藍那古道・シブレ山 (お勧め度★★☆) 丹生山系【6-4】 |
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藍那古道へは神戸電鉄の藍那駅から入る。久しく丹生山系の山を歩いていなかったので、なにか懐かしい気持ちを覚える。 藍那駅に来るのも久しぶりであるが、その山間の小さな無人駅で、ホームに降り立ったのは当方一人であった(9:45)。 藍那の駅前の道を西に進むと、すぐに線路を南にくぐる道がある。この道に入ると「丹生山系縦走路」「太陽と緑の道」の表示があり、これに導かれるように地道を道なりに進んで行くと、もう一度線路の下をくぐる。この線路を越えると藍那小学校の前に出てくる(9:56)。 |
藍那小学校 |
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藍那小学校の前をぬけ、小川沿いのうす暗い林道に入る。しばらく味気ないコンクリートの道を進む。 杉が茂るうっそうとした道を進んでいくと、右に長坂山道が分岐した(10:05)。 長坂山道の分岐を過ぎると右に荒れた田んぼが表れ、次に道が分岐する(10:14 写真左)。直進の農道と左(西)へ上る急坂の分岐である。ここは「丹生山」の表示に従い、左のコンクリート道を上る。 |
藍那古道分岐(左へ登る) |
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左に分岐した道は急坂の登りであるが、坂はすぐに終わる。この坂を登りきった辺りが「見戻り坂」で、源平合戦のころ、義経がここで前方の目標を定めたものの、下ってみると目標が定かでなくなったので、再び戻って見直したとされる場所である。 古くは、この見戻り坂から尾根伝いに南方向の藍那小学校まで道があり、これを「弁慶道」といったそうだが、いまは自然に戻り、通行できない。 見戻り坂から、藍那古道を北に進んでいく。古道は、多少のアップダウンはあるものの、おおむね平坦な尾根道である。落葉が深く積もり、静かな山道は歩いていても心地よい(写真右)。 |
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藍那古道 |
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藍那古道は、幅広の道であり、古くは人々の生活道として、多くの利用があったのであろうが、今は人の姿はなく、静寂の中で時が過ぎている。 途中、二箇所に車の放置があり、朽ち果てた廃車が古道の面影をだいなしにしていた(写真左 10:26)。 ところで藍那古道は、地元では義経道とも呼ばれている。それは、義経の軍勢がここを南に突き進んで、藍那の集落に出て、そこからまた南に坂を登り、相談が辻から鵯越に坂落としをすべく向かって行ったと伝えられているからである。今日の静かな藍那古道からは思いも及ばない。 |
藍那古道に残る廃棄車 |
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藍那古道の多くは落葉の歩きやすい道であるが、時に露岩がむき出しになったり、モトクロスバイクのタイヤ跡があったりと、歩きにくい箇所もあるので、注意は欠かせない。 やがて、見戻り坂から20分ほど進んだ辺りで右手前方の樹木越しに丹生山田の里の民家が見え始めた。 そして次に、左下に田んぼが見え、草刈り機のエンジン音が聞こえてきた。1月早々から既に農作業が始まっている。 10:45 分岐点が登場した(写真右)。ここは何の表示もなく迷うが、今日は呑吐(どんと)ダム(衝原湖)方面を目指すので左に下る。右に進むと丹生山方面に至る。 |
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この分岐は左に下る |
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下りになるとすぐに道はコンクリートに変わる。藍那古道は里に近いところはコンクリートで補強されている。 コンクリート道を下っていくと、右下に溜め池が連なりが確認できた(10:55)。氷が薄く張っている。灌漑用の溜池だろう。 更に下っていくと、里に出た(10:57 写真左)。 歴史を感じながら趣のある藍那古道を歩いたが、ここでは一人のハイカーにも会わなかった。もっと歩いてほしい道なのだが・・・。 |
山田の里に出てきた |
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さて、山田の里に出て、分岐を左へ左へと下っていくと、やがて県道85号線の坂本の交差点となる。ここで横断歩道を渡ると、サイクリングロード(神出山田自転車道)に合流する。 県道85号線沿いの神出山田自転車道を西に進むと、すぐに神出山田自転車道のサイクリングターミナルに到着した(写真右 11:20)。 ここの自販機で温かい飲料を調達して、5分ほど休憩する。 |
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サイクリングターミナル |
サイクリングターミナルを出発し、自転車道を西に向かってスタートする(写真右 11:25)。 茶色く舗装されたサイクル道では、ウォーキング人6人、ジョギング2人、自転車2台、車椅子1人と、思い思いに休日を楽しむ人々がいた。寒空の下だが、自転車道は、有効に利用されている。 11:52 自転車道の右側の山の斜面にコンクリートの急階段が登っていた。ここは尾根筋が呑吐ダムに一番突き出しているところだ。この尾根には、道が通じているのだろう。いつか歩いてみようと思う。 |
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神出山田自転車道 |
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12:10 衝原大橋脇の橋を渡る。(写真左) 橋を渡って少し車道を東に進むと、トンネルの手前で南に登る道がある。 これはシブレ山の山頂にあるNTTドコモ電波塔の管理道で、ここからもシブレ山には登れるが、今日は山田池の三角点の探索も目的の一つなので、この管理道には入らない。 |
