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点名:阿曾 (あぞ)・犬墓山/鬼ノ城(総社市)  (到達困難度 ・中・難)    【3】

砂川公園==鬼ノ城ビジターセンター(12:40)==犬墓山登り口(12:45)==犬墓山(13:00)==阿曾三等三角点==
鬼ノ城ビジターセンター(13:16)==鬼ノ城西門(13:24)==鬼ノ城==鬼ノ城ビジターセンター(13:40)
(平成29年12月30日)
ROUTE MAP
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説明が青色文字の写真はクリックで拡大します。
 吉備津彦命による温羅退治(桃太郎伝説)の伝承地として知られる吉備の国(岡山県総社市)に鬼ノ城という古代山城がある。そのいわくのありそうな名称に惹かれ、一度訪れたいと思っていた。今日(平成29年12月30日)は、その鬼ノ城の城址を巡るとともに、鬼ノ城の西側に対峙する犬墓山の三等三角点(点名:阿曾)を探訪した。犬墓山山頂からは威厳ある鬼ノ城西門が間近に迫るように見えていた。
鬼ノ城ビジターセンター  山陽自動車道岡山・総社ICから、地道の車道を愛車で進む。時折「鬼ノ城」の道標も掲げられているが、ナビに従う。
 やがて砂川公園の広い駐車場に到着した。ここから山域に入り、車道は狭くなって対向車との交差に気を使うので、この砂川公園駐車場に車を止めて鬼ノ城まで歩くのも選択肢の一つだ。
 だた、鬼ノ城への車道は勾配もきつく、歩いていると時折やってくる車が危険なので、そのまま鬼ノ城ビジターセンター駐車場まで車で向かうこととする。
鬼ノ城ビジターセンター
鬼ノ城ビジターセンター駐車場  なお、砂川公園からの歩行ルートとしては、車道を歩くのではなく、車道の西側の経山を経て鬼ノ城を目指す山道もあるので、時間が許せばそのコースをたどるのもいいだろう。

 狭い車道を対向車が来ないかと冷や冷やもので登っていき、幸運にも交差する車もなく無事、鬼ノ城ビジターセンター駐車場に到着した(写真左)。駐車場には10台を超える駐車があり、年末のこの時期なのに観光者が多いのに驚く。
鬼ノ城ビジターセンター駐車場
 鬼ノ城は昭和61年に国史跡指定され、平成18年には「日本百名城」にも選定されている。古代史好きにはたまらない場所となっている。
 鬼ノ城ビジターセンターには、「総社ふるさと自然の道案内図」、「中国自然歩道案内図」と「鬼ノ城の説明」の大きな案内図があるので(写真右)、それらで本日の探索ルートなどを再確認する。
総社ふるさと自然の道案内図
総社ふるさと自然の道案内図
犬墓山への登り口  さて、三角点を目指しての山歩きを始めたい。本日、目的の三等三角点 「点名:阿曾 (あぞ)」は、犬墓山の山頂にある。
 鬼ノ城ビジターセンターから鬼ノ城への道とは反対側の登り口が、犬墓山への登り口となる(写真左)。登り口には「犬墓山・岩屋休憩所」の道標もある。
犬墓山への登り口
犬墓山登り口の階段 岩屋三十三観音案内
犬墓山登り口の階段 岩屋三十三観音案内
  犬墓山への登り口の階段を登り始める(12:45 写真上)。すぐ、道脇に立つ岩屋三十三観音の大きな看板が目に入った(写真右上)。
 どういう謂れでここに三十三観音が祀られることとなったのか、看板にはその説明はないが、犬墓山の北側にある岩屋寺の観音が1番とされるのでその寺に関係しているのだろう。この岩屋寺は平安時代に栄え、大伽藍が多数あったとされる。なお、岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられている「皇の墓」も犬墓山の北にある。歩きやすい犬墓山への山道を歩いていると、傍らに三十三観音の一つが立っていた(12:51 写真右)。
岩屋三十三観音
岩屋三十三観音
四角の岩が祀られている  よく歩かれた山道を更に進むと、「犬墓山」方面を示す標識とベンチが設置された休憩場所もあった(12:53)。
 ベンチの場所から少し進むと道脇に大きな四角の岩が立っていた(12:55 写真左)。文字が掘られているが、風雨で劣化して読める状態にない。花きが供えてあるので、何かが祀られたものである。
 その場所から、樹木越しに対面の鬼ノ城(西門)が見えるようになっていた。
四角の岩が祀られている
 その四角の岩のすぐ先に大きな岩が並ぶ場所があり、その岩からは鬼ノ城がよく見える(12:56 写真右)。 鬼ノ城を望む
鬼ノ城を望む
犬墓山  更に歩きやすい尾根道を進んでいくと、道標の立つピークとなった(13:00 写真左)。道標ではこの山道を更に進むと「岩屋休憩所」と案内されている。
 またこのピークには「村有」と彫られた石柱も立てられている。
 どうやらここが犬墓山ではないかと思い、その石柱の裏側の藪の中を確認すると、三角点を示す白杭が見えていた。
犬墓山
三等三角点:点名阿曾 (あぞ) 阿曾三等三角点と白杭
三等三角点:点名阿曾 (あぞ) 阿曾三等三角点と白杭
 阿曾三等三角点は犬墓山山頂の藪の中で、そこからの展望はなかった。
 阿曾三等三角点から山道に戻って、そのすぐ先に「森林の復元(環境省・岡山県・総社市)」の大きな看板があり、そこを過ぎたところが、犬墓山山頂の展望場所となっていた。
 展望場所にはベンチとテーブルがあり、そこで小休止する(写真右)。
犬墓山の展望場所
犬墓山の展望場所
犬墓山の展望場所から鬼ノ城  その犬墓山の展望場所からは、南東に展望が広がる。鬼城山と鬼ノ城(西門)が迫りくるかのような迫力で、眼前に見えていた(写真左)。
 犬墓山の西北側には吉備高原の山々が連なっているが、木立に遮られている(写真下)。
犬墓山の展望場所から鬼ノ城
 犬墓山からの展望も満喫したのでそろそろ犬墓山を下山することとした(13:07)。
 下山中に一人の男性とすれ違う。不安そうに「この道はどこに続くのか?」と聞かれたので、犬墓山方面とお答えしたが、その方の目的地はどこだったのだろう。

