旧摩耶道・行者尾根 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-42】 |
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コロナ禍で山行を長期にわたって自粛していたが、相当に足腰が鈍ってきた感じなので、そろそろ山歩きを再開することにした。ホームグラウンドの六甲を巡ってみることとし、古来より山岳信仰の山であった摩耶山に詣でることとした。旧摩耶道、行者尾根から摩耶山に至り、旧天上寺跡を経て、上野道を下る予定だ。神戸市営地下鉄の新神戸駅で下車。地下から長い通路で新幹線の新神戸駅に向かい、地上に出た(8:50)。 |
新神戸駅 |
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新神戸駅から線路沿いに少し東に進むと、すぐに新砂子橋となる(8:57)。橋を渡っていると、その下を新幹線が轟音と共に走って行った。新砂子橋は、新幹線の線路を越える橋なのだ。橋を渡って道なりに進み、右手側に熊内八幡神社の赤鳥居が見えるので、そこから神社に向かう。境内を横切って、布引中の裏に回り、住宅街の舗装路を北に登っていく。 |
雷声寺 |
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急登の舗装路を登りきると雷声寺に至る(9:11)。寺の建物の下をくぐって、寺院の敷地内の石の階段を登っていく。石段の両側には雷声寺の建立物が並んでいる(写真上)。 延々と続く石段を登りきると、百度石の脇に山道の道標(旧摩耶道を経て青谷2.4km)が立っている(9:18)。ここで右折すると、正面に不動明王が待ち構える。その脇が旧摩耶道の取付きとなる。明王に今日の安全を祈った後、イノシシ除けの扉を開けて山道に入っていく。 |
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旧摩耶道の取付き |
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山に入ると疑似丸太の急階段が始まる。雷声寺の石段も急登だったが、疑似丸太の階段も引き続いて急勾配で、脚部に厳しい展開となってきた。 前日の雨で今日は湿度が高く、蒸し暑さの中で額から汗が吹き出してきた。先が思いやられる雰囲気が漂う。 |
旧摩耶道 |
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急登にタジタジになりながらも、それを登り切って尾根に乗った(9:28)。その先は、緩やかな道となってほっとする。次に、左手側が切れ落ちた斜面の道になり、慎重に進む。しばらく進んで、大木が道に覆いかぶさる場所となる(写真上 9:38)。ここは旧摩耶道で特徴的な箇所といえる。 大木をくぐった先は、幾度かのアップダウンを経て、道は緩やかに登っていく。次に、つづらになって山道は高度を上げ、登りきると、そこが学校林道との交差点だった(写真右 9:50)。 |
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学校林道との交差 |
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旧摩耶道を更に進む |
青谷川の支流を渡る |
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学校林道との交差を過ぎると旧摩耶道は少し下ったのち、水平な道となる。この辺りは右手側が切れ落ちた斜面となっている。ずり落ちないように足元に注意で進んでいくと、やがて前方から水音が聞こえてきた。そこは、青谷川の支流の谷で、大きく巻いて越えていく。次に、木道が登場して、水量の多い支流を渡る(写真上 10:18)。その先は歩きやすい道になって、少し進むと傍らに道標が立っている(写真左 10:22)。ここは、青谷道に下れる分岐でもある。 |
青谷道への分岐 |
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更に進むと建造物の跡が残る空地に出て(写真右 10:26)、その先で青谷道が合流した(写真下 10:27)。古くは、この合流地点には、行者茶屋や花などが植えられた畑があったが、今はすべて遺構になっている。 行者茶屋の跡地では、一人の男性が休憩していた。 |
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空地に建造物跡 |
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行者茶屋跡の先には行者堂があったが、それも数年前に取り壊され、今は石段などの遺構のみが残る(写真下 10:29)。行者堂跡で写真を撮っていると、青谷道を数名のハイカーが登ってきた。青谷道は歩く者も多いが、旧摩耶道では一人のハイカーにも合わなかった。旧摩耶道は、古くは天上寺の参詣道として親しまれた道であったようだが、今は、道も少し荒れて、忘れられつつある古道という感じだった。 |
青谷道に合流 |
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行者堂跡からは行者尾根に向かいたい。 旧摩耶道、青谷道から分かれて行者堂跡の裏手に回り込むと、細い流れに沿って道が続いている。すぐに板橋がありそれを渡る。流れの左岸を進んでいくと、行者尾根への分岐となる(写真下 10:34)。行者尾根へはこの分岐から登っていくが、今日は、その前に、流れの上流にある行場を見ていくことにする。 |
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行者堂跡 |
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流れの左岸に続く石階段を登っていくと前方に赤い鳥居が並ぶのが見えてくる(写真下 10:36)。滝の音も聞こえてきて行場らしき景観につつまれる。鳥居の先の古い建物の奥が行場なのであろうが、近づくのがはばかられる気がして、赤鳥居に二礼二拍手してそこを後にした。 |
行者尾根分岐 |
