点名:日笠山・日笠山連山(高砂市) (到達困難度 易・中・難) 【5】 |
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山陽電車(特急)に揺られて、大塩駅までやってきた。7月となった今日は晴天で、日差しがまぶしい。 駅を北側に出て、国道250号線を東に進む(8:42)。この辺りの国道250号線は、山陽電車の線路に沿って走っている。歩道がないので、車に注意しながら舗装路の端を進む。 |
山陽電車大塩駅 |
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東に進むにつれ、左手側から次第に山が近づいてくるので、適当なところで左折して地道に入る。 二階建てのアパートのところで、山への取付きらしき看板が見えた。このアパートの奥まったところが日笠山の取付きとなっていた(8:55)。 此処には、「大塩ハイキングコース」の表示がある。 |
大塩ハイキングコース取付 |
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「大塩ハイキングコース」の取付から、竹藪の間の坂道を登ると、すぐによく手入れのされた東屋のある場所に登りつく。
ここには「日笠山のじぎく園」の表示がある。 この辺りは、秋になるとノジギクの可憐な白い花でいっぱいになるのだろう。 |
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日笠山のじぎく園 |
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日笠山に至る |
日笠山 山頂からの展望 |
日笠山のじぎく園で舗装路に合流し(9:02)、さらに舗装路を登るとすぐに山頂らしき広い場所に到着した(9:05)。この広い場所が日笠山の山頂で、南西側に一部だけ展望があある。 山頂一帯の中で、ブランコなどの遊戯設備があるところが一段高くなっており、そこが日笠山のピークだった。 |
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日笠山山頂 |
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日笠山の山頂にある看板「日笠山沿革」(高砂市観光協会)では、日笠山は昔から舎人媛御陵(日笠山一号墳)と言い伝えられ、それは日本書紀の推古記十一年の条の記載によっているとの説明がある。また、菅原道真が西遷したときに、この日笠山に登り、松を植えたとの伝承もあるという。それが、初代の曽根の松であるとされる。日笠山の東山麓には貝塚もあり、ここは歴史のある場所だった。 |
日笠山 |
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日笠山のピークには、四等三角点(点名:日笠山)が設置されていた。三角点に標柱はなく、日笠山四等三角点の石材は角が欠けて、無残な姿になっていた。
日笠山の三角点ピークからは北に向かい山道が伸びている。日笠山を後にして、ベンチと「山火事防止」の看板に挟まれた山道に踏み込む(9:11)。山道は夏の草が繁茂し始めているが、しっかりとした踏み跡で歩行に困難はない。 |
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日笠山四等三角点 |
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細いがよく歩かれた道を進む。両側に竹藪と草が茂り、暗い感じの道を進んでいくとやがて登り道となる。登り坂の途中でベンチが置かれているが、ここは藪蚊が舞い、休憩には適さない。 登り切ったところは、複数の大きな岩が散らばる展望の場所で、東屋があった(9:18)。そこが夫婦岩で、二人の男性が休憩していた。 |
夫婦岩に到着 |
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夫婦岩 |
夫婦岩からの展望 |
日笠山にあった案内看板によると、夫婦岩は二個の巨岩で、古墳とか古代信仰の巨石とか言われているらしい。付近で弥生時代の遺物も採集されているので、ここは古くから開けていた場所だったのだろう。 夫婦岩からは、麓の街並みと播磨灘がきれいに望めた。 また、夫婦岩展望台には「高砂市を望む」と表示された案内看板があり、この展望台から見える施設や建物が絵地図で紹介されていた。 |
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高砂市を望む |
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夫婦岩展望台で小休止を入れた後、先に進む。 展望台から、竹藪が密集した道を下り、次に登り返す。登り坂にはベンチが置かれている。登り切った小ピークは展望のない薮の中だが、ベンチが二つ置いてあった(9:28 写真左)。ここが地形図に表示のある92mのピークと思われる。 ベンチ二つの92mピークからはつづら折に山道を下って行く。右手側の樹木の間から麓の街並みが見えている。北浜町牛谷地区の住宅だろう。 |
日笠山縦走路のベンチ |
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その山道を下りきったところが馬坂峠で、細い舗装路が山道と十字に交差している(9:35)。馬坂峠には多くの道標が掲げてある。高砂市による「全山縦走ハイキングコース」の表示や、牛谷方面、大塩方面への方向が示されている。 なお、馬坂峠に下る途中に、台風で倒れた後、自力で立ち上がったという「起上がり古木」と呼ばれるアベマキがあったらしいが、見過ごしてしまった。 |
