杣谷道・寒谷滝 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-36】 |
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今日はJR神戸線摩耶駅から杣谷道(カスケードバレー)、寒谷滝を経て摩耶山を目指す。 各駅停車の電車を摩耶駅で下車し、駅のホームに降り立つ。摩耶駅は平成28年に開業した新しい駅だ。天気は晴天で青空がまぶしい。駅のホームからは六甲摩耶の山並みがきれいに見渡せる。 改札を出て、駅の北側に出る(9:05)。そのまま、住宅街を北に進む。 |
摩耶駅から摩耶山を望む |
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広い車道を越え、少し東に進み、水道筋商店街のアーケードに入る。 水道筋商店街は、大正時代に武庫川支流の千刈貯水池から神戸市内に水道が引かれた際に水道管が通され、その上にできたことに由来するという。その水道筋商店街の中を南北にアーケードが貫いているのが、灘中央筋商店街で、このアーケード越しに見える摩耶山の緑は水道筋名景であるらしい。 なるほど、路地を北に向かって歩くと、前方に摩耶の山並みが見えている。 |
住宅地の路地から望む摩耶山 |
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その先、住宅街の中をひたすら北に進む。兵庫信用金庫五毛出張所のある交差点で広い車道を越えると、次第に坂がきつくなる。坂の突き当りで右折して進むと、灘丸山公園に至る。 坂を登り切ったところにある灘丸山公園は、夜景のスポットでもあるらしい。 灘丸山公園からその東側の道をさらに登り詰めると、永峰堰堤の前に出る。ここから杣谷道(カスケードバレー)が始まる。
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永峰堰堤前に至る |
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永峰堰堤前では数組10名ほどのグループが山歩きの準備をしていた。 永峰堰堤を左から巻くようにして、登山道に入る。永峰堰堤の後方には杣谷堰堤が構えているが、この辺りは堰堤工事や土砂崩れなどの影響で山道の付替えが繰り返されている。 杣谷堰堤を右に見て(9:47)、大きく左に迂回する踏み跡をたどる。すぐに摩耶東谷の流れを渡る(写真左)。渡ったところに道標があり「杣谷峠2.1km」との表記がある(9:50)。少し進んで、山寺尾根分岐の道標が登場する(写真下 9:54)。分岐の周囲は笹が茂るが、いずれもしっかりとした道だ。 |
摩耶東谷の流れを渡る |
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永峰堰堤前で山歩きの準備をしていたグループはここで、山寺尾根の方に進んでいった。当方は杣谷方面に進む。 杣谷方面に進むとすぐに杣谷の流れを渡る(9:56)。渡ったところは、杣谷の左岸道で、ここで旧来の杣谷道に合流する。この合流地点のすぐ先にはハチノス谷西尾根の分岐がある。 そのすぐ先の左手側に杣谷第二砂防ダムが登場した(10:00)。このダムから少し進んだところで、道脇に「徳川道(西国往還付替道)」の大きな案内看板が立っていた(写真下 10:06)。この看板は平成26年6月の設置で比較的新し看板だ。 |
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山寺尾根分岐 |
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徳川道は、江戸時代末期に、居留地での外国人との衝突をさけるために迂回筋として設置されたもので、その説明が看板に書いてある。それを読んでいると、上流から二人の欧米系の男性が下ってこられた。挨拶を交わしてすれ違ったが、外国人との衝突をさけるためにつくられた道で、外国の方とあいさつしたのは何か変な感じでもあった。 |
「徳川道(西国往還付替道)」の看板 |
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徳川道の看板のすぐ先で大きな堰堤に突き当たる(10:08)。摩耶砂防ダムで、この堰堤の手前で流れを渡る。この堰堤は右岸を大きく高巻く。高巻道から後方を振り返ると、麓の街並みが景色となって見え始めている(写真右)。 更に杣谷のごつごつした岩盤の道を進んでいくと、また大きな堰堤が登場する(10:24)。この堰堤前で流れを渡り、左岸に至る。左岸では堰堤越えのための鉄製のタラップ階段を登る。この堰堤は摩耶第二砂防ダムと思われる。このダムは正副の二段の堰堤となっている。 |
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麓の街並みを望む |
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摩耶第二砂防ダムから10分ほど進んだ所で、また流れを渡って右岸道になる(10:34)。渡ったところには古いバイクの残滓がある。その先に、りっぱな小滝がある(写真左 10:36)。 こういった滝の連続がカスケードバレイの名の由来となっている。滝は左から巻いて越えるが、滑りやすい岩場なので慎重に進む。 |
カスケードバレイのカスケード |
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滝の上でまた流れを渡り左岸に至る。ここから石の階段道の登りとなる。次に、摩耶第三砂防ダムが登場し、この堰堤は右側から越えていく(10:42)。この堰堤を越えたところが、杣谷と木ノ袋谷の合流地点となる(10:46)。 写真右は、杣谷の流れに木ノ袋谷が合流したところで、寒谷滝はこの地点から杣谷を少し下った所らしいので、まず寒谷滝を目指す。 なお、木ノ袋谷の流れの左手側の山斜面に薄い踏み跡があり、そこが木ノ袋谷南尾根(寒谷北尾根)の取付きらしいので、そこも後で探索してみたい。 |
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木ノ袋谷入口 |
