三上山(近江富士)から北尾根縦走路 関西の山【7-57】 |
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野洲駅 |
祇王井川 |
JR琵琶湖線の車両に揺られながら車窓を見ていると特徴的な三角形の山が次第に近づいてくる。ほどなく車内放送で「野洲駅」のアナウンス。リュックをもってホームに降り立ち、駅の南口に出た。スマホの地図アプリをセットし、御上神社に向かって山歩きをスタート(9:00)。駅前の滋賀銀行の角で右折する。片側に流れを見ながら町中の舗装路を進むと、野洲小学校のそばで「史跡祇王井川」の表示(9:05)。道沿いの小さな流れは平家物語で知られる祇王が、水不足に悩む故郷の人びとのために、清盛につくらせた水路だった。
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中山道分岐 |
前方に三上山 |
祇王井川に沿ってさらに進むと次に「中山道」の表示が登場する(9:08)。そこは、江戸時代の朝鮮通信使ゆかりの街道と中山道の分岐点で、朝鮮通信使の街道は、関ヶ原以降、将軍上洛や外交使節の通行に使われたというめでたい道だったようだ。この辺りは、歴史に名を残す場所が点在していて興味深い。更に旧中山道を進み、背くらべ地蔵を過ぎて次の衣料品店のある角で左折して進路を南東に変える。市街地を過ぎ、周囲に田んぼが広がるようになって前方に三上山が近づいてきた。
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圃場整備事業の石碑 |
三角点 三上 |
田んぼの間の道をしばらく進んで行くと、傍らに何やら大きな記念碑が設置してあった。これは土地改良区の圃場整備事業の石碑で、その一角に保護石に囲まれて三角点が設置してあった。三角点は、四等三角点(点名:三上)で、平成5年に新設された三角点だ。その三角点のそばの田んぼでは、麦が黄金色に染まっていた。
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やがて御神神社に到着した(9:38)。三上山に入山するにはこの神社で参拝して心身を清める必要がある。拝殿にお参りし、社務所で入山初穂料(500円)を納入した。社務所では三上山登拝記念の道中安全守を授与され、それを首からぶら下げて入山するよう説明があった。赤い紐のかわいらしいお守りをぶら下げて、神社から三上山登山口に向かった。 |
御上神社 |
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三上山登山口 |
石階段が始まる |
御神神社から国道8号線に出て、三上山登山口交差点で信号を渡る。交差点を渡って少し進むと、表登山道と裏登山道の分岐の道標があり、ここで表登山道の方に進む(9:55)。すぐに妙見宮の建物の前を通って猪除けのゲートに至る。ゲートを開いていよいよ三上山に入山となった。すぐに石階段の厳しい山道が始まった。急がずじっくり進むことにする。
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裏登山道への分岐(緊急通報ポイントM2の分岐)を過ぎ、続く階段道を登っていくと妙見堂跡に登り着いた(10:07)。ここは古い石塔と共に「三上山登山道案内板(表道)」看板が立っている。それによると、妙見堂跡から三上山山頂までは約1.1km(約35分)で、急坂が続くので健脚向きと案内されている。表道は裏道(1.3km)よりショートカットだが、急登が待ち構えている。 |
妙見堂跡 |
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シダ(ウラジロ)のエリア |
二越からの展望 |
妙見堂跡を過ぎるとすぐにM3の分岐。ここで中段の道(北回り)が左に分岐していた。ここからも階段の登りが続く。更に雑木林の中を登っていくと、辺りにシダ(ウラジロ)の繁茂するエリアを通過(10:14)。その先で、「二越」分岐(10:16)。二越に進むと市街地に向かい展望があるので少し休憩する。二越を出発すると、すぐにM4の分岐(10:19)。この分岐は中断の道から裏登山道方面に向かう道だが、ここは表登山道の直登に進む。
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割岩 |
岩場の手すり |
更に岩の階段道を登っていくと「割岩まで10m」の道標。割石の方に進むとすぐに特徴的な大岩に至る(10:28)。ここは大きな岩が二つに割れて細い隙間ができていて、通り抜けられるか否か・・ギリギリの幅のような感じがする。親子連れがその割岩を通過すべく、声を上げながら果敢にチャレンジしていた。割岩を過ぎると岩場の急な登りとなる。岩に手摺が設置され、滑落しないように配慮されている。
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岩場からの展望1 |
岩場からの展望2 |
岩場の手すりを過ぎ、更に急な岩をよじ登っていく。このあたりから背後に展望が広がってきた。登るにつれて展望の角度が変わり、見飽きない景色となっている。野洲川の向うに市街地が広がり、その先に琵琶湖が横たわる。琵琶湖の向うには比叡の山並みが対峙していた。急な岩場で油断は禁物だが、ここで何度も振り返りながら似たような写真を何枚も撮ってしまった。
