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今日の大船山アッタクは、十倉バス停から登り、大舟寺近くの波豆川バス停に下るルートを進む。 JR三田駅(北口)のバス乗り場で、21系統小柿行きの神姫バスに乗る。バス便は本数が少ないが、10時15分発の便を利用した。 乗客も少なく、ハイカーは当方以外に3名で、その方々も大船山を目指すようだ。
乗車時間約30分弱で、大船山登山口の「十倉」までやってきた(10:42)。 ここで下車して、少しバス道を戻ると「大船山登山口」の標柱が立っていた(写真左)。当方が、その標柱の写真を撮っていると、3名のパーティは先行して大船山を目指して進んでいかれた。 |
大船山登山口 |
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田植えの準備が進む田んぼの中の地道を東に進む。道沿いの水路では、農業用水の清水が爽やかな水音と共に勢いよく流れ下っている。 そして、右手前方には、大船山の尖った山容がハイカーを迎えてくれている(写真左)。 やがて、民家が途切れ、道が山道(林道)となるところで、鎖の車止めが登場する。このあたりの林道では猪除けの電気柵が張り巡らされている。 |
右手側に大船山 |
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次に、右手側に溜池が登場する。この辺りは杉林で林道も次第に登りとなる。 ここで、下ってきたハイカーとすれ違う(10:55)。もう、大船山のピークを踏んでこられたのだろう。 三つ目の溜池の土手で右に折れる(写真右)。ここで、先行の3名のハイカーが、装備を整え、大船山を目指すための事前準備をされていた。挨拶を交わし、追い越して進む。 溜池の土手の端から雑木林に入ると、そこに波豆川方面を示す表示が立っていた。マジックペンで「大船山」と小さく書かれているので、ここが大船山登山口であることが確認できる。 |
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三つ目の溜池から大船山へ |
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登山口を入ると杉林の登りとなる。右手側にチョロチョロと水音を立てながら、小さな流れが下っている。 しばらくは、ガレて大小の石がごろつく登りが続く。 やがて、杉林から雑木の林となるが、樹林の密度が高く、薄暗い山道のままである。 |
やや荒れた道を登る |
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石のごろつく足場の悪い坂道を依然として登って行く。 次第に倒木が目立つようになる(写真上)が、歩行に困難を来たすほどではない。 その倒木のエリアを過ぎると峠状の場所に上りつく。ここにはベンチがつくられ、標識(三田市観光協会)も立てられている(写真右)。 この峠では「大舟山頂」方面の標識に従う。なお、この峠から 波豆川方向に下ると、大磯登山口に至る。 |
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波豆川・大磯分岐の峠 |
峠状の場所から更に登ると薄暗い杉林となる。展望のない坂道をひたすら登る。 山道沿いに「緑を大切に」(三田市観光協会・波豆川環境美化G)の緑色の表示が登場する(写真右)。 大船山は北摂の峻峰であるから、その登山道は、三田市観光協会によりしっかりと維持管理されているようだ。 |
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緑を大切に |
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さらに登って行くと、案内表示の立つ分岐のとなった。ここでは「記帳所」と書かれた表示が目に入る(写真左 11:36)。「ようこそ大船山 感想をご自由にお書き下さい」と記載された木箱の蓋を開けると、中に筆記具とノートが収納してあった。 ノートをめくって見ると、直近では5月6日に登られた方が記録を残されていた。今日は、10日だから、4日前の登山者だ。ゴールデンウイークの最後の休日に家族4人で大船山に登られたようだ。 その前の記帳者は4月19日の3人グループで、合計年齢238歳と書いてある。70代後半のグループのようだ。年を重ねても、元気で山に登り続けておられる。自身もそうありたいものだ。 |
大船山記帳所 |
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記帳所には、そこから大舟山頂まで350mの表示がある。それに従い、表示が指し示す方向に登って行く。 緩やかな登りの次にトラロープが登場する(11:41)。と共に、勾配がすこぶる急になる。 大船山は、麓から見ると尖った山容であり、トラロープの登場は、その尖った部分に差し掛かったという事になるのだろう。 ここから、延々と急なロープ場が続き、必然的に汗が噴出し、息も上ってきた。 |
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急傾斜でロープ登場 |
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急な坂道をロープにすがるようにして10分ほど登る。 ここで、ロープがとぎれ、そこからもうひと登りすると目の前が開けて、大船山山頂に到着した(11:55)。 山頂では風が通り抜け、急坂の登りで火照った体に心地よい。 大船山は、神々が天降りられたとされる山なので、山頂にはりっぱな石の祠が祀られている。 |
大船山に到着 |
