東お多福山・芦屋川 (お勧め度★★☆) 東六甲【4-21】

芦屋川駅(阪急電車9:05)==芦屋川右岸道==弁天岩(10:32)==芦屋ゲート(11:14)==東お多福山(12:25)==
土樋割峠(12:48)==住吉川左岸道==エクセル東(14:55)==くるくるバス==JR住吉駅(約6時間 平成26年4月27日)

ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 東お多福山は、神戸市東灘区と芦屋市との境にある標高697mの山で、山頂付近はササの草原が広がる。しかし、最近はササが繁茂し過ぎて草原らしさが無くなってきたと聞く。今日は、草原の様子を探りに東お多福山を目指してみた。芦屋川を遡行し、奥池の東お多福山登山道からアプローチし、下りは住吉川左岸(住吉道)を利用して、住吉台まで歩くことにする。
芦屋川沿いを進む  阪急電車に乗り、芦屋川駅までやってきた。駅の少し南にあるコンビニで食料と飲料を調達する。
 阪急芦屋川駅から北側の公園に出る(9:05)。
 最近の山歩きブームで、公園は今日も溢れる人で芋の子を洗うようだ。人々の間を何とかすり抜け、北に進む。
 葉桜となった芦屋川沿いの道を、人の流れとともに進んでいく(写真左)。
芦屋川沿いを進む
高座の滝方面分岐  「左高座の滝」の表示のある分岐となる(写真左 9:15)。ここには、「右、行き止まり。この先ハイキング道には抜けられません。」の表示がなされている。
 芦屋川右岸コースは、昨年(2013年)動物霊園のところで通行止めになったと聞くが、どんな状態なのか確認のため、右の道に進んでみた。
高座谷方面分岐
 4分ほど進むと、「この先国有地及び私有地につき通行できません(芦屋市)」と書かれた目立つ表示があり、動物霊園の先にフェンスが設けられ厳重に閉鎖されていた(写真右 9:19)。
 前に進めない状態を確認し、ここは素直に引き返す。
 すると、前方から一人のハイカーがやってきた。道が閉鎖されていることを知らないのだろうか、声を掛けてあげようか・・とも思ったが、当方と同様に単に確認のために進んでいるのかも?!・・と思い、そのまますれ違った。ご存じなかったのであればごめんなさい。
動物霊園で行き止まり
動物霊園で行き止まり
右岸道方面分岐  「左高座の滝」の表示のある分岐まで戻り、こんどは左の道を進む。
 会下山遺跡の分岐を過ぎ(9:28)、次に城山分岐となる(9:30)。ここで、多くの人はロックガーデンの方に進むのかと思いきや、さにあらずで、たくさんの人が城山方面に進むではないか。皆さん、混雑するロックガーデンを回避しているのかもしれない。
 城山分岐からはすぐに住宅地を抜けて山に入る。山に入るとすぐに右岸道への分岐が登場した(写真左 9:34)。ここには「弁天岩方面」の真新しい表示があり、この分岐が芦屋川右岸への迂回路であることを示している。この表示に従い、右に入る。
右岸道方面分岐
 この迂回路は、動物霊園の先で芦屋川右岸コースが閉鎖されてから急遽造られたものと思っていたが、それにしては踏み跡がしっかりしている。従前から存在したルートを再整備したものなのか??
