清水谷道・譲葉山四峰 (お勧め度★☆☆) 東六甲【4-25】 |
六甲の北側・西宮市山口町。ここは古くから多くの街道が交わる要所であったという。この山口町船坂から船坂峠をへて鷲林寺へ抜ける街道を清水谷道(船坂間道)といい、船坂から西宮への生活道路であったと聞く。今日(平成28年9月24日)は清水谷道を縦走路まで辿り、そこから譲葉山のピークを探索してみたい。なお、譲葉山の探索は「やまぼうしとハナミズキさんのHP」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。 |
JRさくら夙川駅からさくらやまなみバス に乗り込む(9:15)。地元の方からハイカーまで、さくらやまなみバスの利用者は多く、バスは満席である。道中でも客を拾いながら混雑さを増していたバスも、「かぶとやま荘」バス停で多くの客を下ろして身軽になると、西宮北有料道路の盤滝トンネルを爆進する。 バスは西宮市内での渋滞により、少々遅れて舟坂橋バス停に到着した(9:59)。バス停横の船坂の大きな交差点にはコンビニがあるので、食料、飲料の調達はここで行う。コンビニから有馬街道を宝塚方面に少し戻る。街道沿いの左手側には舟坂山王神社が鎮座する(10:04)。 |
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清水谷道 石の道標 | |
舟坂山王神社は承応二年(1653年)創建との案内が立っている。秀吉の三木城攻めの頃の説明もあり、この地域の歴史の古さが窺える。 舟坂山王神社を過ぎると、有馬街道から地道が南に分岐している(10:05)。ここには古い石の道標が残っている(写真左上)。「右 西宮 左 大阪宝塚」と彫られた石の道標の脇には真新しい「清水谷道(山口町徳風会)」の表示もある。ここから、清水谷道が始まる。 清水谷道は、船坂から船坂峠をへて鷲林寺へ抜ける街道で、江戸時代は「船坂間道」と呼ばれていたらしい。ここからは、西宮へ抜ける街道として時代を重ねた清水谷道を、歴史の名残を確認しながら歩いてみたい。 |
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清水谷道 分岐 | |
石の道標から4分進むと、右に細い道が分岐する(10:10)。消防の赤いホース格納箱が目立つ交差点で、ここで右の細道に入る。細道の入口には「清水谷道(山口町徳風会)」の表示と共に、クレシンの飛び出し坊やもあるので分かりやすい(写真上)。 細道に入るとすぐに右手側にある茅葺の古い民家に目を引かれる(10:11)。さっそく歴史の名残が登場した。 茅葺古民家には案内の看板があり、それによれば、ここは「旧坂口家」住宅とされ、船坂にある四件の茅葺古民家のうちの一つと説明されている。 |
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清水谷道の茅葺古民家 | |
江戸時代末期の築とされる古民家には歴史を感じるが、頽廃感はなく手入れがされているように見える。それは、有志により、建物に再生活動が施されているからで、昔を大切にする方々の姿勢にエールを送りたい。 古民家を過ぎると登りがきつくなる。集落の中の舗装された細い坂道を登って行く。坂の勾配がどんどんきつくなり、山域に入ってもまだ舗装路である。路面は苔むし落ち葉も多いが、見ると傍らには民家もある。 最後の民家を過ぎると、やがて舗装路が途切れて土がむき出しの道となる。土の道は、路面が荒れ、大小の石がごろつく歩きにくい状態だ(写真左)。 |
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ガレた山道の清水谷 | |
道幅は広く、往時の利用は多かったのであろうが、長年の雨水にさらされ、荒廃した感じだ。今日の天候は曇りで、陽が射さず、おまけにこの辺りは樹木が繁茂し、薄暗い。数日来の雨続きでジメジメ感も漂い、快適な山歩きとはほど遠い中、足元の石ころに注意を払いながら一歩ずつ登って行く。 すると、足元でキノコを発見した。黒地で白い斑点がある。丸い感じはかわいいが、全体に毒々しく、あやしい雰囲気を漂わせている。 この季節はキノコが多く、その観察も楽しいかもしれないなどと思いながら進んでいくと、倒木の目立つエリアとなる。しかし、倒木で歩行が困難というぽどではない。 |
