天王谷IC尾根(天王谷東尾根) (お勧め度☆☆☆) 鵯越・鈴蘭台周辺【5-20】 |
|
天王谷東尾根にどこから取り付くか思い悩んだが、足慣らしもかねて菊水山、鍋蓋山を越えて七三峠から下っていくことにした。 スタートは神鉄の鈴蘭台駅で、菊水山に裏側からアプローチして、急な登りを少しだけ回避することとした。 鈴蘭台駅を9時10分にスタート。まずは神鉄車庫辺りにある菊水山登山口を目指す。 駅から線路沿いに南にぶらぶらと10分程歩けば、菊水山登山口に到着する(9:20)。 ここからは、舗装路のNTT菊水無線中継所道路が山頂まで続くが、この道は味気ないので、菊水山周遊路として整備されている山道を登る。 |
NTT菊水無線中継所道路 |
|
|
登山口を入るとすぐに鈴蘭堰堤(平成19年6月完成)を右から越える。続いて、小さな流れの水音を脇に聞きながら、快適な道を登って行く。 周遊路は、途中何度かNTT菊水無線中継所道路と交錯しながら、次第に高度を上げていく。 頂上近くになると、左手側に古い展望台がある(9:47)。1981年12月の設置の展望台のようで、周囲の展望を案内した絵図もある。それによれば、ここからポートアイランドや六甲アイランドが展望できることになっている。 しかし、今は展望台前の樹木が繁茂し、全く展望台の用を果たしていない。三十数年前の往時の展望は素晴らしかったのかも?? |
菊水山に到着 |
|
その古い展望台を過ぎると、菊水山頂まではあと少し。秋晴れの菊水山には9時50分に到着した(写真上)。登山口からここまで約30分だった。 菊水山頂は、いつもハイカーで一杯だ。今日も、多くのハイカーが山頂からの景色を楽しんでいる。 山頂では、電波塔と菊水山の石碑が青空に映えていた(写真右)。 さて次は、東隣の鍋蓋山を目指す。 六甲縦走路に沿って鍋蓋山方面に進み、城ケ越の岩場辺りで後方からやってきたゼッケンを着けたランナーに追い越され始めた。筋肉質のランナーが多いが、今日はトレイルランの大会が催されているようだ。 |
|
|
菊水山山頂 |
|
天王谷に向かって菊水山の急な勾配を下っていく。この下りでも、多くのランナーが追い越していった。やがて天王吊橋まで下ってきた(10:21)。この橋の上でも、ランの人に追い越された(写真左)。つり橋の上で追い越されると、橋が上下に揺れて、なんだかフワフワ気分だ。 橋を渡ると、こんどは鍋蓋山に向かって急なつづらの登りとなる。ここでは、さすがにトレイルランの人も走るわけには行かず、歩行による前進となる。しかし、その歩行スピードは当方のそれをはるかに凌ぐ。ここでも何人かに抜かれてしまった。 |
天王吊橋 |
|
トレイルランの方も、必ずしもハイスピードの方ばかりではなく、普通よりやや早いといった感じの方もいた。女性の方だったので、「何かの大会なのですか??」と聞いてみた。すると、「そうなんですーー。これから宝塚まで行かないと・・・」と、やや疲れ気味の表情でおしえてくれた。 全山縦走のトレイルランということのようだ。「お疲れっス。」と、エールを送って見送った。当方は、普通のおじさんたちと前後しながら、牛歩の歩みで鍋蓋山の山頂を目指して進む(写真右)。 |
|
|
鍋蓋山への登り |
鍋蓋山山頂には10時47分に到着。菊水からここまで約50分の所要時間だった。 菊水から鍋蓋までハードな下りと登りが続くので、通常のハイカーはここで小休止となる。しかし、トレイルランの方々は当然のように先を急いで鍋蓋山頂を駆け抜けていく。 うらやましい脚力である。 さて、当方は、鍋蓋山から縦走路を離れて七三峠に下っていく。よって、トレイルランの方々とはここでお別れだ。 鍋蓋山のピークを越えるとすぐに南に向かって分岐がある。薄暗いところで何らの案内表示もないが、明確な道がついているのですぐ分かる。 |
|
|
鍋蓋山山頂 |
|