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杣谷のごつごつとした岩が連なる上を、慎重に下っていく。5分ほど下ると、先ほど高巻いた摩耶第三砂防ダムの堰堤内に到達する。堰堤内は砂が深く積もっているが、水は無く、歩行に困難はなかった。その砂地の中で西側を見ると、そこに寒谷滝が・・・・・・・(10:59)。 |
杣谷のごつごつとした岩 |
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寒谷滝は、堰堤内の砂地から天に突き上げるような高度感を持って、圧倒的な存在感を示していた。落差は20から30mはあるだろうか。上下、二段になっているような気もするが・・・・。
水量はないが、凸面となった高度のある大きな岩壁を、水がひたひたと伝い降りているのが異様な感じを漂わせている。 |
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寒谷滝 |
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寒谷滝の岩壁はほぼ垂直で、湿った黄土色のような岩の色が周囲の緑色と対比されて異様な感じを放っているのだと感じた。 しばし、寒谷滝の形状に見入ってしまった。 |
垂直岩壁の寒谷滝 |
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寒谷滝を確認した後、また、杣谷のごつごつした岩の上を辿って、木ノ袋谷と杣谷の合流地点まで戻ってきた(11:05)。先ほども記したように、ここは木ノ袋谷南尾根(寒谷北尾根)の取付きらしいので、それを少し探索してみたい。 ・・・と思っていたら、杣谷道の方からご夫婦らしき二人のハイカーがやってきて、木ノ袋谷南尾根(寒谷北尾根)の取付きを入って行かれた。 木ノ袋谷南尾根はバリルートだが、同好の士はいるものだと、少し感激する。 |
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木ノ袋谷南尾根への踏み跡 |
すぐ後ろを追いかけるのも考え物なので、10分程間をあけて二人の入っていった踏み跡に突入した(11:05)。そこは薮の様相も漂うが、薄い踏み跡があり、ルートに間違いはないようだ。 少し進んだ所で、踏み跡が上下に分岐した。上に進む道の方がはっきりとしていたのでそちらに進むと、ロープなども張ってある。しかし、その先でルンゼ状の急な岩場に遮られ、危険を感じ退却する。次に、分岐に戻り、下側の踏み跡を進む。シダをかき分け進むと、こちらもルンゼの岩壁に行く手を阻まれた。先ほどの二人は、この岩壁を越えられたのであろうが、危険な感じなので、当方はあっさりと退却することとした。 |
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ロープはあるが急傾斜 |
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木ノ袋谷南尾根へのルートは危険が漂っていたが、他にルートがあるのではないかと、しばし周囲を探査するも、一帯は全て急傾斜の斜面で、やはりルンゼの岩壁を越えていくのが正解のようだった。また、機会があれば探査してみることとして、ここから杣谷道を登っていくこととした(11:42)。 摩耶第四砂防ダムを過ぎ(11:51)、その先ひたすら階段道を登ると、前方に杣谷峠のトイレが見えてきた(写真左 12:11)。 |
杣谷峠 |
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杣谷峠で少し休憩を入れる。なお、杣谷峠からは長峰山への道も分岐しているが、このルートは一部土砂崩れの箇所があるようで、キケンテープで閉鎖されていた(写真右)。 次に、杣谷峠から穂高湖、シェール槍を周遊してみたい。 車道の脇に立つ「穂高湖」の大きな表示の所から階段を下り、穂高湖に向かう。 |
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長峰山への道は閉鎖 |
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穂高湖とシェール槍 |
穂高湖 |
すぐに穂高湖に到着する(12:15)。穂高湖は、上高地から仰ぐ穂高連峰をイメージさせるということから名付けられたと聞く。その穂高湖には木道が湖面を横切っており、休憩にはもってこいのポイントだ。穂高湖湖畔には何ヶ所かベンチも設置されている。正面にシェール槍を望む景色は、得難い展望だ。今日は、湖面を寒風が吹き抜けていたが、何組かのハイカーが景色を楽しみながら、休憩していた。 |
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穂高湖周遊路 |
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穂高湖から次にシェール槍に向かう。シェール槍の登り口は穂高湖の周遊路を穂高湖の堰堤の方に進んだ箇所にある。 前方にシェール槍を望みながら(写真上)周遊路を進むと、やがて白い標柱の立つ場所となる(写真左 12:26)。ここがシェール槍の登り口である。白い標柱には黒ペンで「シェール槍」の表記もある。 |
シェール槍登り口 |
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シェール槍のピークに向かい急傾斜な登りを進むと、岩場もあってスリル満点である。やがて、シェール槍山頂の岩場に立つ(12:33)。ここは360度の展望で、開放感にあふれる場所である。眼下に穂高湖を望み、他方の遠方には神戸市北区の街並みも見えている。しばらく、その展望に見入っていたが、下方から人の声が聞こえてきた。シェール槍のピークに次の来訪者がお見えのようだ。すぐに三人のハイカーがシェール槍のピークに登ってきた。展望を、その方々に譲って、当方はシェール槍を後にした。 |
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シェール槍 |
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シェール槍山頂 |
