古倉山・東鹿見山・天保池 (お勧め度★★☆) 丹生山系【6-8】

丹生山系の奥深きところに位置し、
静かな水面でハイカーを迎えてくれる天保池やその周辺の山々を訪ねてみた。

Route MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 久しく丹生山系の山にご無沙汰している。そこで、今日(平成21年3月21日)は、その丹生山系の山の中でも、未到のピークである古倉山や東鹿見山などを目指してみることにする。ついでに、静かな水面の天保池にも足を伸ばそうと思う。
 世俗化されていない感じが良いと感じていた丹生山系ではあるが、最近はモトクロスのバイクで山が荒れているという。一昨日は大雨だったので、バイクの跡がぬかるみとなっていないか少々気になったが、晴天の空に後押しされ、家を出た。
谷川沿いの道
谷川沿いの道
谷川(屏風川支流)をクロスする  丹生山系へはいつも神鉄大池駅から入ることが多い。
 駅から山までの距離が近いからである。今日も大池の駅を、天下辻を目指して9時30分にスタートした。
 天下辻までの山道は短距離であるが急坂がつづらに続く。そこで早くもうっすらと汗をかいてしまった。
 天下辻の十字路は直進し、屏風谷の方面に下っていく。谷川沿いのこの下り道は、一昨日の雨のせいか、多少ぬかるんでいる。やがて谷底に下り着くと、そこからは流れに従い下流に進む(写真上)。ここは快適な谷川歩きである。
谷川(屏風川支流)をクロスする
 谷川の流れを何度かクロスするが、雨で水量が増えた川は渡るのに苦労する(写真上)。やがて道は川から離れ、左に上ることになる。(この場所では、川沿いにも進めそうに見えるが、その川沿い道はやがて行き止まりとなる。参考
 左に上がると道が左右に分岐する。その分岐点には案内表示が立っている(10:18 写真右)。それには、右方面は屏風谷沿いに進み八多駐在、左は黒甲越との表示がされている。今日は、左に進み黒甲越東道から黒甲越を目指す。(この標識も数年前はもう少し丁寧であった。参考
屏風谷と黒甲越方面の分岐点
屏風谷と黒甲越方面の分岐点
黒甲越東道  黒甲越東道は最初は明るい感じの雑木林の道(写真左)であり、気分よく歩ける。左下の屏風川支流からは快適な水音も聞こえてくる。
 ここは太陽と緑の道であり、その表示もされているが、併せて「モトクロスバイクに注意」の表示もある。快適な山道なので、バイクの轍跡で荒らされないよう望みたいが・・。
 黒甲越東道はゆるやかな登りが続き、やがて杉林となった。ここは薄暗くてとても快適とはいえない。やはり山歩きは自然林の中がgoodである。
黒甲越東道
 杉林の道は日が差し込まず、水の乾きも悪いようで、ぬかるみの箇所が多い。このぬかるみを抜けると、また雑木の明るい道となり、すぐに黒甲越に至った(10:43)。ここは日当たりはよいが、水溜りのような“いもり池”から水が流れ出て、道が川状になっている。
 この辺りから、金剛童子山に続く林道が左手に続いている。久しぶりに金剛童子山にも挨拶していくことにした。
 金剛童子山への山道は幅広の林道であるが、ここもバイクの轍跡で荒れている(写真右)。
バイクで荒れた金剛童子山の登山道
バイクで荒れた金剛童子山の登山道
岩の露出した金剛童子山への登り  少し進むと、右手側に岩の露出した登り道が分岐していた(写真左)。単調な林道よりこちらの方が楽しく歩けそうなので、その露岩の道に踏み込んだ。
 岩道を登り切ると、突然、山中に赤土広場が出現した(写真左下)。
 山腹の急傾斜地も赤土が露出している。ここにもたくさんのバイクの車輪跡が残されている。
 山歩きも単調な道ばかりでは飽きが来るが、ライダーもこういった刺激的な場所に魅力を感じるのだろう・・。変に納得をする当方であった。
岩の露出した金剛童子山への登り
赤土の露出した金剛童子山 金剛童子山頂上への登り口
赤土の露出した金剛童子山 金剛童子山頂上への登り口
金剛童子山の頂上の様子  金剛童子山の頂上は、この赤土広場のもう一つ南にある。山中の樹間に強引に踏み込んで付けられたバイクの轍跡に従い、南に進むと金剛童子山直下の広場に出た(写真上)。ここには無残な車両の残骸が放置されている。
 そこから踏み跡に従い、急な山道を登っていく。
 この急傾斜にはさすがのバイクも踏み込めないようである。
 急斜面を登りきって、更に、雑木で藪状になってはいるが、はっきりとした道が続くので、それを進むとそこに金剛童子山のピークがあった(11:05 写真左)。
