弁天岩・ナマズ石・荒地山 (お勧め度★★☆) 東六甲【4-9】

今回(平成20年3月2日)は、荒地山の麓に座する、奇妙な名前の岩を訪ねてみた。
Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 今回は久しぶりに、表六甲を歩いてみることにした。芦屋川沿いに遡行し、弁天岩とかナマズ石という岩々を訪ねてみる。
 スタートとなる阪急芦屋川の駅前の広場は、今日も待ち合わせのハイカーでいっぱいである。50人程度は集まっていそうだ。渋滞になる前に駅前を出発する(9:00)。
 川沿いに北に進むとロックガーデン方面に進む道との分岐点が現れる(写真右 9:05)。多くのハイカーはロックガーデンに向かうべくここで左に進むが、当方は川沿いの右側の道に入る。
前方に城山がせまる
前方に城山がせまる
山道の入口  しばらく、住宅街の中のアスファルト道を前方の城山をめざして進む。やがて右手に芦屋動物霊園が見えてくると、そこからが山道の始まりである。
 山道となる場所は広場状になっており(写真左)、そこでも3人のパーティーが山歩きに備え準備運動をされていた。
 また、この辺りは城山の山裾でもあり、城山国有林と表示された看板も立っている。
 山道は石段の登りで始まった。芦屋川の右岸に続くこのルートは、歩きやすい快適な道である。
山道の入口
 少々進んで分岐点となった(9:20)。そこには「火の用心」の看板に、左方面が「城山へ20分」、「ナマズ、弁天 右」と記載されていた。ここは、ナマズ石を目指して右に進む。
 川沿いの道は緩やかな傾斜を伴って次第に高度を上げている。それに連れて、後方には芦屋の市街地が望めるようになってきた。
 ふと気づくと、対岸に大きな丸い円筒状の構築物が見えていた(写真右)。何に使用されているのか知らないが??、その異様な景観が目を引く。
 緩やかな傾斜の川沿い道は、更に前方に続いている(写真下)。
円筒状の構築物
円筒状の構築物
緩やかな傾斜の川沿い道  円筒状の構築物から10分程進むと、道端に案内表示板が掲げられていた。左手側に荒れた小さな谷筋が登っている場所である。それには、谷筋は行き止まりで危険と表示されている。この谷筋を詰めると、城山の尾根筋に至るのであろうが、そこは薄暗い谷筋で、あまり登ってみようという気も沸いてこない。
 次に、荒れた小屋の建つ水場のような所にやってきた(写真下)。水はすっかり涸れている。陽明水といわれるものであろうか?。
緩やかな傾斜の川沿い道
 更に5分ほど進んで、又、水場に至った(写真下)。この水場のやや上部には「宝泉水」との表示がある。水を汲むための、まだ新しい容器が放置してあることからすると、最近までは水が湧き出ていたのかもしれない。しかし、現在はすっかり涸れている(冬場は涸れるのかも??)。
 環境の破壊が進み、水も出なくなったのか。
 宝泉水を過ぎると、すぐ前方に堰堤が現れた。道アゼ谷砂防ダムである。このダムの周辺には土石流を感知するワイヤーセンサーが設置されている。ワイヤーが切れると警報が鳴り、土石流の発生を知らせるのであろう。このダムの上流の谷が道畦谷である。
陽明水?
陽明水?
宝泉水  道アゼ谷砂防ダムを過ぎると、急な岩場の斜面を一気に登ることになる。登りきった所は展望が良く、ここでしばし休憩する。西側には城山から荒地山に続く山並みが望め、南方には芦屋の市街地が広がる。
 ここで道は二手に分かれている。左は荒地山に続くもので、右に下っているのがナマズ石方面への道である。
 その道をやや下ったあと、又登り返して、右下にヘアピンカーブの車道が間近に見えてくると、すぐナマズ石に到着となった(写真下 10:00)。
宝泉水
 ナマズ石は阪神大震災で、荒地山の山頂付近(ナマズすべり)にあったものが、この場所まで転がり落ちたものとされる。地震で移動した石では最大のものと説明されている。この、ナマズ石の名前の由来は・・地震を引き起こしたナマズが動かした石・・・からきているそーだ。知らなかった。
 また、石の表面の文字のようなものは弥生時代に書かれた中国古代文字(ロンサン文字)とされる。稲作の文化を大陸より伝えた古代人により書かれたものといわれる。この石には、壮大な歴史浪漫を感じる。ナマズ石についてはこのサイトが詳しい。
ナマズ石
ナマズ石
弁天岩上部  
 このナマズ石を左から回るようにして先に進むと、すぐ楔を打ち込まれた跡のような穴がつけられた大岩が右手に見えてくる(写真左 10:04)。これが、弁天岩の頭部である。