 5分少々進んで、従来の芦屋川右岸道に合流した(9:41)。ここには、「この先行き止まり」の表示とともにロープが張られ、動物霊園での通行止めを知らせている(写真右)。
 ここで、一人のハイカーに追い越された。ルートの閉鎖があっても、芦屋川右岸道を楽しむ者の数は減っていないようだ。
動物霊園方面通行止め
動物霊園方面通行止め
 久しぶりに歩く芦屋川右岸をゆったりと進んでいく。
 左手側に水場の古小屋が登場した(10:00)。ここは陽明水と思われる。
 次にまた、水場が登場した(10:06)。ここには宝泉水の表示があり、清水がパイプから流れている。宝泉水では道が分岐しているが、右に下るのが正解だ。
 宝泉水を過ぎるとすぐに道畦谷砂防ダムが右手に登場する(10:09)。道畦谷ダムを越えて堰堤内に降りる。
 ダム堰堤内で、すぐ道が分岐する(写真右 10:12)。直進は道畔谷若しくは道畔谷東尾根で、芦屋川右岸道は右に進む。ここで写真を撮っていると一人に追い越された。
道畦谷分岐
道畦谷分岐
ナマズ石  道畦谷分岐を右に進むと岩場の急な登りとなる。登りきった所には展望の良い岩がある。これに乗り、南に広がる景色をしばし楽しむ(10:18)。
 この展望の岩場で道が分岐する。左側に登る道は、道畔谷北尾根で、右に下るのがナマズ石方面である。
 ナマズ石方面の道に入ると一気の下りとなる。下りきると、こんどは登りである。芦屋川右岸道はなだらかな道と思いがちだが、結構アップダウンが存在するタフなコースだ。
 次に下った所でナマズ石に到着となる(写真左 10:26)。ナマズ石は、阪神大震災で荒地山の山頂付近から落ちてきた大岩で、表面に何か文字のようなものが掘られている。古いもののようだが、次第に岩の表面が風化して判読し難くくなっている。
ナマズ石
 ナマズ石は、左手側から裏に回り、更に進む。
 すると、すぐに白山、白神大神の大岩に突き当たる。
 ここにも、芦屋川右岸道は途中に民有地があり芦屋川駅に抜けられない旨の表示がなされている。
 白神大神から、右下の車道に向かい階段が造られている。これを下った所に弁天岩がある。車に気をつけながら弁天岩を確認する(10:32)。
弁天岩
弁天岩
芦屋川左岸に渡る  この弁天岩は雨乞いの岩だったそうで、近くのふか切り岩の上でふかに包丁をいれ、流れた血を弁天岩に浴びせて雨乞いをしたそうだ。弁天岩には血塗られた過去があったのだ。
 弁天岩は大きな岩だが写真にするとどうもその大きさが伝わらない。

 弁天岩から少し車道(奥山精道線)を進み、カーブbUのところから車道を渡って再び山道に入る(写真左 10:34)。すぐ飛び石で流れを渡る。ここは鋼鉄製の砂防堰堤(鷹尾第二堰堤)の手前である。
芦屋川左岸に渡る
 次に斜面を登って行くと「阪急芦屋川・弁天岩へ」の表示が登場して、コンクリート板を敷いたような道にでる(写真右 10:42)。
 以前、このコンクリート板を敷いたような道を南に下ったことがあったが、もう3年も前になる。参考
 今日はコンクリート板の道を北に進む。
「阪急芦屋川・弁天岩へ」の表示
「阪急芦屋川・弁天岩へ」の表示
 コンクリート道を北に進むと、すぐ右手側に踏み跡が分岐する(写真右)。ここには倒れた「東お多福山・奥池」方面を示す表示もある。石に赤いペンキで「○」の表示もあるが、見落としやすいので注意したい。
 ここから山の斜面に取り付くが、道はどんどん登って行く。こんなに登らなくてもいいのに!!と思うくらいに登って行く。
 地形図を見ると、この辺りの芦屋川左岸は崖の表示と狭い等高線が続いており、川沿いに適度に平坦なルートが作れなかった感じだ。
「東お多福山・奥池」の表示
「東お多福山・奥池」の表示
芦屋ゲート  大きな水音が聞こえてきて、八幡谷至る(10:56)。ここでは堰堤の前で流れを渡る。
 流れを渡ったところで踏み跡が八幡谷方面に分岐して登っている。
 以前、八幡谷を遡行したことがあるが、その時の記憶では踏み跡は薄く、あまり人が入った形跡はなかった(参考)。しかし、現在の踏み跡は、結構しっかりとしているように見える。八幡谷を遡行するマニアが増えたのかもしれない。
 八幡谷を過ぎ、更に山中に続く踏み跡を辿ると、やがて車のエンジン音が近づいてきて芦屋ゲートに到着した(写真左 11:14)。
芦屋ゲート
