市章山・再度山・高雄山 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-37】 |
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今回は、ハイキングTOKK(2019年春号)に紹介されているコースを、ほぼ忠実にたどっていきたい。 出発は阪急神戸三宮駅である。駅を北側に出て(9:00)、まず最初に生田神社に向かう。鳥居をくぐって境内に入り、本殿にお参りした後、その裏の「生田の森」に立ち寄る(9:07)。 生田の森は、生田神社の鎮守の森で、源平合戦の戦場になったことでも有名である。神社境内には源平ゆかりの史跡が残っている。参拝の者で賑わう境内と異なり、薄暗い生田の森では、二名の散策者だけであった。 |
生田神社 |
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生田の森の散策を終え、生田神社から北側の広い車道に出る。その車道を西に少し進み、NHK神戸放送局の所で北に曲がり(9:15)、トアロードを北に登っていく。
トアロードからは、これから目指す市章山が前方に見えている。 次に、車道に出ると進路を西に変える。程なく、諏訪山公園の登り口に到着となる。 |
トアロードから市章山 |
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諏訪山公園の登り口から坂道をつづらに登っていくと、諏訪山公園の展望広場に至る(9:39)。この広場は金星台とも呼ばれ、明治7年にここでフランスの天体観測隊が金星の観測(金星の太陽面通過)を行ったことに由来する命名である。 展望広場の一角に金星観測記念碑があり、その後方には、勝海舟由縁の海軍営之碑(勝海舟が海軍操練場に建てたものを大正時代に移設)もある。諏訪山公園は歴史を感じる公園である。 |
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諏訪山公園 |
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次に、金星台に隣接する諏訪神社にお参りする(9:44)。諏訪神社は1600年以上前の創建といわれ、ここの公園や周辺地域の地名の元となっている。諏訪神社は朱色が印象的な神社である。 諏訪神社の境内を経て、北側にある諏訪山展望台に向かって登っていくと、螺旋橋のヴィーナスブリッジに至る(9:49)。この名称も金星台の金星(ビーナス)に因んでいる。 |
諏訪神社 |
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ヴィーナスブリッジは、昭和46年の完成である。ヴィーナスブリッジからは、神戸の街並みが間近に望める。 ヴィーナスブリッジを登りきると、「愛の鍵モニュメント」があり、恋人たちが愛の女神にあやかるべく、南京錠を取り付けている。「愛の鍵モニュメント」は平成16年の完成である。 この諏訪山展望台(ビーナステラス)も眺望がよく、ヴィーナスブリッジと共に、神戸の夜景スポットになっている。 |
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螺旋橋のヴィーナスブリッジ |
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ヴィーナスブリッジ |
展望のヴィーナスブリッジ |
また、「愛の鍵モニュメント」から北側を望むと、これから目指す碇山と市章山が見えている。碇と市章をかたどった植込みの頭の部分が確認できる。 諏訪山展望台で景色を楽しんだ後は、後方の錨山(碇山)に向かう(9:58)。 階段を少し下って奥再度山ドライブウェイに合流する。 |
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愛の鍵モニュメント |
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ドライブウェイに合流したところは、ちょうど神戸市バス25系統のバス停「ヴィーナスブリッジ」のところであるが、25系統は冬季は運休している。バス停から車道を渡ったところに錨山(碇山)、市章山に向かう山道の取付きの階段がある。ここには、周辺の簡単な地図が掲げてあり、錨山まで1Km、、市章山まで1.2Kmの表示がある。階段に取付いて、錨山に向かう。 急な階段を登っていくと5分でベンチのある展望所に至る(写真左 10:05)。ここは南に展望が開けるが、少し雑草が繁茂してきている。 |
ベンチの展望所 |
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その先、やせ尾根状のよく歩かれた道を進めば奥再度山ドライブウェイに合流する。そこで、車道を渡れば錨山への取付き地点となる(10:18)。ここから、フェンス沿いの道を登ると錨山に到着である(10:21)。 錨山からは麓の街並みや港の展望が間近に迫る。また、山頂直下の急斜面には、錨のマークの植込みとそれを縁取る電飾(368灯)がある。植込みや電飾の整備は命綱をつけて行われるほど急傾斜である。 |
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やせ尾根状の道 |
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錨山に向かう |
錨山からの展望 |
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展望台にある案内看板には、「市章山、錨山電飾の沿革」が説明されているので、それを確認した後、次の市章山に向かう(10:24)。 |
市章山に到着 |
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二枚羽のタリウス型風車の建物を過ぎて進むと、約5分で市章山に到着となる。 市章山も展望の山で、ベンチの設置がある。直下に市章の植込みと電飾があるが、斜面角度平均43度という急斜面で、山頂から市章は見えない。なお、ここの電飾は126灯であり、錨山より少ない。 市章山で展望を楽しんだ後、次に再度山に向かう(10:34)。 |