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大船山(兵庫50山) |
周囲の山々の表示 |
大船山山頂には、三田市観光協会によって、大船山(大舟山)の謂れが記載された看板が設置されている。この看板にも、大船山は、太古には湖に浮かぶ島であり、船を繋いだ松があったことからその名がついたと説明されていた。その説明に見入っていると、ちょうど時計が12時となって、麓の村から昼を知らせるサイレンが聞こえてきた。そこで、大船山の山頂で弁当を広げることにした。 山頂からは東側と南側の一部に展望が広がるが、それ以外の方面は木々が伸びて見通しはない。多方面の山々の位置を指し示した案内表示があるが、北側や西側の山々は遠望できず、やや残念だ。 |
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大船山から見る羽束山 |
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大船山山頂で周囲の景色を楽しみながら弁当を食べ終え、次に、祠の後ろにある三角点(三等三角点、点名:大舟谷)を確認していると、3人のハイカーが登ってこられた。麓の溜池で追い越した三人連れの方々だった。 山頂からの景色はその方々にお譲りするとして、当方はそろそろ下山することにする。下りのルートは、大舟寺跡を通って、町石道を波豆川方面に進むことにする。 |
大船山からの景色(東側) |
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大舟谷三等三角点 |
三角点と大船山山頂 |
大船山山頂直下の急な坂道をロープを握り締めながら下っていく(12:15)。 このトラロープは登りでもお世話になったが、むしろ下りのほうが利用価値が高い。 それは、下り道が、小石のある急な岩場で、落葉も積もっていて、ズズズッ と、滑るからである。 ここは、ロープにすがって慎重に下る。 10分ほど下って、記帳所の分岐に到着(12:25)。ここからは、表示「大舟寺跡・波豆川バス停」に従い、南東方面に下っていく。 |
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舟寺(大舟寺)跡 |
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薄暗い杉林の道を下っていくと、すぐに大舟寺跡に到着した(12:29)。 そこは、平坦地だが、その昔に寺院が存在したことを確認するに足る遺跡的な構造物は何も残っていなかった。ただ、三田市観光協会が設置した大舟寺跡の説明板があるのみだ。 その説明によると、「当山は霧深く、湿気多く堂宇の維持困難となり・・廃寺とした」旨が記されていた。 確かに一帯は湿地の箇所も多く、ここに木造家屋は不相応と思われた。 |
大舟寺跡説明 |
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大舟寺跡では古い石垣が一部残り、上下に数段の敷地の跡らしき場所が確認できた。 大きな山桜の前には古い町石も残されていた。ここの町石は卒塔婆のような形をしている。 古い町石は時の経過で、彫られていたであろう文字はもう判読不能な状態になっていた。 |
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大舟寺町石 |
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大舟寺跡から更に町石道を下る。
少し下って、ロープが登場した。ここは急な下りの足場の悪い道である。昔の方は、こんな急坂を登って、大舟寺にお参りしていたのかと思うと、その信心深さに頭が下がる。 更に下ると、ガレた石のごろつく歩きにくい道となった(12:40)。ここは歩くのが大変だ。 昔は整備された石畳の道であったものが、時の経過でこんな悪路に変貌したのだろうか。 |
ガレた道を下る |
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大舟寺跡から30分ほど下ってくると真新しい砂防ダムが右手に登場した。そして、前方には麓の民家が見えてきた(13:00)。 新しいダムから流れ出る溝の両側は黒い土嚢が積まれている。掘り返した山土も新しい感じで、工事完成からそんなに経過していない様子だった。 麓の集落に入るところでは林道を横切って電気柵が設けられており、通せんぼとなっていた。道脇の隙間から、電気柵に触れないように通過する。 |
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里に出てきた |
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波豆川バス停には13時10分に到着した。次のバス便は14時35分までない。まだ一時間半ほども時間がある。大舟寺にでも足を伸ばそうかとも思ったが、今回はバス停でのんびりと時間を過ごすことにした。 バス停近くの車道沿いには大船山登山コース案内図が立っていた。それを眺めていると、今下ってきた町石道では、町仏が13基あると表示してあった。 町石はそんなに在ったかいな〜・・・。4基か、5基位しか気が付かなかったな〜・・・などと、思い出しながらバスを待つ。 そうこうしていると、14時10分くらいにバスがやってきた。おもむろにバスに乗り込んだが、この停車場は始発なので、約20分くらいバスが発車するのを待ち続けるしかなかったのだった。 |
波豆川バス停 |
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