大師道・蛇ヶ谷・神仙寺道 (お勧め度★★☆) 表六甲【1-45】 |
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大師道の取付きには阪急花隈駅が便利だ。駅から北に登って行けばいいのでわかり易い。阪急花隈駅で下車して東口から地上に出る(8:33)。駅のすぐ西側の舗装路(花隈中央通)を北に登っていく。すぐに、福徳寺の塀の上からのっぽな仏像のお顔が見えてくる。福徳寺は、その境内が花隈城の天守閣の跡と伝えられ、城好き、歴史好きにはには知られた場所らしい。仏像を見上げて、早速、コロナ禍の終息を祈って目礼し、先に進んでいった。 |
阪急花隈駅 |
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花隈中央通の舗装路を進んでいくと、広い車道(西神・山手線)に突き当たる。この角地には神戸教会があり、その前で大きなイチョウの木が黄色い葉をまだ残していた(8:40)。ビルの谷間でイチョウの黄色がいろどりをそえている。西神・山手線は、下山手歩道橋で越えていく。 |
神戸教会前のイチョウ |
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中央労働センターや中華同文学校の大きな建物を脇に見ながら進んでいくと、諏訪山公園前で車道に突き当たる(8:50)。ここで横断歩道を渡ったところが、大師道の取付きとなる。諏訪山公園の角の石垣には「←大師道(再度谷)」のプレートがはめ込まれている。 |
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大師道の取付き |
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諏訪山公園と関西国際大神戸山手キャンパスに挟まれた舗装路を登っていくと、道端に丁石が立てられている(写真左は「十九丁」の丁石)。きれいに祀られた丁石を確認しながら大師道を進む。大師道は、再度谷川の細い流れに沿って緩やかに登っている。再度谷川沿いには紅葉が多く、まだ紅葉の名残が楽しめる。 |
大師道の丁石 |
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再度谷川沿いに疎らに続く民家や、その周囲の紅葉を確認しながら大師道を登っていく。川沿いには、「五本松稲荷大明神」と書かれた古い小さな祠も確認できる。もう、忘れ去られたかのような古い祠だが、往時は大師道を行き交う人が手を合わせて行ったのだろう。やがて、燈籠茶屋下の市民トイレの前で橋を渡る(9:12)。再度谷川に架かる稲荷橋で、この周囲も紅葉の名残がきれいだ。 |
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稲荷橋より |
稲荷橋を渡ったところで、諏訪山公園からのハイキング道が合流してきた。この一帯は、散り落ちた紅葉の赤が山肌を染め上げて、癒される景色になっている。ここは、紅葉の盛りの頃は、更に見事であったろうと思われた。来年は、その頃に尋ねてみようと思いながら、大師道を進む。 |
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稲荷橋附近 |
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再度谷川 |
紅葉残る大師道 |
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次に大師道はつづらになって高度を上げ、その先、長い階段道(写真上)で多々部堰堤を越えた(9:23)。堰堤を越えると、大師道は再度谷川の左岸右岸と、いそがしく流れを渡る。 やがて、八丁の丁石のところで道が切り返しになり、更に階段道や坂道を登って行って二本松林道に合流した(9:45)。 |
再度谷川沿いを進む |
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二本松林道との合流点は、ちょうど猩猩池のある場所(写真右)で、池畔のベンチでは3組4名+一匹のワンちゃんが休憩中だった。 猩猩池の水は少なくなっていたが、この池は、その昔、下流の村々の灌漑のために人口で掘られた池であったらしい。池の脇に、その謂れが書かれた古い石碑と、案内看板が立っていた。 |
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猩猩池 |
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猩猩池の案内表示の記載要旨 「土地が高く水が乏しい村では、日照りの年はいつも水に苦労した。心配した花隈村長は、文化12年に村民の意見をまとめ、代官の許可を得て池の工事に着工した。翌年8月水深約25mの池が完成した。村人たちは池の完成を喜び酒樽を用意し池のほとりに代官を迎え、猩々の謡曲で宴に興をそえた。よって、この池は猩々池と呼ばれるようになった。 |
