鬼ケ島・水無山・高尾山 (お勧め度★☆☆) 北六甲【2-5】 |
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鉄輪の軋む音と共に、神鉄の車両は有馬口駅のホームに滑り込んだ。 有馬口駅は、神戸電鉄の有馬線と三田線が分岐するところで、乗客の多くがここで有馬温泉行の電車に乗り換える。ところが、今日は多くのハイカーがこの駅で降車した。その方々は北側の改札に出られたので、逢山峡方面に向かうのだろう。 そんな中、当方一人だけが南側の小さな改札を出た(9:20)。鬼ケ島へは南改札が近道なのだ。細い道を進むとすぐに少し広い舗装路に出るので、ここで左折して東に向かう。 道なりに歩いていくと、次第に道は右にカーブして南向きになる。ちょうど有馬線の線路と同じ方向に進む感じだ。 |
神鉄有馬口駅 |
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道の両端に並ぶ民家の間を南へ歩を進めて行くと、前方に阪神高速の高架が見えてきた(写真左 9:30)。 高架の下をくぐると、車止めのゲートがあり、その横をすり抜けて幅広の道をさらに進む。 この道は、通常、車が入れない道であるが、以前、阪神高速道路会社の黄色い車が走っていたことがあったので注意したい。高速道路を下から目視して維持管理の仕事をしていたのだろう。 少し進むと舗装路は左に大きく曲がっているが、鬼ケ島へはここで直進である。 更に続く幅広の林道を、道なりに進む。 |
阪神高速高架が見えてきた |
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水無川を左に見ながら、幅広の道を進んでいくと、右側に道が分岐した。ここは深戸谷への分岐である(写真右 9:40)。 この分岐に立つ木のやや高い所に、地図入りの案内板が掛かっている(写真下)。兵庫登山会の作成したもので、古くなって文字が読み辛らいが、近隣のルート図が示されている。 このルート図で、鬼ケ島への登り口は、ここ深戸谷分岐の少し先であることが分かる。 なお、兵庫登山会の案内板では、水無谷から左側の灰形山へ登る道も表示されている。これは、当方にとってまだ未踏の道で、今でも通行可能かどうか、また機会があれば探索してみたいと思う。 |
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深戸谷分岐 |
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兵庫登山界の案内板を過ぎると、すぐに水無川を渡る橋となる。 この橋を渡って進むと水無谷に至るが、橋の手前で踏み跡が右に分岐している(写真下 9:42)。 この分岐が鬼ケ島への登り口である。ここには、鬼ケ島登り口を示す表示はないが、古い残置テープが複数あるので、すぐ分かる。 従前はここにも兵庫登山界の案内板があった。その表示では、鬼ケ島への登りは「急坂」である旨記載され、登山者を少々びびらせていたが、その案内表示は今は跡形もない。 |
兵庫登山会の案内表示 |
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鬼ケ島への分岐を入ると、しばらくは左手に水無川の流れを確認しながら進むが、やがて右折し斜面に取り付く。ここから急な登りである。 最初、つづらに登っていた道は、すぐにまっすぐな一本道の登りとなる。落葉の積もる道で、倒木もあるが、はっきりとした道で、少なからざる人が踏み込んでいることがわかる。 鬼ケ島への登りは想定以上の急勾配で、必然的に歩みは鈍くなる。視線も足元に集中しながら進んでいるとこの道沿いに赤い杭が続いていることに気がついた。 杭には「下唐櫃林産農協」の表示がある。境界柱のようだが、この鬼ケ島は林産農協の管理する山ということなのだろうか。 |
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鬼ケ島への登り口 |
鬼ケ島への道を登り始めて10分くらいで、更に勾配が急となった。斜度が40度はあるのではないかと思う位の急勾配である。それゆえ足元しか見えない感じとなり、道に張り出した小木に二度ほど頭をぶつけてしまった。 急勾配でも、前を見ながら進まなければ、痛い目にあうので要注意だ。 ただし、急坂ではあるが、木の根っこが適度に露出した箇所もあり、それに助けられて、滑らずに登ることはできる(写真右)。 |
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鬼ケ島への急な登り |
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鬼ケ島への登りは視界のない急な登りの連続であったが、その中で一ケ所、灰形山方面が望める場所があった(写真左 10:10)。 この場所は、従前、もう少し視界が開けていたような記憶があるが、今は潅木が茂り、あまり見通せない状況に様変わりしていた。 |
灰形山方面を望む |
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鬼ケ島登り口から、急な坂道を登り始めて約30分でやや開けた尾根に乗った。そしてすぐに大きな木が行く手を塞ぐ(写真右)。 幹が7〜8本に分かれて延びる変わった木だ。これは、アカカシの巨木で、六甲山系のマザーツリーの内の1本らしい。 ここからは比較的平坦な山道を進めばすぐに鬼ケ島山頂(583メートル)に到着する(10:23)。 鬼ケ島登り口に入り、ゆっくりとしたペースで登って、山頂までは40分程度の時間であった。 |
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マザーツリーのアカガシ |