七三峠に向かって下り始めると、7名ほどのパーティーとすれ違った。次に、夫婦連れ、次に単独の者と立て続けにすれ違う。 平野谷から登ってこられたのだろうか。従前、このルートであまり人と出会うことはなかったが・・・・、などと考えていたら、七三峠に到着した(写真左 11:00)。 七三峠には古い石柱が立っている。石柱には「神戸区(区は旧字)」と書いてあるように思えるが、判読は難しくなりつつある。 また、十年位前までは、七三峠一帯はいつも笹が綺麗に刈り取られ、さっぱりしていたが、今日の七三峠は結構笹が繁茂している。 |
七三峠 |
|
七三峠からは平野谷西尾根方面に下っていく。 するとすぐに道が左右に分岐する(写真右 11:06)。平野谷西尾根はここは右に進む。 すると右下に極楽林道が樹間越しに見えてくる。極楽林道を下れば有馬街道に出れるが、この林道は味気ない舗装路だ。 次に「119番通報プレート ち53−1」が貼付された標柱が登場した(11:09)。ここから、かつては平野谷に下れたようで、標柱にもその表示があるが、文字は消されている。今は廃道となっているようだ。 |
|
|
平野谷西尾根と平野谷東尾根の分岐 |
|
更に平野谷西尾根を進むと、今度は左手側の下方にに林道が見えてきた。 従前は、こんな林道はなかったが・・・なんだろう、と思いながら進んで行くと、その林道に合流することとなった(写真左 11:15)。 山の斜面を強引に削り取って、新しい林道が作られているようだ。 平野谷西尾根はそのまま先に続いているが、今日はこの新しい林道を進んでみることにした。 |
新しい林道に合流 |
|
|
新しい林道といっても、出来たのはごく最近という訳ではないようで、斜面にはコケなども生えている。もう数年は経過しているのだろう。 この林道は、突貫工事でかなり強引に斜面を削って造られたようで、いたるところで法面が崩れたり、路面が流出したりしている。 やがて二本松林道方向を示す案内表示が現れた。どうやら、この林道は二本松林道に続いているようだ。 |
二本松林道の枝道を進む |
|
新しい林道を10分弱進んで、二本松林道に合流となった(11:24)。想定したとおりだったが、合流地点には鎖が張られて、「←猩猩池:平野谷→」の表示がされていた。鎖を跨いで、振り返ってみると、先ほどの案内表示の裏面は「森林管理道につき通行禁止」の記載となっていた(写真右)。なんと、この林道は通行禁止だったのだ。 しかし、通行禁止だが、通行する人のために一応の案内表示は掲げているという、親切な配慮もある。何かチグハグな感じだが、法面等の崩落があり危険なので、とりあえず通行禁止ということにしているものと思われた。 |
|
|
二本松林道に合流 |
|
二本松林道に合流の後、当該林道をひたすら西に進む。林道歩きは面白みがないがやむを得ない。 二本松林道を20分ほど歩いて、平野谷分岐点となった(11:44)。ここからは、平野谷西尾根道、平野谷道、天王谷東尾根道が分岐している。今日は天王谷IC尾根を目指すので、ここから天王谷東尾根道に進むことにする。 「防火線」の説明看板のところから天王谷東尾根に入る。 天王谷東尾根は、防火線だが従前ほど下草や笹が刈り払われていないようだ。この状態で防火の役目を果たし得るのかやや疑問だ。 |
天王谷東尾根 |
|
天王谷東尾根を進んで行くと路傍に道標が登場した(写真右 11:54)。ここが、天王谷IC尾根の分岐である。ここの道標には、119番通報プレート「ち58−5」が貼り付けられている。道標の案内には、「天王谷インターチェンジ0.3km」の表示がある。この表示があるということは、一応、行政の管理する(若しくは把握している)道ということだろう。 全く歩けない道ではないということが確認できたので、ここから天王谷IC尾根を下ってみることにする。 |
|
|
天王谷IC尾根に突入 |
|