「奥池あそびの広場・東お多福山」方面の表示  芦屋ゲートには、ゲート内のトイレの横に飲料の自販機が設置してある。係りの方に断って、自販機を利用させていただき、飲料を調達する。

 芦屋ゲートから芦屋カンツリー倶楽部方面の道に進む。ゴルフ橋の手前に案内表示があり、この表示の「奥池あそびの広場・東お多福山」方面に進む(写真左 11:20)。
「奥池・東お多福山」方面の表示
 ここからは芦屋川と芦有ドライブウェイに沿って快適な道が続いている(写真右)。
 アップダウンはなく芦屋川とクロスしながらプロムナードでも歩いている感じで進む。
芦有DW沿の快適な道
芦有DW沿の快適な道
東お多福山登山口バス停  芦屋ゲートからプロムナードを20分ほど進むと、千谷砂防ダム(昭和32年完成)が見えてきて、その手前から住宅地に出た(11:44)。
 ここは奥池町の住宅地だ。ここにも案内表示が建てられており、この「東お多福山」の表示に従って住宅地の中を進む。
 すると、芦有ドライブウェイに突き当たり、その階段を登ると「東お多福山登山口」のバス停に出た(写真左 11:48)。
 バス停からは「東お多福山」の表示に従い、蛇谷林道方面に踏み込む。
東お多福山登山口バス停
 少し進むと前方にこんもりとした山が見えてきた(写真右)。
 これから目指す東お多福山かと思ったが、方向的に見てこの山は蛇谷北山の前山ようだ。
 車道の右側には奥池の山荘が覗いている。
 奥池は避暑地兼の高級住宅地で、豪邸条例がある。どの家も敷地が相当広そうだ。
前方に蛇谷北山方面の山が
前方に蛇谷北山方面の山が
東お多福山が見えてきた  更に舗装路を進み、次の分岐は「東おたふく山ハイキング道」の表示に従う。
 この辺りから、左手側に東お多福山がせまってきた(写真左)。
 次に、又、道が分岐し、「ハイカーの皆様へ」の表示が登場した(11:56)。左は住宅地で東お多福山へは右に進むように指示している。この分岐を右に入ったところから蛇谷林道となるようだ。
東お多福山が見えてきた
東お多福山への登り道  蛇谷林道に入るとすぐ山道が左側に分岐する(11:59)。
 この分岐には、「東お多福山へ1.0km」の表示があるのでそれに従う。なお、蛇谷林道をそのまま進むと土樋割(ドヒワリ)峠に通じる。
 東お多福山登山道に入るとすぐに流れを渡り、次に登りとなる。
 しばらく登ったあたりで左手側に住宅が見えてきた。だいぶ登ったのにまだ住宅があるのか・・と、少し驚くが、ここも奥池町で、樹間からSala双樹の建物が見えているようだ(写真左)。
東お多福山への登り道
笹が多い東お多福山  ここから更に急な登りとなる。上から下ってくる人も多い。東お多福山は奥池町からのアプローチがよく、登山者が多い。
 更に登って行くと、笹の茂る斜面にV字に掘られた急な道となる(写真左)。
 次に、「東お多福山におけるススキ草原の再生と生物多様性の保全実践事業(東お多福山草原保全・再生研究会)」の看板が登場した。それには、東お多福山は、かつて、ススキの草原が広がっていたが、戦後、刈り取り管理がされなくなり、それに加え山火事が減少したので、ネザサが繁茂してススキの草原が減少したと説明されていた。
笹が多い東お多福山
 なるほど、周囲は人の背丈以上のササがびっしりで、ススキの草原の面影はない。東お多福山草原保全・再生研究会の活動に期待し、是非、草原の再生を実現してほしいと思った次第である。

 山道の勾配が緩み、後ろを振り返ると、景色が開けてきた(写真右 12:21)。見えているのは奥池南町あたりだろうか。
 さらにササの間の道を進んで、東お多福山山頂には12時25分に到着した。
後方に奥池南町方面を望む
後方に奥池南町方面を望む
東お多福山に到着  登山口バス停から東お多福山山頂までの所要時間は35分であった。
 山頂には、芦屋市による「ここは東お多福山です。」の表示があり、その表示の上部に神戸市の119番通報プレートも付けられている(写真左)。
 ここは芦屋市と神戸市の境界線上なので、両市相乗りの表示になっているようだ。
東お多福山に到着
東お多福山  山頂では、7組20程度の人がくつろいでいた。当方もここで昼食とした。
 東お多福山は、ササが伸びて以前と雰囲気が違っている。もっと見通しが利いた山頂だったように記憶しているが。
 東お多福山山頂で10分ほど休憩して、土樋割峠を目指して下り始める(12:38)。
