長坂山・稚子ケ墓山 (お勧め度★★☆) 丹生山系【6-1】

藍那駅(神戸電鉄)〜長坂山道〜長坂山〜長坂峠〜六條八幡神社〜
 岩谷〜稚子ケ墓山〜肘曲り〜志久道〜柏尾台〜箕谷駅(神戸電鉄) (約5時間30分)

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 山田町藍那から山田13ケ村の総鎮守社の六條八幡神社方面に抜ける道には、義経伝説で有名な藍那古道の他に、もう一つ、長坂山道がある。今日は、藍那からこの長坂山道を経て六條八幡神社に参拝し、更に足を伸ばして、稚子ケ墓山まで登ってみたい。六條八幡神社から稚子ケ墓山までの道は太陽と緑の道でもある。
長坂山への分岐  神戸電鉄の車両に揺られ、山間の小さな無人駅である藍那駅に降り立った。電車を降りたのは当方だけ。今日(平成24年5月26日)目指す長坂山道へは、この藍那駅スタートが便利なのです。
 その藍那駅を北に出て、藍那小学校を目指して、イザ出発(10:05)。駅前の県道を西に進み、信号のところで線路を潜って進む道に入る。
 道なりに進み藍那小学校を過ぎると(10:15)、小川沿いの薄暗い林道となる。やがて、右手側に長坂山への分岐道が現れる(写真左 10:27)。ここには長坂山や「まりの山」の表示があるのですぐわかる。
 分岐を右に入ると、長坂山道は、小さな沢沿いに続く薄暗い道となる。
長坂山への分岐
長坂山への急な坂道  ところで、この辺りの道は結構急坂であるが、車も通れるようにコンクリートで舗装されている。その理由は、この薄暗い山道を抜けた先に、田が広がっているからである。しかし、これらの田んぼも、耕作者がだんだんいなくなっってしまったのか、放置されて荒れたものが目立つ。
 この田んぼを過ぎると舗装はなくなり、道は細くて急になる(写真左)。そして、しばらく進むと、「ようこそまりの山へ」の表示が登場する。ここまでの道中でも、何箇所か「まりの山」の表示があったが、この「まりの山」とは何なんだろう。正確な謂れは承知していないが、長坂山の南西側の三角点のピークを、地元ではそう呼んでいたものらしい。
長坂山への急な坂道
 さらに切れ目なく、キツイ急勾配の登りが続いている。
 その長い坂に悪戦苦闘しながら、何とか「まりの山」にたどり着いた(10:48 写真右)。そこは、長坂山の手前のピークで、下草が刈り取られて整備されていた。
 藍那小学校による「まりの山登頂記念」の表示が立てられており、その表示の裏側には、登頂を果たした多くの生徒たちの名が記入されていた。しかし、古いものは文字が消えかかっていて、判読できない状態になりつつある。
 なんとか生徒たちの登頂記録は、永く残してやって欲しいものだが・・。
まりの山
まりの山
長坂三等三角点  また、このピークには長坂三等三角点(標高 391.48m)も設置されていた(写真左)。
 下草が刈り取られた状態なので長坂三等三角点が確認できたが、草が伸びて藪の状態だと、発見しにくい三角点である。

 三角点のピークを過ぎると一気に急な下りとなる。ここはロープが張ってあるので、それに頼りながら、滑らないように注意したい。
 下りついたところは、峠状のところで、太陽と緑の道の表示がある(10:55 写真下)。従前はここに「太陽と緑の道」の表示に併せて、「長坂峠」の表示もあった。
長坂三等三角点
 長坂峠では道が分岐している。長坂山へは、ここを直進するが、右側(南)にも薄い踏み後が伸びている。その道は草木が繁茂して、今は歩ける状態にないが、冬場は踏み込むことも可能だ。