金剛童子山の頂上の様子
金剛童子山の表示  金剛童子山の頂上は雑木に覆われ展望はない。しかし、山頂には三角点(三等三角点・点名 山田)があり、訪れる者は少なからずいるようだ。山ランの登頂札も掛けられている(写真左)。
 山頂では、三角点以外に特に見るべきものもないので、5分ほどの滞在後、下山を始めた(11:09)。
 すぐに、先程通過した山頂直下の広場に降り立った。ここからは、登ってきた時とは別のルートの幅広の林道を下っていく。
 下山をはじめて10分少々で、元の黒甲越道まで戻ってきた(11:22)。
金剛童子山の表示
 緩やかな登りの黒甲越道(写真右)を進み始めると、道の傍らに、古い青色のプラスチック板が掲げられていた。見ると「黒甲越」と記された文字が消えかかっている。丹生山系の山道にも案内の表示は多いが、いずれも古くからのもので、だいぶ読みにくくなっている。整備が望まれるところである。
 進み始めた黒甲越道は、すぐに左右に分岐していた。左は登りで、ゴルフ場の方にのびている。右は下り道である。次に目指す古倉山は右方面だろうと見当をつけ、ここは下り道の方を選択した。
黒甲越道
黒甲越道
ぬかるみの下り道となった黒甲越  黒甲越道を下りはじめてすぐに1人のハイカーとお会いした。考えてみると、今日、山中で初めて会う人だ。
 六甲山系に比べ、こちらはハイカーの数が極端に少ないといえる。
 ところで下りの黒甲越道は、ぬかるみが多く歩き難い事この上ない(写真左)。バイクが掘った轍跡が大きな水溜りとなっている箇所も多い。
 ズルリと滑って、水溜りにはまらないように、この道は注意して下らなければならない。
ぬかるみの下り道となった黒甲越
 更に下ると、道端で1人のライダーが休憩していた。
 ライダーの方はこの辺りをくまなく走り回っていて、地理に詳しいだろうと勝手に解釈し、古倉山はどの辺りかをお尋ねした。すると、そのライダーの方は、「もう少し進むと地蔵があり、その辺りが古倉山の麓である」と丁寧に教えてくれた。御礼を言って、先を急ぐ。
 すぐに、水量の多い流れをクロスする地点にやって来た(写真右 11:45)。ここには“屏風川”の表示がされていた。この屏風川沿いには上流方向にも道が進んでいるようだが、古倉山を目指す当方は、川を渡り更に北に進んでいった。
屏風川を渡る
屏風川を渡る
太陽と緑の道の案内表示  ここまで下ってきた黒甲越道も屏風川を渡ると登りとなった。すぐに、傍らに手造りの古い案内表示を見つけた(写真左)。
 それには、「この坂をのぼりつめると(0.2k)林道に出会います(お地蔵さん有)。それを左(西方面)へ曲がってください。」と、太陽と緑の道の案内がしてあった。
 これで、進んできた道が間違いないことが確認できた。感謝である。
太陽と緑の道の案内表示
 先程の、太陽と緑の道の案内表示の場所から、道は急な露岩の登りとなった。
 この坂を登りつめると、お地蔵さんの祠がある場所に到着した(写真右 11:55)。大日地蔵である。
 この場所にも、「ここは大日地蔵。林道出会。天保池方面は左へ」と記された、太陽と緑の道の案内がしてあった。
 お地蔵さんに手を合わせた後、次に古倉山のピークを目指すことにした。
大日地蔵
大日地蔵
古倉山西側の林道  大日地蔵あたりが古倉山の麓であることは地図でも明らかだ。しかし、その登り口が分からない。
 古倉山の西側を通っていると思われる林道(写真左)を何度も行ったり来たりした。そして、地蔵から少々北に進んだ辺りで、林道から右(東)に道が分岐している箇所をやっと発見した。
 直感的にそこが古倉山の登り口であろうと思い、その道に踏み込むことにした(12:12)。
古倉山西側の林道
 その道は幅広で深く落ち葉が積もっている(写真右)。古くからの道のようであるが、最近はあまり歩かれた形跡がない。
 道は東に進んだ後、南に右折した。更に少し進んで道が下りになり始めた辺りの右側(西側)が、どうも古倉山のピークのような気がした。赤い紐が結ばれ何かを示している。踏み後はなかったが、その場所から山の斜面に踏み込んだ。
 歩きやすい斜面を数分登って、ピークらしきところに到着した(12:22)。そこは樹木に囲まれ薄暗いところであったが(写真下)、辺りを確認すると、“古倉山”の表示を発見した(写真右下)。
古倉山へ続く山道
古倉山へ続く山道
古倉山頂上の様子 古倉山の山名表示
古倉山頂上の様子 古倉山の山名表示