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市章山の展望 |
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再度山ドライブウェイを渡り、再度山への山道に入る。 その山道を進んでいると、道脇の雑木の中にある煙突状の構築物に見入る一人の男性とすれ違った(10:40)。何を見ているのかとお尋ねすると、”トンネルの通気口”とのこと。この辺りはちょうど山麓バイパスのトンネルが通過する場所であった。 |
車道トンネルの通気口 |
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更に、再度山に続く山道を進む。この山道は再度山ドライブウェイに沿って北に向かっている(写真右)。足下の再度山ドライブウェイに時たまやってくる車両がエンジン音をたてながら過ぎていく。 |
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再度山DWに沿った山道 |
その先、古い石碑の立つ場所を通過する。木々が茂り、展望のない場所だが立派な石碑が立てられている。これが「浅間が丘」の明治天皇の歌碑のようで、判読が難しい文字が彫られている。 浅間が丘を過ぎて、山道が再度山ドライブウェイと交差する場所にも「浅間ヶ丘錨山記念保道」と記された石碑がある(写真右 10:48)。このりっぱな石碑の道標の存在は、古くは「浅間が丘」の歌碑に向かう人が多くいたことを示しているのだろう。 |
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浅間ヶ丘錨山記念保道 |
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「浅間ヶ丘錨山記念保道」の石碑の所で、山道は再度山ドライブウェイと交差する(写真左 10:48)。 ドライブウェイを渡ったところの近くには、堂徳山の三角点(337.5m)があるので確認していく。ドライブウェイを渡ったところに「行き止まり」の表示があり、そこから少し南に山道を登ると三等三角点:点名 口一里がある。堂徳山の口一里三角点は道脇の笹に囲まれた箇所に設置されていた。 堂徳山の三角点から、次に堂徳山に向かう。 |
記念保道の石碑でDWを渡る |
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堂徳山か?(南側) |
堂徳山か?(北側) |
堂徳山の山頂はどこなのか、はっきりしないが、地形図で堂徳山と表示のある場所は、再度山ドライブウェイとハイキング道に挟まれた場所のように思える。そのあたりには、二つの小高い場所が南北に並んで存在する。南側の小高い場所は何年か前までベンチが設置されていた場所で、広場状になっている(写真上 10:54)。その北側、少し進んだ所に、山道から藪に近い薄い踏み跡が分岐している小高いピークがある。踏み跡をたどると、笹が刈り取られた場所に至る(写真右上 10:57)。このいずれかが堂徳山のピークだろう。 堂徳山探索の次は再度山を目指す。 |
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湊川神社神苑 |
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山道を進んでいくと、城山に向かう道が右に分岐する箇所となる。この分岐では左に切り返すように進む。するとすぐに「湊川神社神苑」の石碑の立つ二本松バス停で再度山ドライブウェイに合流する(写真上 11:09)。ここで車道を少し北に進み、二本松林道の入口のところにある「再度山歩道」の表示の場所で山道に入る。この表示によれば、今歩いている諏訪山から再度山に向かう山道は「再度山歩道」と呼ばれているようだ。この先、よく歩かれた再度山歩道を二本松バス停から20分進むと、善助茶屋跡(毎日登山発祥の地)に到着した(写真左 11:28)。 |
善助茶屋跡(毎日登山発祥の地) |
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善助茶屋跡では、紅白の梅がきれいに咲いていた。 善助茶屋跡を出発し、善太郎茶屋跡を経て大龍寺仁王門下の広場に至る。ここでは、本日開催の「神戸六甲縦走トレイルラン」参加の方が足早に通り過ぎていく。このトレイルランは、須磨浦公園から有馬温泉まで、40Kmを制限時間8時間で駆け抜けるのだという。皆さん健脚ぞろいだ。当方は、大龍寺仁王門をくぐり、石の階段を登って大龍寺の境内に至る(11:39)。
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大龍寺 |
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大龍寺は和気清麻呂公の開基で、称徳天皇の勅願寺にして弘法大師大願成就のお寺であり、摂津国八十八箇所の第82番札所でもある。 境内をゆっくりとお参りした後、毘沙門堂などの建物の右手側から山道に入り、奥の院大師堂を目指す(11:55)。 八十八か所巡りの祠が並ぶ山道を登って行くと、やがて奥の院に至る(写真左 12:00)。ここにも二人の参拝者がいた。 |
大龍寺奥の院大師堂 |
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奥之院から更に上に登っていく。ここからは傾斜が急な本格的な山道になる。ロープ場もあり、慎重に登っていくと、大きな岩が重なる場所に至る(12:05)。 天狗と彫られた石に注連縄が巻かれていて(写真右)、この一角が聖域であることがわかる。 |
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注連縄の天狗 |