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急傾斜の岩場 |
手摺の急階段 |
急な岩場では下ってくる人とすれ違う。登山者はシニアから小さな子供連れのファミリーまで多彩だ。岩場ではルートを譲り合いながら挨拶の声が飛び交う。急な岩場に子供たちは楽しげだが、高齢者には厳しい感じ。登りはまだしも、下りでは怖いとの声も聞こえてきた。やがて、手摺のある急階段が登場して、そこを登り切ったところが三上山の山頂だった(10:49)。
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展望台からの展望1 |
展望台からの展望2 |
山頂の一段下に、「展望図」が設置された展望岩があり、そこで皆、景色に感動の声を上げている。南西方向への展望で、野洲川、市街地の向うに琵琶湖、瀬田川があって、その上に比叡山、大文字山、音羽山が並んで見えているようだ。今日は空気が澄んで一面に素晴らしい景色だった。
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展望台から三上山の山頂に向かう。山頂の手前では紙垂(しで)のついた縄が巻かれた大きな岩が目を引く。いかにも神聖な感じで、これが奥津磐座。奥津磐座は奥宮の前に鎮座している。 |
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奥津磐座 |
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奥宮の鳥居 |
御上神社の奥宮 |
奥津磐座の先に鳥居があって、その奥に御上神社の奥宮が祀られていた(10:51)。早速、おまいりして三上山に無事登山できたことを報告し、お礼をいった。奥宮の裏が三上山の山頂の広場で、そこは展望がないがベンチが置かれていて、数組、複数名の登山者が休憩していた。
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登頂証明 |
道標 |
なお、三上山の山頂には「登頂証明 三上山山頂 432M」と書かれた札が掲げられている。登頂記念にその写真を撮る。登頂証明の札には「おつかれ様」と小さく書かれているので気持ちが和む。さて、ここからは北尾根縦走路に入り、田中山を目指すことにする。北尾根縦走路は展望ポイントが多いパノラマコースとされるので、道中が楽しみだ。三上山を下り始める(10:57)。M7ポイント(11:00)、M8ポイント(11:06)と順調に下る。こちらは表登山道の岩場の急登と異なり、階段道なので歩きやすい。枝道があるが、随所に丁寧な道標があって進路が確認しやすいので助かる。
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次にM9ポイントまで下ってきた(11:18)。ここで中段の道に合流する。北尾根縦走路はM9ポイントから中段の道を少し北に進み、M10ポイントで右折となる。 |
M9ポイント |
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北尾根縦走路に入る |
M12ポイント |
M10ポイントで右折して北尾根縦走路に入った(11:24)。ここからは明るい尾根道で、よく歩かれた道が前方に伸びている。アップダウンを繰り返すその道は、マサ土の乾いた砂地でズルズルとよく滑る。展望があり楽しめる道だが油断できない。
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北尾根縦走路 |
三上山を振り返る |
その乾いた砂地でズルズル滑る道を、前方からRUNの人がやってきた。脚力があれば滑りも防げるのだろうが、当方は三上山を越えてきて、脚部に疲労がたまり、幾度も滑りかけた。更に慎重に進むことにする。なお、北尾根縦走路から後方を振り返ると、三上山の三角形がきれいに見えている。疲れるとその優美な姿を見ながら休憩をして、ゆっくり進んで行く。
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古代峠 |
立入禁止の岩場 |
ズルズル滑りながら、やがて「びわ峠」、M14ポイントを通過(11:38)。その先、さらに進むと前方に大きな岩が重なってトンネルのように見える場所が近づいてきた。そこが「古代峠」の石のトンネルだった(11:43)。古代峠は、M16のポイントで、県立近江富士花緑公園の方に下る分岐点でもある。古代峠を過ぎて数分進むと大きな岩が集積した特徴的な場所に至る(11:47)。その岩場は崩落の恐れがあるようで、ロープで立入禁止の表示がされていた。
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立入禁止の岩場を過ぎればすぐにM17のポイントで、そこが東光寺日陽山(11:50)。この東光寺日陽山の麓には弘法大師空海ゆかりの東光寺があるらしい。付近には出世不動明王や妙光寺山磨崖仏などもあるが、今日は北尾根縦走路をそのまま進む。東光寺や摩崖仏などは機会があれば訪ねたいと思っている。 |
東光寺日陽山 |
