松茸山・しあわせの村(お勧め度★☆☆) 鵯越・鈴蘭台周辺【5-14】

北区の藍那の南側に広大な里山が広がり、昔からの山道があると知った。
里山には四等三角点(松茸山)も設置されているようなので、確認に出かけてみた。

Route MAP
linelineline
説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 ハイキングガイドブック「神鉄ハイキング」を見ていて、藍那の南側(しあわせの村の西側)に広大な里山が広がり、そこを昔の徳川道が通っていることを知った。
 徳川道は、石屋川の西側から、杣谷峠、摩耶山の北側を通って小部、鈴蘭台、藍那と進み、白川を通って明石の大蔵谷に下り、西国街道と合流していたという(全長約34km)。
 徳川道には興味があったし、ここは義経の進軍路でもあるので、今回(平成21年10月17日)は歴史を尋ね、徳川道(藍那から白川まで)と、しあわせの村を散策してみることにした。ついでにこの季節に合いそうな名前の三角点(松茸山)を探査してみる。
宝篋印塔(紫式部の墓)
宝篋印塔(紫式部の墓)
藍那の風景  神鉄藍那駅からスタートすべく、ホームに降り立つ。ここ藍那界隈は、歴史に係わるものが多く残るエリアときく。その一つが駅の近くにもあるという。それは紫式部に関わるものである。
 一般に紫式部の墓所は京都市北区の紫野にあるとされるが、実は藍那駅のすぐ東にも紫式部の墓があるとの伝承がある。南北朝時代に建立されたとする宝篋印塔がそれである。そこで、まずその紫式部の墓なる伝承地を訪ねてみた。
 神鉄藍那駅から車道沿いに東に進む。すぐ小さな踏切があるので、それを渡り今度は西に進む。すぐに左手側に古い石塔が現れた(写真上 10:05)。
藍那の風景
 なるほど印塔は古いものである。しかし、紫式部と藍那とどういう関係があるのだろうか。不思議に思いながら、写真を写していると、近所のおばさんが当方を不審者ではないかとの視線で見つめているのに気が付いた。
 地元の方以外でこんな所に来る者はいないのであろう。不審者扱いされるのは心外なので、ここは早々に立ち去ることにした。
 次は、この紫式部の墓と対になっているという和泉式部の墓も近所にあるというので、そこを訪ねてみる。
 (参考)藍那駅に神戸県民局が設置した周辺の案内地図には、紫式部と和泉式部の墓の位置が表示してある。
太陽と緑の道・道標
太陽と緑の道・道標
藍那の辻  神鉄藍那駅に戻り、そこから今度は車道沿いに西に進み、線路をくぐって藍那の集落に入る。
 集落を南に進むと釈迦堂の説明看板に至る。釈迦堂は農村歌舞伎舞台に転用されたが現在は農業用の倉庫になっている。その時々において、人々に有益に利用されてきた建物である。
 釈迦堂を過ぎると辻の石垣に太陽と緑の道の案内表示が現れた(写真上)。和泉式部の墓は藍那の辻にあるとされるので、この分岐では星和台方面(左)に進む。
 急な坂を上るとやがて民家はなくなり、里山の中の静かな山道となって、すぐに藍那の辻に到着した(写真左 10:30)。
藍那の辻
仏像の彫られた道標 宝篋印塔(和泉式部の墓)
仏像の彫られた道標 宝篋印塔(和泉式部の墓)
藍那ののどかな風景  藍那の辻には道標が掘られた仏像が立っていた(写真左上)。それには、「左みき、右あいな」と刻まれている。
 そしてその道標に向かって左手側の奥の一段高いところには宝篋印塔が立っていた。これが和泉式部の墓との伝承がある宝篋印塔である。
 和泉式部の墓は全国に何箇所もあるということなので、この墓もその中の一つということなのかもしれない。
 辺りは草が繁茂していたが、宝篋印塔の周りだけはきれいに刈り取られていた。
 なお、この宝篋印塔の後ろのピークには上ノ畑四等三角点がある。
藍那ののどかな風景
 藍那の辻からは、道標にある「みき」でも「あいな」でもない方向、すなわち南東方向に進む。
 右手側に、のどかな田んぼの風景(写真上)を確認しながら進むと、道がX字形に交差する特徴的な辻に出てきた(10:39)。
 そこは二軒家が建っていた(写真右)。ここが「相談ケ辻」という歴史上有名な場所である。何が有名かというと、その昔、京から丹波路を進軍してきた義経が、この二軒家の辻でどちらに進むか迷った場所という。義経マニアには良く知られた場所なのである。
相談ケ辻
相談ケ辻
国営明石海峡公園  ところで、この相談ケ辻周辺は、なにやら土木工事関係の柵がめぐらされ、あたりには農作業の人に混じって測量関係の人の姿も目に付く。
 聞くと、このエリア一帯は国営明石海峡公園となるようで、今はその開園のための工事が進んでいるとのことである。
 調べてみると、国営明石海峡公園とは、明石海峡を挟んで、淡路島と神戸市を舞台に広がる公園で、「自然と人との共生」「人と人との交流」をテーマにした環境に優しい未来型公園であるという。
国営明石海峡公園
 この相談ケ辻から、里山の中に続く山道をぐるっと一周まわってみると、整備が進む国営明石海峡公園の様子がよくわかる。
 国営明石海峡公園の中でも、この”あいな里山公園”では、都会に残る貴重な里山を活かした公園づくりが進められているという。
 公園のシンボル的存在となるのであろうか、茅葺きの屋根の建物がとても印象的である(写真上、右)。付近に広がる棚田の風景も懐かしい日本の風景である。あまり人の手を入れすぎて、不自然なものに変貌しないことを祈りたい。
整備が進む国営明石海峡公園
整備が進む国営明石海峡公園
国営明石海峡公園内の田んぼ 立入禁止(国営公園整備予定地)
国営明石海峡公園内の田んぼ 立入禁止(国営公園整備予定地)
 工事中で、切り倒された木々、削り取られた山肌のなかにロープが張られ、太陽と緑の道が続いている。
 藍那の南側の広大な里山には、昔からの枝道が縦横に交差しているようだが、そのいずれにも立入禁止の表示がされ、ロープが張られている。誤って迷い込まないためには有益だが、歩いていて何か味気ない気もする。
 工事現場のロープが張られた道が終わりを告げる辺りで、道が三叉路となり道標が登場した(写真下 10:56)。
整備が進む国営明石海峡公園
整備が進む国営明石海峡公園
徳川道の表示  この道標は太陽と緑の道を示すものであるが、徳川道の表示もある。
 そういえば、先程の相談ケ辻から、徳川道に入っていた。徳川道は、この三叉路から進路を南にとり、しあわせの村の西側を進み、白川村に向かって下っているのである。その徳川道に従い、次に白川を目指すことにする。
 快適な山道である徳川道を進んでいると、何やら前方から爆音が近づいてきた。何だろうと身構えていると、突然モトクロスバイクが、猛スピードで突進してきた。あわてて道脇に退避して、バイクの過ぎるのを待つ。この道は、モトクロスバイクも走っているので十分に注意したい。
徳川道の表示
 
