再度山・錨山・市章山 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-40】

阪急花隈駅(9:44)==諏訪神社(10:02)==ビーナスブリッジ(10:18)==錨山(10:51)==市章山(10:56)==善助茶屋跡(11:48)
==太龍寺(11:57)==奥之院(12:08)==再度山(12:17)==再度公園(12:28)==弘法大師修法之地(12:50)==鍋蓋北道
==鍋蓋北谷==有馬街道(13:19)==神鉄鈴蘭台駅(13:38) (約4時間 令和2年1月4日) 
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 今日(令和2年1月4日)は、令和2年の歩き初めに、六甲の2つの神社仏閣をめぐることにした。諏訪山稲荷神社と再度山太龍寺に詣で、その道中で、錨山、市章山、再度山の三山に登ってみたい。その後、再度公園で休憩を入れ、鍋蓋北谷から鈴蘭台に下って行く予定だ。再度山では、神戸市街地の大展望が待っているだろう。
阪急花隈駅東口  阪急花隈駅東口で下車する(写真左)。駅から地上に上がるとコンビニがあるので、食料、飲料を調達して出発する(9:44)。
 花隈駅からは花隈中央通を北に登って行くと、右手側のお寺の塀の上に、のっぽな仏像のやさしそうなお顔が拝見できる。ここは福徳寺というお寺である(写真左下)。
阪急花隈駅東口
福徳寺  ビルの間の仏像は目立つ存在だが、福徳寺は、その昔、この場所に花隈城の天守があったとされることでも著名である。門前に「花隈城天守閣之碑」と彫られた石柱も立っている。
 なお、近くにある花隈公園には花隈城跡の石碑があり、城跡らしき石垣があるが、それは模擬石垣で、単なる公園としての演出らしい。
 福徳寺を過ぎ、山手幹線を長い歩道橋で越える(9:52)。
福徳寺
 更に、ビルに挟まれた通りを北に進み、駅から20分弱で諏訪神社の鳥居までやってきた(10:02)。鳥居から強烈な坂道が神社に向かって登っている。神社の参道は坂道が多いが、ここの坂道の斜度は半端ない。ゆっくりと坂道を登っていくと、坂の右隣にある諏訪山公園の案内図が立っていた。諏訪山公園の金星台は、天文ファンにはおなじみだろう。 諏訪神社鳥居
諏訪神社鳥居
諏訪神社  坂道の次に急な階段となり、それを牛歩の歩みで登り切ったところが諏訪神社の境内であった(写真左 10:08)。社殿前には門松が飾られ、正月らしい境内になっている。他の参拝客と共に、社殿に手を合わせ、本年も無事に山旅ができますようにと、お祈りする。なお、境内には「時の太鼓」が置かれてあったので、ドン、ドン・・と打ち鳴らして新年の祝いとした。
諏訪神社
 神社境内から右手側の山道に進み、次にビーナスブリッジを目指す。
 ビーナスブリッジへも急な階段道が続き、うっすらと汗ばんできた。やがて緑青に塗装されたビーナスブリッジが見えてくる(写真右 10:18)。ぐるぐると、らせんに回ってビーナスブリッジを登りきると、そこは「愛の鍵モニュメント」のある展望広場である(写真下)。
ビーナスブリッジ
ビーナスブリッジ
愛の鍵モニュメント ビーナステラス
愛の鍵モニュメント ビーナステラス
 「愛の鍵モニュメント」のベンチでは、ご夫婦らしき二人が睦ましく語らっていた。
 展望広場のビーナステラスからは、神戸市街地の展望が素晴らしい。展望広場で少し休憩を入れた後、再度山に向かい出発する(10:23)。展望広場から階段で再度ドライブウェーの方に下る。次にドライブウェーを横切って、バス停の表示から山道の階段に入る(10:26)。錨山に向かい急な階段が続くが、整備され歩きやすい(写真右)。
錨山に向かう急階段
錨山に向かう急階段
錨山の植込み  急な階段を登ったところにベンチが二つ設置されているので、そこでも少し休憩する。その先で、また、ドライブウェーを横切って錨山への山道を進む。急な階段の連続で、脚部が少し悲鳴を上げ始めたころに、前方に錨山が見えてきた(写真左 10:47)。急な山の斜面に、錨の形に植込みが作られている。