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清水谷道の毒?キノコ | |
石ころ道では、小さなケルンが何か所も道脇に作られていた。次に、大きなケルンが登場して(写真左)、そこで道は左へ曲がっている。幅広だった石ころ道もここからは細くなり、足元に背の低い笹が広がる山道となる。 細い山道になると、大きく蛇行するようなつづらの道となってどんどん高度が上がっていく。 陽が射さず、薄暗い感じは依然続くが、石ころ道よりは楽しく歩ける。 古民家を過ぎて以降、清水谷道の歴史の名残は見つからないなー・・・と、思いながら登っていると、前方が明るくなってきた。 |
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ケルンで左折する | |
峠も近づいたようだと感じたところで、前方から下ってくるハイカーとすれ違った。清水谷道で初めて人とお会いした。挨拶を交わしてすれ違うと、そのすぐ先が、船坂峠であった(写真右 10:52)。 清水谷道は、最初、小岩がごろつくガレた道で、次に樹木帯の中を登る薄暗い道であった。 さて、船坂峠で小休止をはさみながら、一つ思案した。清水谷道が西宮への間道(抜け道)であれば、船坂峠からさらに西宮側にルートがあるはずである。地形図では、破線の記載があるが、船坂峠から西宮側を窺うと笹が茂り、踏み込んでいけるよう感じがしなかった。歩けるような気もするが、探索はまたの機会にしたいと思う。 |
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船坂峠(六甲縦走路に合流) | |
船坂峠からは縦走路を東進し、譲葉山を目指す。何か所かある譲葉山のピークの探索を今日は行う予定だ。 縦走路に出ると、多くの人が行き交っている。静かだった清水谷道と対照的だ。 大平山西側のピークに到着(写真左 11:29)。NTTの大きな電波塔を見上げる。ここでフェンス周りを探索するも、三等三角点(西山)の探索を失念していた!! |
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大平山 | |
次に、大平山東側のピークを探索(11:37)。ここは、フェンスが二重に張り巡らされ、塔には近づけない。フェンスの周りは踏み跡多く、探索の人が結構歩いている感じだ。 大平山を過ぎて大谷乗越手前までやってきた(写真右 12:07)。ここは、急勾配・急傾斜でおなじみの兵庫県道82号(棚越新道)と縦走路が交差する地点である。ここで斜度のきつい階段を一気に下って県道に出る。下り階段にはロープがあるが、すこぶる急で、くれぐれも慎重に下りたい。たまに、急スピードで突っ込んでくる車両に注意しながら県道82号を渡り、さらに、縦走路を東進する。 |
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大谷乗越 | |
縦走路を東に進み、岩原山分岐に至る(12:25)。ここには、近畿自然歩道の大きな道標NO33が立つ。 ここから、岩原山方面とは反対の南東に踏み跡が登っている。この道標の分岐が譲葉山西峰への取付きとなる。 踏み跡に入るとすぐ道が左右に分岐する。左は譲葉山西峰への道で、右は譲葉山西峰の南側山腹を迂回する道のようである。 ここは譲葉山西峰を目指して左に登る道を進む。 5分ほど踏み跡を拾いながら進むと一帯のピーク状の場所に至った。 |
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譲葉山西峰 | |
そこには譲葉山西峰を示す表示はなかったが、赤や白の紐が小木に結びつけてある(12:33)。踏み跡もこの辺りで散逸している。 おそらくここが、譲葉山西峰であろう。木立の中でまったく展望はない場所である。 なお、国土地理院地形図には標高の記載はないが、国土地理院の任意の地点の標高値を確認できるWebシステム(以下、「地理院標高システム」と表記する。 )では、553m位の標高になっている。周辺を探索すると、宝塚ゴルフ倶楽部所有地の古い看板と、写真右の米印の彫られた石柱が確認できた。 |
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米印の石柱(譲葉山西峰) | |