注連縄の天狗の先にある大きな岩の上部先端に亀石と呼ばれる石があった。弘法大師が岩に刻んだとされる亀石だが、だいぶ風化が進んでいた。 |
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亀石 |
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亀石を過ぎてもう一登りで、再度山の山頂となる(12:09)。山頂には二人の登頂者がいて、休憩されていた。 再度山の山頂は、従前、雑木の中で展望がなかったが、今は、南東側の一角の樹木が伐採され、展望の山頂に変わっていた(写真左)。 再度山の山頂からは、再度公園の方に下って行く。こちらの道は、よく歩かれた山道で、つづらになって下っている。 |
再度山の山頂 |
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再度山の山頂から約5分で再度越の山道に下りつき、その先すぐに再度公園に到着した(12:18)。 再度公園では修法ガ原池を眺めながら昼食休憩とする。
自販機で温かい飲料を調達し、冷えた体を温める。 その後、再度公園の北側にある外国人墓地に向かう。 |
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修法ガ原池 |
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外国人墓地は、緑豊かな山中にあり、開国時の外国人居留地の名残りが伝わってくる。神戸所縁の外国人(61カ国、約2,900名)が眠り、神戸の歴史を今に伝えるものとして国指定の名勝となっている。 一角に、見学者用の展望所があるので、そこに登る。墓地展望台では、礼拝堂の前に勇士の像が立ち、その先が展望台となっている。 |
外国人墓地 勇士の像 |
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神戸の歴史とともに歩んできた外国人墓地へは、今でも、遠く離れた本国から墓参のために訪れる方がおられるらしい。 さて、外国人墓地からは、高雄山に向かう(12:39)。 墓地から再度ドライブウェイに出て、再度公園バス停に向かう。高雄山へ登る山道の取付きは、再度公園バス停近くにあるらしい。 |
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国指定名勝 外国人墓地 |
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再度公園バス停までやってきて、その近くで「→高雄山頂(森林管理道)」と案内されている道標を発見した(写真左)。その表示に従い、高雄山に向かう山道に入る(12:46)。 この山道はよく踏まれた道である。再度公園から高雄山に向かう人が多いのか、森林管理道として関係者の通行が多いのか・・・?。 |
再度公園バス停近くの道標 |
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この山道は、整備された階段の登り下りが続き、なかなかタフな道である。
随所に高雄山方面を示す道標が立つが、道ははっきりしており、迷うことはない。やがて、森林管理道は分水嶺越林道から登ってきた道(南ドントリッジ)と合流した(写真右 13:00)。 その合流地点から8分進んだ所で、また、道が分岐した(13:08)。ここでは、分水嶺越林道からやって来た道、市が原に下る道、高雄山に登る道などがにぎやかに交差している。 |
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南ドントリッジと合流 |
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その先で、蛇ヶ谷に下る道が右手側に下っていった(13:14)。そこからもう一登りしたところが高雄山の山頂だった(写真左 13:17)。 高雄山の山頂は展望はない。ただ、三角点の石柱等がポツンと存在するのみである。その三角点にタッチをしていたら、市が原方面から二人のハイカーが登ってきた。 その二人とすれ違うようにして、当方は高雄山の山頂を後にし、市が原方面に下って行くこととした。 |
高雄山の山頂 |
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高雄山の山頂から市が原への下りは、距離があるとともに勾配も急である。地形図をみると密になった等高線が市が原に向かい連続しているのがわかる。下りだけではなく登りの箇所もあるので、脚部には相当の負担がかかる。 急勾配に、膝が悲鳴をあげるが、やがて水の音が聞こえてくると市が原も近い。 |
市が原へ下りつく |
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高雄山の山頂から約20分を所要して市が原まで下りついた(13:40)。
下りついた再度東谷では、トレイルランの方々が続々と駆け抜けていた(写真上)。大龍寺仁王門下の広場でも見かけた神戸六甲縦走トレイルランの参加者の方々だ。そのランの方々と共に当方も市が原の流れを小橋で渡った。 晴天の市が原の河原では、多くの行楽者が車座になって歓声をあげていた(写真右)。 |
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市が原の河原 |
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当方も市が原で少し休憩し、次に新神戸駅に向かい山を下って行った。
途中、布引ダムでは、水量を減らしたダム湖の水面に、青空が反射してキレイであった。 新神戸駅には14時41分の到着で、今日の歩行時間は約5時間30分であった。なお、ハイキングTOKK(2019年春号)では市が原から布引ハーブ園に進み、布引ロープウェイで新神戸駅に下るルートが案内されている。最後にロープウェイで空中散歩も楽しいであろう。 |
布引貯水池 |
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