シュラインロード (お勧め度★★☆) 北六甲【2-4】

有馬口駅(神戸電鉄)〜逢山峡〜仏谷分岐〜茶園谷分岐〜九体仏〜シュラインロード
〜前ケ辻〜記念碑台〜天覧台〜油コブシ〜阪急六甲駅(阪急電車) (約5時間30分)

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 六甲山には多く古道が残るが、その中の一つにシュラインロードがある。 その謂れは、道脇に多くの石仏が並び行者堂もあることから、外国人によってシュラインロード(shrine road)と呼ばれるようになったようだ。しかし、石仏が並んでいる理由は、この道がもともと前ヶ辻道(アイスロード)と合わせて、唐櫃と御影を結ぶ生活道として利用されていたからだといわれる。今日(平成24年6月23日)は昔の人の営みを感じながら、石仏の道を歩いてみたい。
逢山峡入口あたり  有馬口駅を北側に出て(9:35)、線路沿いに少し西に進み、踏切を渡って南に進路をとる。
 田植えが終わって、水が張られた田んぼの間を、阪神高速7号神戸線の高架に向い道が延びている。この季節は道端の農業用水路を水が勢いよく流れている。
 少し前方をご夫婦のハイカーが進んでいる。当方と同じ、シュラインロードを目指しているのだろう。
 駅から10分ほどで山王神社が右手に登場する。この神社を過ぎると、すぐに阪神高速の高架の下に至る(写真左 9:52)。ここは奥山川の合ノ木橋の手前であり、橋は渡らずに左折して、高架の下をくぐって逢山峡を目指す。
逢山峡入口あたり
逢山峡の不動明王  すぐに右手側に奥山川砂防ダムが登場する。数日来の雨で、ダムは大きな水音をあげている。
 奥山川砂防ダムを過ぎ、時計がちょうど10時を指したときに東山橋に到着した。このあたりで、ランニングをする高校生が数名、前方からやってきてすれ違った。走りながら元気な挨拶をかけてもらい、こちらもパワーをいただいた。
 緩やかな坂の舗装路を進み、右手側に「不動明王」と彫られた石碑の所までやってきた(写真左 10:06)。ここは、いつも花が綺麗に供えられている。
 不動明王の後ろの滝も大きな水音をあげている。これが「地蔵の滝」といわれる滝であろうか。
逢山峡の不動明王
 少し進んで猪の鼻滝に架かる猪の鼻小橋を渡る(写真1485 10:14)。猪の鼻滝からも大きな音で水が流れ落ちている。
 さらに逢山峡を進み、仏谷分岐(写真下 10:19)、茶園谷分岐と道が左に枝分かれしていった。
 シュラインロードへはいずれの分岐も右に進む。
 従前、茶園谷分岐に立つ松ノ木には、茶園谷の道標が付けられていたが、いまは何らの表示もされていない。
猪の鼻小橋
猪の鼻小橋
仏谷分岐  茶園谷分岐を過ぎると道は大きく右折して、西に向かって進むことになる。
 散歩する地元の方らしきおじさんとすれ違いながら緩やかな坂道の舗装路を登っていく。その坂道が平坦な道に変わったところで、舗装路から土の道に変わった(10:27)。そして平坦路を4分ほど進むと猪ノ鼻橋に到着した(10:31)。
 鍋滝川に架かるこの橋を渡ったところで道が左右に分岐する。左は長尾谷を遡行する道で、広い林道だが鎖が張られ、進入を拒んでいる。
 数年前、この長尾谷の林道を進んだことがあったが、10分ほどでダムに突き当たり、行き止まりであった。
 (∋_∈)。
仏谷分岐(左は仏谷方面)
 シュラインロードへは、長尾谷の分岐を右に進む。ここからまた坂道になり、併せて舗装路になった。
 この山道は、坂の部分だけ舗装をしている。雨水で、路面が削られるのを防いでいるのだろう。
