炭ケ谷・まむし谷・桜谷 (お勧め度★★☆) 北六甲【2-3】

今回(19/5/12)は、北六甲の谷歩きで、ポピュラーなコースの一つである
炭ケ谷を遡行してみた。谷の名前の由来と思われる炭窯の跡もあり、
歴史を感じることも出来るコースである。

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 今日は北六甲のポピュラーな谷歩きのコースである炭ケ谷を遡行してみた。炭ケ谷は杉の木立ちに覆われ、陽光が届かず薄暗い感じがする谷道である。おまけに勾配も結構きつい。よって訪れる人は少ない(ように思われる)。静かな山歩きが楽しめるコースのはずである。
 谷上の駅を10時10分にスタート。駅前を東に進み、線路をくぐって道なりに進む。新しい住宅が建ち始めた谷上南町の中を東に向かい、突き当りまで進む。ハーモニアスという老人ホームがあり、その角を右折して山に入る(写真右)。
炭ケ谷入り口
炭ケ谷入り口
炭ケ谷への道  
 山道に入ると、すぐ樹間の快適な山道となる(写真左)。
 落ち葉がふかふかの絨毯を形成している。
 今日は暑くなりそうなので、ここでシャツを脱ぐことにした。少し進んで、シャツの胸ポケットに入れていた携帯電話を落としてしまったことに気がついた。慌てて引き返す。すると、後方から歩いて来られていた中年ハイカーの方が、当方の慌てた様子を見て「携帯ですか・・?、もう少し進んだところに落ちていましたよ。」と教えてくれた。大感謝の次第である。御礼を言って、携帯を求めて引きかえした。
炭ケ谷への道
 ラッキーにも携帯はすぐ見つかった。ほっとして、再び炭ケ谷を目指して歩を進めはじめた。
 携帯を落としても気づかないくらい、ふかふかに落ち葉が積もった山道は5分で終わり、阪神高速北神戸線の高架の前で一度アスファルト道に出ることになった(写真右)。このアスファルト道を横切り、次に、高架をくぐって再度山道に入る。
 山道に入ってすぐ道が左右に分岐するが、これはどちらを進んでも少し先の炭ケ谷砂防ダムで合流する。ここからしばらくは、左下に谷川を望みながらの遡行である。少し進んで、道はどんどん登り坂となり、炭ケ谷第二(副)砂防ダム、炭ケ谷第二砂防ダムが現れる。
阪神高速高架下
阪神高速高架下
炭ケ谷の急な登り  第二砂防ダムの辺りで4人のハイカーを追い越す。やがて、山道は杉の木が見事に並んだ急な登り道となった(写真左)。この辺りは、背の高い杉の木が山の斜面に林立しており、陽光は下まで届かず、日中でも薄暗い感じがする。
 更に進み、山道は沢から離れ、葛折の急登となって山腹を這い上がることになった(10:48)。この辺りで、夫婦連れのハイカーを追い越す。静かな山道と思っていた炭ケ谷は、結構多くのハイカーに利用されているようである。
炭ケ谷の急な登り
 葛折の道が終わると、次はまっすぐに続く急な登リ道となった。この辺りでは、炭窯跡を確認することが出来る(10:53 写真右)。この炭窯跡の前には説明看板も立てられている。
 その説明によると「薪を窯の中に詰め込んで点火し、一部の空気穴を残して密閉、炭化させて炭をつくった。作業は主に農閑期の冬に行われた。」と記されている。当時、炭は、農家にとって貴重な副収入となっていたのであろう。
 炭窯跡を過ぎてもまだまだ薄暗い登り道が続いている。 
炭ケ谷の炭窯跡
炭ケ谷の炭窯跡
炭ケ谷の沢道  さらに進んでいくと、右下に沢音が聞こえるようになり、急勾配だった道も平坦となってきた。やがて道はその沢に合流、チョロチョロ水の流れる沢道を進むこととなった(写真左)。しかし、水はほとんどが伏流となっており、ここで足元を濡らしてしまうことはないはずだ。
 ところで、こんな山中であるが、石の下から”カエル”らしき生き物が発する泣き声が盛んに聞こえている。どこで泣いているのかしばし探索するが発見には至らず!!。先に進むことにする。なお、沢道は一部荒れているところもるので、注意して進みたい。
炭ケ谷の沢道
 沢の最後の登りでは、板で作った階段状の箇所が現れる(11:00 写真右)。この板の道は濡れていると滑りやすいので要注意である。
 この辺りで、落とした携帯を教えてくれたハイカーの方に追いついた。再度御礼を言って、先に進む。この板の階段を登り切ると炭ケ谷の登り道も終了である(11:08)。谷上の駅からここまでで、ちょうど1時間位経過していた。炭ケ谷の谷歩きの所要時間は40分位であろうか。
 炭ケ谷は勾配のキツい苦しい坂道であるだけに、登りきったときの爽快感は格別であろう。