 この藪道は、泉台に抜ける道である。この道が、丹生山の参詣道の一つで、その昔、烏原谷越と呼ばれていた道の一部ではないかと、密かに思っているのだが・・。
 (注)烏原谷越とは、平清盛が福原から丹生山に参詣するために整備した道と伝えられる。古くは山田と兵庫を結ぶ主要道だったようだが、現在は、住宅開発などでルートがはっきりしなくなった。(烏原谷越のルートは 兵庫〜烏原川〜鈴蘭台〜泉台〜長坂山〜東下 であったとされる。)
長坂峠
長坂峠
長坂山への登り口  さて、長坂峠から長坂山を目指して出発する。すぐに細い竹が凄い量で繁茂しているエリアとなった。
 山道の両側の竹は刈り取られ、整備されているが、手入れを怠ると、道はすぐ笹のジャングルに飲み込まれてしまうだろう。
 人の背丈以上に伸びた笹を眺めながら、山道の管理も大変だと思うことしきりであった。
 長坂峠から笹に覆われた坂道を3分ほど進み、次のピーク状の箇所に着いた。このピーク状のところでは道が分岐しており、左に上れば長坂山である旨の表示がある(写真左)。表示にしたがって、長坂山を目指す。
長坂山への登り口
 長坂山への道は、プラ階段が設置してあるので、鉄塔の管理道となっているのだろう
 道を登ること約2分程で頂上に着いた。 長坂山の頂上は木立ちに囲まれて眺望は全くない。ここが山頂である旨を示す登頂札が掲げられている以外は何の変哲もない場所である(写真右)。
 長坂山の頂上から先にまだ道が続いていた。それを少し進むと鉄塔が登場した。この鉄塔からは、これから目指す山田の里方面に展望が開けていた。
 さて、長坂山の探索はこの程度にして、山田の里を目指して下って行くこととしたい。
長坂山
長坂山
山田小学校(旧又新小学校)学校林  長坂山道を少し下ると、右手側に「山田小学校(旧又新小学校)学校林」の表示が登場した(写真左 11:06)。
 毎年、卒業生がこの地を訪れ卒業記念碑を建てると説明している。
 そういえば、先ほど越えてきた「まりの山」は藍那小学校の学校林だった。二つの隣り合う山が、それぞれ地元の小学生達によって大事にされている。いい伝統だ。ずっと続いてほしいと切に願う。
山田小学校学校林
 さらに長坂山道を下っていく。途中、分岐が何本かあるが、そこには太陽と緑の道の表示と共に、進むべき方向が指し示されているので、それに従う。
 長坂山から15分位下ってきたあたりで、右手側に展望が広がった。大原か桂木あたりの住宅地が遠望できる(写真右 11:14)。このあたりは、夏草が勢いをつけて伸び始めているので、夏場になると道が草に飲み込まれてしまうかもしれない。
右手側に展望が広がる
右手側に展望が広がる
山田の里に出た  11:21 山道から林道に出た。里は近そうだが、まだまだ山の中だ。林道にも「太陽と緑の道」の表示が続いている。
 11:35 林道から開けたところに出てきたが、まだこの辺りにも人家はない。
 少し進むと、やっと水田が現れた。ちょうど田植えのシーズンで、田んぼに張られた水が鏡になって薄曇の空を写していた(写真左)。
山田の里に出た
六條八幡神社  さて、ここからは、六條八幡神社を目指す。
 田んぼの中を曲がりくねって続く道を進み、清光寺(11:45)、山田小学校(11:47)と過ぎて、六條八幡神社にはちょうど正午に到着した(写真左)。
 六條八幡神社は、その由緒書によると、応神天皇を御祭神とする。その昔、神功皇后が紀伊の水門から難波の水門に御舟を留められた際、ここ山田の地に行宮を営まれたとされ、古くは若宮八幡宮と称せられたらしい。
六條八幡神社
