点名:吉田山・吉田山緑地(京都市) (到達困難度 易・中・難) 【11】 |
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京都市バス203系統に乗り、今出川通の北白川バス停で下車する。すぐに赤い鳥居と「吉田山緑地(都市公園)」書かれた大きな看板が目に入る(写真左)。赤い鳥居をくぐって階段道を登り始める(16:04)。今日は、平安神宮の近くの路上で時代まつりの行列を見物し、その後でここまでやってきた。もう時計は午後4時を回ってしまった。参道の階段は鬱蒼とした森の中で、階段の周囲はすでに薄暗い。 |
吉田山登山口 |
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階段道も上の方は光が差し込んできて、その先で広場状の所に出た(16:10)。そこは山頂休憩広場で、あずま屋が設置されていた。あずま屋から東を望むと木々の切れ間から大文字山が真正面に見えている(写真下)。 |
吉田山への階段道 |
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あずま屋では、一人の初老の男性が休憩されていたので、声をかけてみた。地元の方のようで、「大文字山は見えているが、ちょうど大の字の下側のはらいの先が木で隠れる。それがなんとも残念!!」とのこと。大文字山の木々が伸びてきて、送り火の展望を邪魔するようになってきたのだという。また、吉田山自体も樹木の繁茂が著しいようだ。 |
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山頂休憩広場から大文字山 |
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送り火の展望は出町柳から今出川の辺りが一番良いなどと色々な情報も教えていただいた。男性にお礼を申し述べ、先に進むことにした。あずま屋の先で、左手側に古い建物が見えてきた(16:13)。それは「茂庵」というカフェの建物であった。茂庵は吉田山の頂上にあるカフェで、歩いて吉田山の樹木の茂る山道を進まないと到着できない。古民家カフェとして知る人ぞ知る店らしい。鬱蒼と木が茂る薄暗い山道の中にある店だが、ご夫婦らしい二人連れが「ここが茂庵かっ?!」と言いながら、山道を進んでいった。 |
茂庵への山道 |
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その先で、明るい吉田山緑地の遊具広場になった。ベンチなどもあり、欧米系の外国人のカップルが談笑していたが、その他、あまり人の気配はない。午後も4時を過ぎると、山に登ってくる者は少ないのだろう。その吉田山緑地広場の遊歩道脇であっさりと「三等三角点吉田山」を把握した(16:17)。 |
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吉田山緑地広場 |
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三角点の脇には「三等三角点:吉田山」のプレートも立てられていた(国土地理院近畿地方測量部)。それには、この三角点の北緯、東経、標高と共に、設置年が書かれていた。三等三角点:吉田山は明治36年の設置と書かれているが、標石は比較的きれいだ。「点の記」では選点が明治で、昭和に設置・・・とされていた。 |
緑地広場の遊歩道 |
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三等三角点:吉田山 |
国土地理院のプレート |
三角点を確認した後、吉田山緑地の山頂広場を散策した。山頂の東側すぐのところに赤い鳥居が並ぶ神社があった(写真右 16:21)。鳥居の先に進むと、そこは竹中稲荷社であった。竹中稲荷社は吉田神社の末社で、美しい櫻で有名らしい。赤い鳥居と白い桜の花の対比が素晴らしいようで、その季節にまた訪れてみたい。 |
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竹中稲荷社 |
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竹中稲荷社に参拝した後に、吉田神社に下って行くことにした。吉田神社は、吉田山の南西側の山麓にある。階段道を下って行くと、突如、赤いコーンで通行止めが登場した(写真左)。紙が貼ってあり、何やら日本語ではない文字が書いてある。「WARNING Plese do not enter. Bee attack you!!!」。 スズメバチで危険とのことのようなので、この階段は回避した。 |
スズメバチで危険 |
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スズメバチを避けて、吉田神社まで下ってきた(写真右 16:32)。午後も遅いこの時刻では、神社境内の参拝者はまばらだった。 |
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吉田神社 |
次に、表参道の階段を下り(写真右 16:37)、京都大学の方に下って行く。京都大学正門前を過ぎ(写真下)、東大路に出る。東大路を北に進み、百万遍の交差点に向かう。 |
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表参道の階段 |
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京大正門 |
百万遍の交差点 |
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百万遍の交差点は東西に走る今出川通と南北に走る東大路通の交わる大きな交差点だ。「百万遍」の名は、交差点近くの知恩寺の通称「百万遍」に由来する。その昔、疫病が大流行したときに、知恩寺の上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、天皇から百万遍の号を賜った。その言い伝えが交差点の名になっている。 |
今出川通から見た大文字 |
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百万遍のバス停でバスを待ち、間もなくやってきた201系統のバスに乗り込んで、本日の三角点探訪を終えたのであった。 以下、今日の京都の思い出に、今出川通から見た大文字山(写真上)、黄昏時の鴨川(写真右)、時代祭りの風景(写真下)を張り付けておきます。 |
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黄昏時の鴨川 |
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時代祭りの風景1 |
時代祭りの風景2 |