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馬坂峠 |
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馬坂峠で舗装路を横切り、階段道を登って再度山道に入る。山腹の緩やかな坂道をまっすぐに登っていく。 登り切って尾根道を進むとベンチがあり(写真左)、その先に高圧鉄塔(飾磨港加古川線37番鉄塔)が立っていた(9:44)。この辺りは笹が繁茂して展望はきかない。 |
鉄塔の手前のベンチ |
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鉄塔の先で、山道は少し下ったのち登り返して、又、尾根道となる。ここも竹藪で展望なく、藪蚊も多いので急いで過ぎる。 その先で、「大塩山城跡(椿城)」の看板が登場した(9:52)。ここが、大塩山城跡で、少し開けた場所となっている。古くてコケ生した石垣が残っているが、当時の山城のものだろうか。 |
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大塩山城跡 |
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「大塩山城跡(椿城)」の看板では、要旨、次のように説明されていた。 「大塩山城は天正六年(1578年)、武将羽柴秀吉により落城した。当時の守将は大城次郎左衛門と言われているが、先の三木合戦で戦死する。弟、大塩小六景麗が城主であったと思われる。」 戦国期の天正年間に、大塩次郎左衛門とその子小六景麗は、別所長治に従って三木城に籠城したのであったが、秀吉の兵糧攻め(三木の干殺し)は、悲惨であったと聞く。 |
大塩山城跡(椿城) |
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大塩山城跡から、アザミの花の花壇の脇を進むと、さらに開けた場所となる。その広い場所の一角には「友愛の山小屋」が立てられていた。友愛の山小屋が地元の方の活動の拠点となり、この山の一帯が大切に守られているのだろう。 なお、大塩山城跡からこの山小屋の立つ広場の一帯は、展望がないのが残念だ。 |
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「友愛の山小屋」 |
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友愛の山小屋からも広い幅の道が続く。ゆっくりと進んでいくと、前方から談笑するこえが聞こえてきた。ベンチのあるピークで、地元の方だろうか、4名の男性が雑談の真っ最中だった(10:01)。ここは、赤山若しくは第2休憩所と呼ばれる所かも??。 |
赤山?? |
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赤山では、樹木の下が木陰になり、樹木越しの景色が楽しめる。地元の方の談笑の邪魔にならぬよう、景色の写真を一枚撮って(写真右)先に進む。 赤山の先は広場状の尾根道で、開放的な場所となっている。ここは六本松山若しくは第3休憩所と呼ばれていた場所らしい(10:03)。 六本松山は、その名のとおり六本の松が並んでいたのであろうが、今はその形跡はない。しかし、六本松山からの展望はなかなかだ。ベンチもあるのでしばし休憩を入れて景色を楽しむ。 |
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赤山からの景色 |
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六本松山からの展望 |
ベンチのある六本松山 |
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六本松山で展望を楽しんだ後、先に進む。六本松山からは下りとなる。岩のむき出した傾斜のある下りで、慎重に進んでいると「息切坂・足元に注意」の手造りの表示(写真左 10:06)。この道が、地元の方の散策路として大事にされていることがわかる。 |
息切坂 |
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六本松山から息切坂を下りきると、そこは十字路の峠になっていて、複数の案内表示が掲げてある(10:08)。ここは、北脇一本松・亀岩ハイキングコース取付で、一本松・亀岩へは直進となる。右に下れば、牛谷で左に下れば北浜トンネル南と案内されている。この峠の下は、車道のトンネル(北脇隧道)が通っている。 スズメバチやマムシ注意の表示もあり、気持ちを引き締めて、一本松・亀岩方面の山道に入る。 |
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北脇一本松・亀岩コース取付 |
一本松・亀岩方面の山道に入ると急坂でロープが張られている。幾度かそのロープに助けられて坂道を登りきると尾根になって右手側に展望が開けた。 麓の別所町小林あたりの景色が見えている。天川、姫路バイパスに鉄路が交差するのが見えていた。 |
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別所町小林あたりの景色 |