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行場から先ほど通過した行者尾根分岐(写真上)まで戻ってきた(10:39)。この分岐には「天狗道 山道はこちら→」、「この先行場 行き止まり」の表示があり、当該表示の「天狗道」の方に進む。 |
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赤鳥居の行場 |
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山道はつづらに登って行き、どんどん高度を上げている。途中、新しい倒木が道を塞ぐが、通行不可ではない。やがて、コル状の場所(鞍部)に登りつく(写真左 10:45)。ここは老婆谷との分岐で、直進は老婆谷で、行者尾根は左折となる。左折して、行者尾根に取付く。 |
老婆谷分岐 |
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行者尾根(小さな崩落) |
岩また岩の行者尾根 |
行者尾根に入ると岩が目立ち始める。更に進むと、大岩が剥き出しの尾根の登り道となる。岩道の道中で、風化が進んで真新しい崩落の箇所が1か所あったので、ここは落石に注意して進む(写真上 10:54)。岩登りのような急な岩尾根をひたすら登る。時折、岩場を風が吹き抜ける。汗だらけの体に心地よい。 |
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岩場の核心部 |
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行者尾根の岩道を汗だくで登り、高度も上がってきたなと思ったところで岩場の核心部に到達した(写真上 11:02)。ここは岩場をへつるように越えていく場所だが、南側に展望が広がるビュースポットでもある。緑の尾根越しに麓の街並みと海が望め、休憩には最適の場所といえる。少し、ここで足を休めて展望を楽しむ。 |
行者尾根からの展望 |
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今日はあいにくの曇天で、岩場からの景色はも一つだが、絶景は次回の楽しみに置いておこう。 少し休憩を入れた後、再度、行者尾根を登り始める。その先、急だった岩尾根が緩やかになって、ホッとしたのも束の間で、前方に最後の急登が迫っていた。縦走路の天狗道に向かって物凄い登りが待っていた。へとへとになりながら、連なる急な岩場をよじ登ること30分弱、やっと天狗道に登りついた(11:36)。 |
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行者尾根 |
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天狗道との合流地点は、GPSで620m程の標高となっていた。 天狗道では10名弱のパーティーが休憩をされていた。天狗道は、さらにぞくぞくと下方から登山者が登ってくる。ゆっくりとできる雰囲気ではないので、ここはすぐに出発して摩耶山上を目指す。天狗道に入ると、しばらくは下り道が続く。行者尾根の急登で疲労した脚部には下り道も結構な負担となる。ゆっくりと進むことにする。 |
天狗道に合流 |
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天狗道を標高差30mほど下ってきたところで左手側からアドベンチャールートが合流してきた(写真右 11:44)。ここでも10名弱のパーティーが休憩をされていた。縦走路で摩耶山を目指すコースは、六甲でも人気のルートで、コロナ禍の中でも密な状態であった。 |
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アドベンチャー分岐 |
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天狗道 |
摩耶山に到着 |
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天狗道の登り坂を、重たくなった足を引き上げながらゆっくりと登る。トレイルランで登る方々に何人も追い越されながら、なんとか摩耶山頂の建物が見えるところまで登ってきた(写真上 11:57)。建物は、NHKの放送施設で、大きなアンテナが幾方向へも向いている。次に、摩耶山の山頂にむかった。にぎわう掬星台と違い、三角点のある摩耶山頂は、訪れる者は少ない。 |
摩耶山頂(三角点) |
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摩耶山山頂の祠に目礼して、山頂から掬星台に下って行った。今日は曇天で掬星台からの絶景は望めないが、多くのハイカーや行楽客が広場でくつろいでいる。当方は、行者尾根でエネルギーを消費したので、摩耶ロープウェー・星の駅「摩耶ビューテラス702」にある喫茶(CAFE702)で昼食をいただくことにした。定番のカレーライス(700円)を注文し、カウンター越しに広がるパノラマの景色を楽しみながら、おいしくいただいた。 |
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CAFE702 |
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摩耶山山頂で40分ほど休憩した。そろそろ下山を始めたい。ルートは、上野道から五鬼城展望公園に下って行くこととする。途中、摩耶遺跡を巡りながら、参詣客でにぎやかだった摩耶山の昔を偲んでみたい。 常夜灯と彫られた大きな石燈籠のところから、摩耶山史跡公園に向けて石階段を下り始めた(12:39)。 |
弘法清水 |
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石階段を10分少々下ったところで、道脇に湧き水がちょろちょろと流れ出ていた(写真上 12:53)。傍らに、摩耶遺跡「弘法清水」の表示があった。ここは「弘法大師が道中一息ついたという伝説がある小さな湧き水」ということで、生命力を高め、困難に打ち勝つ気力を授かることができる有難い清水なのだった。 弘法清水を過ぎ、三権現社跡を通過すると、旧天上寺の親子杉の大きな倒木があり、その先が摩耶山史跡公園となる(写真右 12:55)。 |