衝原大橋 |
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呑吐ダム(つくはら湖)と県道85号線にはさまれたサイクリングロードを西に進み、山田池への取付きを目指す(写真右 12:21)。 ところで、呑吐ダムは平成元年の竣工で、主に農業用水と水道用水の供給を目的に建設されたという。堰堤からの眺めはよく、北側は志染三津田の水田地帯が広がっている。また、堰堤周辺の桜も見事で、その季節には花見客で賑わう。 なお、呑吐(どんと)という変った名は、かつてこの地にあった大小の滝が川の流れを呑み込んで吐くように見えたことに由来するらしい。 |
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呑吐ダムと神出山田自転車道 |
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やがて、ダムの対岸の真正面に、二本の高圧鉄塔が見えるところ(写真左 12:25)で、南を見ると、車道越しに山道の取り付きが確認できる。 ここが、山田池への取付きで、車に注意しながらガードレールを跨いで県道を渡る。 山道の取り付きには「山田池・木津」方面を示す太陽と緑の道の表示もある(写真左下)。 |
この景色の所で県道を渡る |
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太陽と緑の道の表示 |
山田池に続く道 |
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12:26 取り付きから坂を少し登るとすぐに尾根道になる。シダが多く茂る山道だが、踏み跡はしっかりとしている(写真上)。 この道を山田池を目指して南に進む。しばらく登って、そろそろ山田池三角点のピークも近いのではないかと、周囲を注意しながら小シダの道を登っていると、そのシダの中に強引に踏み込んだと思われる踏みあとが確認できた(写真左)。 もちろん、道があるわけではなく、無理やりシダの中を突き進んでいる。おそらく、山田池三角点への踏み跡だろうと見当をつけ、ここに踏み込む。 |
山田池三角点への取付き |
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しばらく、シダを踏みつけながら登っていくと尾根に乗った。 その尾根には薄い踏み跡があるようにも感じる。「いやそう感じるだけで、道は無いのかもしれないなーー!」とか思いながら進んでいると、突然に三角点に突き当たった(写真左)。 シダに突入して3分位進んだところだった。 シダの繁るころは、この三角点への到達は困難を極めるだろう。三角点探訪はやはり、冬枯れの時期に限る。 |
山田池三角点を発見 |
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山田池三角点には、点名山田池と書かれた観石万歩さんの札がかけられていた。 この三角点には、何度もチャレンジしたのだが見つからなかった。 やっと辿り着いた三角点のピークは展望は全く無いが、少しだけ達成感に浸ることができた。 三角点の確認もできたので、また元の道に戻ることにする。 登ってきたルートを忠実に下っているつもりだったが、シダのジャングルで、ルートを見失った。仕方が無いので、強引にシダを掻き分け、山道まで下りてきた。 |
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山田池四等三角点 |
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三角点のピークを過ぎると、やがて山田池に到着である(12:53)。 山田池は山田川(志染川)の渇水時の水源として昭和の始めに建造された池である。 山田池は、静かに広がる湖面を昔の城郭を思わすような堰堤がせき止めている(写真左)。 堰堤は御影石で飾られており、時の流れを刻み込んだその姿は、周りの景色に溶け込み、美しさをかもし出していた。 |
山田池 |
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山田池の堰堤から、時計と反対回り(counterclockwise)で湖畔を周回する。 すぐ、マムシ注意の看板が目に入った。だいぶ古い看板だが、マムシが死滅したとは考えられない。 池の周辺はマムシの巣窟なのだろうから、夏場の山田池周遊はくれぐれも注意したい。
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山田池周遊 |
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湖畔の落葉の道を快適に進む。 人里離れた山中の山田池は、岸辺の緑が静かな水面に吸い込まれていくような神秘さも漂わせている(写真上)。 やがて周遊路は堰堤に突き当たった。堰堤前で左折し、さらに湖畔を進む。 この辺りは道幅が狭く、片側には水面が迫っているので、滑り落ちないように注意して進む必要がある(写真左)。 |
道幅の狭いところには注意 |
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半周以上歩いた辺りで、古い「太陽と緑の道」の表示が斜面に置かれているのが目に入った(写真右 13:13)。 もとは標識として立てられていたものだが、時の経過で無残な姿になっている。しかし、方向を示す役割はまだ十分に果たしている。 その表示に従い、ここから木津方面への山道に入る。 |
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太陽と緑の道の表示 |
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太陽と緑の道は、大小の石がごろつく谷川に沿って登っている(写真左)。そして、道は次第に急坂となる。 谷川に、ちょろちょろと流れていた水が、伏流になったかと思った辺りで、道は右手側に大きく曲がり、そこを急登すると、しっかりとした山道に出た(13:23)。 さらに大きなシダの茂る道(写真左下)を登っていくと、Y字になった分岐点に至った(写真下 13:29)。 |
