笠松山・善防山 (お勧め度★★★) 関西の山【7-8】 |
兵庫県小野市の粟生駅から加西市の北条駅を結ぶ北条鉄道というローカルな路線がある。その鉄道が、今年で開業25周年を迎えるというので、今日(平成22年5月9日)は北条鉄道の見物を兼ねて、その沿線の笠松山・善防山に登ってみることにした。 笠松山・善防山は加西のミニアルプスとも言われ、稜線からの眺めの良さで低山愛好家に人気の山と聞く。 ガイドブック(神鉄ハイキング:神鉄観光発行)にも紹介があったので、それを参考にする。 |
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播磨下里駅からスタート |
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笠松山・善防山の縦走は北条鉄道播磨下里駅からのスタートとなる(写真上)。 播磨下里駅はJR加古川線又は神鉄粟生線の粟生駅で北条鉄道に乗り換え、4番目の駅である。 北条鉄道のダイヤはほぼ1時間に1本なので、事前の準備で列車の接続には十分注意したい。(当方は粟生駅で約1時間も時間ロスをしてしまった。) 粟生駅で列車を待つこと1時間、やっと列車がやって来た。車両は1両編成のかわいいワンマンカーである(写真左)。 |
北条鉄道は1両編成 |
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北条鉄道は1985年に国鉄から承継して開業し、2010年に25周年を迎えた。それを記念して硬券の記念乗車券が発行されている。車内では、売り子さんがその記念乗車券を販売していた。 そんな風景の中、乗客6名のワンマンカーは粟生駅を出発して13分で播磨下里駅にすべりこんだ。ここは当然無人の駅である。 ホームに降り立ったのは当方を含め2名。もう一人の方もどうやら笠松山・善防山を目指しておられるようだ。当方と同じガイドブックを持っておられる。「登山口は、分かるでしょうかねー。」などと話しながら、駅を出発し(10:25)、バス道を進んでいく。 |
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善防山登山口 |
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ガイドブックでは善防山の登山口は下里農協前のバス停の所と紹介されている。 県道高砂北条線を進み、信号の三叉路を左折すると、弥三郎池と野田池の間の道となる。 この池を過ぎたあたりで、道端の道標を発見した(10:39)。「善防山登山口」と書いてある(写真上)。 この案内表示のところから、西に向かい草生した林道がのびている。その林道を少し進むと、道は細くなり竹薮の中に突入する。 この竹薮を抜けると、善防山への登りが始まった(写真左)。 |
善防山への登り始め |
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登り始めは山土の道であったが、それが次第に岩道に変り、登りの連続で息が上がりかけたところで、前方に視界がぱっと広がった。 あたりを窺うと、展望の利く岩尾根の上まで登ってきていた(写真右 10:50)。 その展望の利く岩尾根では、犬を連れた2人連れの先客が景色を楽しんでおられた。そこからは、西方に田んぼと溜池の景色が広がっている(写真下)。 また、岩の尾根には蓋の付いたコンクリートの柱が設置されていた(写真右下)。つまみも付いているが、これは何のためのものなんだ?? |
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善防山の岩尾根 |
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岩尾根からの景色 |
善防山岩尾根にある設置物 |
この岩尾根は善防山の東側の稜線であり、遮る木々がないので展望は利くが、夏場は熱くて歩けないかもしれない。 田んぼの連なりの中に点在する溜池の景色は心の癒しになる感じで、気持ちの良い風景だ。(写真右)。 |
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岩尾根を振り返る |
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岩尾根の西側は尖がった頂きが天を突いている(写真左)。 その尖った頂きを目指し、岩尾根から急勾配の稜線に取り付く(11:00)。 日光を遮るもののなかった岩尾根から雑木の中に入る。直射がさえぎられほっとする。 少し登ったところで道が左右に分岐した。左は「牧場行き」で、右は「富士山・第二頂上行き」と表示してある。この表示から、善防山は地元では富士山とも呼ばれていることが確認できる。 |
前方に善防山を望む |
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富士山・第二頂上行きの表示から2分でそのピークに登り付いた(写真右 11:14)。「第二頂上到着」の表示がある。 そこは、先ほどの岩尾根から見えていた尖がった頂きのピークと思われる。善防山の真のピークは、もう少し西に進んだところのようだ。 第二ピークは木立の中であり、全く展望がない。 |
