点名:御阪神社・志染の石室(三木市) (到達困難度 易・中・難) 【14】 |
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今日は、兵庫県立三木総合防災公園を起点に、御阪神社四等三角点を探訪する。併せて、三木市の史跡、御坂サイフォン(明治の着工当時、画期的とされた逆サイフォン橋)、仁賢・顕宗天皇伝説の志染の石室、六地蔵のどっこいさんを巡ってみたい。 兵庫県道83号平野三木線から三木総合防災公園の東ゲートを入り、スポーツの森ゾーン駐車場に車を止めた(11:03)。 |
三木総合防災公園駐車場 |
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三木総合防災公園駐車場は、いつもがらんとしているが、今日は駐車している車が幾分多い。その駐車場の近くの第二陸上競技場で、何か競技が行われているようなので、まずそちらに向かう。第二陸上競技場を反時計回りにぐるっと回りながら競技場をながめると、この日は女子サッカーの試合が行われていた。選手たちが広いピッチを元気に駆け回っている。 |
野球場 |
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第二陸上競技場を過ぎ、公園内の道路を野球場の方に進む。野球場では硬式野球の試合が行われていた(写真右 11:17)。”カキーン”と、硬式球の心地よい響きが球場外にも聞こえてきた。その、野球場からは公園内の散策歩道が山域の中にのびているので、そちらに進んでいく。散策路の坂道を登っていくと、すぐに特異な景色が視線に飛び込んできた。黒くて大きなパイプのラインが山の斜面を駆け下りている(写真下 11:20)。 |
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野球場 |
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黒いパイプは御坂サイフォンのサイフォン管で、御坂サイフォンの出口水槽が、三木総合防災公園の野球場近くの公園内散策路脇で確認できる。 御坂サイフォンは、明治の頃着工された疏水工事に係るもので、サイフォンの原理により、呑口水槽と出口水槽の高低差(2.45m)を利用して、低い谷間を越えて水を流している。目の前の黒いパイプの中を水が登ってきていると思うと何か不思議な感じがする。 |
サイフォン管 |
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御坂サイフォンのサイフォン管を後にして、更に公園内の散策路を進んでいくと、道はやがて公園内の車道に出て、次に「窟屋の金水」の表示が目に入る(写真右 11:38)。これは、仁賢・顕宗天皇伝説の「志染の石室」に至る道を示す道標で、これに従って車道から脇道に入っていく。 |
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「窟屋の金水」道標 |
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坂道を下って行くとすぐに右手側に池が見えてきた。ここではウシガエルが鳴き、モンキチョウが舞っている。その池を過ぎ、疑似丸太の階段を下って行くと溜池の所から更に下に階段が続いていた。階段の下を見やると、なにやら石仏のようなものが並んでいるのが見えている。それに向かって階段を下ると、そこが「志染の石室」だった(11:42)。 |
志染の石室に到着 |
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「志染の石室」正面 |
「志染の石室」石標 |
志染の石室は、後に、仁賢、顕宗天皇となった二王子の伝説が伝わる地で、そこには「志染の石室・金水」の案内看板がたてられている。それによれば、志染の石室は、「高さ2.7m、幅14.5m、奥行き7.2mの石室で、中は年中湧き水をたたえています。日本書紀によると、飛鳥時代、後の顕宗天皇と仁賢天皇が幼少の頃、政変の難を逃れて隠れた石室といわれます。」と説明されている。 |
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「志染の石室・金水」の案内 |
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三木市のHPにも、志染の石室について要旨次の説明がある。「今から約1,600年前、第20代の安康天皇が亡くなったあと、皇位をめぐる争いが起こり、この争いから逃れた市辺押磐皇子の二人の王子、億計王子と弘計王子が隠れ住み、のちに弟の弘計王子が顕宗天皇に、兄の億計王子が仁賢天皇になられたと伝えられています。」 |
二皇子ゆかりの桜植樹 |
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金水の謂れは光藻の作用によるが、今はあまり金色への変色は見られないらしい。なお、志染の石室・金水を過ぎたところに、植樹された桜がある(写真上)。それは、仁賢、顕宗天皇ゆかりの第26代継体天皇のお手植えの「淡墨桜」が岐阜県から移植されたもののようで、三木市市制50周年記念植樹と説明されている。うすずみ桜とはどんな桜なのか、その季節にまた訪ねてみたいと思った。 |
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「御坂のサイホン」の道標 |
次に、志染の石室から三角点:御阪神社の探索に向かいたい。三角点は御坂神社にあるので、まずは神社の方に向かう。志染の石室から猪除けの柵を出ると、志染の石室の駐車場があり、その脇に道標が立っている(写真右上)。その道標で、「御坂のサイホン」と表示された方向に進む。すぐに田んぼの中の一本道になる。田植えが終わってすぐの田んぼの水面から、まだ小さな稲の苗が頭を少しだけ出している。 |