炭ケ谷上部の板道
炭ケ谷上部の板道
かわうそ池  炭ケ谷を登りきった所は烏帽子岩、石楠花山、双子山、マムシ谷方面への分岐点となっており、案内表示も立っている。
 今回は、ここから、かわうそ池をめざす。
 右手(西)に進めば石楠花山方面へと続く林道を、当方は南に進む。すぐ西六甲ドライブウェイに突き当たる。このアスファルト道を、車両に注意しながら更に南に進む。やがて左手側にガードレールの切れ目がみえてきた。そこから左に入り、かわうそ池に到着である。ここには、かわうそ池付近案内地図が設置されているので、これで現在位置の確認もできる。
 かわうそ池の湖面は、獺が顔を見せることもなく静かにたたずんでいた(写真左)。
かわうそ池
 かわうそ池から更に進路を南にとり、マムシ谷に入る。
 この谷道は、かわうそ池から流れ出る沢に沿った道である。水量の多いこの沢からは、爽やかな水音が絶えず聞こえてくる。
 マムシ谷は木々の緑も綺麗であり、この緑と爽やかな水音が相まって快適な山歩きが楽しめる。
まむし谷
まむし谷
まむし谷の板橋  谷道をしばらく進むと、道が水没している箇所に出た。砂防ダムの堰堤に想定量以上の水が溜まったようで、ハイキング道がこのダム湖に飲み込まれているのである。ここには、水溜りを避けて巻き道が造られているので、この道を水溜りにズリ落ちないように慎重に進む。
 この水溜りの箇所を除き、マムシ谷道はよく整備されている。沢を渡る箇所にはりっぱな板橋も設置されている(写真左)。
 更に進んで、右手側に黄連谷道へと続く道が分岐している箇所に至った(11:24)。ここは、直進してシェール道方面に進む。
まむし谷の板橋
 快適に谷間の木陰道を進み、やがて、シェール道に合流した(11:28 写真右)。シェール道は、穂高湖と桜谷出会の間を徳川道を北に迂回するように続く山道である。
 ところで、六甲山は、明治時代以降に居留地の欧米人によって開発された。このシェール道も当時の六甲山開発に縁の有った外国人(シェール氏)にちなんで命名されたものであろう。シェール氏が好んでこの山道を散策していたから、シェール道となったとの話も聞くが?・・。
 このシェール道への合流地点には付近の案内地図と、道標が立てられている。
シェール道出会
シェール道出会
シェール道から望む新穂高  この合流地点からシェール道を左に進むと新穂高の山裾を巻いて穂高湖に至る。このルートも捨てがたいが、今日はこの合流地点を右に進みヌクトゲートロック方面に進むことにする。
 右へ進むと少し登りとなる。上りきって左手側後方を振り返ると新穂高が間近に見えていた(写真左)。

 平成17年に、新穂高を歩いたときの記録はこちら
シェール道から望む新穂高
 シェール道に入るとすぐに八洲嶺第三堰堤を右から越えることになる。堰堤を越えると急な下りの階段となった。ここを下ると沢沿いの道になる。沢の水量は多く、流れが大きな水音をたてている。
 このシェール道に入り10分程進んだ所で炭窯跡を発見(写真右)。炭ケ谷だけでなくシェール道にも炭窯跡があるとは知らなかった。ここには炭窯に係る説明表示板が立てられている。それによると、炭窯は中国から弘法大師が伝えたとされる築窯法(ちくがまほう)により造られているとのこと。窯跡の中を覗いてみたが、暗くて築窯法なるものの実態は確認できなかった。(-.- )"
シェール道の炭窯跡
シェール道の炭窯跡
桜谷出会  シェール道は何度か沢を渡りながらどんどん下っている。沢を渡る箇所には板橋や棒を束ねた橋が掛けられ、よく整備されている感じだ。
 マムシ谷やドライブウェイに抜ける枝道を見やりながらさらに進んでいくと、やがて徳川道への合流となった(11:52)。
 このシェール道と徳川道の合流地点あたりにはヌクトゲートロックといわれる高さ80mもの岩壁がそそり立つという。それを確認すべく、流れの遡行を試みたが、大きな岩石と茂った木々に遮られ思うように前に進めない。今回は、80mの岩壁への対面はあきらめることにする。
桜谷出会
 徳川道に戻り少し西に進むと桜谷道との分岐点に至る(写真上)。ここでは徳川道が飛石渡し(川の中に大きな石を平らな面を上にして数個置き並べ、その上を渡れるようにしたもの)で沢をクロスしている。
 また、ここは桜谷道の登りがスタートする地点でもある。大きな岩に足をかけ、桜谷道を登り始める(12:13)。
 桜谷道は踏み跡のはっきりした道であり、また、表示も随所にされている(写真右)。
桜谷道
桜谷道