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展望の尾根の先で分岐点となった(10:20)。ここで北浜トンネル南から登ってきた山道が合流するようだ。この分岐には、北脇の自然に親しむ会が作成した道標があり、その道標で「一本松」と案内された方向に進む。 夏草が茂り、山道を覆う感じとなっているが、しっかりとした道が続いている。分岐の先で急登となり、ロープが張られている。 急登を登りきると、一本松方面と亀岩方面の分岐点となる(10:26)。 |
一本松方面と亀岩方面の分岐 |
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一本松方面と亀岩方面の分岐には、道標と付近の地図「北脇 一本松亀岩ハイキングコース地図」が掲げられている。地図ではハイキングコースの説明が丁寧になされていて、この付近はツツジの群生地であるらしい。ツツジの季節にまた訪れたいと思いながら、道標の表示に従い一本松方向に進む。この分岐点あたりからも、麓の景色がきれいだ。見えているのは北浜町北脇あたりの市街地だろう。 |
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一本松分岐からの景色 |
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展望の尾根のよく歩かれた道を進んでいくと、道脇の小木に小さな表示のあるのが確認できた。見ると「一本松山 山頂」と書いてある(写真左 10:30)。そして山道の足元を見ると、草に隠れかけた三角点が確認できた。それが、四等三角点:北脇だった。 夏草をかき分けるようにして三角点をカメラに収める。 なお、ここの表示は「一本松山」となっているが、先ほどの分岐では「一本松」と案内されていた。いずれが、正しいのか疑問が残るが、先に進んで展望所まで足を延ばす。 |
一本松 |
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北脇三角点を確認 |
四等三角点:北脇 |
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北脇三角点から尾根道を先に進むと突端が展望所になっていた(10:36)。ここは、素晴らしい展望の場所だった。大塩町の市街地と播磨灘の景色がすばらしい。先客もおらず、絶景を独り占めである。木陰のベンチでしばし休憩し、景色に見入る。 |
一本松展望所 |
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一本松展望所のベンチ |
一本松展望所からの展望 |
展望所で景色を楽しんだのでそろそろ出発とする(10:40)。一本松展望所にあったハイキングコース地図では、この展望所からそのまま麓に下るルートが点線で描かれている。そのルートを少し進んでみたが、これは歩く人が少ないようで藪が繁茂している。よって、コース地図で実践で描かれている「亀岩」を回るコースに進むことにした。 一本松展望所から来た道を戻り、北脇四等三角点を過ぎる。一本松分岐まで戻り(10:44)、ここから亀岩の方に進む。 |
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亀岩に到着 |
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亀岩に向かう道に入ると蜘蛛の巣が進行の邪魔をするようになった。笹を手に持ち、蜘蛛の巣を払いながら進む。すぐに亀岩に到着した(10:48)。 亀岩に乗り、麓の景色を鳥瞰する。ここの景色もすばらしい。 亀岩には次の説明板が立っていた。 北脇の山の奇岩。西方の砂地方面から見上げると、亀の姿に似ていることから亀岩と呼ばれ、昔からみんなに親しまれている。 |
亀岩からの景色 |
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亀岩に乗っても、亀には見えないので、亀岩は麓から見上げるのがいいのだろう。 亀岩で眺望を楽しんだ後、下山を始めることとした。亀岩から先の山道は急な下りであり、ロープが張ってある。そのロープ道を下っていると「北脇 起き上がり巨木(どんぐり)」の表示が目に入った(10:51)。平成29年10月の台風20号で倒れ、今年(平成30年)3月の春一番で起き上がったらしい。自然の驚異と樹木の生命力を再認識する。 |
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起き上がり巨木 |
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起き上がり巨木から数分で分岐点に下りつく(10:55)。ここにも道標があり、左折して「北自治会館・新池方面」に下って行く。その先、数分下って里に下りてきた(11:02)。民家の裏の畑で男性が農作業をしていた。挨拶して更に下ると、すぐに舗装路に合流した。ここには、北脇、一本松、亀岩ハイキングコースの表示と共に「雨乞いの道登り口」の記載があった。今下って来た道は雨乞い道だったようだ。ここから民家の間をテクテク歩き、山陽電車大塩駅までは30分の距離だった(11:34)。 日笠山縦走路はよく整備され、歩きやい道だった。地元民に大事にされている日笠山縦走路を、ノジギクの頃にまた訪れたいと思うのだった。 |
雨乞いの道登り口 |
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