分岐から天王谷IC尾根を見下ろすと、その勾配の急峻さで少々足がすくむ。しかし、笹はきれいに刈り取られており、ルートはハッキリしている。すぐ下に鉄塔が見えているので、関電により整備されているのだろう。意を決して急な天王谷IC尾根を下りはじめる。地面にまるで張り付くような感じで、一歩一歩慎重に足を下に運ぶ。
← 写真では、急な斜度が分かりにくいが、ここの階段は相当に怖い。 |
急峻な天王谷IC尾根(振り返って撮影) |
|
|
天王谷IC尾根の下り始めはプラ階段になっているが、幅の狭いステップに土や草が積もり、かえって足をとられかねない感じ。 秋の山道は、路面に落ちたどんぐりにやられて、よく足元を掬われることがあるが、ここにどんぐりでも落ちていたら完璧にアウト。下降はあきらめざるを得ない。しかし、天王谷IC尾根には幸いにもどんぐりは無い。ただし、当然ながら慎重に下る。 |
天王谷IC尾根の第一鉄塔 |
|
超、超、超慎重に階段を下り、すぐ下に見えていた鉄塔まで下ってきた(写真上 12:03)。鉄塔の周囲は草が刈り取られている。この鉄塔をくぐって尾根道は進んでいる。 次に、ナイフリッジのような幅の狭い尾根筋になる(写真右)。ワイルドな感じだ。 次に又、急勾配となるが、今度は階段はない。ズッ、ズッ、ズッー という感じで、急な路面に足裏を滑らせる要領で下っていく。するとすぐに、二つ目の鉄塔が登場した(写真下 12:07)。 |
|
|
天王谷IC尾根 |
|
二つ目の鉄塔からも、急な下りがある。ここも、ずり落ちるような感じで下っていく。 急勾配の先にも明確な尾根道が続いている。、 次につづらの下りとなるが、やはり、ルートは明確だ。 |
天王谷IC尾根二番目の鉄塔 |
|
更に下って、目の前に建物が見えてきた(写真右)。ここで、突然、道が無くなった。ここまで、笹や下草が払われて、天王谷IC尾根はよく手入れされていたが、ここで突然、雑草の茂みとなって、全くの自然に戻ってしまった。ということは、この建物の周囲は私有地であり、関電といえども勝手に草刈りとかは出来ないということかも・・??。 いずれにしても、ここに立ち止まっていると、不法侵入に該当するかもしれないので、急いで旧有馬街道に出ることとする。 (^。^;) |
|
|
建物の裏に降りついた |
|
建物の脇から旧有馬街道に出てきた(写真左)。そこは天王谷ICのやや南のところだった。 出てきたところには、尾根道の取り付きを示す何らの標識もないので、ここが天王谷IC尾根の取り付きとは、到底気が付かない。 関電の「火の用心」の表示も無いので、取り付きはやはり私有地なのかもしれない。 |
旧有馬街道に出たところ |
|
|
さてここからは旧有馬街道を南に下っていく。この舗装路は生活道路であるが車は殆ど通らない。しかし、たまに路線バスがやってくるので、やはり車には注意して歩きたい。 やがてバス停「桃山」を通過。次に、変電設備の建物を通過する。ここが本来の天王谷東尾根の取り付きであるが、道は荒れており、ここから天王谷東尾根に取り付くのは危険な感じだ。 更に下って、祇園神社に到着(写真左 12:34)。境内に人影は無く、静まり返っている。ここで、天王谷IC尾根の急斜面を無事に下れたことのお礼参りをする(ありがとうございました。)。 |
祇園神社に到着 |
|
祇園神社から少し下ると路傍に塞神の石碑が立っていた(12:40)。塞神(さえのかみ)の「さえ」は、悪霊が進入するのを防ぐという意味らしい。村境や辻に設置された道祖神の亦の名を塞神と言うようで、この石碑も道祖神ということになる。 昔、この辺り(奥平野村)にも、東西に「古道街道」が通り、その旅人の安全を守ったのがこの「塞神」であったということです。 柄にも無く歴史に浸りながら、ぶらぶらと有馬街道を南下して、地下鉄「大倉山」駅まで歩いたところで、本日の「天王谷IC尾根」探検の山歩きを終了したのであった。 (^。^;) |
|
|
塞神 |