 境内の三重塔は神仏混淆の名残で、室町期の特徴をよく残し、重要文化財に指定されている(写真右)。
 三重塔は六條八幡神社の境内にあった神宮寺・円融寺の塔で、文正元年(1466年)建立の棟札をもつ(神戸市北区発行「ハイキングレクリエーションガイド」より)。
 静かな本殿にお参りし、頭を垂れると、邪気が祓われたような気持ちになった。
六條八幡神社・三重塔
六條八幡神社・三重塔
山中のたんぼ  さて、六條八幡神社からは、太陽と緑の道をたどり、稚子ケ墓山を目指してみたい。
 五重塔の裏の道を東に進み、少し進んだところの四つ角から北に上る。急な坂道を登るとすぐ人家が途切れ、山の中に入る。道端に「自然を大切に!! 火の用心」の古い標柱が立っている。以前の「太陽と緑の道」として整備された頃のものだろう。
 この辺りは、山の中にも田んぼが開かれ、田植えがされている(写真左)。米の収穫を増やさんが為の新田開発の名残だろう。
 この田んぼのところで、突き当りが池となって、道がT字路に分岐する(写真下)。
山中のたんぼ
 稚子ケ墓山方面に続く「太陽と緑の道」はここで左折だが、今日は少し寄り道して「若王寺四等三角点」をたずねてみたい。

 T字路の分岐を右折し、無動寺方面に進む。
 しばらく進むと、無動寺方面に下る道に合流する。その合流地点の少し手前で、山の斜面に薄い踏み後が確認できる。意識して見ないと気が付かないかもしれないが、踏み後が確かに存在する。
池の手前でT字路に分岐
池の手前でT字路に分岐
古い祠が祀られている  その薄い踏み跡に従い、斜面に取り付く。
 藪道の様相を呈する斜面をしばらく登ると、何と突然に祠が登場した(写真左)。
 何故このような藪山の中腹に祠が祀られているのか、不思議に思ったが、考えてみると、今でこそここは藪の中だが、古くは地元の人たちにより山の神として信仰されていたのだろう。お供えもあり、今でも、このような所までわざわざ御参りに来ている人がいる。
  「若王寺四等三角点」はこの祠の裏手の一段高い所に設置されていた(写真左下、下)。
古い祠が祀られている
若王寺四等三角点を発見 若王寺四等三角点
若王寺四等三角点を発見 若王寺四等三角点
遠くに長坂山を望む  なお、T字路から若王寺四等三角点の取付きに向かう道の途中で、北側に赤土が剥き出しとなった場所がある。そこに登ると南方向に展望が開ける(写真左)。長坂山、シブレ山などが遠望できる。
 写真左は、そこから山田小学校方面を望んだもので、山田小学校の後方遠くに見える山が先ほど越えてきた長坂山と思われる。
遠くに長坂山を望む
 さて、若王寺四等三角点からT字路に戻り、稚子ケ墓山を目指してスタートする。
 こんどはT字路を左に進む。
 すぐに分岐があるので(写真右 12:43)、ここは右に下っていく(赤い線の方向)。ここを直進すると、ぐるっと回って、また六條八幡神社の方に戻ってしまう。
 右に分岐すると、しばらくは車も通れる幅広の林道が続く。
岩谷方面に下る道
岩谷方面に下る道
岩谷分岐  分岐から約7分でY字路になる(写真左 12:50)。ここは右折し、岩谷に入る。
 太陽と緑の道の標柱もあり、それに黒ペンで岩谷方面を示す矢印がある。
 また、古い地蔵の道標もあり、刻まれた文字を確認したところ
 右「ひやうご」(ひょうご)
 左「?こ?や山」と読めそうだが、正確な判読をするには当方の力量が不足しているのであった(写真下)。
岩谷分岐
 岩谷方向に進むと道はすぐ細い山道になり、流れに突き当たる。ここで流れを飛び石伝いに渡る(写真下)。