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神社に向かう道 |
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田んぼの中の一本道を進み、次に左折すると御坂サイフォン橋に到着となった(12:07)。御坂サイフォン橋は、御坂サイフォンの導水管が通る橋で、明治に竣工した石造アーチ橋と戦後に架けられたコンクリートアーチ橋が並んでいる。現在は、コンクリート橋に導水管が通されていて、旧橋は水路橋の役目を終えているらしい。橋のたもとには、土木学会選奨土木遺産の重々しい銘板があり、御坂サイフォンの重要性が窺がわれた。 |
御坂サイフォン橋 |
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御坂サイフォン橋で志染川を渡ると、すぐに御坂神社に至った(12:10)。御坂神社は、祭神を大物主神、葦原志許男神、八戸掛須御諸神とする志染地区の氏神で、第17代履中天皇が当社に参拝されたと播磨国風土記にあるらしい。履中天皇の孫が、先ほど訪れた石室の第23代顕宗天皇と第24代仁賢天皇で、この地はこれらの天皇と何かのつながりがあるのだろう。 |
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御坂神社鳥居 |
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御坂神社の鳥居をくぐり、拝殿にお参りした。次に、三角点を求めて拝殿の右奥の境内に進んでいった。そこは、子授けと安産の陰陽石が恭しく祀られて、いかにも神域と感ぜられる場所となっている。そのような中で、四等三角点:御阪神社の所在を求めたところ、白い三角点の標柱が確認できた。しかし、そこは境内の清掃で集められた枯葉、枯枝が高く積まれ、三角点は埋没の状態だった(写真下)。 |
御坂神社拝殿 |
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四等三角点:御阪神社の白杭 |
三角点白杭(拡大) |
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三角点の保護石らしきものの頭が一部見えているので、枯枝を動かして三角点を捜索しようとも思ったがやめることとした。陰陽石のある薄暗い境内は、聖域、神域の重々しい雰囲気に包まれ、そこにある一物、一石たりとも動かすことを憚られるような気がしたからである。おもむろに神社の拝殿に戻り、再度、柏手を打ってお参りし、御坂神社を後にしたのだった。 |
御坂サイフォン眼鏡橋 |
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御坂神社からは、来た道をそのまま戻っていくことにした。ただ、御坂サイフォン橋を見ておきたかったので、サイフォン橋の一本下流の橋を渡ることにした。その橋からは、眼鏡橋の一部が遠望できた(写真左上 12:21)。次に、田んぼの中の一本道を防災公園の方に戻っていく(写真左)。 |
一本道を戻る |
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志染の石室の駐車場まで戻り、再び猪除けの柵を入って「志染の石室」に到着(12:38)。石室から散策路を進み、防災公園の敷地内に戻ってきた。ここから、どっこいさんに向かう。どっこいさんは、グーグルマップで「どっこいさん」と入力して検索すると、ピタッと表示されるので、一般にも知られた史跡と思われるが、当方は全く承知していなかった。 |
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六地蔵(どっこいさん) |
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どっこいさんは、防災公園内で県道平野三木線の西側に位置するが、地図がないと分かり難い。グーグルマップに従って、なんとか「どっこいさん」にたどりついた(写真上、左 12:47)。そこに立つ説明看板によると、「どっこいさん」について、要旨、次の説明があった。「横穴式円墳の天井かフタ石だったようで、表面上部に35の小座像が4段に並べて彫られている。下部に六地蔵があり、地元ではこれを「どっこいさん」とよんでいる。」 |
どっこいさん |
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盛り上がった古墳のまわりをぐるりと巡って「どっこいさん」を観察した後、そこを後にした。次に、どっこいさんの近くに防災公園の展望場所があったので、そこに登ってみた(写真右)。北側には、兵庫県道83号とその向こうに三木市の長閑な風景を見ることができ、南側はまっすぐのびる県道で時折やってくる車をながめることができた。ゆっくり時間が流れていい感じの場所だが、そろそろ防災公園の駐車場に戻ることにした。 |
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防災公園展望所 |
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防災公園の周遊路を巡って駐車場に戻りついた(13:07)。三木総合防災公園は、「スポーツの森ゾーン」と「自然体験の森ゾーン」に分かれて、広大な面積の敷地に周遊路が巡らされていた。のんびり散策するには最適な公園だった。散策する人も少なく、蜜になることもない。時間があるときに、一日中、のんびりと歩いてみたいと思いながら公園を後にした。 |
三木総合防災公園 |
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