 犬墓山から10分で鬼ノ城ビジターセンターに下ってきた。次は、鬼ノ城ビジターセンターから、鬼ノ城を探索してみたい。
犬墓山の展望場所から西北側
犬墓山の展望場所から西北側
鬼ノ城西門への道 鬼ノ城西門を望む
鬼ノ城西門への道 鬼ノ城西門を望む
 鬼ノ城への道を登り始めると道が分岐している。右が遊歩道で西門まで車椅子でも可とある。左が車両も通行できそうな広い道で、ショートカット道でもある。今日はそのショートカット道を登る。なお、道の分岐点に、鬼ノ城のパンフレット箱があるので、そこで鬼ノ城の資料を入手して先に進む。
 少し登ると右手側に鬼ノ城西門が見えてくる(写真右上)。そして、次に角楼の下を進むことになる(写真右)。
鬼ノ城角楼の下
鬼ノ城角楼の下
鬼ノ城西門  たどりついたところが、鬼ノ城西門の前である(写真左)。
 西門は「平成8年度の調査で新たに発見された城門で、正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門」と説明がある。その説明通り、大きな門で威圧感がある。
鬼ノ城西門
鬼ノ城花崗岩の敷石 鬼ノ城高石垣の先に麓の集落
鬼ノ城花崗岩の敷石 高石垣の先に麓の集落
 西門をくぐり、場内に入る。門に続いて高石垣が復元されている。門や高石垣の周りは、石が敷きつめられている。花崗岩と思われるその敷石も存在感が圧倒的だ。なお、敷石は日本の古代山城では、鬼ノ城でしか確認されていないらしい。この山城の重要度の高さが西門の威容と敷石から伝わってくる。西門を入って小高い丘を登ったところが、鬼城山の頂となる。小さな四阿が設けられている山頂からは、南東にかけての展望が最高だった。しばし、景色に見入る。 鬼城山の山頂
鬼城山の山頂
鬼城山山頂からの景色  今日は年末で、あまり時間に余裕がない。そろそろ下山とするが、鬼城山の周囲は、「総社ふるさと自然のみち」として、経山(三角点有)、実僧坊山、登龍山(三角点有)、重田池を巡る道が整備されているらしい。次回は是非その道を歩いてみたいと思いながら、鬼城山を後にしたのであった。
鬼城山山頂からの景色
●三角点探訪日 平成29年12月30日(晴れ)
●鬼ノ城:鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。・・・・総社観光ナビ:総社市公式観光WEBサイト より
●鬼ノ城の概要:標高約400mの鬼城山山頂一帯に、高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたって巡らされた古代の山城。実物大で復元された西門をはじめ、城内からの排水施設である水門,兵糧を蓄えた礎石建物跡などがある。また昔話「ももたろう」の原形といわれる「温羅伝説」の地として知られている。(おかやま旅ネットHP より)
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三角点のデータ
基準点名 阿曾 (あぞ) 等級種別 三等三角点
冠字選点番号 高三1 標高 443.26m
所在地 岡山県総社市奥坂字大谷1752番2 地形図 高梁(1/20万)−岡山北部(1/5万)
北緯 34°43′45″.8602 東経 133°45′26″.0218
設置 明治24年6月12日 展望 なし
 
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