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摩耶山史跡公園 |
摩耶山史跡公園は摩耶山とう利天上寺があった場所で、最盛期には、ここに、高野山、比叡山と並べられるほどの大寺があったらしい。伽藍の数三百、僧の数三千と伝えれる大寺院であったようだが、昭和51年に火災で焼失した。 |
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旧天上寺参道の石段 |
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旧天上寺跡からは、長い石段の参道が下っている。石段は急な勾配で、参詣は大変であったろうと思われるが、その石段の両側には寄付者の名が記された玉垣がびっしりと並んでいる。石段の途中には、蓮華院、王蔵院、大乗院という塔頭もあったようで、往時の寺院の規模の大きさがうかがえる。 |
玉垣並ぶ石段 |
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参道の石段を下りきると、仁王門に至る(写真右 13:05)。仁王門は江戸時代後期に建てられたもので、唯一、昭和51年の火災での焼失を免れた建物であるらしい。屋根の傷みが激しかったが、数年前に補修整備がなされて、きれいになった。 |
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旧天上寺仁王門 |
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仁王門のすぐ下には摩耶遺跡「アメヤ跡」がある(写真左 13:06)。「アメヤ」と文字が彫られたコンクリート製の水槽の遺構が残るだけだが、往時、ここには茶屋があって、「ラムネ」や「すいか」を水槽で冷やして参詣客に販売していたようだ。 |
アメヤ跡(水槽の遺構) |
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「アメヤ跡」の先で道が左右に分岐する(13:08)。ここは左(上野道)に下って行く。その先、5分程下って道脇の木々の中に大きな石塔が確認できる。傍らに摩耶遺跡「宝篋印塔」の表示がある。これも旧天上寺の遺構らしく、このあたりは長峰から登ってくる摩耶東谷の道と、青谷から登ってくる道の合流地点であったらしい。印塔は大きく立派な感じだが、木々の中に埋もれつつある姿からは、往時より長い時が経過したことを感じざるを得ない。 |
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宝篋印塔 |
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宝篋印塔を過ぎると、すぐ「三丁」の丁石があり、その先に広場状の場所があってベンチが設置されていた(写真左 13:15)。ここには摩耶遺跡「峠茶屋跡」の表示がある。「峠茶屋跡」は、上野道と虹の駅からの道が交わる場所で、峠茶屋は、おはぎ、ぜんざいなどを販売していたと説明がある。峠茶屋は「下のアメヤ」とも呼ばれ、近くには別に阿福茶屋という茶屋も並んでいたらしい。 |
下のアメヤ |
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山中に、「ラムネ」や「すいか」、「おはぎ」や「ぜんざい」を商う茶屋が並び立っていた往時の景観はどんな感じだったのだろう・・。今も残っていたら楽しいだろうに・・。色々な思いが頭の中をよぎって行った。 「峠茶屋跡」で道が分岐するので、ここは右側の上野道を下って行く(写真右 13:16)。なお、分岐を左に進むと、摩耶ビューライン「虹の駅」に至る。 |
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虹の駅分岐 |
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「峠茶屋跡」から上野道はどんどん下って行く。急な階段道の連続に、脚部の負担が増す。ゆっくり、ゆっくり下っていると、複数名のハイカーが追い越していかれた。天狗道ほどではないが、上野道も利用者は多い。 やがて、左手側から摩耶ビューライン「虹の駅」から下って来た道が合流した(写真左 13:26)。ここには、道標が立っている。 |
上野道の急な下り |
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摩耶ビューライン「虹の駅」から下って来た道が合流した場所から10分ほど下ると、上野道の展望場所がある(写真右 13:36)。ベンチが設置されたその場所では、先程、当方を追い越して行かれたハイカーが休憩していた。 ベンチからは、秋のススキの茎越しに麓の街並みが展望でき、いい感じだ。 |
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上野道の展望所 |
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上野道の展望所から更に階段道を下っていくと、山道が縦横に分岐している場所となる(13:44)。進路に迷うが、そこは五鬼城展望公園の方に下って行く。やがて、五鬼城展望公園に到着(写真左 13:54)。 五鬼城展望公園も展望がよく、いつもハイカーが休憩しているが、今日は誰もいなくて、景色を独占だった。 |
五鬼城展望公園 |
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五鬼城展望公園からは摩耶ケーブル駅側と神戸高側に下る道が分岐している。今日は神戸高側に下っていく。前日の雨で湿った道を下って行くとやがて宗教施設(摩耶菩提所)の脇に出て、その先で住宅地になっていた(14:09)。ここは神戸高の裏手で、ここから住宅地の中をほぼまっすぐ南に下って行く。やがて王子公園のグランドに突き当たり、そこを越えたところが阪急王子公園駅だった(14:30)。駅のベンチから北側を見やると、先程登った摩耶山頂の白い塔の頭が見えていた。 |
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王子公園駅 |