 この岩には、次のような面白い言い伝えが有るようだ。「その昔、長く干ばつが続いたとき、雨乞い行った山伏が、芦屋沖でつかまえたフカを滝の近くの平らな石に据え、三日三晩祈り続け、三日目の夜に大きな包丁でフカを突き刺し、その血を水神さまの祀ってある弁天岩に振りかけた。すると、水神さまは弁天岩の汚れた血を洗い流すため、即座に大雨を降らせたそーな!」 六甲山上にある「石宝殿」の言い伝えに通じるものがある。
弁天岩上部
 弁天岩は、車道沿いに、まるで壁かと見間違うような大面で座している(写真右)。詳しく観察すると、それは一枚岩ではなく、大きな3つの岩の集合体であることがわかる。
 この弁天岩の近くに、フカを切った「フカ切り岩」と呼ばれる平らな岩があるようだが、その岩は確認できなかった。
 以上の、「弁天岩とフカ切り岩」のことについては、こちらのサイトが詳しいので参考とされたい。
弁天岩
弁天岩
鷹尾第二堰堤  この弁天岩の上部には、白山大神・白神大神が祀られている。これら大神を過ぎると車道に突き当たる。
 この場所には荒地山方面に続く山道の標識が立てられている。同時に、「このコースは大震災で寸断されて危険なので当分の間閉鎖する」旨を記載した看板も芦屋市により設置されている。この道は震災前は利用できたが、今は未整備なままのようだ。
 なお、この大震災で寸断された荒地山への道はこちらのサイトが詳しい。
鷹尾第二堰堤
 白山大神・白神大神のところから車道を下るようにして越え、カ−ブ6のところから再び山道に入る(10:06)。
 左手に、今まで見たことがない奇妙な形の堰堤を確認しながら、大きな飛び石を伝い川を渡る。この堰堤は鋼製の格子型ダムで、ジャングルジムのような形をしている。土石流と共に流木を食い止めることができるのだという。名称は鷹尾第二堰堤で13mの高さがある。この堰堤の右側から急な斜面を登る。
 斜面を登りきった所は、歩きやすい道となっていた(写真右)。
水道施設の上?を歩く
水道施設の上?を歩く
荒地山を望む  いや、いや、どうやら単なる道ではないようだ。何やら水道施設かそれに類するもの(水路)が敷設されているところの上部のようである。しかし、歩きやすそうなルートであることに違いはない。
 これからの進路はここを北に向かうのであるが、この歩きやすい道は南にずっと続いている。そこで、少し南に進んでみた。
 すると、西側の下方に、先程探索した弁天岩がその全貌を見せていた。また、その上部を見てみると、ちょうど正面に、荒々しく岩をちりばめた荒地山の山肌が確認できた。ドーンと座した荒地山の山裾を、小さな車が行き交っていた(写真左)。
荒地山を望む
 荒地山の雄姿を確認した後、その歩きやすい道を北に向かい進み始めた。歩きやすさに任せ、スピードを上げると一気に車道まで出てしまった。どうやら、右に入るポイントを見逃してしまったようだ。
 少し後戻りすると、そのポイントがあった。(写真右)。「奥池、東お多福山へ」と表示がされている。
 ここからは、しばらく登り道が続く。谷から尾根に向かい一気に高度を上げるという感じである。
 10分程登って平坦な山腹道となった。ここから、さらに北を目指す。
奥池、東お多福山方面への表示
奥池、東お多福山方面への表示
芦屋カンツリーへの道から荒地山へ  八幡谷の堰堤であろうか、そこから流れ落ちる沢を渡り、更に進むとやがて、芦有ドライブウェイの料金所が見えてきた。
 料金所手前でも右手側に堰堤が現れた。この堰堤に向かい道が右手に分岐している。これは石仏谷にそって、奥池に続く道なのであろうか??。当方は、この堰堤の前で沢に降りて、車道の下を潜るようにして西に進んだ。そこで、芦屋カンツリー倶楽部へと続く車道に合流する。すぐゴルフ場の入口となり、関係者以外立ち入り禁止との表示に、しばしたじろぐ  ・・(^_^;)
芦屋カンツリーへの道から荒地山へ
 地図を調べると、荒地山へのルートはゴルフ場への道を少し進んだところから左に入っている。
 安心して少し進むとそのポイントはすぐに分かった(11:12 写真上)。ゴルフ場へ続く車道のガードレールの切れ目から、沢に下る。雑木林の中を少々進んで、すぐに大きな岩のごろつく急な登りとなった。荒地山にふさわしい感じだ。ここで、下ってくる6人のパーティーに遭遇した。挨拶を交わしてすれちがう。
 考えてみると、ジャングルジムのような形の鷹尾第二堰堤のところから、ハイカーにはお会いしていなかった。弁天岩から北のルートは、歩く人が少ないのだろう。
荒地山の雑木道
荒地山の雑木道
荒地山頂上を示す標識  荒地山への急な登りを15分程で一気に登り、額にうっすらと汗がにじみ始めた頃、平坦な雑木林の道となった(11:27 写真上)。