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善防山第二頂上 |
第二ピークから雑木の中を進み、約5分で善防山の第一ピークに到着した(写真右 11:19)。 善防山の第一ピークは大岩が数個転がる木立の中である。先ほどの第二ピークと同様に展望は利かない。 善防山の山名を記したプレートもにぎやかに掛けられている(写真下)。 その中に、善防山城跡の城跡についての説明もあった。山城愛好家の参考に資するため引用しておく。 |
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善防山頂上 |
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善防山城跡 この山上には赤松則繁が城を築いていたが嘉吉の乱(1441)で落城した。 則繁の軍勢は地形を利用し全山の岩肌に油を含んだ竹の皮を敷き詰めた。敵は滑って攻められないと思ったが、敵はその竹の皮に火を放ち城は炎に包まれ、山名勢の大軍の前にあっけなく落城した。この合戦はすさまじかったのであろう。明治初期まで白骨体が木の葉の下に眠っていたという。 |
善防山の山名表示 |
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善防山はその昔、激しい戦いがあった古戦場だったのだ。足元から白骨体がでてこないように祈りながら、善防山のピークを出発した。 次は笠松山のピークを目指す。 善防山のピークから急坂を下る。前方に、次に目指す笠松山が遠望できる。 |
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遥か前方に笠松山を望む |
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善防山ピークから坂を下ると、展望の利く尾根歩きとなる。山道両側の樹木は低木なので、左右の景色を眺めながら楽しく歩ける。 その尾根道は緩やかなアップダウンを繰り返しながら続く(写真左)。 その尾根道を進んでいると松の木に掲げられた案内表示が登場した(11:36)。直進が「吊り橋・古法華石仏」で、右が「下山コース」とある。ここは直進して吊り橋を目指す。 |
笠松山に向かい尾根道が続く |
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1分進んで、また案内表示が現れた。こんどは直進が「吊り橋」で、左が「周回コース」とある。 周回コースは善防山から大柳ダムに続く尾根歩きの道で、こちらも眺望良好な道のようである。何組かのハイカーがその尾根筋を歩いているのが遠望できる。爽快な感じの尾根筋のようなので、また機会があれば歩いてみたい。 更に進んで行くと、前方に吊り橋が見えてきた(写真右 11:42)。吊り橋の向こうには馬の背のような岩尾根が続くのが見える。 |
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吊り橋が見えてきた |
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揺れるつり橋を渡る |
くさり場を登る |
坂を一気に下り、吊り橋まで下ってきた(写真上)。 吊り橋は古法華自然公園へと続くアスファルト道の上を跨いでいる。 吊り橋に足を掛けると、橋全体が結構上下に揺れるではないか!!!。その揺れに少々びくつきながら橋を渡りきると、目の前に大きな大きな岩尾根が現れた。 その登りのために鎖が用意されていた(写真右上)。鎖につかまり慎重に岩肌を登っていく。 |
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吊り橋を渡ると岩尾根が続く |
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鎖を頼りに尾根の上まで登りつくと、一気に展望が広がった。前方には善防池と田んぼにはさまれた集落が(写真上)、そして左手側には笠松山とアトリエ館が望める(写真左)。この景色はお薦めである。 駅にあった北条鉄道沿線散策マップでは、この岩尾根でNHK大河ドラマ「武蔵」が撮影されたとあった。なるほど、この岩場の荒涼とした感じは、時代劇の風景に相応しい感じだ。 |
笠松山とアトリエ館 |
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大河ドラマの武蔵になったつもりで、颯爽と岩尾根の道を進んで行くと、左側の下手から、なにやら声が聞こえてきた。 「何事じゃ!」と思って目を向けると、数名が岩に取り付き、下から指示の声が飛んでいる。 どうやら岩登りの教室が開催されているようだ(写真右)。 その岩場は右肩上がりに高度が増しているので、クライマーの熟練度に応じて登る場所を移動すればいいようだ。これは好都合な岩場だ。 |
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岩登りの練習風景 |