桜谷のザレ場  桜谷道は、その名のとおり桜谷に沿った道である。途中で谷からそれ山の斜面に踏み込んだと思ったら、単に砂防ダムの堰堤を越えるために巻き道となっているだけであった。
 忠実に谷筋を登っているのでザレた場所もある(写真左)。またこの辺りはやたらツル性の植物が多く、木々から太いツルが沢山垂れ下がっていた。何かめずらしい風景のような気がした。このザレ場辺りで3名のハイカーとすれ違った。桜谷道は摩耶山からの下り道として、利用されることも多い。
桜谷のザレ場
 桜谷は思ったより勾配のきつい谷道である。この勾配に汗をかきながら登り続けると、次第に右手側に黒岩尾根の上部が確認できるようになってきた。
 この辺りでは、谷筋に砂防ダムが連続して設けられている。桜谷の上部は土砂流出の危険性が高い地域なのだろう。
 何度か沢をクロスし、また、黒岩尾根への分岐道を見やりながら谷を登り続けて、やっと「摩耶自然観察園」に到着した(12:46)。
あじさい池
あじさい池
産湯の井  摩耶自然観察園の「あじさい池」では、澄んだ水面が周りの景色を写して、奇麗に輝いていた(写真上)。
 更に進むと、「産湯の井」があった(12:59 写真左)。その説明板によると、「昔里人がこの水を竹の筒に入れて持って帰り赤ちゃんの産湯に使ったのでこの名があります。」と解説されていた。更に続けて「霊峰摩耶の地下をくぐって湧き出る水を神聖なものとし、産湯に使うことによって子供達の無病息災と健やかな成長を願ったものでしょう。」と追記されていた。目の前の少し濁ったような水が、昔は神聖な水として産湯にまで使われていたとは・・・・!現在ではちょっと想像し辛い。
産湯の井
 産湯の井から、あと少し登って摩耶山上に到着した。摩耶山頂上には放送用等の電波塔が何本も立てられている(写真右)。当日は、この電波塔の点検日だったのか、数名のNHKの作業員の方がこの電波塔に登り、パラボナアンテナの補修を行っていた。良い状態での放送を実現するために、高い山上で、これまた高い電波塔に登っての作業は大変なことだと、感じたことしきりであった。
 また、掬星台では、いつものように多くのハイカーが、山上からのすばらしい景色に見入っていた。
摩耶山のアンテナ
摩耶山のアンテナ
天狗道からの景色  掬星台で休憩した後、今日は天狗道を下ることにした(13:19)。アドベンチャールート分岐のあたりで、急遽、この辺りで行者尾根から青谷道に下れるルートがあるらしいことを思い出した。少し進むと天狗道から南に分岐する古いテープ表示があった。踏み跡はなく落ち葉が厚く積もっている。ほとんど歩かれていないことは一目瞭然であったが踏み込んでいくことにする(13:30)。
 斜面は急で古い倒木も多い。非情に歩き難い。おまけに、近くでゴソゴソと音がしたのでそちらを見やると、銭型模様を有する蛇が落ち葉の上を這いまわっている。一気にこのルートを下る気が失せてしまい、元の天狗道に引き返したのは言うまでもないだろう。
天狗道からの景色
 天狗道に戻ってきた(13:45)。
 天狗道からは南に神戸の町並みや海が望める絶景ポイントもある(写真上)。道無き道に踏み込み、お会いしたくない爬虫類に遭遇するよりは、こちらの方が望ましい・・・などと、自分を納得させながら、天狗道を下っていく。
 天狗道からは、学校林道の尾根筋がきれいに見渡せるポイントもあった(写真右)。そこで、今日は学校林道を下ることに決定した。縦走路である天狗道と違い、学校林道は歩く人もなく、静かなウォーキングが楽しめるだろう。
学校林道を望む
学校林道を望む
学校林道の尾根道  ベンチの置かれている学校林道分岐点にやってきた。ここを左折する(14:09)。少し下って、芋川方面の斜面(西側の斜面)で大規模な工事がされていた。この尾根筋では震災の爪痕がまだ残っているのである。
 更に進んで、高圧電線の鉄塔の立つピークに到着(14:25 写真左)。ピークといってもここからの眺望は無い。
 このピークを過ぎた辺りで1人のハイカーとすれちがう。学校林道も全くひと気が無いわけではない。
 更に進んで、旧摩耶道に合流し、そこからは雷声寺方面に下って行った。新神戸の駅にはちょうど3時の到着であった。
学校林道の尾根道
 この記録は、従来”炭ケ谷・石楠花山・穂高湖”として掲載していた記録を、19/5/12 に再度、炭ケ谷等を歩いたときの記録で整理し直し、「炭ケ谷・まむし谷・桜谷 」(改訂版)として再掲載したものです。(19/5/20)
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