譲葉山西峰の探索を終え、また、縦走路の岩原山分岐まで戻ってきた(12:40)。さらに縦走路を東に進む。 縦走路から北側に道が下っている分岐に至る(12:45)。これは赤子谷右俣方面に下る道だろう。さらに東に進み、明確な踏み跡が南に分岐する地点に至った(写真左 12:50)。ここは、岩原山分岐から7分ほど東に進んだところだ。切り倒された丸太が転がっているのでわかりやすい。 この分岐は、今日の下山路に予定しているエデンの園へ下る道の分岐であり、かつ、譲葉山中峰への分岐でもある。 |
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譲葉山中峰への分岐 | |
転がる丸太の脇から踏み跡に入っていく。 エデンの園へ下る道から左にそれて、雑木の中の斜面の踏み跡を登っていく(12:50)。 踏み跡と共に赤や白のテープがにぎやかに進路を誘導してくれる。 3分ほど登って一帯のピークらしきところに至った(写真右 12:53)。 細い木に赤や黄色のテープがにぎやかに巻かれている。併せて「譲葉山」、「中峰」と書かれた小さな白い札が木に結ばれており(写真下)、これでここが譲葉山中峰と知れる。 |
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譲葉山中峰 | |
譲葉山中峰には、松の木の脇に石積みがあるが、これは「やまぼうし」さんによると、1991年製兵庫労山の「譲葉山」標柱の跡らしい。ここも、譲葉山西峰と同様に展望は全くない。 なお、地形図には譲葉山中峰の標高の記載はないが、地理院標高システムによると、おおよそ523.5m程度のようだ。 |
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譲葉山中峰の表示 | |
譲葉山中峰から、また、縦走路に戻り、東に進む(12:58)。すぐに、赤子谷右俣の分岐に至る。ここには、六甲全山縦走路・近畿自然歩道の標柱があり、それが赤子谷分岐を示している(写真右 13:04)。この分岐から、東南側の斜面に踏み跡が登っている。 この踏み跡に関する表示はないが、ここが譲葉山北峰への取付きであり、直ちに突入する。急な斜面を登ると明確な山道になる。古くからよく歩かれていたルートの様相だ。 |
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譲葉山北峰への取付き | |
紐やテープの誘導があるが、明確な道なのでそれは不要だ。 すぐに一つ目のピークに至る。木立の中で展望はない。ここには古い磐座があるようだが見落としてしまった。 一つ目のピークを越え、登り返して二つ目のピークに至る(13:13)。ここが譲葉山北峰となる。 地形図では譲葉山北峰の北側のピークに譲葉山の表記がある。標高の記載はないが、地理院標高システムでは520m程度のようだ。 譲葉山北峰の北側のピークでは磐座が確認できた(写真左)。やや崩れた感じだが、供えの水差しが置かれ、お祀りされているあとがある。 |
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譲葉山北峰 | |
磐座に手を合わせた後、譲葉山北峰を後にする。 縦走路に戻る途中で分岐がある。ここは東側に下る。 足元に笹が繁茂する場所で、六甲縦走路に出た(13:18)。そこは細い木に白テープと赤紐の表示がある場所だった(写真右)。 |
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譲葉山北峰から縦走路に合流 | |
さらに、縦走路をはさんで向かいの南側にも踏み跡が分岐している。 笹を踏み分けるように南東方向に道が伸びている。入口には白や赤のテープ表示がにぎやかで、すぐわかる(写真左)。 ここが譲葉山東峰の取付きである。譲葉山東峰を目指し踏み跡に突入する(13:18)。 |
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譲葉山東峰への取付き | |
4分ほどで紐やらテープやらが目立つ一帯にたどり着く。譲葉山の登頂札も掲げられている(写真左)。ここが、譲葉山東峰である。 ここも木立の中で見通しはきかない。地形図では514mの表記がある。 ちなみに、地理院標高システムで計測すると509.7mと表示される。どうやら、地理院標高システムは誤差がマイナス4m程あるようだ。 これで譲葉山4峰を確認したので、縦走路に戻る(13:25)。 |