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希望が丘文化公園方面 |
三上山 |
東光寺日陽山を過ぎ、M18のポイント(11:56)、M19のポイント(12:00)と越えていく。いくつもの小ピークを越えて進むが、随所で左右に展望があり、それを眺めたり写真を撮ったりと、なかなか歩くペースが上がらない。右側の麓には希望が丘文化公園、左側後方には遠ざかっていく三上山の遠景と、見飽きないパノラマの景色が続く。
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野洲中越 |
水道施設 |
M21のポイント(希望が丘文化公園方面の分岐)を過ぎ、その先で北尾根縦走路の山道は下りになった。しばらく下って舗装路に出た(野洲中越 M22のポイント 12:13)。この舗装路は西側の野洲中学校と東側の希望が丘文化公園を結んでいるようで、少年たちが通過していった。なお、舗装路のところには水道施設があり、そこはフェンスで立入禁止だ。
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展望の峰の景色 |
←JR野洲駅 少し近道 |
次に、舗装路のM23ポイントから山道に入って斜面を登り返す(12:18)。この登りも結構厳しい。きつい坂を登りきると、M24のポイント。その先が「展望の峰」で、周囲の景色が楽しめる。「展望の峰」の先がM25のポイント(12:31)。ここで「←JR野洲駅 少し近道」の私製道標が目に入り、特に考えもせずその方向に進んだ。道は、少し荒れた感じになり、どんどん下っている。今まで歩いてきた北尾根縦走路と違い、あまり歩かれていない感じだな?!・・と思い、GPSを確認すると、道を誤っていることに気が付いた。あわてて下ってきた斜面を登り返してM25のポイントまで戻ってきた(12:38)。7分のロスで、気分的にどっと疲れた。
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小ピークの展望(市街地方面) |
小ピークの展望(三上山) |
気を取り直してM25のポイントを再スタート。ロープのある坂を下ってM26(12:40)。そこから登り返して小ピークに登り着いた(12:50)。ここはなかなかの展望が広がっている。先ほどの道迷いで脚部に疲労がたまりフラフラになったので、ここで少し休憩を入れ展望を楽しんだ。
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展望の小ピークを出発し、尾根道を少し進んだところで田中山の山頂に到着した(12:57)。田中山の山頂では一人のハイカーが休憩していた。山頂はほとんど展望がなく、三角点(三等三角点:小篠原)がポツンとあるだけだった。 |
田中山 |
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田中山山頂 |
小篠原三角点 |
三角点(標高292.84m)は草に取り囲まれていて、その草をかき分けて石柱を確認したが、刻まれた文字は経年でほぼ読めない状況になっていた。点の記では、三角点は明治23年の設置となっている。その頃は勝海舟が活躍していたころなので、時の流れを感じた三角点だった。
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旗振山 |
北尾根縦走路を下る |
田中山を出発して、更に北尾根縦走路を進む。少し進んだところで岩が重なった場所に到達した(13:03)。そこは旗振山で、細い木に「旗振山」の札が掛かっている。この山は別名「相場振山」で、江戸時代に大阪堂島の米相場を彦根に向かって旗を立てて伝えたところと伝わる。今は、岩の間から少し景色が望めるだけだが、休憩がてらその景色を見ていると3人の女性ハイカーがやってきた。旗振山の岩に上がって記念撮影を始められたので、お邪魔しないように旗振山を出発して北尾根縦走路を進んだ。
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北尾根から麓の展望 |
二つ目の鉄塔 |
旗振山を出発してM23ポイントを通過。その先、北尾根縦走路は次第に下りとなってプラ階段が登場した。これは関電の巡視路によくあるプラ階段だなと思っていると、前方に送電鉄塔が見えてきてその下を通過する(13:08)。更に尾根道を下っていくと麓の展望が一気に開けてきた(13:12)。街並みの中を高架線路が横切っており、そこを新幹線の車両が轟音と共に通過していった。さらに下って二つ目の送電鉄塔の脇を通過(ここはM30ポイント 13:18)。ここからの景色もなかなか良い感じ。
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展望の尾根を下る |
相場振山登山口 |
さらに北尾根縦走路を下っていく。階段とざらついた小石の道が交互に登場する感じの下り道で、滑らないよう注意して進む。やがて「相場振山、かぶと山登山口」の表示のところで麓に降りてきた。お墓の横を過ぎて(13:26)、その先で「いわたに橋」を渡る。野洲中学校の横を通ぎ、市街地の中をJR野洲駅に向かった。野洲駅には13:55に到着し、本日の山歩きを終えた。三上山から北尾根縦走路は展望箇所の多い楽しいルートで、またぜひ歩きたいと思うコースでした。 |