猩猩池の碑 |
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仁王門から大龍寺へ |
大龍寺の赤鳥居 |
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猩猩池からは大師道をもう一登りで六甲縦走路に合流する(10:00)。その合流地点は、大龍寺の仁王門下で自販機の設置がある。 仁王門から赤鳥居の階段道を登って大龍寺境内に到着した。さっそく、コロナの終息をお大師様にお祈りした。ここ、大龍寺は、768年に和気清麻呂によって再度山山頂近くの南斜面に開かれたとされる寺院であり、六甲縦走路が通っているので、ハイカーの参詣も多い。 |
再度公園 |
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大龍寺から再度公園に向かう。縦走路から再度越えに入り、すぐに再度公園の修法ヶ原池に到着した(写真上 10:18)。修法ヶ原は Shiogahara と読む。この再度公園、修法ヶ原池周辺は、よく整備されていて、訪れる人も多い。当方も、修法ヶ原周辺を散策していたら、どす黒い一団の雲から、細かい雨が落ちてきた。空には青空の箇所もあるので、ひどい雨にはならないだろうが、公園を後にて、蛇ヶ谷に進むことにした。 |
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蛇ヶ谷への道標 |
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再度公園の東側の再度ドライブウェイの方に進み、ドライブウェイの下をもぐっているトンネルから、蛇ヶ谷に向かった(10:32)。 トンネルの手前にも「←蛇ヶ谷」の道標があった(写真左)。それによると、「蛇ヶ谷」の読みは「Jagatani Trail」となっている。あれれっ!!、当方は「蛇ヶ谷」は、「へびがたに」と読むものと思い込んでいた。これは大失態だった。固有名詞にはアルファベットの表記があると万全だと感じた。 |
「←蛇ヶ谷」道標 |
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トンネルをくぐって「じゃがたに」に入っていく。すぐに階段の下りとなる。この下りで、女性ハイカー3人とすれ違った。その先数分で、また2人の女性とすれ違った。蛇ヶ谷は歩く人が多くなったなーと、思いながら進んでいくと、「迂回路」の表示が登場した(写真右 10:35)。ここには道標もあり、迂回路が「分水嶺越」に向かう道であることを示している。平成30年の台風により、二十渡渉が、あじさい広場下で山道崩落が発生した。その迂回路がここに作られているのだった。 |
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「←迂回路」道標 |
その「←迂回路」の道標の近くには、「蛇ヶ谷」の説明看板が立っていた。説明の要旨は次の通り。「その昔(神護慶雲年間)、清麻呂公が塔を建立するため、再度山へ登っていたとき、道鏡の放った刺客に今にも殺されそうになった。そのとき、どこからともなく大きな龍が現れて清麻呂公を危機一髪のところで救出した。清麻呂公は、それに感謝し、この山の頂上に大竜寺という名の寺を建立したのである。」 |
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「蛇ヶ谷」看板 |
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和気清麻呂といえば、宇佐八幡宮から「道鏡を早く掃い除くべし」との神託を持ち帰り、道鏡の怒りを買って、左遷された上に刺客まで放たれたが、雷雨などに救われたという伝承があるが、ここでは大龍に救われていた。蛇ヶ谷は、歴史に残るような道だった。 |
石畳の蛇ヶ谷 |
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その先、蛇ヶ谷は石畳などでよく整備された道が続く。周囲に紅葉も多く、もう少し早い時期には、秋色がきれいだったと思われた。来年は、紅葉の盛りの頃に、ここにも足を運びたいと思いながら、蛇ヶ谷はを下って行った。歩きやすい道で、更に3組のハイカーとすれ違いながら、やがて六甲縦走路に合流した(10:50)。 |
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紅葉が積もる蛇ヶ谷 |
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六甲縦走路合流地点からは、市ヶ原に下って行く。この道は再度山のちょうど東側に位置するので、再度東谷とよばれる。再度東谷でも周囲の紅葉が路面を赤く染めていた(写真左)。縦走路の再度東谷は、行き交うハイカーが多い。この様子では、市ヶ原も大勢のハイカーで密ではないかと危惧しながら下っていったが、・・・・。 |
