○ この索引ページは、「六甲山やまある記」のサイトに登場する六甲山とその近隣の山々に関連の地名、山、谷、尾根等の名称を概ね五十音順に並べて整理したものです。
○ 索引に掲載されている項目をクリックすると、歩いたコースを紹介しているページの中の目的の箇所に直接Jumpします。
○ 六甲、丹生山系他のピークについては、こちら「六甲山ピーク集」も参照してください。
○ about「六甲山」 六甲山系は、神戸・阪神間の市街地の背後に東西約30kmにわたって帯状に連なる細長い山系である。武庫川西岸の宝塚から須磨鉢伏山で瀬戸内海に没するまで、東北から南西に向けて続く主稜線は実距離にして約56k、行政区画は宝塚、西宮、芦屋、神戸の4市に及ぶ。 最高峰は標高931.3mと1040mに満たない山域であるが、市街地に直結したその環境から多くの登山者に親しまれている。 「六甲山(ヤマケイ関西Books)」山と渓谷社より ○ 「六甲山」の地名はどこからきたのか!! 六甲山をホームグランドのして、山歩きを楽しんでいるが、その名前の由来については理解していなかった。それでは山に対して失礼かと思い書物を紐解いてみると、概ね次のような説明が多かったのでそれをここに記しておく。 「古代、今日の大阪あたりが日本の中心であった頃、そこの人達は、海のかなたに眺められる土地(今の西宮・芦屋・神戸の山河)を、海のムコウの里、ムコウの山、ムコウの川と呼んでいた。 その後、漢字が伝来して、土地の呼び名にも漢字が当てられるようになり、「ムコ」には務古・武庫の字が当てられた。少し後には、六甲(ムコ)の字も使われ、それがいつしか「ろっこう」と読み誤られたとか。 江戸時代になると、六甲山というのは、昔、神功皇后が三韓への出兵からの帰途、反乱を企てた皇子ら六人の首を、甲をつけたまま切ってこの山に埋めたので、この名がついたとも言われるようになった。」 (東灘歴史散歩、田辺眞人、昭和55年 東灘区役所刊) ○ 世界で最も多くの人が登る山 六甲山は全域が神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市に含まれその4市だけで人口は250万人。その周辺の明石市、伊丹市、尼崎市、豊中市、大阪市を含むと700〜800万人が最も手近な山として愛している。 毎日登山の会も多く、登山者の数も世界最高といえるだろう。 (ミウラ折り登山地図 六甲 摩耶、株式会社ゼンリン) ○ 国立公園六甲山 六甲山地は、阪神間の宝塚、西宮、芦屋市から神戸市に至る海岸に接して、緑の屏風を立てたようにそびえる1,000m級の連山。このうち、東の譲葉山(526m)から六甲山(931m)、摩耶山(702m)を経て、西の再度山までの東西約20kmが瀬戸内海国立公園六甲地区に指定されている。 市街地からは車やバス、ケーブル、ロープウェイなどを利用して、1時間以内で登ることができ、大都市近郊の国立公園として、年間1,000万人を越える利用者が訪れ、関西の代表的なレクリエーション地となっている。 (国立公園まるごと六甲山 国立公園六甲山地区整備促進協議会 2009年10月) |