錨山の植込み
 フェンスに沿って登っていくと錨山の山頂となる(写真右 10:51)。錨山からは、市街地に展望が開ける。この錨山は、明治36年に神戸港沖で行われた明治天皇臨幸の観艦式を記念して、錨の形に松を植栽したのが始まりで、松はその後昭和41年にウバメガシに植え替えされた旨の説明板がある。 錨山
錨山
市章山の展望  錨山では、3組4名の方が展望を楽しんでいた。錨山から次に市章山に向かう。道標に従い山道を5分進むと市章山に至る(写真左 10:56)。市章山は、明治40年に神戸港築港起工を記念して、市章の形に松を植栽したのが始まりで、松はその後昭和34年にウバメガシに植え替えされた。市章山からの展望も錨山と同様に素晴らしい。なお、急傾斜ゆえ、市章山からは市章の形の植栽は窺い得ない。
 市章山でも小休止の後、次に、再度山に向かい出発する。
市章山の展望
 再度山に向かう山道は概ね再度ドライブウェーに沿って続いている(写真右)。右手側に、ドライブウェーを走る車を確認しながら進んでいくと小高いピークに大きな石碑のある場所に登りついた(写真下 11:12)。木々が茂り展望のない場所で、石碑の文字は浅学な当方には到底読めないが「明治天皇御製」と「海軍大将有馬良橘謹書」の文字が見える。ここが「浅間が丘」と呼ばれる所だろう。 再度ドライブウェー
再度ドライブウェー
浅間が丘 浅間ヶ丘錨山記念保道碑
浅間が丘 浅間ヶ丘錨山記念保道碑
 その先は、「浅間が丘」から4分でドライブウェーに合流した(写真右上 11:16)。合流地点は、「浅間ヶ丘錨山記念保道」の石の道標のあるところだ。ここでドライブウェーをクロスする。ドライブウェイを渡ったところに「行き止まり」の表示があり、その近くに堂徳山の三角点(点名 口一里 337.5m)があるので確認した(写真右 11:21)。 口一里三角点
口一里三角点
再度山に向かう道  口一里三角点からは、堂徳山を過ぎ、城山への分岐(11:28)を経て、再びドライブウェーに合流した(11:31)。ここは「湊川神社神苑」の大きな碑があるところで、二本松林道の分岐点ともなっている。ここでドライブウェーをクロスし、階段から山道に取付く。その先もドライブウェーに沿った歩きやすい山道が続くが、傍らに大木の倒木が何ヶ所か残っている。一昨年の台風の被害だろう。
再度山に向かう道
 やがて善助茶屋跡に到着した(写真右 11:48)。善助茶屋跡の先、太龍寺の駐車場の所で六甲全山縦走路、大師道(空海が登山した道)とクロスする(11:50)。太龍寺の駐車場には、飲料の自販機があるので休憩する者も多い。 善助茶屋跡
善助茶屋跡
太龍寺仁王門の階段  太龍寺の駐車場から仁王門手前の階段に取付く。すぐ、階段の右手側に水子地蔵が並ぶ。手を合わせてそこを過ぎると、次に「毎日登山壱萬回塔」の石塔が目に入る。これは、神戸ヒヨコ登山会の建立で、多くの方の名前が刻まれている。石塔からは登山会の歴史と、毎日登山の方々の熱意が伝わってくる。
太龍寺仁王門の階段
 仁王門をくぐって、正面の石段沿いに境内を目指す。参道には西国三十三観音と「南無聖如意輪観世音菩薩」の赤い幟がが並ぶ(写真右)。 太龍寺参道
太龍寺参道
太龍寺大師堂 太龍寺奥之院大師堂
太龍寺大師堂 太龍寺奥之院大師堂
天狗岩と亀の岩  急な階段を登りきると太龍寺大師堂の正面に至る(11:57)。大龍寺は、和気清麻呂公開基、称徳天皇の勅願寺にして弘法大師大願成就の寺で、中風封じのお寺としても知られる。山中深いところにある寺院だが、多くのハイカーの参詣者がいる。大師堂に手を合わせ、次に奥之院に向かう。
 お堂の右手側に奥之院への道がある。つづらに石階段を登っていくと奥之院大師堂に登りついた(写真上 12:08)。奥之院大師堂にも二人の参拝者がいた。
天狗岩と亀の岩
 奥之院大師堂に手を合わせ、次に亀の岩に向かう。お堂の右側に山道があるのでそれを登る。ここからは、山道で注意を要する。すぐに大きな岩が集まった天狗岩と亀の岩に至る(写真上 12:16)。