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鬼ケ島頂上は中心に石が数個積まれたところで、視界もあまりきかず、何ら変哲のない山頂である。 山友会の登頂札が鬼ケ島の山頂を示すのみである(写真下)。山なのに鬼ケ島とは、いと不思議なので、その理由を解明する何かの発見がないかと、山頂をウロウロと探索するも、当然のごとく何も発見はなかったのでした (^_^;)。 なお、鬼ケ島の山頂からは、西側の逢ケ山の反射板がちょうど対面に見えていた。 |
鬼ケ島山頂 |
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ところで、古い地図では、鬼ケ島は「東鬼島」と「西鬼島」に分けて表示されている。 位置的には、現在の鬼ケ島頂上が「西鬼島」と思われるので、「東鬼島」はアカカシの巨木があったあたりだろうか??これは勝手な想像で、全く根拠なしであります (^_^;)。 鬼ケ島の山頂では5分ほど休憩して、次に水無山を目指すことにした。水無山への道は一本道で、迷うことはないが、親切に「→ 水無山」の表示がある。 |
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鬼ケ島の登頂札 |
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鬼ケ島から水無山に向かっての下りも急である。 その下り始めの辺りからは、前方南側に連なる山々を見通すことができた。鬼ケ島の南に位置する水無山、高尾山が顔を見せているのだろう。 鬼ケ島から5分ほど下ると、次に水無山への登りが始まる(10:28)。この辺りにも数年前には、鬼ケ島から水無山への山道のうちの現在地を示す案内板があったが、今はそういった表示は全くなくなっている。 |
水無山への登り |
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水無山への登りには、途中、右手側斜面が崩れている箇所がある(写真左上)。ここは注意して通過したい。 水無山へ登り始めると、最初は杉の木の枯葉が積もる道である。この枯葉が松葉に変わると勾配がゆるやかになって、やがて尾根に乗る。 その尾根道を進んでいると、大きな岩が道を塞いでいる場所となる(写真左 10:43)。 この岩は左から巻いて進むのだが、ここからは西側と北側に展望が開けるので、小休止に最適だ。v(*'-^*) |
水無山頂上手前の岩場 |
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水無山手前の岩場からの景色 |
遠くにキスラシ山を望む |
岩場から北を眺めると山間を走る阪神高速北神戸線と六甲北有料道路の高架が見える(写真上)。 東側の高丸山とその西のキスラシ山の狭い谷筋を縫うように高架の道路が作られている。 山の半分が削り取られたキスラシ山の無残な姿も一望できる(写真右上)。このキスラシ山は、山土が削り取られて、やがて跡形もなくなってしまう運命なのだろう・・・。 また、この岩場からはちょうど西側の対面に逢ケ山を望むことができる(写真右)。 逢ケ山はちょうどお椀を伏せたような形状で、容姿端麗である。 |
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逢ケ山を望む |
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岩場の上で展望を楽しんだ後、その岩を降りて、左手側から巻いて進むと水無山の山頂となる(写真左)。岩場の隣が水無山の山頂という感じだ。 水無山の山頂は、小岩が散らばる尾根道の途中という感じの場所である(写真左)。 山頂には「水無山」の登頂札があり(写真下)、それでここが水無山と確認できるが、表示がなければ普通に通り過ぎてしまうだろう。 |
水無山頂上 |
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10時48分 水無山を下り始める。ほぼ、まっすぐな道を一気に下る。この下りにも「下唐櫃林産農協」の赤い杭が続いている。 下りきると、そこは水無峠である(写真下)。ここは、杉の植林地帯で、日が差し込まず薄暗いところである。 水無峠は、水無谷(水無滝)方面へ下る道、仏谷峠へと下る道、そして、高尾山へと登る道が交差するところで、従前はその案内表示があった。しかし、現在はそういった表示がない。ただ、足元を見ると、小石にピンク色のペンキで、水無谷と仏谷方面の表示がされている。これは、注意していないと見落とす感じだ・・・。 |
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水無山の登頂札 |
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水無峠 |
高尾山への急な登り |
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水無峠からは高尾山を目指して登って行く。方向的には、水無山から下ってきて、そのまま、まっすぐに登って行くという感じだ。 高尾山への登りは、左手側に杉の植林を確認しながら進む(写真上)。しかし、その登りの勾配は半端ではない。極端かもしれないが、垂直に近い壁を登るという感じだ。鬼ケ島の登りも急であったが、この高尾山への登りに比べると、生ぬるい気がしてくるくらいだ。滑落しないように慎重に登って行く。 左手側の杉林が自然林に変わるあたりから勾配がややゆるむ。途中、高尾山方面を示す古い道標が残っていた(写真左)。 |
高尾山への古い道標が残る |
