歌垣山・能勢妙見山・奥の院 (お勧め度★☆☆) 関西の山【7-31】

能勢電車妙見口駅(8:55)==ケーブル黒川駅(9:12)==ケーブル山上駅(9:25)==妙見の森リフト==妙見山(9:46)
==本瀧寺(10:37)==すみよし茶屋(10:54)==野間大原(11:10)==今谷池(11:32)==奥之院(12:00)
==奥之院三角点(12:29)==堀越峠(12:57)==歌垣山(13:23)==(14:16)バス停(15:10)
==バス==妙見口駅(15:30) (約5時間 平成30年11月18日)  
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 妙見大菩薩が祀られた能勢妙見山、祈祷、水業の本瀧寺、深き山中に鎮座する妙見山奥之院。今日(平成30年11月18日)は、ご利益を求めこの能勢の3ケ寺を巡り、併せて能勢の田園地帯を経て歌垣山まで足を延ばしてみた。歌垣山の展望は素晴らしく、その麓、倉垣天満宮の大イチョウも黄色に色づいて圧巻であった。
     
能勢電車妙見口駅  「能勢妙見・里山ぐるっとパス」を買い求め、阪急電車に飛び乗った。 川西能勢口駅で能勢電車に乗り継いで、山間の妙見口駅に降り着いた(8:52)。
 駅前の案内所でルートの確認する。案内の方から「妙見ケーブルまで歩いて20分くらい。」との説明をいただき、妙見口駅前を出発した(8:55)。駅から地道を北に進む。
能勢電車妙見口駅
花折街道  のどかな山間の集落の中を縫うように続く道を進むと、すぐに道が分岐する(8:56)。この分岐は右に進む。なお、左は、高代寺参道、吉川城との案内がある。
 途中、民家の横に「花折街道」の立派な石碑があった(写真左 9:06)。
 「花折街道」とは、200 年から150 年前にかけて、妙見参詣者の往来によって栄えた街道のようで、往時には、この道沿いに土産店や宿屋があったらしい。今でも、常夜灯や道しるべが残っている。
花折街道
 やがて車道(国道477号)に突き当たるので(9:08)、ここで信号を渡り左折する。
 国道脇の歩道を進んでいくと、県境を越えて大阪府から兵庫県に入る。この辺りは兵庫県川西市と大阪府豊能郡能勢町、豊能町が境を接するエリアである。兵庫県に入ると、すぐに「妙見の森ケーブル」の黒川駅に到着した(写真右 9:12)。
妙見の森ケーブル黒川駅
妙見の森ケーブル黒川駅
妙見の森ケーブル  二両編成のケーブルは9時20分が始発で、先頭の車両に乗り込んだ。
 所要時間5分でケーブル山上駅に到着(9:25)。ケーブル山上駅からは「いろは坂」という急坂を少し登る。
 「いろは坂」では、バーベキューセットを抱えたグループが前を進んでいた。妙見の森バーベキューテラスのお客さんのようだ。
妙見の森ケーブル
 「いろは坂」を登ったところが「ふれあい広場」で、ここで「妙見の森リフト」に乗り換えることになる。
 この辺りからは、麓の黒川方面に展望が広がっている(写真右 9:32)。
ふれあい広場からの景色
ふれあい広場からの景色
リフト沿いの紅葉  ふれあい広場に到着すると、9時33分に「妙見の森リフト」が動き始めた。
 この「妙見の森リフト」は、今年2018年の豪雨で土砂崩れが発生し、二か月間運航を停止していたが、同年9月15日から運転を再開したらしい。早々に復旧できて、ほんとによかった。
 ふれあい広場から「妙見の森リフト」に乗り込み(9:34)、約10分間の空中散歩を楽しむ。途中、紅葉が始まり、赤く色づいた木々がきれいだった。
リフト沿いの紅葉
 周囲の景色を楽しんでいると、あっという間に10分が経過し、妙見山に到着した(9:46)。
 「妙見の森リフト」妙見山駅の展望台からも、美しい能勢の里山の風景が遠望できた(写真右)。
リフト妙見山駅からの景色
リフト妙見山駅からの景色
日蓮宗霊場能勢妙見山  「妙見の森リフト」妙見山駅からは、妙見山山上駐車場の方に向かう山道を進む。やがて、駐車場手前で左折すると鳥居が近づいてくる(9:54)。鳥居脇には「日蓮宗霊場能勢妙見山」の石柱が立っている。
日蓮宗霊場能勢妙見山
 日蓮宗なのに鳥居とは如何?