 亀の岩は、空海の作と伝わるもので、上から見ると亀の形をしている。また、天狗岩には注連縄が巻かれている。
 亀の岩から更にもう一登りで再度山の山頂となる(写真右 12:17)。
再度山
再度山
再度山の展望 再度山山頂
再度山の展望 再度山山頂
再度公園  再度山山頂からは南に素晴らしい展望が開ける。市街地と大阪湾が眼下である。ポートアイランドが海に浮かぶように見え、海面が陽光に反射して光り輝いている。東側の世継山の山頂には布引ハーブ園の建物も見えている。山頂ではソロのハイカー3人が思い思いにこの展望を楽しんでいた。新春に太龍寺に詣で、それに併せて再度山の大展望を楽しむことが出来、皆にとって良い一年になることだろう。
再度公園
 なお、再度山山頂には神戸市道路公社の基準点No.2が設置されているので、それを確認して下山を始める(12:20)。下山は西側に下って行く。こちらは、よく歩かれた山道で、つづらになって再度越道に下っている。5分で再度山を下り、次に再度公園に向かう。
 再度越道からはすぐに再度公園に到着した(写真上、右12:28)。
修法ヶ原池 1
修法ヶ原池 1
 再度公園・神戸外国人墓地は国指定名勝で、再度公園では多くの行楽客やハイカーが集い、修法ヶ原池に反射する鏡のような水面に見入っていた。修法ヶ原池では、カモが二羽、水面を滑るように進んでいた。
 再度公園は、昭和12年に開設された公園で、多くのハイキング道の結節点になっている。森林植物園方面、分水嶺越林道方面、高雄山方面、全山縦走路方面、諏訪山方面、有馬街道鈴蘭台方面と、山道が縦横に延びる。
修法ヶ原池 2
修法ヶ原池 2
弘法大師修法之地  再度公園で昼食をとって、しばし休憩を入れた後、山を下ることにする(12:45)。下山は、弘法大師修法之地を経て、鍋蓋北谷から有馬街道を渡り、鈴蘭台駅を目指す。
 修法ヶ原池から西に向かうとすぐに大きな石の宝篋印塔が見えてくる。そこが、弘法大師修法之地で祠が祀られている(12:50 写真左)。弘法大師修法之地では、太龍寺によって「修法ヶ原大師堂」の謂れが説明されていた(その内容は、この頁の最後を参照)。
弘法大師修法之地
 弘法大師修法之地を過ぎると、山道は鍋蓋北道に合流する(12:56)。ここで鍋蓋北道を北に進む。
 鍋蓋北道も、よく歩かれた幅広の道である。すぐに道標が立つ分岐となる(写真右 13:01)。この分岐で、道標が「有馬街道 1.2km」と示す方に下って行く。
 この分岐からは鍋蓋北谷に入る。
鍋蓋北谷分岐
鍋蓋北谷分岐
鍋蓋北谷道  鍋蓋北谷は少し山道を下った後、すぐに民家の横に出てくる。民家は、木工の作業場のようで、切り倒した木材が、青いビニールシートに覆われて、いたる所に保管されている(写真左 12:54)。この青いビニールシートからは舗装路の下りとなる。
鍋蓋北谷道
 味気ない舗装路を有馬街道に向かい下って行き、鈴蘭台東口の交差点で有馬街道を横切った(13:19)。ここからはバス道に沿って鈴蘭台駅に向かう。急なアスファルトの坂道を登り、次にだらだらと坂道を下り切ったところが鈴蘭台駅だった(写真右 13:38)。
 今日は、最後のアスファルト歩きは別にして、2社寺の初詣に加え、神戸背山の三山から最高の展望を楽しむことができ、満足の山歩きでした。
神鉄鈴蘭台駅
神鉄鈴蘭台駅
● 修法ヶ原大師堂
 延暦23年(804年)空海(弘法大師)が入唐求法の旅に出られる前に当地に来られ、航海無事並びに新しい仏法習得を祈願されました。願いが叶ったか無事中国に渡られ、唐の都長安の青龍寺にて恵果和尚より真言密教を習得し、二年後に当地に再度登られ、無魔成満の御礼参りをされました。よってこに地を修法ヶ原と呼ぶようになりました。後世の人(が)、空海が修法された場所に堂宇を建立し、修法ヶ原・大師堂と名付けました。(修法ヶ原大師堂の看板より)
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