 歩きやすい道がつづらに下っている。途中、前方に六甲最高峰の鉄塔が望めるところもあった。
東お多福山
 10分で東お多福山山頂から蛇谷林道まで下ってきた(写真右 12:48)
 下り着いたところは土樋割峠で、ここには複数名のハイカーが地図を広げながらたむろしていた。どうやら蛇谷北山から下ってきた人たちのようだ。
 そうこうしていると、また、蛇谷北山から人が下ってきた。マイナーだった蛇谷北山も今は訪れる者が増えたようだ。
土樋割峠
土樋割峠
おこもり谷方面分岐  ところで、土樋割峠の語源は水争いにあるようで、次のような言い伝えがあると聞く。
 「その昔、水不足に悩んだ芦屋の住民がこの峠に土樋(土管)を通し、住吉川の水を 芦屋川の方へ引こうとしたところ、それに怒った住吉の住民が、この土樋を割ったことから、土樋割峠と呼ばれるようになりました。」
 ここからは、その争いの対象であった住吉川を下っていくことにする。
 土樋割峠から蛇谷林道を住吉川の方に下る。すぐにおこもり谷の分岐(写真左)となるが、ここは住吉川沿いに下っていく。
おこもり谷方面分岐
 次に、七曲がり分岐となる。この辺りの水場ではロックガーデン方面から六甲最高峰を目指すハイカーでごった返している。
 当方は、本庄橋跡方面に下っていく。
 本庄橋跡に到着(写真右 13:09)。ここでも堰堤から流れ落ちる水流を背景に休憩するハイカーが多い。
 本庄橋跡には、石橋であった本庄橋の名残が残されている。
 また、本庄橋跡には往時の本庄橋の絵と、絵地図が記された案内看板が立てられている。その裏面には、「本庄橋跡」の説明がある。
本庄橋跡に到着
本庄橋跡に到着
本庄橋跡  「本庄橋跡」の説明要旨
 本庄橋は魚屋道が住吉川の上流を渡る所に掛けられた橋で、その魚屋道は江戸時代、灘と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路であったという。
 このあたりが東灘区東端の村々(本庄九ケ村)の入会地であったことからこの名がついたとされる。

 本庄橋跡で、しばし歴史に思いを馳せる・・・。
本庄橋跡
 さて、本庄橋跡からは魚屋道を下っていく。
 3:14 住吉川右岸に至る森林管理道が右手側に分岐、
 13:29 住吉川左岸道分岐
と順調に進む。
 住吉川左岸道分岐から北側を望むと本庄橋跡方面の景色が望める(写真右)。
 緑溢れる自然の中に、住吉川沿いに最高峰を目指す人の流れが小さく見え隠れする。ここからの景色は、当方のお気に入りの一つである。
本庄橋跡方面を望む
本庄橋跡方面を望む
 住吉川左岸道に入り、緩やかな下り道となる。
 ゆっくりと新緑の景色をながめながら、住吉川左岸道を下っていく。
 途中、登ってくる者2名とすれ違う。大きな荷物を背負っているので山中泊なのだろうか。
 さらに、西お多福山方面から下ってきた6〜7名のご一行ともすれ違った。
 住吉川道は渓流沿いの快適な道で、利用する者も多い。
住吉川左岸道
住吉川左岸道
旧有馬道の石標  ゆったりと住吉川左岸道を下る当方の目に、見知らぬ看板が飛び込んできた(写真左 13:53)。「20m先に、1938年7月6日の阪神大水害で流された「右有馬道」と書かれた石の道標があります。見てやって下さい。」と書かれている。
 休憩所もあるようなので道標見物に向かう。
 丸太で囲まれた一角に古い石標が横たわっている。これは、水害で流され紛失していた石標が約70年ぶりに発見されたものという。石標には「右有馬道」と記されているらしいが、時が経ち判読は難しくなっていた。
旧有馬道の石標
 さらに、気持ちよく住吉川左岸道を下り、黒五谷分岐(14:16)、石切道分岐(14:40)と進み、 住吉台くるくるバス:エクセル東バス停には14時55分に到着した。
 バスは5分前に出たところだったので、しばしベンチでくつろぐことにする。待つこと15分でバスに乗り、急坂を下るバスに身をゆだね、本日の山歩きを終了した。
 今日は、久しぶりに東お多福山を訪ね、併せて、芦屋川と住吉川の快適な川沿い道を歩くことができ、楽しい山歩きとなった。
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住吉川左岸道を下る
住吉川左岸道を下る
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