 ここ妙見山はお寺なのか、神社なのか、分からないとよく言われるようだが、この能勢妙見山は、ここから北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内というのが正解らしい。
妙見山の紅葉
妙見山の紅葉
妙見山星嶺に向かう階段  鳥居をくぐり石の階段を登る。石階段の参道脇には、神馬と並んで紅葉がきれいである。
 神馬は妙見大菩薩様に乗っていただくために奉納されたものらしい。
 妙見山に向かう階段を登っていくと、その途中で妙見山三角点に向かう分岐がある。せっかくなので、妙見山山頂(660.1m)の三角点のピークにも足を延ばす。妙見山四等三角点は、日清・日露戦争での戦没者慰霊塔である彰忠碑の後方で、妙見山山頂の柵の前に設置されていた(10:00)。
妙見山星嶺に向かう階段
妙見山三角点 「星嶺」からの展望
妙見山三角点 「星嶺」からの展望
妙見山山門  妙見山四等三角点から石階段に戻り、次に信徒会館「星嶺」に登っていく。
 「星嶺」の前は展望のテラスとなっていて、素晴らしい景色が広がっている(写真上 10:04)。
 次に、山門の方に進む。 山門は大阪府と兵庫県の府県境に建っている荘厳な建物である(写真左 10:05)。建築年代は不詳らしいが、見事な造りでしばし見入ってしまう。
妙見山山門
 山門をくぐり、前方の寺務所に向かい下って行く。
 寺務所は大きな建物で、お守りなどはここで授与される。寺務所を過ぎ、本殿にお参りし、経堂や絵馬堂を見学して、能勢妙見山の境内を後にした(10:10)。
妙見山寺務所
妙見山寺務所
 能勢妙見山から本瀧寺へ下って行く。本瀧寺への道は、階段の下りで始まる。下り始めると、すぐ前方に一人の男性が鈴の音も軽やかに、階段を下っておられた。本瀧寺までの下りでお会いしたのはこの方一人だった。
 階段の次は急な山道の下りとなる。杉の枯れ枝が道に積もり、滑りやすいので注意を要する。道の脇には、古い祠や、コケの生した石碑が並ぶ。古からの歴史を感じる道でもある。
本瀧寺への道
本瀧寺への道
本瀧寺へ下る階段道 本瀧寺
本瀧寺へ下る階段道 本瀧寺
 本瀧寺へ下る階段道は、長い年月の風雨の影響で荒れた箇所もある。足元に注意しながら下って行くと、下方に大きな建物が見えてきた。そこが、本瀧寺であった。妙見山から30分弱で本瀧寺へ下りついた(10:37)。
 本瀧寺の境内はお参りの多くの人でにぎわっている。本瀧寺は妙見宗の総本山で、霊験あらたかな滝での修行のため多くの行者が集まると聞く。
 鈍者の当方にとって精神錬磨の行が必要かもと思いながら、本堂にお参りさせていただいた。
本瀧寺からの下り階段
本瀧寺からの下り階段
本瀧寺への急階段  本瀧寺の境内で少し休憩して、寺を後にした(10:39)。道脇に「妙見奥の院へ4km」の手製の表示がある。その先で、急な階段道が下っていた。階段の降り口に「奥の院は下の階段へ」の表示があったので、その階段道に入る(写真上)。
 階段道は、長くて(130段?)急傾斜であり、足を踏み外すと危ない感じだ。足元注意の表示もあり、慎重に下っていると、下から一人のご婦人ハイカーが登ってこられた。本瀧寺、妙見山へのお参りなのだろう。
本瀧寺への急階段
 急階段を下ったところで流れを渡り、次に左折する。この角には「おおさか環状自然歩道」の道標が立つ。