 この辺りで、前方から車のエンジン音が聞こえてきた。ということは、裏六甲DWの近くまで歩いてきたということだ。
 そうすると、シュラインロードの入口も近いはずだ。
古寺山への分岐
古寺山への分岐
 坂道の緩い登りがピークを越え、少し下り気味になったところで、右手側斜面に踏み跡が確認できた(写真右上 10:40)。
 ここは古寺山への分岐である。
 踏み跡が分岐する地点には、古寺山方面を示す手作りの案内表示が掛けられていた(写真右)。
古寺山を示す表示
古寺山を示す表示
シュラインロード分岐  古寺山への分岐を過ぎると、また道は平坦な土の道となり、次にすぐシュラインロードへの入口が左手側に登場した(写真左 10:42)。
 そこには、「前ケ辻(シュラインロード)2km」の標柱が立っている。表示に従い、シュラインロードに踏み込む。
 少し進むと、鳥居が登場し(写真下)、その下をくぐって石の階段道を登ると車道(裏六甲DW)に出た。
シュラインロード分岐
 この裏六甲ドライブウェイが作られたときにシュラインロードにあった9体の石仏が元々設置されていた箇所から移設され、一箇所に集められたという。
 それを「九体仏」といい、車道を少し右に下ったところにある(写真下)。
 1番から8番と番外の9体の石仏がここに並べて祀られている。
シュラインロードに立つ鳥居
シュラインロードに立つ鳥居
九体仏  ところで、六甲有馬道路の唐櫃南IC辺りのヨモシロ谷の入口付近に「シュラインロードを経て西六甲に至る」と表示された古い案内標識がある。
 ここにこの標識が立っているということは、おそらく六甲有馬道路が作られる前は、古い案内標識が立つ所からヨモシロ谷を経てシュラインロードへ向かう古道があったものと思われ、そのヨモシロ谷辺りに設置されていた石仏が集められて「九体仏」とされたのではないか。
 ドライブウェイの建設により、シュラインロードの取り付き辺りの山道は消失してしまったと、当方はひそかに思っているのだが、どうだろうか。
九体仏
両皇太神宮  この九体仏はいつも掃除され、きれいに手入れされている。
 その九体仏への入口から左側に踏み跡がついている。それに従って進むと「両皇太神宮」と彫られた古い石碑に突き当たる(写真左)。
 この「両皇太神宮」の周りも下草が刈られ、掃除されている。
 「両皇太神宮」の石碑の裏には世話人の文字が彫られているが、風化が進み文字が読み取り辛くなっている。
 「両皇太神宮」は隣接する「九体仏」と何か関連する史跡なのであろうか。
両皇太神宮
 「九体仏」と「両皇太神宮」を確認した後、先ほどの石の鳥居から車道に合流した地点まで戻ってきた。
 ここから鳥居の方向に向って、右手側に踏み跡が下っている。
 その踏み跡に入ると、10番、番外、9番(写真右)の3体の石仏が並んでいる。
 さらに、その踏み跡を下っていくと、先ほどの「前ケ辻(シュラインロード)2km」の標柱が立っていた場所の下りついた。
 「前ケ辻(シュラインロード)2km」の標柱からは、石の鳥居へ続く道と、10番、番外、9番の3体の石仏が並ぶ道とが平行していることになる。
シュラインロードの石仏(9番)
シュラインロードの石仏(9番)
 再度、シュラインロードの振り出しに戻ってしまった。
 再出発し、石の鳥居をくぐって、再び車道のところまでやってきた(11:05)。
 ここには「シュラインロード(至前ケ辻) 私有地につきハイキングコースをはずれて入らないこと」との表示が立てられている(写真右)。
 ここから丸太の階段を登り、石仏の道が始まる。
シュラインロードに入る
シュラインロードに入る
シュラインロードの石仏(11番)  階段を上り始めると、すぐ左手側に11番の石仏が登場した(写真左)。それが何番の石仏なのかは、石仏の上部に番号が掘り込まれているのでわかる。