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更に岩尾根道を進んでいると、こんどは右手側に荒々しい岩肌をさらした小山が見えてきた(写真左 12:04)。 どうやら石切り場の跡のようだ。半分山が削り取られて可愛そうな姿になっている。 その石切り場跡が後方に過ぎると岩尾根は登りになる。笠松山を目指しての最後の登りと思われる。途中、案内表示が「笠松山展望台」の方向を示してくれていた。それに従い尾根筋を登っていくと鎖場が登場した。この鎖のある岩場を登り切ると、そこが笠松山の頂上だった(12:23)。 |
巨大な岩壁が(採石場?) |
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笠松山の頂上には展望台がある(写真下)。 その展望台の下には法華山三等三角点が設置されていた(写真右)。 展望台の下なので、ある程度の風雨からは守られているのだろうが、その三角点は苔むして、文字の判読も難しいような風貌に成り果てていた(写真右下)。相当古くからある三角点なのであろう。 展望台には先客が一人おられたが、その方は当方に展望台を譲ってくれ、アトリエ館の方に下っていかれた。 |
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笠松山に到着 |
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笠松山頂上の展望台 |
笠松山の法華山三等三角点 |
笠松山の展望台からは絶景が広がる。加西の町が一望である。 東方を望むと先程越えてきた善防山が見えている(写真下)。北方には加西の集落が広がる(写真右下)。溜池が点在する景色が特徴的だ。 展望台の下には、兵庫登山会の山名表示があった(写真右)。 |
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笠松山の表示 |
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笠松山から東方(善防山)を望む |
笠松山から北方を望む |
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笠松山展望台から絶景を十分堪能したので、そろそろ下山することにする。 下山路は登ってきた道を戻り、アトリエ館と古法華寺を訪ねてみようかとも思ったが、見ると笠松山の山頂から更に尾根伝いに道が西に延びているようだ(写真左)。そこで、今日は笠松山から更に西に進んでみようと思う。 展望台の下には、西に進むと北条鉄道「長駅」に至るとの表示もある。それに従うことにする。 |
笠松山から西方を望む |
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笠松山の山頂を12:34分に出発する。尾根伝いに更に西に進む。 こちらの道は、笠松山へ登ってきた道と異なり、あまり整備がされていない。 しっかりとした踏み跡があるので昔からの道であることはわかるが、最近はあまり歩く人がいないのだろう。少々荒れた感じだ。蜘蛛の巣も多い。 しばらく進むと、ものすごいシダに覆われたエリアとなった(写真右)。しかし、そのシダの下にははっきりとした踏み跡がある。 |
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シダの道を熊野神社方面へ進む |
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何度か、繁茂した雑草や木々に行く手を阻まれながら、徐々に高度を下げる尾根道を進んで行く。 数箇所に「熊野神社」の表示(写真左)があったので、地元の方が山道の管理をされているのであろう。 荒れた道で、神社の方向を示す看板が現れるたびに「道は間違っていないようだ。」と自分を納得させて進んで行く。 |
熊野神社方面を示す表示 |
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繁茂した雑草と格闘しながら、大小のピークを5回越えて何とか熊野神社まで下ってきた(写真右 13:06)。 少々荒れた感じのする神社だが、境内には土俵の跡形があるので、お祭りの日には地元の氏子の方々により相撲が奉納されるのだろう。普段は静かな山中だが、神社の祭りの日は賑わうのに違いない。 |
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熊野神社 |
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その熊野神社から更に参道の山道を下ること20分で麓の道まで下りてきた(13:25)。 そこから、池と田んぼの間の道を縫うように進み、北条鉄道の長駅までのんびりと歩く。列車の時間は調べていないが、急ぐ理由もない。 ぶらぶら歩いて長駅に到着して時刻表を見ると、やはり待ち時間が1時間ほどあった。田舎は時間がゆったりと流れるものだ。あくせくするのは禁物なのだ。なんて思いながら、何度も何度も時計を見てホームで列車を待つ当方であった。 |
長(おさ)駅 |
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