 やがて、また分岐点が現れた(11:13)。右が白川台方面で、左は藍那、星和台とある。左が何故藍那なのか、やや疑問に思ったが、ここは左に進む。
 すぐに”しあわせの村2km”の表示も現れた。その分岐から道は下りになった。水の流れによるのか、モトクロスバイクのせいなのか、この辺りの山道はV字形に掘り込まれて歩き難い。
 やがて左手側に、しあわせの村のゴルフ場が見えてきた。
 ところで、地形図によると、このあたりに松茸山四等三角点が存在するので、今日はそれも探索してみたい。
松茸山四等三角点
松茸山四等三角点
シダに埋もれる松茸山三角点  三角点への進入路を探して注意深く進む。
 高圧鉄塔を過ぎて、左手側にゴルフ場のクラブハウスの赤屋根が見えてきた辺りで、細い木に赤テープの表示があるのに気付いた。みると小高い尾根に向かって、薄い踏み跡が山肌に続いているように見える。
 これは間違いないと直感し、踏み込んでいく。さらに山中に赤テープがいくつか続いている。地形図とにらめっこをして、この辺りであろうという一帯で探索を始める。
シダに埋もれる松茸山三角点
 やがて、小高いピークで、繁茂すをシダを払っていると、偶然、三角点の石柱を発見するに至った(写真上)。辺りに三角点を示す白い標柱はなく、きわめて発見し難い三角点と思われた。
 三角点の名前からして、この一帯はその昔松茸山であったのであろうが、手の入らない山は今は荒れはて、その面影は感じられない。
 この三角点を探索される方には、シダが枯れる冬場に訪れることをお薦めする。写真右は三角点に踏み込むポイントである。このウラジロの群生地の北側が進入ポイントである。
松茸山三角点はこのシダを登った辺り
松茸山三角点はこのシダを登った辺り
阪神高速手前でハイカーと出会う  また、徳川道に戻り、白川を目指して南進する。
 やがて、木々に覆われて薄暗かった山道はぱっと明るくなった。土道もアスファルトに変った(11:30)。ここは、ちょうど徳川道が阪神高速北神戸線とクロスする地点である。ここで、今日始めてハイカーとすれ違った(写真左)。その方は、白川から藍那を目指しておられるのであろう。
 陸橋(昭60年架 写真左下)を渡って更に進むと、道はまた土の山道となり、すぐにしあわせの村に入る道が左手側に分岐していた。(11:39 写真下)。
阪神高速手前でハイカーと出会う
阪神高速北神戸線を渡る しあわせの村を示す表示
阪神高速北神戸線を渡る しあわせの村を示す表示
 この分岐から、少しだけ「しあわせの村」の方に入っていくと、「歴史的背景から見たしあわせの村」という案内看板が立っている。
 これには、その昔源義経が、藍那からこのエリアを経て、鵯越の逆落としに向かった経緯が説明されている。
 この一帯が歴史に名を留める所であることがその説明で分かる。
 また、徳川道に戻り、更に南に進む。幅広の快適な山道がこの先も続いている。
白川村に出て来た
白川村に出て来た
道標が記された石柱  しあわせの村への分岐点から10数分進んで、やがて山道はアスファルト道に合流した(写真上 11:52)。
 その合流地点にはお地蔵さんも祀られていた。
 また、そこには太陽と緑の道の表示や古そうな石の道標も設置してあった(写真左)。石柱には「右:アイナ、左:山道、前:白川」と案内されている。
 片仮名の起源は古いが、現在の片仮名は1900年頃に整備されたとされるので、アイナが片仮名表示されたこの標柱は、古くても100年ほど前のものか??
道標が記された石柱
 アスファルト道に合流地点から、左手側に下っていく。急な下りなので、滑らないように注意である。
 やがて辻に下りついた。その辻には有名な「石抱きカヤ」がある(12:08 写真右)。
