを、今日は下ってみることにした。
シェール槍から望む穂高湖
 足元に見える穂高湖(写真上)や、眼前の六甲山牧場(写真右)に別れを告げ、シェール槍を12時40分に下り始める。
 シェール槍の麓へは約3分ほどで降り立つ。
 ここから穂高湖を周遊して車道に出る。
 異臭を放つ杣谷峠のトイレ横から杣谷に入っていった(12:50)。
シェール槍から六甲山牧場を望む
シェール槍から六甲山牧場を望む
カスケイドバレーの沢渡り  杣谷道の下りは、階段の連続である。石組みやコンクリートで固められた階段が延々と続く。
 15分ほど下って摩耶第4砂防ダムに至る。ここで沢を渡る(写真左 13:04)。
 また少々階段を下った後、滑りやすい岩場となる。ここは注意を要するが、単調な階段道よりは俄然面白くなってきた。しかし、少し進んだところでバイクが2台放置してあった。これは興ざめである。
カスケイドバレーの沢渡り
 この先は、大きな岩にさえぎられたでこぼこ道やら、渓流の水で濡れた岩道やらが続き、興味が尽きない。岩壁の側面に張り付く細い道もある(写真右)。その道を一気に下り、ハチノス谷道への分岐点までやってきた(13:43)。ここには、徳川道の標柱が立っている。次の機会には、このハチノス谷を上ってみたいと思っている。
 更に下り、杣谷砂防ダム下の水場に到着(14:00)。ここから区内屈指の傾斜度で灘百選にも選ばれている長峰坂を下り、護国神社前のバス停からバスに揺られ帰途についたのだった(14:10)。今日は摩耶山周辺を満喫した1日であった。
杣谷の岩道
杣谷の岩道
 この記録は、従来”摩耶山・シェール槍(17・5・3)”として掲載していた記録を、20/10/12 に再度、青谷道から摩耶山等を歩いたときの記録で整理し直し、「摩耶山・摩耶山史跡公園・シェール槍」(改訂版)として再掲載したものです。
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