白瀬川源流・逆瀬川源流 (お勧め度★★☆) 東六甲【4-14】

その昔、暴れ川の異名を持っていたという逆瀬川源流と
その界隈に位置する白瀬川源流を歩いてみた。

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 今回(平成20年10月25日)は、その昔、暴れ川の異名を持っていたという逆瀬川源流界隈を歩いてみることにした。
 白瀬川源流から逆瀬川源流あたりまでの源流めぐりの山歩きである。
 逆瀬川からエデンの園行バスに乗り宝塚西高前で降りる。バス停すぐ横の諭鶴羽橋から西側を望むと、ゆずり葉緑地の『砂防モニュメント』の後ろに樫ケ峰の姿が青空に映えていた(写真右)。今日は晴天である。
 バス停から、まずは白瀬川源流を目指して歩き始めた(10:05)。
諭鶴羽橋から望む樫ケ峰
諭鶴羽橋から望む樫ケ峰
白瀬川源流入口  マンションアヴェルデの東端を左に曲がり、建物の裏に回り込むと行者山ハイキングコースの看板が目に入った。この入口からも白瀬川源流に行けるものと思い、そこから山道に入り込んだ(10:10)。すぐに尾根道の登りとなり、北に向かって高度がどんどん上がっている。
 しかし、白瀬川源流とは、どうも方向が違うような気がしてきた時、前方で山道の手入れをされている方が目に入った。これ幸いと道を尋ねると、この道は「ゆずり葉ピーク」に続く道で、白瀬川源流へはもう一つ西側の尾根を進むのだと教えてくれた。
白瀬川源流入口
 その方は、更に、その西側の尾根筋には「白瀬川源流バイパス」という看板が掛かっているが、そこが源流そのものであり、バイパスではないこともおしえてくれた。お礼を述べて、教えていただいた方向に歩を改めた。白瀬川源流へと続く尾根筋は、コンクリートで固められた小さな川の西側を登るのであった。しばらく尾根を登っていくと「白瀬川源流バイパス」の看板が見えてきた(写真上)。教えていただいたとおりである。
 そこから、谷に下って行くと、堰堤の内側に降り立った(10:50)。そこは、ちょうど宝塚西高のグランドの北西角のあたりだ(写真右)。ここから源流の遡行が始まる。
白瀬川源流の最初の堰堤
白瀬川源流の最初の堰堤
白瀬川源流を進む道  白瀬川の川原は木々が茂り、その中をよく踏み込まれた道が続いている(写真左)。
 少し進むと次の堰堤が現れた。古い石の堰堤である。この堰堤は右から越えて行く。
 越えた堰堤の内側に入ると、更に道が続いていたが、踏み後はやや薄くなっており、ルートから外れないように注意を要する。
 次に3つ目の堰堤が現れた(11:01)。これも石の堰堤で、右側から越えて行く。このあたりで上流から下ってこられた一人のハイカーとすれ違った。白瀬川源流で初めて人に会った。
白瀬川源流を進む道
 そして次に現れた堰堤は石積みの大きなものであり、やや登りにくいので、ロープが設置してあった(写真右)。
 この堰堤を越えると、谷道は流れに沿って爽やかな水の音を聞きながら進むコースとなった(写真右下)。
 更に進むと、流れをクロスしながら進む場所もある。
 次に、5つ目の堰堤にやってきた(11:11)。ここも古い石積みの堰堤であり、ロープが設置してある。白瀬川源流の堰堤は古い石積みのものが多く、その防災の歴史が感ぜられる。
白瀬川源流の石積み堰堤
白瀬川源流の石積み堰堤
 この5つ目の堰堤を越えると、沢歩きの道も勾配が急になってきた。聞こえていた水音もいつしか小さくなり、やがて伏流水となって、流れがなくなった。そして、白瀬川源流を遡行する道は、最後に左側の斜面に取り付き、やがて尾根筋に登りついた。
 このあたりにも「白瀬川源流バイパス」の白い看板が設置してある。
 その尾根筋を右に進むとすぐに譲葉山からゆずり葉台へ下ってくる道に合流した(11:24)。その合流地点ではハイキング大会の世話役の方がルートの案内をされていた。聞くと今日は神戸ウオーキング協会主催の「全国自然歩道を歩こう大会」であるという。
白瀬川源流
白瀬川源流
譲葉山からの下り道に合流  神戸ウオーキング協会の今日のハイキングは、阪急宝塚駅から譲葉山まで登り、下山して、ゆずり葉緑地公園から阪急仁川駅まで歩くものらしい。
 そうしているうちに、譲葉山の方から次々と歩こう大会の参加者が下ってこられた。それらの方々に混じって、当方もゆずり葉台の住宅地まで下って行くことにした(写真左)。
 山道はやがてでこぼこの舗装路に変わり、そしてすぐに住宅地に入った(11:30)。そこからは、背後に譲葉山(写真左下)を、また西方遠くに大平山(写真下)を望むことができた。
譲葉山からの下り道に合流
ゆずり葉台から望む譲葉山 ゆずり葉台から大平山を望む
ゆずり葉台から望む譲葉山 ゆずり葉台から大平山を望む
エデンの園  白瀬川源流は30分少々の行程であったが、よく歩かれた道で、手軽に沢歩きが楽しめるコースであると感じた。
 次に、逆瀬川源流を目指してみる。
 エデンの園から西に車道を進む(写真左)。