 ところで、シュラインロードは元々唐櫃と御影を結ぶ生活道で、酒米や海産物が牛の背に乗せられてこの道で運ばれたらしい。
 その道中無事や商売繁盛を願って石仏が建立されたのは文政8年(1825年)ときく。
 西国33箇所になぞらえて観音様の石仏が安置されており、観音様は道行く人たちの安全を祈ってくれていたのである。
シュラインロードの石仏(11番)
 11番の石仏を過ぎ、階段道が大きく左に曲がるところで12番石仏が、次に左に少し入って13番石仏が、次に左に少しスイッチバックして14番石仏(写真右)が、次々と登場する。
 石仏の配置は、文字で書いてもわかりにくいので、詳しくは六甲山自然案内人の会作成のパンフ「シュラインロードと野仏たち」を参照していただくことにして、当方は先を急ぐことにする。
シュラインロードの石仏(14番)
シュラインロードの石仏(14番)
シュラインロードの石仏(16番)  シュラインロードは階段道がつづらになって登って行く。
 ポツン、ポツンと登場する石仏に手を合わせながら、これらの石仏はどういう基準でその設置場所が決められたのだろうと考えてみた。
 土砂崩れなどに会わない場所を選んだのあろうが、大きな石とか、大きな木がある場所の基部に石仏が多く設置されているように思われたが、どうであろう。
シュラインロードの石仏(16番)
 石仏は、時の経過と共に周囲の石が崩れていくので保守管理が必要だが、地元の方がその都度補修して、石を積み直しているようだ。
 前回、訪れたときより、石の囲いが綺麗になっている石仏もある。
 しかし、18番の石仏は向かって左側の石がなくなり、悲惨な状態になっていた(写真右)。仏様が自らの頭で天上の石を支えている感じだ。ここは、早期の補修が望まれる。
シュラインロードの石仏(18番)
シュラインロードの石仏(18番)
行者の東四等三角点  第25番の石仏を過ぎ、シュラインロードに入って35分くらい経過したあたりで、左手側の笹の中に踏み跡が確認できた。
 ここが行者の東四等三角点への、取り付きである。
 笹の茂る中に続く踏み跡をたどると、すぐに小高いところに至り、そこに行者の東四等三角点が設置されていた(写真左)。
行者の東四等三角点
 この三角点までくると、シュラインロードの登りも終わりとなる。
 第25番の石仏からだいぶ間を置いて第26番の石仏が左手側に登場したら、次に行者堂が現れる(11:45 写真右)。トタン造の小屋の裏側にある石の祠が行者堂だ(写真下)。
 祠の中には役小角、前鬼、後鬼、不動明王が窮屈そうに祀られている。祠の上部にはなぜか菊の紋章が彫られている。
 この行者堂は文政元年(1804年)に、唐櫃の庄屋によって造り替えられたとされるので、石仏より古いもののようだ。
行者堂に到着
行者堂に到着
行者堂  また、祠の前には「脇侍両鬼尊像(読みが間違っているかも??)」の建立者名が残されている。「六甲山多聞寺唐櫃世話人一同、六甲山有志一同」と彫られ、昭和39年の年号も見える。このことから、行者堂は江戸の頃から現在まで、地元の方により守り継がれてきたものであることがわかる。
 行者堂にお参りしているところでシュラインロードを下る人と初めてすれ違った。シュラインロードはよく知られた道であるが意外に人が少なく、静かに古道の趣を感じながら歩くことが出来た。
行者堂
 行者堂を過ぎても石仏は続くが、次第に古い山荘が目に付くようになる。景気の良かった頃に隆盛を極めた山荘も、企業の衰退により今は荒れ果て、無残に門扉だけ残るものもある。