 少し進むと、車道(大阪府道4号茨木能勢線)に合流した。その合流地点は、ヘアピンカーブになったところで、すみよし茶屋が営業していた(10:54)。
 うどん、コーヒーの幟がはためき、立ち寄りたい気もしたが、ここは先を急ぐ。
すみよし茶屋
すみよし茶屋
大阪府道4号  大阪府道4号茨木能勢線を下って行くが、ここは歩道がないので車に注意して進む。車だけでなく、バイクもすごいスピードで突っ込んでくる。野間峠から下ってきたこの辺りの府道4号は、ヘアピンがきつく、それがライダーを引き付けるのだろう。
大阪府道4号
 車がやってくると、道の端によって車をやり過ごしながら府道4号を5分程下ると、右手側に古い鳥居が登場した。ここで、鳥居をくぐって、再び山道に入る(写真右 10:59)。
 杉林の中の道を進んでいく。豪雨時の土石流や倒木で荒れた個所もあったが、歩行困難というほどではない。幅広の歩きやすい箇所もあり、そこは快適に進む(写真下)。
鳥居をくぐる
鳥居をくぐる
野間大原への杉林を進む 野間大原の里と柿の木
野間大原への杉林を進む 野間大原の里と柿の木
 やがて、杉林から野間大原の集落にでる(11:10)。ここには「新農業改善事業」のりっぱな記念石碑が立っている。石碑の脇には、おおさか環状自然歩道の道標もあり、その道標が示す「妙見奥之院」の方向に直進する。
 集落や、田んぼの中の地道を進んでいくと、道脇に赤い実をたわわに着けた柿の木が目についた(写真右上)。柿の実に、秋の実りを感じる。
 集落の辻では、おおさか環状自然歩道の道標が進むべき方向を示してくれるので、それに従う(写真右 11:15)。
辻の石垣に道標
辻の石垣に道標
今谷池  山里の集落の中の地道を進んでいくと、犬の鳴き声が聞こえてきた。一頭ではなく、数多くの犬が鳴いている。聞くと、アークという施設で、さまざまな理由で保護された犬のケアや社会化トレーニング、里親探しをしているNPOの団体であるらしい。NPOの施設を過ぎると、奥之院への山道に入っていく。
 山道は、林道大原奥之院線で、今谷川沿いの山道である。緩やかな林道を登っていくと、左手側に今谷池が登場した(写真左 11:32)。今谷池では深緑の水面が、周囲の木々の紅葉を映しこんでいた。
今谷池
 今谷池を過ぎると、道脇に木造の建物が登場した(写真右 11:34)。ここには生活環境保全林整備事業の大きな看板も立っていた。
 この保全林整備事業は、里山の機能を高めるためのもので、小屋はその作業拠点施設と案内されていた。
 豊かな生活環境が里山整備で作り出されるよう応援したい。
作業拠点施設
作業拠点施設
車止めの柵  作業拠点施設を過ぎ、奥之院の丁石やおおさか環状自然歩道の道標が立つ林道を更に登っていくと、通行止めの柵が登場した(写真左 11:45)。
 車の通れる林道はここまでで、この先は歩行者のみの山道となる。柵を過ぎると丸太の階段道となって、勾配も少し急になる。山道には、枯葉や、枯れ枝、倒木が積もり、あまり歩かれていない感じが漂う。
車止めの柵
 丸太階段の坂道は次第に急勾配になって、次に、峠状の場所で再び柵が道を遮った(写真右 11:56)。柵の脇には、おおさか環状自然歩道の道標が立ち、ここが妙見奥之院への分岐であることを示していた。
 左(西)に登っていく道が妙見奥之院への道であるが、右(東)へも薄い踏み跡がある。こちらは三角点への道と思われるので、奥之院へのお参りの後で探索してみたい。