 石抱きカヤは郷土記念物(平成6年2月4日指定)で、カヤとしては県内8位の巨木とされる。樹齢推定350年で、根元に石柱(何かは不明)を抱き込んでいる。
 カヤの傍らにはお地蔵さんも祀られているので、お参りしていく。
石抱きカヤ
石抱きカヤ
山伏山神社  石抱きカヤからは東に進む。
 すぐに山伏山神社の大きな石の標柱が現れる。せっかくなので、この神社にもお参りしていくことにする(12:15)。神社は急な階段を登った上にある。
 この神社は、義経の鵯越での先導役であった鷲尾氏の氏神である(写真左)。
 また、イボやタコを直す神社としても有名で、境内にはタコが画かれた絵馬が奉納されている。
山伏山神社
 山伏山神社からもとの道に戻り、次にしあわせの村を目指す。
 民家の間の細い道を北東に進んで行くと、やがて田んぼの中で道が分岐した。右は「行き止まり」の表示があったが、そちらの方が立派な道であったので、表示に逆らって右に進む。
 道は少々登り加減だが、方向的にはしあわせの村に続いていそうである(写真右)。
 しかし、その道は山肌にぶつかって行き止まりとなった。更にどこかに道が続いていないかとしばらく探索したが、道はないようであった。時間をだいぶロスした。やはり、案内表示には忠実に従うべきである。
間違えた道
間違えた道
紅葉が始まったしあわせの村  元の分岐に戻り、今度は左に進む(12:46)。
 こちらの道は川沿いの細い山道である。この道は周辺の草木が繁り、藪道の様相であるが、足元にはしっかりとした道がある。
 すぐにしあわせの村にたどり着いた(12:49)。道を間違えなければ、分岐から3分でしあわせの村であった。
 出て来た所はしあわせの村の南東の端で、テントキャンプ場の駐車場であった。
 そこから、村内を散策する。
紅葉が始まったしあわせの村
しあわせの村  しあわせの村は、神戸市が1989年に市制100周年事業として、市内北区の山田町に整備した福祉公園である。財団法人こうべ市民福祉振興協会が運営・管理している。
 園内には、各種スポーツ競技場・キャンプ場・宿泊施設などのスポーツ・レクリエーション施設、リハビリテーション病院や高齢者・障害者の方を対象とした福祉サービス施設がある。
 「しあわせの村」のネーミングは、子供からお年寄りまで、健康な人も障害のある人も、皆がしあわせになるれ村というコンセプトからのものであろう。
しあわせの村
 園内のゆったりとした空間で、紅葉が始まった木々を眺め、広場で歓声を上げて遊ぶ子供達の様子を見て、当方も少々「しあわせ」な気持ちになった。
 園内には、レクリエーションやスポーツのための施設がたくさんあり、自然の中でリフレッシュができる(利用料は無料、又は低料金なのが、ありがたい。)。村を取り囲む小高い山には、ハイキングルートもあり、ハイカーにも十分楽しめる。
 三角点ウォッチャーには、しあわせの村四等三角点もある(写真下)。ここは、さまざまな人が幸せになれる村である。
しあわせの村のシンボルマーク
しあわせの村のシンボルマーク
村の侵入路にある三角点 しあわせの村四等三角点
村の侵入路にある三角点 しあわせの村四等三角点
 さて、しあわせの村からの帰り道であるが、公共交通機関(神戸市バス・阪急バス)が充実している。三宮駅方面、名谷駅方面、神戸駅・湊川公園駅方面、西鈴蘭台駅方面へとバスが出ている。
 当方は、しあわせな気持ちになった勢いで、最寄駅の神鉄西鈴蘭台まで歩くことにした。所要時間は約25分程度であった。
 今日は、歴史の道が歩けて、三角点を2箇所制覇し、おまけに、幸せな気持ちにまでなれて、最高の一日だった。
しあわせの村進入路は急な坂
しあわせの村進入路は急な坂
このページTOPへ

HOME 1表六甲 2北六甲 3西六甲 4東六甲 5鵯越周辺 6丹生山系 7関西の山
 
linelineline