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譲葉山東峰・登頂札 | |
次は、先ほど確認した譲葉山中峰の取付き地点までもどり、そこからエデンの園へ下る道を下山路としたい。 縦走路を西進して譲葉山中峰への分岐までもどってきた(13:32)。すぐに分岐に入り、エデンの園に向かい下り始める。道はまっすぐに下っている。傾斜も急で、脚に力を入れ、踏ん張りながらゆっくりと下ることにする。 下り始めて、すぐ、木にかけられた小さな札が目に入った。見ると達筆で「慈癒の小径(じゆのこみち)」と表示してある。磐座社⇔譲葉社との表示もある。どうやらこのルートは麓の譲葉社と頂の磐座社(譲葉山北峰の磐座若しくは岩倉山の磐座か?)を結ぶ、参詣道であるらしい。 |
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慈癒の小径の表示 | |
慈癒の小径は参拝道として利用されていただけあり、しっかりとしたルートである。 ただし、一直線の急な下り道で落葉も積もり滑りやすい。 しかし、今日の慈癒の小径はイノシシが掘り返してふわふわとなった土が、ちょうど滑り止めとなって好都合であった。 |
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慈癒の小径 | |
10分ほど下って、木に白いテープが巻かれ「→シャカ谷西尾根を経て縦走路」の表示が登場した(写真右 13:41)。 ここで東北に登る道が分岐しており、それはシャカ谷西尾根に続く道ということだろう。 ここはそのまま下って行く。 |
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シャカ谷西尾根分岐 | |
依然として、幅広の急勾配の下り道が続き、滑らないよう一歩ずつ慎重に下っていると、麓の方から次第に水の流れる音が聞こえてきた。焼石ケ原の水音だろうか・・。麓が近づいたことが知れる。 やがて尾根の端のような所を経て、コンクリート堰堤まで下りついた(写真左 13:53)。 この堰堤は「ナダウラ堰堤」で、昭和56年の竣工とある。 堰堤脇の階段を下ると、堰堤から流れ出た水路に沿って下り、すぐに民家脇に出てきた(13:56)。 |
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ナダウラ堰堤 | |
民家の先からは舗装路を下る。 焼石ヶ原の入口で、進入禁止の大きな表示が目に入る(14:00)。脇に防犯カメラの設置もある。厳重な警戒である。 ゲートに車両進入禁止とあるが、その脇は歩行者がすり抜けていった道がしっかりついている。 人の侵入は禁止されていないのだろうか。いや、「私有地につき進入禁止の」表示もあり、発見したら警察に通報との表示も・・・! 防犯カメラは作動しているのかと覗き込みながら、ここで時間を無為にロス。 ^o^;; |
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焼石ヶ原の入口 | |
焼石ヶ原の入口を過ぎ、エデンの園に到着(14:09)。エデンの園バス停で時刻表を確認すると、バスは4分前に出たとこだった。先程、焼石ヶ原の入口で時間をロスしたことが悔やまれたが、いたしかたない。次のバスは14時35分で、30分弱の待ち時間だ。もう少し歩いて、宝塚西高校前バス停まで下って行くことにした。 ぶらぶらと、ゆずり葉緑地内を散策し、モニュメントも確認しながら、20分かけて宝塚西高校前バス停まで歩く。宝塚西高校前バス停に着いて時刻表を確認すると、ここもバスは5分前に出たとこだった。不運・・・・・!バス停のベンチでしょんぼり次のバスを待ちながら、今日の山歩きを終えたのであった。 |
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ゆずり葉緑地のモニュメント |
●後日(平成28年10月15日)、譲葉山北峰を再度探索し、南側の祠を確認した時の記録はこちら。 |
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