 まずは、奥之院に向かう。
奥之院への分岐
   奥之院への分岐
奥之院本堂  急な山道を、能勢妙見山奥之院に向かい登っていくと門柱が登場した(12:00)。門柱には、「能勢妙見山奥之院」、「日蓮宗霊場」と彫られている。ここから階段を登ったところが、妙見山奥之院の庫裏で、もう一段、階段を登ったところが奥之院の本堂となっていた。奥之院の庫裏前では、若いお坊さんが一人、一心に境内を掃き掃除していた。
奥之院本堂
奥之院の釣り鐘  妙見山奥之院の本堂の裏をもう一段高く登ったところには鐘楼と古い祠が並ぶ。古い石塔、石碑も多く、歴史を感じる。ここには、二組10名ほどの参詣者がいた。
 妙見奥之院でお参りを済ませ、次に奥之院三角点に向かうこととする(12:14)。
 登ってきた坂道を下って、おおさか環状自然歩道の方に戻る。
奥之院の釣り鐘
 おさか環状自然歩道の柵のあった場所から、こんどは東に向かい薄い踏み跡を登っていく(12:18)。
 薄い踏み跡の先で、三角点のピークらしき場所の麓までやってきた。ピークに向かう道はないようなので、歩きやすそうな場所を辿りながら、斜面を登っていく。一帯のピークらしきところに、古い構築物が残っていた(写真右 12:29)。
 その古い構築物の前に三角点が設置されていた。
 なお、古い構築物は戦時中の監視所であったらしいが、詳細は不知だ。
戦時中の監視所跡
戦時中の監視所跡
四等三角点「奥ノ院」 古い構築物の前に三角点
四等三角点「奥ノ院」 古い構築物の前に三角点
 藪山の中で「奥ノ院」四等三角点も確認できたので、おさか環状自然歩道に戻り、次に歌垣山を目指す。三角点から約6分ほどでおさか環状自然歩道に戻り、ここから「堀越峠」に向かい下って行く。
 急な雑木の中の坂道を下って行く(写真右)と、次に、杉林の中でコンクリの林道となる。林道脇には「生活環境保全林整備事業」の大きな看板が立っていた。大きな看板によると、先ほど越えてきた今谷池から、この先の堀越峠までのおさか環状自然歩道沿いの山域で、里山整備が進められていたようだ。
堀越峠への下り
堀越峠への下り
野間大原への林道と合流  更に林道を下って行くと、右手側から舗装路が合流してきた(写真左 12:50)。この合流してきた舗装路は、地黄湿地を経て先ほど通過した野間大原の里につながっているようだ。
 舗装路が合流地点には、おさか環状自然歩道の道標と、能勢町地黄財産区の看板が立てられていた。
野間大原への林道と合流
 味気ない舗装路を下って行くと、車道(京都府道・大阪府道732号:亀岡能勢線)に合流した(12:57)。
 ここが「堀越峠」で、おさか環状自然歩道の道標も立っている。堀越峠の道標では、ここから歌垣山まで、0.9kmと案内してある。。
 また、堀越峠には「是ヨリ奥院妙見道」と彫られた古い石の道標も残っていた。
堀越峠
堀越峠
歌垣山への登り口 車に注意しながら府道732号を横断し、少し右手側に下ったところにある歌垣山登山口に至る(12:59)。この登山口にもおさか環状自然歩道の道標があり、「急な坂道です。頑張って。」と記されている。
 登山口から山道の階段に取付く。急な階段の登り だが、山道は下草が刈り取られた感じで、よく整備がされて歩きやすい。
 階段を登ると杉林の中の道となる。杉はよく手入れされていて、光も入り、杉林だが快適に歩ける。