穂高湖を望む |
シェール槍のピークから5分で麓まで下り、穂高湖周遊路を辿って、再度、杣谷峠まで戻ってきた(12:57)。ここから摩耶山を目指すのだが、その前に探索することがあった。杣谷峠の大きな地図の看板(写真右)の脇から、笹の茂る斜面を踏み跡が登っている。その踏み跡がどこに続くのか確認をしておきたかったのだ。 |
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杣谷峠の地図の看板 |
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笹の急傾斜の中に続く踏み跡を登っていくと上部に高圧鉄塔が見えてきた。悪い予感がしてきた。これは、鉄塔の巡視路ではないのか??。斜面を登りきると、予感的中であった。ここは行ってこいの道で、鉄塔近くで踏み跡は途切れていた(13:05)。しかし、鉄塔の周囲の木々は切り払われ、展望が抜群となっているのが救いだった。 |
鉄塔からの展望 |
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鉄塔からとぼとぼと下ってきて、次に摩耶山に向かう。奥摩耶ドライブウエイの車道を少し進んだ後、アゴニー坂に取付く。アゴニー坂の取付きは、道標と「アゴニー坂案内図」の大きな看板があるのですぐわかる(13:17)。 |
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アゴニー坂の取付き |
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アゴニー坂は、笹の茂る斜面の中の急坂で始まる。その名は“agony (アゴニー・苦しい) ”からきているらしく、結構きつい登りだ。摩耶山方面から下ってくる人とすれ違いながら、agonyに耐えて登っていく。高低差のある岩も多く、一歩一歩が脚部に厳しい。 |
アゴニー坂 |
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アゴニー坂を登り切ったところが摩耶別山のピークだが、ここは展望がない(13:29)。摩耶別山を越えると摩耶山天上寺の脇を過ぎる。境内には本坊や金輪堂のりっぱな甍が並ぶ。 その先、オテル・ド・摩耶の建物の軒先を過ぎ、摩耶山掬星台に向かう。 掬星台の手前では、早くも東側に展望が開けてくる(写真右)。 |
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東側に展望が広がる |
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掬星台 |
掬星台の広場 |
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掬星台の北側にある摩耶自然観察園を少し散策した後、掬星台に登っていく。 掬星台には午後二時前に到着した(13:50)。晴天の今日は、掬星台に多くのハイカーが集っていた。ハイカーだけでなく、ケーブルとロープウエイでやってきた行楽客も多い。 |
掬星台展望デッキ |
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摩耶山掬星台(きくせいだい)は、「手を伸ばせば星が掬えるほど空に近い」ということでその名が付けられた。 眼下に横たわる市街地の展望は最高で、これが夜になれば光の大河さながらのまばゆい輝きに変わる。ここは、日本三大夜景の一つでもある。 |
掬星台からの展望 |
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また、摩耶山は、その昔、八つの国が見渡せたことから八州嶺とも呼ばれたらしい。掬星台にはその石碑も設置されている。 何時まででも眺めていたい景色ではあるが、そろそろ下山とする。掬星台からは山寺尾根を下っていくこととする。 山寺尾根の下り口は掬星台の東の端の東屋のところにある。山寺尾根の下り口には道標と共に「山寺尾根は急勾配」である旨の注記がある(写真右 14:09)。 |
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山寺尾根の下り口 |
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山寺尾根の下りは、段差のある階段道で始まる。急勾配であり、ゆっくり慎重に下る。 10分弱、階段を下り続けたところで右手側に道が分岐した(写真左 14:18)。この分岐は、摩耶史跡公園へと続く道であり、その旨を示す道標も立っている。この分岐の場所で、急な階段道が終わる。 |
摩耶史跡公園への分岐 |
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摩耶史跡公園への分岐から2分程、山寺尾根を下ったところで右に枝道が分岐している。この枝道は薄い踏み跡で、摩耶東谷東尾根へと続く道である。しかし、危なっかしい道でもあり、その入り口には「通行止め」の表示が立てられていた(写真右 14:20)。 その先、尾根のアップダウンの道がしばらく続いた後、また、急な下りの道となる。落ち葉で滑る急斜面に悪戦苦闘しながらも慎重に下って行く。 |
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摩耶東谷東尾根分岐 |
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やがて、冬枯れで葉を落とした木々の間から麓の街並みが望めるようになってきた(写真左 14:52)。急な山寺尾根も終盤になったようだ。 更に20分程下って、杣谷堰堤までおりてきた。杣谷堰堤の傍らには「登録有形文化財(文化庁)」の表示が立てられていた。この堰堤は昭和31年の築で、建築史的にその価値が認められたのだろう。杣谷堰堤を後にして、住宅地に入り、五毛バス停に到着(13:38)したところで、都合よく市バスがやって来た。思わずそれに乗り込み、今日の山歩きを終えたのであった。 |
麓の街並みがみえてきた |
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