 何とかピークに立てたという感動はあったが、見るべきものは何もない古倉山のピークであった。そこで、すぐに下山することに決定し、元来たルートを引き返し、地蔵さんのところまで戻ってきた(12:37)。
 太陽と緑の道でもある林道は、地蔵さんの後ろを登っている(写真右)。
 その登り道から前方の空を見上げると、二本の飛行機雲が青空に跡を残していた(写真下)。勝利のVサインのように見えたその雲に、思わずカメラを向けシャッターを押す当方であった。
大日地蔵裏の林道
大日地蔵裏の林道
飛行機雲  ところで、大日地蔵の裏は小高い丘状になっている。そこから望む近隣の山々の姿は中々見事である。
 ここはちょっとした休憩ポイントとしてお薦めである。弁当を開くにもいいかもしれない。しかし、当方は、まだこれから、東鹿見山と天保池を目指すのが今日の日課である。ここでゆっくりする訳にはいかない。
 そこで、休憩もそこそこにして、次の東鹿見山を目指して出発することにした。
 東鹿見山へは、お地蔵さんから林道(太陽と緑の道)を西に進むことになる。
飛行機雲
 東鹿見山へ続く太陽と緑の道は、緩やかな登りである(写真右)。
 幅広の林道でもあるが、バイクの走った後が溝となり、歩きにくくなった個所もある。
 また、岩が露出してスリルのある場所もある。このバラエティーに富んだ感じからか、この辺りは概ね楽しく歩けたような気がする。
 少し進み、前方に東鹿見山が見えてきた。その辺りから東鹿見山への登り口を見落とさないよう、注意しての歩行となった。
東鹿見山に続く林道
東鹿見山に続く林道
東鹿見山の頂上の様子  登り口を見落とさないよう注意しはじめてすぐ、右手側になにやら踏み跡のようなものを発見した。
 初心者は見落とすかもしれないが、山愛好者なら直感的に怪しいと感じる踏み跡である。
 躊躇なく、その踏み跡に入り込む(13:09)。
 ゆるやかな斜面に続くその踏み跡を辿ると、約5分でピーク状の開けた場所に到達した(13:14)。
 そこには、なにやら測量に使用するような棒も立っていた(写真左)。
東鹿見山の頂上の様子
 その棒の立っていた広場が東鹿見山の頂上であった。
 そこには、東鹿見山と書かれた登頂札も2枚掲げられていた(写真右)。
 東鹿見山の山頂は、周囲が木々で囲まれ、展望はない。
 また、山頂には「名テ」と書かれたコンクリートの標柱が埋められていたが、これは何を意味する柱なのであろうか。
東鹿見山の山名表示
東鹿見山の山名表示
太陽と緑の道に合流  東鹿見山の頂上からは、西側にも道が下っていた。そこで、下りはそのルートを利用することにした(13:18)。
 少し下っていくと、前方に大きな電波塔が見えてきた。どうやら、この道は、東鹿見山の無線中継塔に下りつくようである。
 ところで、こちらの道は、登ってきた道と異なり、傾斜が急である。おまけに土質が滑りやすい粘土質のようで、気を付けていながら2度も滑って尻餅をついてしまった。ここでは、くれぐれも注意を怠らないようにしたい。
太陽と緑の道に合流
 急な道を下りきって、太陽と緑の道に合流した。
 合流地点には案内の標柱が立てられており(写真上 13:22)、それは、中山ノ大杣池方面と黒甲越方面を案内していた。
 なお、この辺りの太陽と緑の道は、先程の林道と異なり、狭い道となっていた。
 その狭い山道を進むと、すぐに無線中継塔の裏側に出て来た(13:26)。その中継塔の横を回り、表側に出て塔を振り返った。そこには、大きな塔が青空をバックにして、圧倒的な存在感で、当方を見下ろしていた(写真右)。
東鹿見山の無線中継塔
東鹿見山の無線中継塔
天保池の表示  東鹿見山の無線中継塔からは、道がアスファルトになった。少々味気なさを感じながらその道を下っていくと、すぐにガードレールの切れ目があり、そこから再び山中に、道が入り込んでいた(13:31)。
 山に入り込んだ所にも天保池方面を示す案内表示があった。しかし、道は二手に分かれている。左は、尾根筋のようで登っており、右は谷筋で下っている。
 どちらに進めば天保池なのか、判断に迷ったが、いずれの道も同じ方向に進んでいるように思われたので、左の尾根道を進むことにした。
天保池の表示
 左の道は、最初はぬかるんだ道であったが、尾根筋にでると快適な道となった。緩やかに下るその尾根筋を進んでいると、右手側の木々の間から遥か向こうに、八多町の集落が見えてきた。だいぶ山深くまで進んできた感じだ。