歌垣山への登り口
 歌垣山への山道は、次に丸太階段の道となる。急な階段道で、相当傾斜がきつい。ゆっくりと進むことにする。
 歌垣山への山道は、時に平坦な箇所もあるが、急な坂道が続く。フラフラになりながらも、堀越峠から20分少々で歌垣山山頂(女山(南峰)553.5m)に到着した(写真右 13:22)。歌垣山は大阪50山の一つで、古くより男女が集まり歌合わせが行われた山である。歌垣山は双子峰で、南峰が女山で北峰が男山とされる。ここは、女山の「ふれあい広場」である。
歌垣山(女山)ふれあい広場
歌垣山(女山)ふれあい広場
歌垣山展望台からの景色 歌垣山(女山)には丸太を組んだ展望台があり、北側に景色が望める。剣尾山、深山方面のようだが、同定はできなかった。
 歌垣山(女山)には三角点(点名倉垣1)の設置があるが、東西南北と表示された保護石に周囲をがっちりとガードされた変わった感じの三角点である。
歌垣山展望台からの景色
三角点:点名倉垣1歌垣山(女山)山頂
三角点:点名倉垣1 歌垣山(女山)山頂
歌垣場所入口  次に、北峰(男山)に向かう。歌垣山公園の標柱の脇から男山の山頂に登る(写真左)。
 男山山頂の「かがいの広場」には、歌碑や石碑などが設置され、歌会のための大きなログハウスもある。
歌垣場所入口
 歌垣山
 昔、未婚の若者は、定められた日に山の頂などに集まり、即興の歌を交わし、結婚の相手を決めました。これを「歌垣」といいました。摂津国風土記(713年)逸文には、「有歌垣山、昔者、男女相集登此上、常為歌垣因以為名(つねにうたがきをなしよりてもってなとなす)」とある。
 山頂の説明板より抜粋
歌垣山(男山)山頂
歌垣山(男山)山頂
民家の紅葉  歌垣山で昔日の歌垣の様子を思いながら、少し遅い昼食を頬張り、その後、麓の倉垣天満宮に下ることにした(13:45)。
 丸太の階段を下り、石畳になったような道を下る。次に、大雨の水流でぐちゃぐちゃになったような道を下っていく。急な箇所も多いので、注意して下っていくと30分弱で里に出てきた(14:12)。民家の庭先では紅葉が始まって、朱色がきれいである。とりあえず、バスの時間を確認しておこうとバス停に向かうと、バスは約1時間後である。そこで、大阪府の天然記念物:倉垣天満宮の大イチョウをゆっくりと見学することにした。
民家の紅葉
 倉垣天満宮の大イチョウは、遠目にもその黄色い色が鮮明に目立っている。地道を辿り、天満宮に向かう。
 この大イチョウは大阪府最大の巨樹で、天喜2年(1054)、領主源頼基が京都北野天神の分霊を勧請して、歌垣山頂に祀ったのが始まりとされる。大イチョウは幹の途中から2幹に分かれ、葉が一面に黄色く色づいて圧巻である。大イチョウに圧倒されたのち、バス停に戻り、便数の少ないバスを待つ。妙見口駅行きのバスは定刻(15:10)にやってきた。客は二人で、のんびりのバス旅をもって本日の山歩きを終えたのであった。
倉垣天満宮の大イチョウ
倉垣天満宮の大イチョウ
● 妙見山から、本瀧寺、妙見奥之院を経て歌垣山への道は、「おさか環状自然歩道」の道標が随所に設置されていて、分かりやすいものの、荒れた個所があり、最近は、歩く人も少ないように感じられました。歴史のある道なので、再度整備がされることが望まれます。
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