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高尾山への急な登り道にも「下唐櫃林産農協」の赤い杭が続いていた。この赤杭は、鬼ケ島から高尾山まで、ずっと続いていたことになる。 水無峠から高尾山への急坂に20分弱、悪戦苦闘して、何とか高尾山山頂に登りついた(写真右)。 高尾山山頂は、木立の中で展望はない。山頂は広場状のところで、「下唐櫃林産農協」の赤杭と登頂札(写真下)があるだけだ。 山頂からは道が二つに分岐している。一方には仏谷峠の表示があり、もう一方には何らの表示もない。その表示のないほうのルートが湯槽谷山へ続く道である。 高尾山の山頂で小休止の後、湯槽谷山へ続く道に進む(11:18)。 |
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高尾山の山頂 |
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湯槽谷山へ続く道は、しっかりとした道である。 行き先を示す何らの表示もないので、初めての場合は、水無谷へ下ってしまうのではないかと不安を覚えるかもしれない。 しかし、道はほぼ平坦で、はっきりとしている。次第にUターンして、やがて118番通報プレート「き8−5」に出会う(11:36)。ここで、湯槽谷山から番匠屋畑尾根に続く道に合流となる。 この合流地点から、数分で湯槽谷山に到着した(写真下 11:40)。高尾山から湯槽谷山までは20分弱の距離であった。 |
高尾山の登頂札 |
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湯槽谷山では先客が一人休憩されていた。本日、山に入って初めて人に会った。鬼ケ島から高尾山までのルートはマイナーで歩く者は少ないが、湯槽谷山を含む有馬三山のコースは比較的ポピュラーだ。 湯槽谷山の山頂も木立の中で展望はない。しかし、倒木で簡易なベンチが造られていて、一休みにはもってこいだ。 また、湯槽谷山の山頂には神戸有馬ロータリークラブによって「有馬三山 湯槽谷山 八○一米」と記された石柱(平23年4月)が立てられていた。 時間もちょうど昼時となったので、ここで、昼食休憩とした。 |
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湯槽谷山 |
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湯槽谷山の山頂で15分ほど休憩した後、下山することにした。 湯槽谷山からの下りは階段の連続である。「これでもか!!」と言うくらい階段道の下りが続く。おまけに、急な階段である(写真左)。 下りでも足に負担が相当かかるくらいだから、登りの大変さはなおさらだろう・・・と、思いながら下っていると、その急階段を二人組みのハイカーが登ってきた。本日、山歩きでお会いした二組目のハイカーだ。 挨拶を交わしてすれ違う。 |
湯槽谷山の急階段 |
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湯槽谷山の山頂から25分ほど下ったところで道が右手側に分岐した。119番通報プレートき8-4「紅葉谷を経て有馬」の標柱が立っている場所だ(写真右 12:20)。 ここは妙見谷方面に下る分岐点だ。今日は、妙見谷堰堤を経て鼓ケ滝公園方面に下りたいのでこの分岐に入る。 よく歩かれた道が下っている。しばらく下ると、前方遠景の樹木越しに有馬の温泉街が見えてきた。 |
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妙見谷堰堤への分岐 |
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15分ほど下ると左手前に大きな堰堤が現れた(写真左)。 この堰堤は表面が岩肌のような雰囲気の珍しいものだ。 これは「妙見谷堰堤」で、人工岩景観工法により施工され、平成16年(2004年)3月に竣工した。この妙見谷堰堤の立地は、有馬温泉の近くであり、観光客やハイカーが多い景勝地であることから、自然な景観を考慮して人工岩工法が採用されという。炭素繊維強化セメントを素材としているらしいが、本物と見間違えるようなこの技術には脱帽である。 |
妙見谷堰堤 |
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妙見谷堰堤を過ぎ、更に下ると、鼓ヶ滝公園の入口にある湯槽谷橋のところに出てきた(写真右)。 ここでは「立入禁止」の黄色いテープが、ちぎれて落ちた状態になっていた。 本日、下ってきた妙見谷道には走行に支障があるような箇所はなかったようだが・・・・?黄色いテープが、何の目的のものなのかは不明だ。 なお、湯槽谷橋からは妙見谷堰堤の方向に道が登っていた。妙見谷堰堤が真正面から見えるかもしれないと思い、その道を登っていったが、すぐに行き止まりとなった。そこからは、伸びた草木で妙見谷堰堤の景観を十分には確認できなかった。 |
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湯槽谷橋へ下りつく |
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湯槽谷橋から温泉街の中をブラブラ歩いて、有馬温泉駅には13時5分に到着した。 今日は時折、寒風が小雪と共に吹きつける劣悪な気象条件の中での山歩きであったので、電車の中がポカポカに感じるのであった。 なお、鬼ケ島と高尾山は、以前登った時よりもその登りが急なように感じた。これは、加齢から来る当方の足の衰えが原因かもしれない・・・。 (w_-;)グスン・・ |
有馬温泉駅に到着 |
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