 谷の流れをそのまま遡ると、流れ落ちる滝の脇で高いところを走る国道の壁面に突き当たり、上に登れないので要注意だ。
 岩谷川の流れを渡るとすぐに古い「太陽と緑の道」の標柱が登場する(12:56)。ここから岩谷川の右岸道を少し進み、すぐに左の斜面に登る。
古い道標
古い道標
岩谷川の流れを渡る  「太陽と緑の道」は岩谷川の右岸より少し高いところを、岩谷川に沿って登って行くという感じだ。
 この道は、元々太陽と緑の道なので、それなりに整備もされていたのであろうが、今はハイカーから忘れ去られて久しいようで、道は相当荒れている。
岩谷川の流れを渡る
 落ち葉が深く積もり、枯れ枝や倒木で歩行にやや難儀をする箇所もある(写真右)。
 おまけに日が差し込まず薄暗い場所が多く、太陽の道とはいい難い感じとなっている。
 ただ、赤と青の古いテープが道を誘導してくれるので、それを見落とさないように歩けば、道を誤ることはない。
岩谷川右岸を登る
岩谷川右岸を登る
国道428号に出る  岩谷の水の流れる音が次第に右下遠くになり、道はだんだん谷から離れ、高いところを進んでるなと感じ始めた頃にまた大きな水音が聞こえてきた。流れ落ちる滝があるのだ。ここまでくると、国道428号は近い。
 大きな岩が重なり、落石でもあれば超危険そうな箇所を過ぎると、ガードレール付の橋のところに登りついた(写真左 13:17)。岩谷川を渡る橋だ。
 この橋の脇には古い祠が3つ並んでいるので、この橋は岩谷を登ってきたハイカーの為に掛けられたという訳ではないようだ。
 祠の前で10分ほど休憩した後、稚子ケ墓山を目指して出発した(13:25)。
国道428号に出る
 国道428号に出て、車に気をつけながら少しだけ(10mくらい)北に進む。すると、対面に階段状の溝が流れるの箇所がある(写真右)。
 ここが稚子ケ墓山への登り口である。
 旧「太陽と緑の道」と思うが、ここには何ら案内表示はない。
国道から稚子ケ墓山への登り口
国道から稚子ケ墓山への登り口
 国道から山に入ると岩のごろつく沢登りとなる。水の流れはないが、大小の岩が重なり、そこに倒木も加わって歩き難いことこの上ない(写真右)。
 まさに「ワイルドだぜ!」という雰囲気だ。
 本当に「太陽と緑の道」だったのかと疑問を感じ始めた頃に、古い「太陽と緑の道」の標識が岩の間に“ニョキッ!”と登場した。それにはペン書きで「沢を登る」と書かれている。これを見て、道が誤っていないと安心する。
古い「太陽と緑の道」を登る
古い「太陽と緑の道」を登る
「太陽と緑の道」道標  歩きにくい岩の登りと15分ほど格闘して、山道に合流した(13:45)。ここからははっきりした道となる。
 太陽と緑の道の標識もちゃんと立っている(写真左)。この標識には、山から下ってきた人のために「沢を下る」と記載してあった。この記載がないと、岩のごろつく沢が太陽と緑の道とは思わないだろう。
 ここからは、普通の山道をひたすら登る。多少、倒木はあるが、道はしっかりとしていて、歩行にはなんら困難はない。
「太陽と緑の道」道標
 その山道を20分ほど登ると、双坂池から稚子ケ墓山へ登る道に合流した(写真右 14:06)。ここには太陽と緑の道の標柱があり、それには「119ばん通報プレートき93−9」も設置してある。
 また、この標柱に巻かれたビニールテープには、ここが岩谷への分岐点であることが小さく書かれている。しかし、岩谷方向には、枯れ枝が道を塞ぐように置かれ、一般のハイカーが岩谷に迷い込まないように配慮してあった。
 岩谷を遡行する道は、地形図にも点線の道として記載があり、野趣溢れるワイルドな道で楽しく歩けたが、一部荒れていて、一般向けではないことを付言しておきたい。