 しばらく途切れていた石仏が右手側に登場し、次にノースロードの分岐点となった(12:08 写真右)。
 ここからも更に石仏が3体続き、縦走路である車道(前ケ辻)に合流した(12:20)。
 石仏を一つ々確認しながら登ったので、起点の石の鳥居から前ケ辻まで1時間15分程時間を要したが、通常、シュラインロードは55分の山道である。
ノースロードの分岐
ノースロードの分岐
六甲阪神稲荷の鳥居  さて、前ケ辻ではグルームさん所縁の白髭神社の他に、もう一つ鳥居が立っている。
 赤い鳥居で「六甲阪神稲荷」と書いてある(写真左)。
 従前から気になっていたので、今日はこの神社にお参りしてみることにした。
六甲阪神稲荷の鳥居
六甲阪神稲荷  鳥居をくぐると、石畳の道が続いている。しばらく進むと、赤い幟がみえて、その先に小さなお社が座していた(写真左)。
 奉納された赤い幟には、六甲摩耶鉄道などの阪神関連の企業の名が書かれている。
 「大正15年発起人・・」の銘が確認できるので、この神社はその頃に阪神電鉄が六甲山の開発の記念に造営したもののようだ。
六甲阪神稲荷
 さて、前が辻からは記念碑台に足を伸ばし、そこで昼食としたい。
 縦走路を進み、記念碑台には12:37に到着した。
 記念碑台では、自然観察の方だろうか、多くの方々が講師の説明に耳を傾けていた(写真右)。
記念碑台のグルーム像
記念碑台のグルーム像
油コブシ道の道標  記念碑台で20分ほど休憩し、下山は天覧台から油コブシ道を下ることにした。
 記念碑台から味気ない車道を天覧台まで下っていく。天覧台も靄がかかり、展望はもう一つだったのですぐに出発し(13:17)、油コブシを目指して下っていく。
 すぐに、古い道標が登場し、阪急六甲の方向を教えてくれる(写真左)。
 天覧台をスタートして15分ほどで寒天山道が分岐した(13:33)。この辺りで、すごい荷物を背負った大学生風のハイカーが6人登ってきた。次に小さな子供連れの家族4人とすれ違った。油コブシ道はシュラインロードと異なりハイカーが多い。
油コブシ道の道標
 油コブシ頂上のすぐ手前で道が分岐した(写真右)。左が油コブシ頂上で、右は展望岩に進む。まず、油コブシ頂上に立ち寄ってみる。
 13:39 油コブシ頂上(清水三等三角点)に到着。ここには、従前、兵庫登山会による「油コブシ」表示があったが、いまはなくなっている。
 次に油コブシ頂上の西側にある展望岩に立ち寄ってみたが、ここも霞がかかって展望は全く望めない状況だった。
油コブシ頂上のすぐ手前
油コブシ頂上のすぐ手前
油コブシ下の展望広場  油コブシ頂上の少し上で分岐した道が再び合流するところは、東屋のある展望広場である(写真左 13:45)。
 ここは下草が刈り取られ、ベンチの設置もあるので休憩にはちょうどいい。
 展望があれば、尚いいのであるが、前方の草木が伸び放題で、景色は全く望めない。
 従前は、市街地と其の前方に広がる海を展望できたのだが・・・(写真下 平成17年)。
油コブシ下の展望広場
 東屋のある展望広場からは、しばらく急な階段の下り道である。途中、鉄塔の下をくぐり、さらには、ゆるい道やきつい道の分岐を確認しながら、ちょうど一時間で麓の老人ホームまで下ってきた(14:17)。
 ここから、舗装路をひたすら下り、阪急六甲駅には14:55の到着であった。
 今日は、静かな古道(シュラインロード)を、石仏に手を合わせながら、のんびりと歩くことが出来、気持ちのやすらぐ一日となった。
油コブシ下の展望広場(H17年)
油コブシ下の展望広場(H17年)
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