 突き当りで、右手前方に堰堤が見えてくる。その手前に左に入る橋があり、その橋の先には門扉が設けられ「出入り禁止」という大きな看板が掲げられていた。しかし門扉の左には踏み跡がしっかりと付いており、そのことは、この門扉を越えて行くハイカーが多いことを示しているものと思われた。
エデンの園
焼石ケ原入口  この門扉が閉ざされている地点から、逆瀬川左岸に沿って、県道82号の小笠峠へ抜ける道は、昔から歩かれていたハイキングコースであるらしい。
 ところが、数年前に宗教法人が砂防工事との名目でここを立入禁止にしてしまったようだ。しかし、実際は墓地造成が計画されていたようで、地元に反対運動が起こり、それは中止になったという。
 墓地造成は中止となっても、門扉には依然として「立入禁止」の表示が残ったままではある。
焼石ケ原入口
 しかし、その門扉横のフェンスには「焼石ケ原入口」との表示もある(写真上)。 今回は、その表示に従い、焼石ケ原とはどんなものなのか確認すべく、その門扉内の逆瀬川に沿った山道を進んでみることにした(11:45)。
 これから遡行する逆瀬川は、その昔、川幅が150〜200mもある石河原で「逆瀬川砂漠」と呼ばれていたという。大雨のたびに氾濫を起こし、人々を困らせていたらしい。
 その後、明治の頃から六甲山系初の砂防工事が開始され、川の中に水が流れる路をつくる工事などが実施されてきた。今も、その幅広だったという川幅の雰囲気は残っている気がする。
逆瀬川源流の山道
逆瀬川源流の山道
逆瀬川源流の堰堤  出入り禁止の門扉の内側の広場上の場所を過ぎると、次は林道のような広い道となった(写真上)。ここには「焼石ケ原を経て小笠峰へ」と表示された古い道標も残っていた。その道に入ると、すぐ左手側に川原へと続く枝道が登場した。
 その枝道を川原の方に進んでみると、そこは風化して小さくなった花崗岩の小石が一面に広がっていた(写真下及び左下)。
 その風化した石がゴロゴロところがっている雰囲気から、このあたりが焼石ケ原と呼ばれることになったのであろうと勝手に解釈する当方であった。
逆瀬川源流の堰堤
逆瀬川源流の流れ 逆瀬川源流から東方を振り返る
逆瀬川源流の流れ 逆瀬川源流から東方を振り返る
 また元の林道のような幅広の道に戻り、さらに上流に進んでいく。幅広の道はやがて細い川沿いの道となり、更にその道が山腹の方に登り始めた辺りで左手側を見ると、ブッシュの向こうに花崗岩が風化して、荒々しい状態となった岩稜が見えてきた。
 どうやらそこにもルートがあるようだ。
 そこでその岩稜を目指して、左手側のブッシュの中に踏み込んだ。
 ブッシュには薄い踏み跡もあるようだが、雑草が生い茂り歩きにくい。
藪道の中の逆瀬川源流
藪道の中の逆瀬川源流
荒涼とした景色の逆瀬川源流 数分間のブッシュとの格闘を終え、なんとか岩稜にたどり着いた。そこには、境界石が立っており(写真上)、このあたりが宝塚市と西宮市の境であることが確認できる。
 この市境が通る一帯は、すごく荒涼とした景色が広がっている。
 風化した花崗岩が崩れやすく、落石に注意が必要なエリアなのだ。
 その脆い花崗岩でできた小高い岩山から振り返ると、先ほど通過してきたエデンの園が遠くに見えていた(写真下及び左下)。
荒涼とした景色の逆瀬川源流
逆瀬川源流の岩稜から東方を望む 逆瀬川源流の脆い岩稜
逆瀬川源流の岩稜から東方を望む 逆瀬川源流の脆い岩稜
 さらに上流を目指して進むと、やがて岩稜は、当初歩いていた川沿いの道と合流した。その合流地点も風化して崩れかけた砂礫の花崗岩地帯であり、この辺りまでが野趣溢れる荒涼とした雰囲気が漂うエリアである(写真右及び下)。
 さらに上流に進み、川原道はやがて県道82号線に突き当たった。そしてガードレールの切れ目から車道に出た(12:35)。
 そこは、深い山の中を車道が走っている地点なので、不法投棄のゴミがやたらと多い。それを戒める内容の看板も立てられているが、効果は無いようである。
川原の岩稜と川沿い道の合流点
川原の岩稜と川沿い道の合流点
脆い山肌に山道が続く  逆瀬川源流は、更に車道を越えて上流に続いている。
 その源流は以前歩いたことがあるので、詳細はこちらのページを参照してしただくことにして、今回は車道を南に進み、盤滝橋を過ぎた辺りから大藪谷に入ってみることにする。今日は大藪谷から小天狗山への取り付きを確認しておこうと思っているのである。
 車道脇を車に注意しながら下っていく。少々進んで、樫ケ峰への登り口を通過し(12:40)、上盤滝橋を渡って更に左に下って行った。
脆い山肌に山道が続く
 旧車道がハイキングルートとなっている道に入った(写真右)。この辺りから、大藪谷への取り付きを見過ごさないよう、右手側を注意しながら進んだつもりであった。しかし、知らぬうちに大藪谷を通り越して、鷲林寺橋のあたりまで下ってきてしまった。ここまで下ってしまうと、もう引き返す気はしない。
 仕方なく、ここからは、盤滝口、鷲林寺、甲山町を経て、阪急の甲陽園駅まで歩いて下ってきた(14:30)。
 「大藪谷の入口はどこだったのだろう。」との疑問は深まり、少々合点の行かない一日となった。
旧車道
旧車道
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