 尾根道はやがて直角に右折する箇所になった。そこには、「天保池 0.5km」の表示もある。その表示の場所からは、下りもやや急になると共に、道の中央にバイクの轍跡の溝ができていた。
 少々、歩きにくくなってきたが、その道も小さな流れを渡ると、幅広の林道に合流し、そこに「天保池」の表示がなされていた(写真上 13:56)。
天保池
天保池
天保池から望む東鹿見山  天保池は静かな水面に、山の緑と空の青を写し、美しくたたずんでいた(写真上)。
 また、池から南方を望むと、今、越えてきた東鹿見山の無線中継塔も見えていた(写真左)。
 この池は、山中深いだけに、訪れる人も少なく、ゆったりとした時間と景色を独占できる。
 ところで、地形図によると、この池の北側のピークには三角点(四等、点名・天保池)が設置されている。ここまで来たのだから、その三角点も確認しておこうと、北側に山肌に取り付いた。
天保池から望む東鹿見山
 取り付いたところは、赤土が剥き出した場所である。こんな感じであれば、三角点の発見も時間の問題か・・・と思っていたが、さにあらず、剥き出した赤土の上部は、ものすごい藪状の山となっていた。これでは、山に踏み込む気にはなれない。
 早々に、このポイントからのアタックは諦め、元の林道に戻り、三角点のピークへの取り付きを求めて、更に北に進んでみた。林道は、快適な感じで続いているが(写真右)、取り付きは確認できない。
 ここで、あまり時間をかける訳にもいかないので、三角点の探索は諦め、帰途につくことにした。
天保池から中山ノ大杣池に続く林道
天保池から中山ノ大杣池に続く林道
西鹿見山の電波塔  さて、帰り道で思案した。天保池から幅広の林道が東鹿見山の無線中継塔方面に続いている。
 その道でも帰れそうであったが、不慣れな所で道に迷うのは本位ではないので、元来た尾根道を戻ることにした(14:37)。
 その尾根道を戻っていると、前方から大きな爆音が聞こえてきた。何か工事でもしているのかと思ったが、すぐにそれはバイクの音だと気が付いた。と同時に前方からバイクが下ってきた。あわてて脇により、バイクに道を譲った。3台続いたバイクは、いずれも丁寧にあいさつして、当方を越えて行った。
西鹿見山の電波塔
 天保池をスタートして約25分で、鹿見山のアスファルト道まで戻ってきた(14:52)。
 そのアスファルト道をゴルフ場の方に進んで行くと、またまた電波塔が見えてきた(写真上)。
 こちらは西鹿見山の電波塔である。この電波塔の道を挟んで反対側が西鹿見山のピークである。登り口を探してみたが、それらしきものは確認できなかった。
 西鹿見山の探索は次回に譲り、帰途を急ぐことにする。
金剛童子山が見えてきた
金剛童子山が見えてきた
ゴルフ場から望む金剛童子山  味気ないゴルフ場のアスファルト道を車に注意しながら進んでいると、午前中に制覇した金剛童子山が前方に見えてきた(写真上、左)。ここから望む金剛童子山の山容は、その名に反し、中々優雅な感じだ。

 更に進み、右手側に柏尾谷へ下る分岐が登場した。ここを下ろうかとも思ったが、もう時計が3時半を指している。不知のルートは避けることにする。
ゴルフ場から望む金剛童子山
 更にアスファルト道を進み、鰻ノ手池までやってきた(写真右 15:40)。
 この池は天保池の澄んだ水と異なり、濁った水で満たされている。先日の雨で、泥水が流れ込んだのであろう。
 しかし、写真に写った鰻ノ手池は、以外や”美しい水面”に変身していた。写真のマジックか??
 鰻ノ手池を過ぎ、少し進むと、アスファルト道から林道が左手側に分岐していた。天下辻へ続く道である。大池の駅を目指して、その道に入る(14:46)。
 林道を15分ほど進んで、右手側に道が分岐しているのを発見した。見ると、「花山駅へ」との表示がある。
鰻ノ手池
鰻ノ手池
箕谷駅から花折山方面を望む  「ここから花山駅へ下れるのであれば、近道じゃん。!!」と思い、躊躇なくその分岐に踏み込んだ。
 しかし、これが間違いであった。途中で道を誤ったようで、たどりついたのはゴルフ場に続くアスファルト道であった(16:15)。
 しょうがなしに、この道を谷上の集落を目指して、だらだらと30分程下り、更に、箕谷の駅まで歩いて、5時にやっと電車に乗ることができた。
 最後のアスファルト道で、どっと疲れが出たのは説明するまでもないだろう。初めての道には、くれぐれも注意である。
箕谷駅から花折山方面を望む
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