双坂池から稚子ケ墓山へ登る道に合流
双坂池から登ってきた道に合流
稚子ケ墓山  さて、合流地点からは東に進み、登るのが嫌になるような急な坂道(トラロープの設置あり)を二箇所こえると、やっと稚子ケ墓山の山頂に登りついた(写真左 14:20)。
 山頂には兵庫登山会作成の山名表示と三角点(稚児ケ墓三等三角点)がある(写真下)。
 また、山頂にはコンクリートブロックが2個置かれていた。何のためのブロックか知らないが、こんな重たいものを誰がここまで運び上げたのであろう。
稚子ケ墓山
 山頂からの展望は全くないので、ここは早々にスタートし、稚子ケ墓山のやや東にある稚子の墓に進む。そこには石積と「稚子墓山伝説遺跡」と書かれた標柱がある。ここが、稚子の墓とされる(写真下)。
 稚子の墓からは南に展望があり、6人のパーティーが休憩していた。
 その方々は丹生山から登ってこられたとのことで、帰りに山田の里の「銀河の湯」で疲れを取りたいのだという。そして、「銀河の湯」は何処か知らないかと尋ねられたが、生憎、当方は不知であった。その方々は肘曲りの方に下っていかれたが、「銀河の湯」には入れたのだろうか。ご教示できず、失礼いたしました。
稚児ケ墓三等三角点
稚児ケ墓三等三角点
稚子の墓  なお、稚子ケ墓山の山頂にある「稚子ケ墓山の謂れ」には、次の通り記載がある。
 「羽柴秀吉の三木城攻めのさい、丹生の僧兵が別所方に味方した為、全山が焼き討ちにあい、その時死んだ侍童、稚子を葬ったものという伝説があります。」
 さて、「稚子墓山伝説遺跡」で、景色を楽しみながら10分ほど休憩できたので、当方も肘曲りの方に下って行くことにした(14:25)。
稚子の墓
 出発してすぐ急な下りとなった。ここはロープが設置してあり、それにつかまり慎重に下る。
 このような、ロープのある急な下りが3箇所あって、何とかそれらを下り終えると、山道はT字路となった。ここを右折すると箕谷グリーンスポーツホテルの方に下れるらしいが、いまだ下ったことはない。(なお、銀河の湯はこのホテルの温泉のことのようだが、存じ上げませんでした。)
 T字路を左折して肘曲りを目指す。すると、すぐに、じめじめ、ジトジトとした谷歩きとなった。ここは湿った石が連続し、滑りやすいので要注意だ。
志久道
志久道
柏尾台の住宅地に出た  肘曲りには14:20に到着した。ここからは、石ころが散乱して、足場が悪く、歩きにくい志久道を下っていく(写真上)。
 この歩きにくい志久道も元は石畳の道として整備されていたのであろうが、それも今は無残な姿だ。
 どこまでも続く乱雑な石の道に苦闘しながらも、何とか柏尾台の住宅地まで下ってきた(写真左 15:14)。
柏尾台の住宅地に出た
 ここから、閑静な住宅街の中を下り、大滝口を経て神戸電鉄箕谷駅まで延々とアスファルト道である。
 なお、大滝口からやや西に進み、山田町原野辺りから北を望めば、本日登頂した稚子ケ墓山が綺麗に望めた(写真右)。
 駅への到着は15:50であり、舗装路歩きに45分も要した。アスファルト道は味気なかったが、今日は岩谷のワイルドな山道が楽しめ、充実の一日であった。
麓から稚子ケ墓山を望む
麓から稚子ケ墓山を望む
 ●この記録は、従来”長坂山道(18・10・28)”として掲載していた記録を、再度、24/5/26に長坂山から稚子ケ墓山まで歩いたときの記録で整理し直し、改訂版として再掲載しました。
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