点名:瀬川・待兼山(豊中市) (到達困難度 易・中・難) 【18】 |
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いしばし商店街 |
阪大総合学術博物館 |
阪急石橋駅(石橋阪大前駅)で下車して西口の改札を出ると(13:48)、そこは既にいしばし商店街の中。その商店街を「阪大下通り」に進みます。この商店街は、大きな夢を語りながらたくさんの阪大生が行き過ぎます。若者に交じって商店街の中を阪大の方に進み、商店街のアーケードを出て左折すると阪急の踏切。それを渡って東に進めば国道176号線の石橋阪大下交差点に突き当たりました。交差点を過ぎると、阪大の門が見えてきます。門を入り、守衛の方に三角点探訪の希望を伝えたところ、「どうぞ」ということで、地図を示しながら丁寧に場所の案内もしていただきました(13:58)。ありがとうございます。
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なお、守衛の方の案内では、三角点の近くに、大正天皇の行幸を記念した石碑が立っているとのこと。その石碑も探訪することにします。守衛の方に教えていただいたとおりに進み、阪大総合学術博物館の横から遊歩道に進んでいきます。 |
遊歩道(振り返って撮影) |
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遊歩道のつつじ 1 |
遊歩道のつつじ 2 |
舗装路の遊歩道を緩やかに登っていきます。鬱蒼と茂る雑木林の中に周遊路があり、咲き始めたピンクや白色のつつじが道に彩を添えています。周遊路に散策者はなく、咲いたつつじの花も少し寂しそうです。
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分岐は左へ |
三角点への取付き |
周遊路はその先で左右に分かれていますが、ここは左に登っていきます。先に少し進むと一人の方が雑木林の中の樹林をじっと観察されていました。バードウォッチャーの方のようです。そこを静かに通り過ぎると周遊路がフェンスで閉じられて突き当りになっています。周遊路を少し戻り、道脇の笹を見ると、踏み跡が笹原の中に続いているのが確認できます。ここが三角点への取付きです(14:04)。
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待兼山山頂 |
三等三角点 瀬川 |
笹の中の踏み跡をたどって緩やかに登っていくと、すぐに三角点が設置された待兼山の山頂に到着しました(14:05)。ここは笹が茂る雑木林の中の一角で、展望は全くありません。三等三角点 瀬川は、古く明治の頃の設置で、頭部の破損個所をコンクリで補修している跡がありました。
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大学の守衛さんお話では、三角点をもう少し先に進んだところに大正天皇の行幸を記念した石碑があるとのことでしたので、笹の中を更に進んでみました。 |
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石碑に向かう |
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笹の中に立つ石碑 |
笹を突き抜ける石碑 |
笹の繁茂がひどい状態で前進が危ぶまれましたが、踏み跡は確かに存在するので、そのまま笹をかき分けながらラッセルで進んで行きます。すると、前方に笹に飲みこまれるようになりながら、二つの石碑が立っているのが見えてきました。
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今上駐蹕之地 |
東宮行啓之跡 |
二つ石碑は、奥のものが「今上駐蹕之地」と記載されたものと、手前が「東宮行啓之跡」と記載されたものでした(14:07)。待兼山の南西側に伊丹空港があり、そこは元陸軍の伊丹飛行場だったので、待兼山からその飛行場を視察するため行幸なされたのかとも思いましたが、年代が違うようです。石碑はいずれも大正時代に建てられたものでした。
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三角点を通過 |
博物館まで戻ってきた |
行幸の石碑が笹に覆われていて、今は手入れがなされていない様子に寂しさを覚えながら石碑を後にしました。元の道を戻り、三角点のピーク「待兼山」を通過して、大学の門のところまで戻ってきました。守衛の方にお礼のあいさつをして、石碑の周囲が笹に埋もれていたことをお話しすると、「以前はきれいに笹が刈り取られて道が整備されていたのに。」ということでした。待兼山を歴史の流れが飲み込んでいってるのでしょうか。大学の門を出て、人通りの多い石橋ストリートを通過して阪急石橋阪大前駅に戻り、本日の三角点探訪を終えました(14:22)。
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