再度東谷 |
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やがて、市ヶ原に到着(11:00)。いつもにぎわう市ヶ原の河原は、今日はどんよりとした冬空の下で、一組の親子だけが遊んでいた(写真右)。しかし、静かな河原から階段を上がって櫻茶屋前に至ると、景色が一変した。多くのハイカーがトイレに並び、自販機で飲料を調達していた。これは、満員電車並みで、いそいで通り抜けた。 |
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市ヶ原 |
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市ヶ原の茶屋の前を急いで通り抜け、その先、右手側の世継山の山頂に布引ハーブ園の屋根を望みながら坂道を登っていく。ひと登りすると、摩耶山に続く稲妻坂が分岐した(11:11)。その先4分で、地蔵谷分岐の道標が立っている(写真左 11:15)。この「地蔵谷を経て摩耶山」と表記された道標から地蔵谷道に入って行った。 |
地蔵谷分岐 |
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地蔵谷の流れの左岸を進むとすぐ石階段となって高度が上がっていく。やがて堰堤まで登りついて、石階段は堰堤越えの為だったことがわかる。堰堤は「地蔵谷堰堤」で(写真右下 11:20)、近くには古い「地蔵谷」の道標も立っていた(写真右)。 |
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地蔵谷道 |
この「地蔵谷堰堤」のところで、上から一人の男性が下ってきた。挨拶を交わしてすれ違ったが、その男性が下ってきた道を「地蔵谷」道だと無意識に思いこんで、その坂道を登って行った。坂道はいずれ地蔵谷の流れに下って行くものと思って進んだが、道は斜面をつづらに登っていき、地蔵谷の流れはどんどん遠のいていってしまった。 |
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地蔵谷堰堤 |
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おかしいなと思いながらも更に登っていくと尾根に登りついた(11:26)。道を誤ったかもと思ったが、とりあえず、その尾根を登って行くことにした。尾根道は急で(写真左)、どんどん高度があがる。その尾根道をだいぶ登ったところで、一人の男性が休憩されていた。そして、その方から「珍しい道を歩かれていますね。」と、声をかけられた。 |
急尾根を登る |
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その方と山の話になり、この道が「廃道」であることを教えてもらった。男性の話では、この道は地蔵谷から稲妻坂に登る道で、今は廃道になっているという。現在、布引オリーブ園があるところに、昔はゴルフ場があって、そのせいで稲妻坂が通れず、迂回路としてこの道が新設されたらしい。その後、ゴルフ場がつぶれ、稲妻坂が通れるようになったので、この迂回路は廃道とされたようだ。知らなかったとはいえ、当方は、廃道に入り込んでしまったようだ。下記(注)参照 |
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稲妻坂に合流 |
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男性に色々教えてもらったことのお礼を言い、更に、尾根を登っていくと、すぐに稲妻坂に登りついた(11:35)。登りついたところは、板で侵入防止がなされた場所だった(写真上)。それは、稲妻坂を歩いていて、何度も目にした場所で、「どこに続いているのかな」と思っていた場所だった。 |
布引ハーブ園分岐 |
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さて、稲妻坂まで登ってしまい、当初の地蔵谷を歩く目論見がはずれてしまったので、急遽、本日の予定を変更することにした。ここから、学校林道分岐まで登って、そこから学校林道を下って、神仙寺道で麓までおりることにした。 人の多い、稲妻坂を進むと、すぐに布引ハーブ園分岐分岐となる(写真上 11:42)。その先、更に登って、学校林道分岐までやってきた(写真右 12:07)。 |
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学校林道分岐 |
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分岐から学校林道を下って行く。学校林道は落葉の積もった歩きやすい道だ。途中、倒木が道を塞ぐ箇所もあるが、歩行が困難というほどではない。しっかり踏まれた道で、学校林道は歩く者も多い。 途中、「神戸市役所 九十一号」と彫られた古い石柱も残っていた(写真左 12:21)。 |