 更に20分程、山道は緩やかな上り下りを繰り返したのち、荒地山の主稜線に合流した。
 少し進んで分岐点が現れた。右が荒地山の山頂で、左は大きな岩の連なる展望の良い場所へ至る。その旨の表示も立てられている(写真左)。
 その展望の良い岩場で昼食をとるべく、ここを左に進む。すると、3分程で、眼前に絶景が広がった。
荒地山頂上を示す標識
絶景の広がる荒地山の岩場1 絶景の広がる荒地山の岩場2
絶景の広がる荒地山の岩場1 絶景の広がる荒地山の岩場2
 荒地山の岩場からの展望はいつ見ても素晴らしい。南には鷹尾山の小ピークの向こうに芦屋の市街地と瀬戸内海が見渡せる(写真上)。西に目を転じると、風吹岩の方からハイカーの歓声が聞こえてくる。ちょうど風向きが、風吹岩の方からこちらに向かっているのだろう。更に北の方を見やるとなかみ山を越えて遠くに六甲最高峰辺りの連なりが見えている(写真右上)。目を下に転じると、大岩のテラスで先客が遠くの山々を見やり、歓声を上げていた。(11:27 写真右)。 荒地山岩場のテラス
荒地山岩場のテラス
なかみ山山頂  荒地山の岩場で昼食を済ませ、そこからの眺めも堪能したので、次に荒地山頂上に向かうことにした(12:00)。
 山頂へ続く山道は笹に覆われている。その道を10分程進み荒地山頂上に到着した。ここは広場状になっているが、木々に遮られて眺望はない。しかし、4組11名ものパーティーが、それぞれ適度な距離をおいて、食事を楽しんでおられた。
 この山頂には近辺の入り組んだ山道の地図が掲げてある。やや文字が消えかかっていて見難いが、これで次に進むルートを確認した後、なかみ山を目指して出発した(12:15)。
なかみ山山頂
 なかみ山への道も深い笹に覆われている。荒地山の山頂から5〜6分程度でなかみ山に至った(写真上)。ここは笹に覆われたちょっとしたピーク状の箇所でしかなく、注意して確認しないと通り過ぎてしまうだろう(写真右)。
 何年か前に、ここで山名が書かれた真新しい板を見つけ、ここが「なかみ山」だと知った。その札も今は古びて、文字も読みにくくなっていた。古びていく板に、思わず時の流れの速さを感じてしまった。
 なかみ山を過ぎるとすぐに道が左右に分岐した。右はゴルフ場の方に下り、雨ケ峠から六甲山最高峰へ続く。左は魚屋道へと至る道だ。
なかみ山山頂の様子
なかみ山山頂の様子
石だるま  ここでしばし思案の後、今日は魚屋道から岡本に下り、保久良神社の梅林を見て帰ることに決め、分岐点を左に進むことにした。
 すぐに、眺めの良い岩場に至るも、ここも先客が荷物を広げている。邪魔をしないよう、即座に通り過ぎる。次に、岩場の急な下りとなった。慎重に足場を確認しながら下っていく。やがて、雑木と笹で覆われた林の中の水場に到着した。ここでも3名のハイカーが湧き出る名水を使用して、なにやら炊事をしている。お邪魔にならないようすぐに通り過ぎる。
石だるま
 この水場の少し下に、この辺り一帯の枝道が記された地図があった。この地図によると、荒地山、なかみ山の連なりと、南の風吹岩に挟まれた高座谷の一帯は、色々な道が縦横に走っていることがわかる。その地図には、アカシヤ尾根、細井道とかウグイス広場などの聞いたことのない名称、地名も書き込まれている。この一帯は探索してみると、結構楽しいワンダーな区域かもしれない。
 そんなことを考えながら、一帯をさまよっていると、石だるまに遭遇した(写真上)。さっそくワンダーなものに遭遇してしまったのだ。
岡本の市街地が見えてきた
岡本の市街地が見えてきた
咲き始めた保久良梅林の紅梅  アカシヤ尾根やウグイス広場はどこだろうと、この辺りを30分程さまよった挙句、風吹岩の少し南のロックガーデン中央稜にたどり着いた。未知の地域を探査して歩き回るのは中々面白かった。
 風吹岩からは魚屋道を金鳥山方面に向かって下って行った。途中、小学生の団体に追いついた。引率の先生の後ろに連なって、子供達の元気な声が山中にこだましている。
 金鳥山を過ぎ、やがて前方に岡本の市街地が見えてきた(写真上)。
咲き始めた保久良梅林の紅梅
 更に下って、保久良神社の梅林には1時30分頃到着した。梅の花はまだ蕾のものが多く、三分咲きのものがちらほらあるという程度である(写真上)。しかし、お客さんは結構入っている。保久良神社にお参りがてら、梅林の散策へと繰り出される方も多いのだろう(写真右)。
 来週辺りには五分咲きとなっているかも・・・などと思いながら神社の急なつづら道を下り、阪急岡本駅には2時の到着であった。
保久良神社の梅林
保久良神社の梅林
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