道幅の狭いところには注意 |
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シダの繁る山道 |
Y字になった分岐点 |
シブレ山へはY字の分岐点から更に東に登っていくが、ここで少し西南に下ってみた。今日の下山路に使えるのか探索が目的だ。 少し下って、赤矢印の折れた表示のところで、西側に展望が開けていた。 何だろうと思い進んでみると、そこはゴルフ場だった(写真右 13:34)。神戸カントリー倶楽部の広いゴルフ場が、眼前に展開していた。この辺りの山中はゴルフ場がいっぱいだ。 なお、山道はしっかりと下っているので、木幡駅か栄駅辺りに下れそうだ。下山路は、この道に決めて、再びシブレ山を目指して、引き返す。 |
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神戸カントリー倶楽部 |
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先ほどのY字の分岐点まで戻ってきた。ここから、更に登っていく。どんどん道は登っている。 展望は利かないが、葉を落とした木々の間から木漏れ日が差し込み心地よい。 坂を登りきり平坦な尾根道になると、分岐点が登場した。ここには、木津・シブレ山・山田池と多くの表示がある(13:55)。 この表示に従いシブレ山方面に進む。近くには「シビレ山地蔵尊」の表示も置かれていた(写真左)。こんな山中深くだが、お地蔵様があるようだ。 |
シビレ山地蔵尊の表示 |
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多くの表示が掛かっていた分岐点から数分進むと、壊れて判読が困難な標識の掛けられた分岐点があった。ここが、シビレ山地蔵尊への道と思われるので、帰りに寄ってみたい。 さらに落葉の積もった山道を進むと、シビレ山の電波等が見えてきた。 その電波等を目指して進んでいると、南に分岐して下っている道が確認できた。あれれ・・!何処に下るのだ??・・と気になり、少々下ってみた。 それは高圧鉄塔への道であり、鉄塔の近くからは南に展望が広がっていた(写真右)。ここは景色良しだ。急遽、ここで昼食休憩とした(14:08)。 |
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シブレ山頂附近から南を望む |
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昼食の後、シブレ山の山頂を目指して出発!。 シブレ山の電波塔が次第に間近に見えてきた(写真左)。 そしてすぐに、シブレ山の山頂に到着である(14:20)。 シブレの山頂は電波塔があるので、電波状態は良好なのであろうが、展望は全く無い。 山頂には、三角点がぽつんとあり、古い登頂札が掛けられているだけの、静かなピークだった。 |
シブレ山電波塔 |
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シブレ山山頂 |
衝原(つくはら)三等三角点 |
ところで、シブレ山とは珍しい名であるが、この「シブレ」とは、この地方(若しくは山陰地方)の方言で、"湿地"を意味するものとの説がある。この山麓が湿地であることからこのように呼ばれるようになったらしい。 真偽は不知だが、衝原湖を挟んで北にある「シビレ山」と何か関連した呼称だろうとにらんでいる。 |
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登頂札がかかるシブレ山頂 |
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さて、シブレ山のピークも踏んだので、帰途につくことにする。 登ってきた山道を折り返す(14:25)。 10分ほど進んで、シビレ山地蔵尊への分岐となった。この分岐を少し下ると、すぐに地蔵尊が登場した(写真左 14:37)。 シビレ山地蔵尊には昭和60年に奉納された比較的新しい石塔も建てられている。きれいに、掃除もされているようなので、今も地元の人に守られているということだ。こんな山中深くまでお参りするのは大変であろうが、それだけにご利益も大きいのだろう。 なお、シブレにあるが、地蔵尊の名称はシビレ山地蔵尊である。 |
シビレ山地蔵尊 |
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シビレ山地蔵尊を出発し、更に西に進む。 木津方面への分岐を14:40に通過し、Y字の分岐点には14:49に到着した。ここからさらに南西に向かい下っていく。 しばらく下ったところで、前から登ってくる男性と擦れ違った(14:51)。地元の方のように思われたので、この道はどの辺に下りつくのか尋ねてみると、丁寧に「栄駅と木幡駅の中間辺りだよ。」とご教授いただいた。どうもありがとうございました。 ご教授に従い、しっかりとした山道(写真右)を快適に下っていく。 |
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山道を快適に下る |
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途中、分岐点があったが(15:06)、ここは右手側(西側)に下っていった。ここを、左に下ると木幡方面と思われた。 15:18 山道から人家近くの田んぼのところに出てきた(写真左)。少し北に池の堰堤が見えている。そこから南に進むとレストラン「えびす」の所で県道22号線につきあたり、さらに西へ10分少々で神戸電鉄栄駅に到着した。 今日は、シブレ山一帯の探索と、未踏の山田池三角点が発見できてラッキー!!と思いながら、神戸電鉄の各駅停車に揺られ、帰路に着いたのであった。 |
田んぼの前に出てきた |
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