神戸市役所の石柱 |
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学校林道の鉄塔 |
旧摩耶道と交差 |
ずっと下っていた学校林道が少し登りになった個所は高圧鉄塔の立つ場所で(写真上 12:24)、ここには4本の鉄塔が密集している。ここで、男性1人、女性1人のハイカーと立て続けにすれ違う。鉄塔を過ぎ、少し下ったところで旧摩耶道と交差した(写真右上 12:35)。ここはまっすぐ南に下って行くとすぐに石垣の遺構が目に入る(写真右)。 |
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石垣の遺構 |
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その石垣の遺構の先で山道が分岐となる。そこには道標があり(写真左)、ここが東山尾根と神仙寺道、砲台跡の分岐であることがわかる。砲台跡の表記から、先程の石垣も砲台の遺構の一部と推定された。この分岐は左に進み神仙寺道の方に進む。神仙寺道に進むとすぐに右手側に小高くなったピークがあり、幾筋かの踏み跡がそちらに向かっていた。その踏み跡に従ってみると・・・・・。 |
東山尾根分岐 |
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その踏み跡はコンクリート壁を越えて東山砲台跡へ続くものだった(12:39)。小ピークの上にコンクリートの遺構が複数確認できた(写真右)。 写真右は砲座跡なのか弾薬を入れたものなのかわからないが、そこには軍事施設跡が生々しく残っていた。 |
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東山砲台跡 |
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東山砲台跡をしばらく観察した後、神仙寺道を下って行くことにした(12:44)。神仙寺道に入ると、すぐに道脇に学校林道で見たのと同じ「神戸市役所」と彫られた古い石柱が確認できた。こちらは「神戸市役所 九十四号」と彫られている。 その先、神仙寺道は急な斜面にへばりつく細い道になった(写真左 12:48)。落葉で滑りやすく、おまけに細い道に土がかぶって、切れ落ちた下方の斜面に滑落しそうだ。ここは危険地帯で、注意して下る。 |
歩きにくい神仙寺道 |
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危険地帯の先で、神仙寺道は冬枯れの木々の先に麓の景色が展望できるようになった(写真右)。これは、いい眺めで展望の尾根歩きだ。しかし、神仙寺道はすぐに細いずりおちそうな危険な山道になる。深く落ち葉が積もり、滑って滑落しそうになるし、落葉の下の石車に乗って滑落しそうになるし、神仙寺道はヒヤヒヤの連続だった。 |
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展望の神仙寺道 |
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深い落葉の神仙寺道 |
神仙寺道の紅葉 |
足元に細心の注意を払い、神仙寺道を下ってくると分岐点が登場した(13:07)。尾根をそのまま進む踏み跡と、右側に下る踏み跡があるが、右の方がしっかりとした道のように思われたので、右に下って行った。更に、落葉の深く積もった山道が続くが、道沿いにきれいな紅葉を確認した(写真右上)。滑りやすい神仙寺道を緊張の中で下ってきたので、この紅葉にふっと気持ちが和んだ。 |
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神仙寺道の道標 |
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紅葉のポイントを過ぎて、少し進むと道脇に道標が立っていた(写真上)。その道標の先で神仙寺道は堰堤内に降りてきた。堰堤は、「中尾谷第二堰堤」で、その先は「生田川水系中尾谷川」沿いに深い落葉の道を下って行くと、高い法面の工事中の場所を経て、住宅地に出てきた。そこは春日野一号緑地という小さな公園の脇だった(13:22)。 |
法面作業中 |
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春日野一号緑地から、住宅地の中を下って行く。脇に、春日野墓地、神戸労災病院などを見ながら、街中歩き20分で阪急春日野道駅に到着となった(13:44)。本日は道迷いがあったが、未踏の廃道を歩いたり、大師道や蛇ヶ谷で紅葉を楽しんだりと、なんとか満足の山歩きにすることができた。楽しく歩かせていただいた山に感謝であった。 |
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阪急春日野道駅 |